幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

佐藤 美奈

文字の大きさ
58 / 83

第58話

しおりを挟む
どこへ向かっているのか、足元がふらついていることすら気づかない。ただ、涙が溢れるたびに、私はそれを隠すように走り続けていた。何もかもから逃げたくて、ただ無意識に足を動かしていた。

その涙が、心の中でどんどん膨れ上がる不安を象徴しているようで、止めることができなかった。私はただ、誰にも見られたくなくて、その涙を必死に隠そうとしながら、前へ前へと進んでいく。

どれくらい、庭園の中を彷徨っただろう。
涙はとっくに枯れ果てて、今はもう、心の中にぽっかりと大きな穴が空いたような、そんな虚しさだけが残っていた。

もう、恋を続ける意味なんてない。全てを引き受けて、何一つ得るものがないのなら、私はこの道を引き返すべきだろう。私が身を引けば、カイ様はもう一度、穏やかな日々を取り戻せる。そして、リディアにもその笑顔を返せるだろう。

私が消えても、彼の心に変わらぬ平和をもたらせるなら、それが私のすべきことだ。たとえその笑顔の隣に、私がいなくても、私はそれでいいと思う。

諦めに似た思いを抱えながら、私は足元を見つめて、とぼとぼと歩いていた。
その時──突然、背後で何かが音を立てた。私の心臓が一瞬で止まり、足が固まった。

「アイラッ!!!!」

背後から私の名前を呼ぶ声が飛び込んできた。その声の切羽詰まった響きに、私の体は動かずに固まった。振り向きたくても、どうしてもその一歩を踏み出すことができない。ただ、その声の主が誰かなんて、私はすぐに分かった。目を閉じれば、その顔が浮かんでくる。

背中に感じる強く引っ張られる力。振り返る間もなく肩を強く掴まれて、無理矢理に顔を向けさせられた。その先に立っていたのは、息をつく間もないほどに息が荒いカイ様だった。

彼の表情は、私がこれまで見たことがないほど歪んでおり、焦りと苦しみが入り混じった目で私を見つめていた。その顔に、私の胸を痛くさせ、心の中で何かが引き裂かれそうな感覚を抱かせた。

「違うんだ、アイラ! 今のは……!」
「……何が、違うのですか」

自分の声が、予想以上に冷たく、無機質に響いていった。その声には、氷のような硬さと、感情を無理に押し込めたような圧迫感があった。私の感情のすべてがどこか遠くへ消えてしまったように思えた。

「私は、この目で見ましたわ。あなたが、彼女を……抱きしめていたのを」
「抱きしめてなどいない! あれは……」
「もう、いいんです」

彼が話し始めたその時、私は思わずその言葉を止めてしまった。

「言い訳なんて、聞きたくありません。カイ様が、優しい方だということは、よく存じております。泣いている女性を、見捨てられないのでしょう……私、身を引きますわ。その方が、カイ様もお困りにならないでしょうから」

「ふざけるなッ!!!!」

カイ様の怒鳴り声が、私の体を震わせるように響き渡った。その声は、どこからか突如として放たれた雷のように、私の意識を一気に引き寄せた。

私は驚きに目を見開き肩を震わせる。それほどまでに、カイ様の怒りが凄まじいものであることが伝わってきた。彼がこんなに激しく声を荒げる姿を、私は一度も見たことがなかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妹と王子殿下は両想いのようなので、私は身を引かせてもらいます。

木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラナシアは、第三王子との婚約を喜んでいた。 民を重んじるというラナシアの考えに彼は同調しており、良き夫婦になれると彼女は考えていたのだ。 しかしその期待は、呆気なく裏切られることになった。 第三王子は心の中では民を見下しており、ラナシアの妹と結託して侯爵家を手に入れようとしていたのである。 婚約者の本性を知ったラナシアは、二人の計画を止めるべく行動を開始した。 そこで彼女は、公爵と平民との間にできた妾の子の公爵令息ジオルトと出会う。 その出自故に第三王子と対立している彼は、ラナシアに協力を申し出てきた。 半ば強引なその申し出をラナシアが受け入れたことで、二人は協力関係となる。 二人は王家や公爵家、侯爵家の協力を取り付けながら、着々と準備を進めた。 その結果、妹と第三王子が計画を実行するよりも前に、ラナシアとジオルトの作戦が始まったのだった。

捨てた私をもう一度拾うおつもりですか?

ミィタソ
恋愛
「みんな聞いてくれ! 今日をもって、エルザ・ローグアシュタルとの婚約を破棄する! そして、その妹——アイリス・ローグアシュタルと正式に婚約することを決めた! 今日という祝いの日に、みんなに伝えることができ、嬉しく思う……」 ローグアシュタル公爵家の長女――エルザは、マクーン・ザルカンド王子の誕生日記念パーティーで婚約破棄を言い渡される。 それどころか、王子の横には舌を出して笑うエルザの妹――アイリスの姿が。 傷心を癒すため、父親の勧めで隣国へ行くのだが……

【完結】私ではなく義妹を選んだ婚約者様

水月 潮
恋愛
セリーヌ・ヴォクレール伯爵令嬢はイアン・クレマン子爵令息と婚約している。 セリーヌは留学から帰国した翌日、イアンからセリーヌと婚約解消して、セリーヌの義妹のミリィと新たに婚約すると告げられる。 セリーヌが外国に短期留学で留守にしている間、彼らは接触し、二人の間には子までいるそうだ。 セリーヌの父もミリィの母もミリィとイアンが婚約することに大賛成で、二人でヴォクレール伯爵家を盛り立てて欲しいとのこと。 お父様、あなたお忘れなの? ヴォクレール伯爵家は亡くなった私のお母様の実家であり、お父様、ひいてはミリィには伯爵家に関する権利なんて何一つないことを。 ※設定は緩いので、物語としてお楽しみ頂けたらと思います ※最終話まで執筆済み 完結保証です *HOTランキング10位↑到達(2021.6.30) 感謝です*.* HOTランキング2位(2021.7.1)

「誰もお前なんか愛さない」と笑われたけど、隣国の王が即プロポーズしてきました

ゆっこ
恋愛
「アンナ・リヴィエール、貴様との婚約は、今日をもって破棄する!」  王城の大広間に響いた声を、私は冷静に見つめていた。  誰よりも愛していた婚約者、レオンハルト王太子が、冷たい笑みを浮かべて私を断罪する。 「お前は地味で、つまらなくて、礼儀ばかりの女だ。華もない。……誰もお前なんか愛さないさ」  笑い声が響く。  取り巻きの令嬢たちが、まるで待っていたかのように口元を隠して嘲笑した。  胸が痛んだ。  けれど涙は出なかった。もう、心が乾いていたからだ。

【完結】私に可愛げが無くなったから、離縁して使用人として雇いたい? 王妃修行で自立した私は離縁だけさせてもらいます。

西東友一
恋愛
私も始めは世間知らずの無垢な少女でした。 それをレオナード王子は可愛いと言って大層可愛がってくださいました。 大した家柄でもない貴族の私を娶っていただいた時には天にも昇る想いでした。 だから、貴方様をお慕いしていた私は王妃としてこの国をよくしようと礼儀作法から始まり、国政に関わることまで勉強し、全てを把握するよう努めてまいりました。それも、貴方様と私の未来のため。 ・・・なのに。 貴方様は、愛人と床を一緒にするようになりました。 貴方様に理由を聞いたら、「可愛げが無くなったのが悪い」ですって? 愛がない結婚生活などいりませんので、離縁させていただきます。 そう、申し上げたら貴方様は―――

婚約破棄にはなりました。が、それはあなたの「ため」じゃなく、あなたの「せい」です。

百谷シカ
恋愛
「君がふしだらなせいだろう。当然、この婚約は破棄させてもらう」 私はシェルヴェン伯爵令嬢ルート・ユングクヴィスト。 この通りリンドホルム伯爵エドガー・メシュヴィツに婚約破棄された。 でも、決して私はふしだらなんかじゃない。 濡れ衣だ。 私はある人物につきまとわれている。 イスフェルト侯爵令息フィリップ・ビルト。 彼は私に一方的な好意を寄せ、この半年、あらゆる接触をしてきた。 「君と出会い、恋に落ちた。これは運命だ! 君もそう思うよね?」 「おやめください。私には婚約者がいます……!」 「関係ない! その男じゃなく、僕こそが君の愛すべき人だよ!」 愛していると、彼は言う。 これは運命なんだと、彼は言う。 そして運命は、私の未来を破壊した。 「さあ! 今こそ結婚しよう!!」 「いや……っ!!」 誰も助けてくれない。 父と兄はフィリップ卿から逃れるため、私を修道院に入れると決めた。 そんなある日。 思いがけない求婚が舞い込んでくる。 「便宜上の結婚だ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」 ランデル公爵ゴトフリート閣下。 彼は愛情も跡継ぎも求めず、ただ人助けのために私を妻にした。 これは形だけの結婚に、ゆっくりと愛が育まれていく物語。

「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?

ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」  王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。  そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。  周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。 「理由は……何でしょうか?」  私は静かに問う。

幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!

ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。 同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。 そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。 あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。 「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」 その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。 そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。 正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。

処理中です...