65 / 83
第65話
しおりを挟む
私が意識を取り戻した時、周囲には石造りの冷たい壁が迫り、カビの湿った匂いが鼻を突いた。そこは光を拒む闇に覆われ、まるで忘れ去られた地下の牢獄のような重苦しく息苦しい空間だった。
背中の後ろでごわごわと硬く編まれた縄が手足を縛り上げ、その拘束感は逃れられぬ牢獄のようだった。口には猿ぐつわが押し込まれ声は完全に封じられて、抵抗の叫びは暗闇に吸い込まれていった。
(……ここは、どこ……?)
周囲の状況を把握しようと動こうとした瞬間、全身の節々が軋む音を立て、刺すような痛みがじわじわと体中に広がり、身動きひとつ満足に取れないもどかしさに苦しめられた。どうやら、地下牢のような場所らしい。壁の小さな窓からは、ほんのわずかな月明かりが差し込んでいるだけだった。
絶望に押しつぶされそうな胸の奥で、涙がじわりとこぼれ落ちそうになった。それでも、その涙を流すことは許されない。今は、凍りついた感情を解き放ち、立ち向かわねばならなかった。
恐怖に足がすくむのを必死にこらえながら、私は意識を研ぎ澄ませて耳を澄ました。鉄扉の向こうからは、男たちの低い話し声が波のように押し寄せ、その先に何か危険な影を感じずにはいられなかった。
「……うまくいったな。まさか、公爵令嬢をさらうなんて、大博打だったが」
「ああ。これで、あのいまいましい王弟殿下も、俺たちの言いなりだ」
「奴は必ず来る。あの女は、奴にとって最高の“餌”だからな」
『餌』『人質』――その冷酷な響きが私の鼓動を止め、血潮が凍りついたかのように身体を硬直させた。まるで底知れぬ闇に飲み込まれるような感覚だった。
狙いはただ一つ、カイ様をおびき寄せること。私が人質となることで、あの方を危険な罠へと誘導しようとしているのだ。そんな現実に気づいた瞬間、胸の奥が押しつぶされそうになった。
(ダメ……! 来ちゃダメよ、カイ様!)
頭の中で懸命に叫び続ける。あの人が、こんな下劣な罠に落ちてしまうはずがないと。しかし同時に、感情の深いところからは、矛盾に満ちた不安な叫びがこだましていた。
(……でも、会いたい。怖い。早く助けに来て……)
彼に来てほしいという切実な願いと、同時に来ないでほしいという恐怖が心の中で激しくぶつかり合った。その相反する思いが心の中で激しくぶつかり合い、胸は耐えきれぬほどの痛みに引き裂かれそうだった。
いや、絶対に諦めてはいけない。私が覚悟を決めて立ち上がらなければ。カイ様を危険に引き寄せるわけにはいかない。だからこそ、私がこの場所から抜け出し、彼を守るための道を見つけ出すんだ。
私は決意を固めると、隠し持っていたものを探した。それは、カイ様が『君の髪には、星のかけらがよく似合う』と言って贈ってくれた星の形をした小さな簪だった。誘拐される直前、とっさにドレスの袖の隠しポケットに滑り込ませていた。
幸い、犯人たちはそこまで身体検査をしなかったらしい。私は、必死に体をよじり指先で簪を探る。
(あった!)
指先で簪をどうにか掴むと、背中に回した手の中で、少しずつ縄を切ろうと試みた。硬い縄は、なかなか切れない。でも、諦めるわけにはいかなかった。
忍び足のように控えめなきしる音を響かせながら、細く鋭い刃先で縄を削っていく。ひときわ鮮明に響いたその音が、静かな緊張の糸を一気に張りつめさせた。まさにその時だった。
「――おい、何をしてる」
突然、牢の扉が開き、看守らしき男が入ってきた。
(しまった、見つかった!)
男は、私の手から簪をひったくると、にやりと汚い歯を見せて笑った。
背中の後ろでごわごわと硬く編まれた縄が手足を縛り上げ、その拘束感は逃れられぬ牢獄のようだった。口には猿ぐつわが押し込まれ声は完全に封じられて、抵抗の叫びは暗闇に吸い込まれていった。
(……ここは、どこ……?)
周囲の状況を把握しようと動こうとした瞬間、全身の節々が軋む音を立て、刺すような痛みがじわじわと体中に広がり、身動きひとつ満足に取れないもどかしさに苦しめられた。どうやら、地下牢のような場所らしい。壁の小さな窓からは、ほんのわずかな月明かりが差し込んでいるだけだった。
絶望に押しつぶされそうな胸の奥で、涙がじわりとこぼれ落ちそうになった。それでも、その涙を流すことは許されない。今は、凍りついた感情を解き放ち、立ち向かわねばならなかった。
恐怖に足がすくむのを必死にこらえながら、私は意識を研ぎ澄ませて耳を澄ました。鉄扉の向こうからは、男たちの低い話し声が波のように押し寄せ、その先に何か危険な影を感じずにはいられなかった。
「……うまくいったな。まさか、公爵令嬢をさらうなんて、大博打だったが」
「ああ。これで、あのいまいましい王弟殿下も、俺たちの言いなりだ」
「奴は必ず来る。あの女は、奴にとって最高の“餌”だからな」
『餌』『人質』――その冷酷な響きが私の鼓動を止め、血潮が凍りついたかのように身体を硬直させた。まるで底知れぬ闇に飲み込まれるような感覚だった。
狙いはただ一つ、カイ様をおびき寄せること。私が人質となることで、あの方を危険な罠へと誘導しようとしているのだ。そんな現実に気づいた瞬間、胸の奥が押しつぶされそうになった。
(ダメ……! 来ちゃダメよ、カイ様!)
頭の中で懸命に叫び続ける。あの人が、こんな下劣な罠に落ちてしまうはずがないと。しかし同時に、感情の深いところからは、矛盾に満ちた不安な叫びがこだましていた。
(……でも、会いたい。怖い。早く助けに来て……)
彼に来てほしいという切実な願いと、同時に来ないでほしいという恐怖が心の中で激しくぶつかり合った。その相反する思いが心の中で激しくぶつかり合い、胸は耐えきれぬほどの痛みに引き裂かれそうだった。
いや、絶対に諦めてはいけない。私が覚悟を決めて立ち上がらなければ。カイ様を危険に引き寄せるわけにはいかない。だからこそ、私がこの場所から抜け出し、彼を守るための道を見つけ出すんだ。
私は決意を固めると、隠し持っていたものを探した。それは、カイ様が『君の髪には、星のかけらがよく似合う』と言って贈ってくれた星の形をした小さな簪だった。誘拐される直前、とっさにドレスの袖の隠しポケットに滑り込ませていた。
幸い、犯人たちはそこまで身体検査をしなかったらしい。私は、必死に体をよじり指先で簪を探る。
(あった!)
指先で簪をどうにか掴むと、背中に回した手の中で、少しずつ縄を切ろうと試みた。硬い縄は、なかなか切れない。でも、諦めるわけにはいかなかった。
忍び足のように控えめなきしる音を響かせながら、細く鋭い刃先で縄を削っていく。ひときわ鮮明に響いたその音が、静かな緊張の糸を一気に張りつめさせた。まさにその時だった。
「――おい、何をしてる」
突然、牢の扉が開き、看守らしき男が入ってきた。
(しまった、見つかった!)
男は、私の手から簪をひったくると、にやりと汚い歯を見せて笑った。
575
あなたにおすすめの小説
妹と王子殿下は両想いのようなので、私は身を引かせてもらいます。
木山楽斗
恋愛
侯爵令嬢であるラナシアは、第三王子との婚約を喜んでいた。
民を重んじるというラナシアの考えに彼は同調しており、良き夫婦になれると彼女は考えていたのだ。
しかしその期待は、呆気なく裏切られることになった。
第三王子は心の中では民を見下しており、ラナシアの妹と結託して侯爵家を手に入れようとしていたのである。
婚約者の本性を知ったラナシアは、二人の計画を止めるべく行動を開始した。
そこで彼女は、公爵と平民との間にできた妾の子の公爵令息ジオルトと出会う。
その出自故に第三王子と対立している彼は、ラナシアに協力を申し出てきた。
半ば強引なその申し出をラナシアが受け入れたことで、二人は協力関係となる。
二人は王家や公爵家、侯爵家の協力を取り付けながら、着々と準備を進めた。
その結果、妹と第三王子が計画を実行するよりも前に、ラナシアとジオルトの作戦が始まったのだった。
【完結】私ではなく義妹を選んだ婚約者様
水月 潮
恋愛
セリーヌ・ヴォクレール伯爵令嬢はイアン・クレマン子爵令息と婚約している。
セリーヌは留学から帰国した翌日、イアンからセリーヌと婚約解消して、セリーヌの義妹のミリィと新たに婚約すると告げられる。
セリーヌが外国に短期留学で留守にしている間、彼らは接触し、二人の間には子までいるそうだ。
セリーヌの父もミリィの母もミリィとイアンが婚約することに大賛成で、二人でヴォクレール伯爵家を盛り立てて欲しいとのこと。
お父様、あなたお忘れなの? ヴォクレール伯爵家は亡くなった私のお母様の実家であり、お父様、ひいてはミリィには伯爵家に関する権利なんて何一つないことを。
※設定は緩いので、物語としてお楽しみ頂けたらと思います
※最終話まで執筆済み
完結保証です
*HOTランキング10位↑到達(2021.6.30)
感謝です*.*
HOTランキング2位(2021.7.1)
「誰もお前なんか愛さない」と笑われたけど、隣国の王が即プロポーズしてきました
ゆっこ
恋愛
「アンナ・リヴィエール、貴様との婚約は、今日をもって破棄する!」
王城の大広間に響いた声を、私は冷静に見つめていた。
誰よりも愛していた婚約者、レオンハルト王太子が、冷たい笑みを浮かべて私を断罪する。
「お前は地味で、つまらなくて、礼儀ばかりの女だ。華もない。……誰もお前なんか愛さないさ」
笑い声が響く。
取り巻きの令嬢たちが、まるで待っていたかのように口元を隠して嘲笑した。
胸が痛んだ。
けれど涙は出なかった。もう、心が乾いていたからだ。
捨てた私をもう一度拾うおつもりですか?
ミィタソ
恋愛
「みんな聞いてくれ! 今日をもって、エルザ・ローグアシュタルとの婚約を破棄する! そして、その妹——アイリス・ローグアシュタルと正式に婚約することを決めた! 今日という祝いの日に、みんなに伝えることができ、嬉しく思う……」
ローグアシュタル公爵家の長女――エルザは、マクーン・ザルカンド王子の誕生日記念パーティーで婚約破棄を言い渡される。
それどころか、王子の横には舌を出して笑うエルザの妹――アイリスの姿が。
傷心を癒すため、父親の勧めで隣国へ行くのだが……
【完結】私に可愛げが無くなったから、離縁して使用人として雇いたい? 王妃修行で自立した私は離縁だけさせてもらいます。
西東友一
恋愛
私も始めは世間知らずの無垢な少女でした。
それをレオナード王子は可愛いと言って大層可愛がってくださいました。
大した家柄でもない貴族の私を娶っていただいた時には天にも昇る想いでした。
だから、貴方様をお慕いしていた私は王妃としてこの国をよくしようと礼儀作法から始まり、国政に関わることまで勉強し、全てを把握するよう努めてまいりました。それも、貴方様と私の未来のため。
・・・なのに。
貴方様は、愛人と床を一緒にするようになりました。
貴方様に理由を聞いたら、「可愛げが無くなったのが悪い」ですって?
愛がない結婚生活などいりませんので、離縁させていただきます。
そう、申し上げたら貴方様は―――
婚約破棄にはなりました。が、それはあなたの「ため」じゃなく、あなたの「せい」です。
百谷シカ
恋愛
「君がふしだらなせいだろう。当然、この婚約は破棄させてもらう」
私はシェルヴェン伯爵令嬢ルート・ユングクヴィスト。
この通りリンドホルム伯爵エドガー・メシュヴィツに婚約破棄された。
でも、決して私はふしだらなんかじゃない。
濡れ衣だ。
私はある人物につきまとわれている。
イスフェルト侯爵令息フィリップ・ビルト。
彼は私に一方的な好意を寄せ、この半年、あらゆる接触をしてきた。
「君と出会い、恋に落ちた。これは運命だ! 君もそう思うよね?」
「おやめください。私には婚約者がいます……!」
「関係ない! その男じゃなく、僕こそが君の愛すべき人だよ!」
愛していると、彼は言う。
これは運命なんだと、彼は言う。
そして運命は、私の未来を破壊した。
「さあ! 今こそ結婚しよう!!」
「いや……っ!!」
誰も助けてくれない。
父と兄はフィリップ卿から逃れるため、私を修道院に入れると決めた。
そんなある日。
思いがけない求婚が舞い込んでくる。
「便宜上の結婚だ。私の妻となれば、奴も手出しできないだろう」
ランデル公爵ゴトフリート閣下。
彼は愛情も跡継ぎも求めず、ただ人助けのために私を妻にした。
これは形だけの結婚に、ゆっくりと愛が育まれていく物語。
「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?
ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」
王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。
そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。
周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。
「理由は……何でしょうか?」
私は静かに問う。
幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!
ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。
同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。
そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。
あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。
「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」
その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。
そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。
正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる