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第20話
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突然、廊下を駆ける足音が近づき、次の瞬間、執事が戸を勢いよく押し開けて部屋に飛び込んできた。普段は冷静な彼が、息を荒げて動揺を隠せない様子で言う。
「申し訳ありません、大変です……! お別れになったブラッド王子殿下が、無理やり屋敷の中へ……!」
慌てた口調で告げられたのは、思いもよらぬ知らせだった。なんと、別れたはずのブラッドが、突然屋敷に乗り込んできたというのだ。
「お通しして。ただし、条件があります」
セリーヌは深く息を吸い込み、心を落ち着けながら、強引に自分の前に現れた彼と向き合う決意を固めた。何度も避けようとしたが、今、この瞬間だけは逃げるわけにはいかない。
やがて、重たい扉がゆっくりと開き、そこに長身の男が姿を現した。最後に会った時と比べると、ほんの少しだけ痩せているように見えたが、その印象はすぐに消え去った。何よりも変わらなかったのは彼の瞳だ。
傲慢とも言えるほど自信に満ちあふれたその眼差しは、まるで時間が止まったかのように、まったく色あせていなかった。ブラッドは部屋の中央で静かに立ち尽くすセリーヌを見つめ、彼女の姿に何かを感じたのか痛みをこらえるような甘い表情を浮かべた。
「セリーヌ……会いたかった」
その声を聞いた瞬間、セリーヌは自分の心が静かな湖のように穏やかになっていることに気づいた。これまでのように動揺することも、怒りがこみ上げることも、悲しみが心を締め付けることもなかった。
ただ、目の前に立つ男が、どこか不自然で場違いな存在に見えた。彼の姿は、かつてのような迫力を失い、ただ一人の人間として思わず微笑んでしまうほど、どこか頼りなく間の抜けた印象を与えたのだった。
「何の御用でしょうか、王子殿下。ご連絡もなくお越しになるとは、感心いたしませんわね」
努めて冷たく、事務的な声で言うセリーヌ。その言葉に、ブラッドは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに気を取り直し、冷静さを取り戻してセリーヌに歩み寄ってきた。
彼の金色の髪が光り、青い瞳が輝いていた。それらは以前は、セリーヌの胸を高鳴らせ、彼女を夢中にさせたものだった。しかし、今、目の前に立つ彼の姿は、もう彼女の心を揺さぶることはなかった。その瞳に何を見ても、何の感情も動かされることはない。ただ、過去の記憶が薄れていくように感じるだけだった。
「そんな他人行儀な言い方はやめてくれ。俺たちは、夫婦だろう」
「いいえ、夫婦〝でした〟過去形です」
セリーヌがぴしゃりと、決定的な言葉を言い放った瞬間、それまでなんとか取り繕っていたブラッドの顔が、音を立てて崩れ落ちた。彼の表情は、まるで内側からこみ上げる痛みによって、押し潰されるかのように苦しげに歪んでいった。
ブラッドは、最後の望みをつかむかのように、必死でセリーヌの細い腕を取ろうと手を伸ばした。しかし、セリーヌは彼の切羽詰まった意図を、指先が触れるよりも早く察したのだろう。
まるで風に舞う木の葉のように、するりと身をかわす。あまりにも自然で流れるような動きで、ブラッドの手は空を切り、目の前に残されたのは届かぬ思いだけだった。
「手紙を読んでくれたか? 俺の、悲しみと、君への想いを」
「さあ、どうでしょう。暖炉の薪にするには、少し上等すぎる紙だったかもしれませんわね」
「す、捨てたのか? 俺が、あの手紙をどんな思いで……こんなにも心がすり減ってるのに……」
セリーヌが静かに告げた。手紙を暖炉に入れたと。その言葉が部屋に響いた瞬間、ブラッドは突然膝をつき悲痛な声をあげた。まるで心の底から絞り出したかのように、痛みと後悔を込めたその声は、彼が命を奪われたかのような迫力でセリーヌの耳に届いた。しかし、セリーヌはその姿を見て、心の中でため息をついた。
「エミリー様とは、もうお会いになっていないのですか?」
核心を突く質問を、わざと無邪気な声で尋ねてみた。ブラッドの表情が凍りつく。
「申し訳ありません、大変です……! お別れになったブラッド王子殿下が、無理やり屋敷の中へ……!」
慌てた口調で告げられたのは、思いもよらぬ知らせだった。なんと、別れたはずのブラッドが、突然屋敷に乗り込んできたというのだ。
「お通しして。ただし、条件があります」
セリーヌは深く息を吸い込み、心を落ち着けながら、強引に自分の前に現れた彼と向き合う決意を固めた。何度も避けようとしたが、今、この瞬間だけは逃げるわけにはいかない。
やがて、重たい扉がゆっくりと開き、そこに長身の男が姿を現した。最後に会った時と比べると、ほんの少しだけ痩せているように見えたが、その印象はすぐに消え去った。何よりも変わらなかったのは彼の瞳だ。
傲慢とも言えるほど自信に満ちあふれたその眼差しは、まるで時間が止まったかのように、まったく色あせていなかった。ブラッドは部屋の中央で静かに立ち尽くすセリーヌを見つめ、彼女の姿に何かを感じたのか痛みをこらえるような甘い表情を浮かべた。
「セリーヌ……会いたかった」
その声を聞いた瞬間、セリーヌは自分の心が静かな湖のように穏やかになっていることに気づいた。これまでのように動揺することも、怒りがこみ上げることも、悲しみが心を締め付けることもなかった。
ただ、目の前に立つ男が、どこか不自然で場違いな存在に見えた。彼の姿は、かつてのような迫力を失い、ただ一人の人間として思わず微笑んでしまうほど、どこか頼りなく間の抜けた印象を与えたのだった。
「何の御用でしょうか、王子殿下。ご連絡もなくお越しになるとは、感心いたしませんわね」
努めて冷たく、事務的な声で言うセリーヌ。その言葉に、ブラッドは一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに気を取り直し、冷静さを取り戻してセリーヌに歩み寄ってきた。
彼の金色の髪が光り、青い瞳が輝いていた。それらは以前は、セリーヌの胸を高鳴らせ、彼女を夢中にさせたものだった。しかし、今、目の前に立つ彼の姿は、もう彼女の心を揺さぶることはなかった。その瞳に何を見ても、何の感情も動かされることはない。ただ、過去の記憶が薄れていくように感じるだけだった。
「そんな他人行儀な言い方はやめてくれ。俺たちは、夫婦だろう」
「いいえ、夫婦〝でした〟過去形です」
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ブラッドは、最後の望みをつかむかのように、必死でセリーヌの細い腕を取ろうと手を伸ばした。しかし、セリーヌは彼の切羽詰まった意図を、指先が触れるよりも早く察したのだろう。
まるで風に舞う木の葉のように、するりと身をかわす。あまりにも自然で流れるような動きで、ブラッドの手は空を切り、目の前に残されたのは届かぬ思いだけだった。
「手紙を読んでくれたか? 俺の、悲しみと、君への想いを」
「さあ、どうでしょう。暖炉の薪にするには、少し上等すぎる紙だったかもしれませんわね」
「す、捨てたのか? 俺が、あの手紙をどんな思いで……こんなにも心がすり減ってるのに……」
セリーヌが静かに告げた。手紙を暖炉に入れたと。その言葉が部屋に響いた瞬間、ブラッドは突然膝をつき悲痛な声をあげた。まるで心の底から絞り出したかのように、痛みと後悔を込めたその声は、彼が命を奪われたかのような迫力でセリーヌの耳に届いた。しかし、セリーヌはその姿を見て、心の中でため息をついた。
「エミリー様とは、もうお会いになっていないのですか?」
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