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第28話
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シルヴァニア帝国の属国になった。結果として、王国は経済的な支援を受け、そのおかげで国民の生活は安定し、豊かさを享受することができた。多くの国民は、この安定した状況に満足し、平穏無事な日々を送りながら恩恵を感じていた。
「私は、貴殿たちや、民の生活を脅かすつもりはない。むしろ、我々の支援によって、より豊かになるだろう。だが、忘れるな。この国の真の支配者が、誰であるのかを――」
初めて対面した日、皇帝ルドルフはそう言った。その静かだが絶対的な力を持つ瞳に見据えられ、ブラッドは何も言い返せなかった。
(これが、皇帝か。こんなにも、威厳を持つ存在なのか)
その姿を目の前にし、思わず息を呑んだ。強い威圧感が、まるで空気そのものを圧迫するように感じられた。ルドルフの眼差しに、ブラッドの胸は締め付けられる。彼は一歩後退りし、頭を深く垂れた。その重圧に、自然と体が震える。内心でつぶやきながら、彼は自分の小ささを痛感した。
年の頃は、ブラッドより十歳ほど上だろうか。落ち着いた物腰、理知的な言葉、そして何より、その全身から放たれる揺るぎない自信。ブラッドが持ち得なかった真の王者の風格があった。
帝国の圧倒的な物資と経済的支援が流れ込むと、国は嘘のように息を吹き返した。市場には再び活気が戻り、子供たちの笑い声が響くようになった。最初は批判的だった民衆は、今や帝国に感謝すらしているようだった。
「これで良かったのだ。国民の幸せそうな顔を見て心から思う」
城のバルコニーから、賑わう城下の景色を眺めながら、ブラッドは自分に言い聞かせた。国民が笑顔でいられるのなら、自分のプライドなど安いものだ。属国の王子であろうと構わない。彼は愚かさを抱えたままだが、少しだけ賢くなった気がする。
しかし、そう言い聞かせようとすればするほど、心の奥底で冷たい風が吹いた。この平穏は、自分がもたらしたものではない。他国の王の慈悲によって与えられたものだ。
夜、一人で酒を飲む時間が増えた。グラスの中で揺れる琥珀色の液体に、セリーヌの顔が浮かんで消える。彼女の冷たい瞳、クロエの怯えた顔。そして、最後に言われた『あなたの存在が気持ちが悪い』という、たった一言。
「あの瞬間を思い出すと、胸の中で悲しみが暴れだし、俺は耐えられなくなる」
アルコールと共に頭をめぐる。彼女は今、何をしているのだろう。娘は、元気でいるだろうか。俺のことなど、もう忘れてしまっただろうか。
会いたい。一目でいいから会いたい。その思いだけが心の中で、唯一熱を持つ確かな感情だった。
「俺が違う選択をしていたら……今になって泣き言を口にする、自分が許せないし情けないな」
もしも、あの時、自分がもっと早く気づいていれば――。
言葉を飲み込むように、ブラッドはその思いを胸の中で何度も繰り返した。目の前に広がる現実があまりにも重すぎて、どうしてもその過去を取り戻すことができないことが、俺を苛立たせ苦しめた。
今さら、こんな言葉を口にする自分が許せない。もう遅すぎることはわかっているのに、どうしても言わずにはいられなかった。自分の弱さに、彼はただ沈黙するしかなかった。
◇
その知らせは、まるでブラッドの心を狙いすましたかのように、冷たい矢となって突き刺さった。
ある日の午後、宮廷にシルヴァニア帝国からの公式な使者が訪れた。ブラッドの父である国王が、儀礼的にそれに応対する。ブラッドは、その末席に、まるで置物のように座っていた。
「我が皇帝、ルドルフ・オブ・シルヴァニア陛下より、ジオグラフ国王陛下へ、吉報をお伝え申し上げる」
使者は、恭しく巻物を広げた。その場の誰もが、新たな税制か、あるいは新たな駐留軍の配置に関する通達だろうと、緊張した面持ちで耳を傾けていた。
「この度、我が皇帝陛下は、アルビオン公国ご令嬢、セリーヌ・フォン・アルビオン様と、固く婚約の儀を交わされましたことを、ここに宣言いたします!」
その瞬間、ブラッドの世界から、音が消えた。
「私は、貴殿たちや、民の生活を脅かすつもりはない。むしろ、我々の支援によって、より豊かになるだろう。だが、忘れるな。この国の真の支配者が、誰であるのかを――」
初めて対面した日、皇帝ルドルフはそう言った。その静かだが絶対的な力を持つ瞳に見据えられ、ブラッドは何も言い返せなかった。
(これが、皇帝か。こんなにも、威厳を持つ存在なのか)
その姿を目の前にし、思わず息を呑んだ。強い威圧感が、まるで空気そのものを圧迫するように感じられた。ルドルフの眼差しに、ブラッドの胸は締め付けられる。彼は一歩後退りし、頭を深く垂れた。その重圧に、自然と体が震える。内心でつぶやきながら、彼は自分の小ささを痛感した。
年の頃は、ブラッドより十歳ほど上だろうか。落ち着いた物腰、理知的な言葉、そして何より、その全身から放たれる揺るぎない自信。ブラッドが持ち得なかった真の王者の風格があった。
帝国の圧倒的な物資と経済的支援が流れ込むと、国は嘘のように息を吹き返した。市場には再び活気が戻り、子供たちの笑い声が響くようになった。最初は批判的だった民衆は、今や帝国に感謝すらしているようだった。
「これで良かったのだ。国民の幸せそうな顔を見て心から思う」
城のバルコニーから、賑わう城下の景色を眺めながら、ブラッドは自分に言い聞かせた。国民が笑顔でいられるのなら、自分のプライドなど安いものだ。属国の王子であろうと構わない。彼は愚かさを抱えたままだが、少しだけ賢くなった気がする。
しかし、そう言い聞かせようとすればするほど、心の奥底で冷たい風が吹いた。この平穏は、自分がもたらしたものではない。他国の王の慈悲によって与えられたものだ。
夜、一人で酒を飲む時間が増えた。グラスの中で揺れる琥珀色の液体に、セリーヌの顔が浮かんで消える。彼女の冷たい瞳、クロエの怯えた顔。そして、最後に言われた『あなたの存在が気持ちが悪い』という、たった一言。
「あの瞬間を思い出すと、胸の中で悲しみが暴れだし、俺は耐えられなくなる」
アルコールと共に頭をめぐる。彼女は今、何をしているのだろう。娘は、元気でいるだろうか。俺のことなど、もう忘れてしまっただろうか。
会いたい。一目でいいから会いたい。その思いだけが心の中で、唯一熱を持つ確かな感情だった。
「俺が違う選択をしていたら……今になって泣き言を口にする、自分が許せないし情けないな」
もしも、あの時、自分がもっと早く気づいていれば――。
言葉を飲み込むように、ブラッドはその思いを胸の中で何度も繰り返した。目の前に広がる現実があまりにも重すぎて、どうしてもその過去を取り戻すことができないことが、俺を苛立たせ苦しめた。
今さら、こんな言葉を口にする自分が許せない。もう遅すぎることはわかっているのに、どうしても言わずにはいられなかった。自分の弱さに、彼はただ沈黙するしかなかった。
◇
その知らせは、まるでブラッドの心を狙いすましたかのように、冷たい矢となって突き刺さった。
ある日の午後、宮廷にシルヴァニア帝国からの公式な使者が訪れた。ブラッドの父である国王が、儀礼的にそれに応対する。ブラッドは、その末席に、まるで置物のように座っていた。
「我が皇帝、ルドルフ・オブ・シルヴァニア陛下より、ジオグラフ国王陛下へ、吉報をお伝え申し上げる」
使者は、恭しく巻物を広げた。その場の誰もが、新たな税制か、あるいは新たな駐留軍の配置に関する通達だろうと、緊張した面持ちで耳を傾けていた。
「この度、我が皇帝陛下は、アルビオン公国ご令嬢、セリーヌ・フォン・アルビオン様と、固く婚約の儀を交わされましたことを、ここに宣言いたします!」
その瞬間、ブラッドの世界から、音が消えた。
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