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第9話
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叔母のクローディアとの魂のぶつかり合いのような話し合いを終え、フローラは別邸に戻っていた。叔母の力強い言葉は、荒れ果てた彼女の心に一条の光を投げかけ、公爵邸の奪還の覚悟を鋼のように固めさせていた。
(そうよ、私は一人じゃない。叔母様もいる。そして何より、私には守るべきものがあるのだから!)
暖炉の炎を見つめるフローラの瞳には、もう迷いの色はなく静かな闘志が燃え盛っていた。
そんな決意を新たにした矢先、別邸の質素な扉を叩く音がした。ちょっと前に来てくれた侍女のエレナが訝しげに応対に出ると、そこには予想だにしない人物が立っていた。
やがてエレナが、緊張と興奮が入り混じった面持ちでフローラのもとへ駆け込んできた。
「フ、フローラ様! 大変です! ジェラール王子殿下が……!」
「え? ジェラール殿下が?」
フローラは耳を疑った。ジェラール王子といえば、王位継承権こそ高くはないものの、その聡明さと公明正大な人柄で民衆からも王族からも厚い信頼を得ている人物。そして何より、フローラの亡き父とは若い頃から親交があり、公爵家とも縁の深い方だった。
(なぜ、殿下がこのような場所に……?)
混乱と緊張を胸に、フローラが玄関ホールへ向かうと、そこには雨に濡れた外套を脱いだばかりの長身の男性が静かに立っていた。それがジェラール王子だった。
「フローラ公爵閣下、突然の訪問、失礼する」
ジェラール王子は、フローラを一瞥すると、穏やかだが全てを見透かすような深い瞳で言った。その声には王族としての威厳と、相手を慮る温かみが同居していた。
「いやはや、道に迷ったわけではないのだが、君のこの隠れ家は、なかなかに趣があって、少々感心していたところだ。物語に出てくる賢者の庵のようだな」
彼は、緊張しているフローラを和ませるかのように少しだけ口元を緩めた。
フローラは、慌てて淑女の礼をとった。
「ジェラール殿下…まあ、このような場所まで、わざわざご足労いただきまして…恐縮の極みでございます。何のお構いもできませんが、どうぞ中へ……」
(殿下は、どこまでご存知なのかしら? 私のこの…みじめな状況を……)
不安が胸をよぎる。
応接間とも呼べない簡素な部屋で、ジェラール王子は侍女の淹れたハーブティーを一口飲むと静かに切り出した。
「フローラ公爵閣下、単刀直入に言おう。あなたの苦境、そして公爵邸で起きている忌むべき事態については、私の耳にも入っている」
その言葉に、フローラは息を飲んだ。王子の表情は穏やかだが、その瞳の奥には確かな怒りの色が揺らめいていた。
「そして、ドレイクと名乗る男、並びにその家族、さらにはドレイクと親しい女までが、あなたの留守を良いことに公爵邸を私物化し、公爵家の名誉を著しく汚しているという報告も受けている……まったく、恥知らずにも程があるな。カビか何かのように、美しい屋敷に巣食うとは」
王子の言葉は静かだが鋭く、ドレイク一家の愚行を的確に射抜いていた。
フローラは、思わず顔を伏せた。王族の耳にまで、この恥ずべき状況が届いていたとは。そして、その事実が、彼女の孤立感を和らげ、同時に味方を得たかもしれないという淡い期待を抱かせた。
ジェラール王子は、そんなフローラの心中を察したかのように力強く続けた。
「フローラ公爵閣下、顔をお上げなさい。あなたは何も恥じることはない。恥じるべきは、人の善意と信頼を踏みにじり、己の欲望のままに振る舞う者たちだ」
その言葉は、雪解けの冷たく清らかな水のようにフローラの乾いた心に染み渡った。
「そして、はっきりと言っておこう。私も、これ以上見過ごすつもりはない。あなたの公爵家を、あのようなハイエナどもの餌食にさせるわけにはいかないのだ」
フローラは驚きに目を見開いた。
「殿下…それは……?」
「言葉通りの意味だ、フローラ公爵閣下。私は君に協力する。いや、協力させてほしい。亡き公爵――君の父上には、私も若い頃、随分と世話になった。その恩義に報いるという意味もある。だがそれ以上に、君自身の気高さと、公爵家が長年培ってきた誇りを守りたいのだ」
王子の眼差しは、一点の曇りもなく、その言葉には揺るぎない決意がみなぎっていた。それは、社交辞令などではなく、心からの申し出であることが痛いほど伝わってきた。
「彼らは、公爵邸で毎夜のように、最後の晩餐でも楽しむかのように愚かな宴を開いていると聞く。だが、その晩餐が、本当に『最後』のものになるよう、少しばかり手助けをしてやるのも一興かもしれんな」
ジェラール王子の口元に、一瞬、皮肉ともとれる笑みが浮かんだ。公明正大な王子らしからぬその表情に、フローラは少し驚いたが、彼が本気でドレイク一家を懲らしめようとしているのだと確信した。
孤立無援だと思っていた。しかし、叔母のクローディアに続き、今度は王家の人間までが味方になってくれるという。フローラの胸に、熱いものがこみ上げてきた。
「ジェラール殿下……このフローラ、殿下のそのお言葉…どれほど心強いことか! このご恩は、決して忘れません」
フローラの声は震え、瞳には涙が溢れていた。しかし、それは絶望の涙ではなかった。
「礼には及ばない。むしろ、私にできることがあれば、何なりと申し付けてほしい。法律家、いや、もっと他の専門家が必要かな? それとも、あの者たちが最も恐れるであろう『王命』という名の鉄槌か?」
ジェラール王子は、悪戯っぽく片方の眉を上げてみせた。その姿は厳格な王子というより、頼れる兄のようにも見えた。
フローラは、涙をぬぐい強く頷いた。
「はい、殿下! このフローラ、必ずや公爵家を取り戻し、あの者たちに正義の鉄槌を下してみせます! 殿下のお力添えがあれば、百人力ですわ!」
彼女の声には、確かな力が漲っていた。
ジェラール王子は満足そうに頷くと立ち上がった。
「よろしい。では、具体的な計画は、また改めて練るとしよう。クローディア侯爵夫人も、すでに君の味方だと聞いている。なかなかに頼もしい布陣ではないか。あの愚か者どもが、どんな顔をするか、今から楽しみでならないな」
そう言い残し、ジェラール王子は再び雨の中へと去っていった。しかし、彼の訪問は、フローラの心に勇気と、これから始まる反撃への具体的な道筋を照らし出してくれた。公爵邸奪還作戦は、王家の強力なバックアップを得たのだった。
(そうよ、私は一人じゃない。叔母様もいる。そして何より、私には守るべきものがあるのだから!)
暖炉の炎を見つめるフローラの瞳には、もう迷いの色はなく静かな闘志が燃え盛っていた。
そんな決意を新たにした矢先、別邸の質素な扉を叩く音がした。ちょっと前に来てくれた侍女のエレナが訝しげに応対に出ると、そこには予想だにしない人物が立っていた。
やがてエレナが、緊張と興奮が入り混じった面持ちでフローラのもとへ駆け込んできた。
「フ、フローラ様! 大変です! ジェラール王子殿下が……!」
「え? ジェラール殿下が?」
フローラは耳を疑った。ジェラール王子といえば、王位継承権こそ高くはないものの、その聡明さと公明正大な人柄で民衆からも王族からも厚い信頼を得ている人物。そして何より、フローラの亡き父とは若い頃から親交があり、公爵家とも縁の深い方だった。
(なぜ、殿下がこのような場所に……?)
混乱と緊張を胸に、フローラが玄関ホールへ向かうと、そこには雨に濡れた外套を脱いだばかりの長身の男性が静かに立っていた。それがジェラール王子だった。
「フローラ公爵閣下、突然の訪問、失礼する」
ジェラール王子は、フローラを一瞥すると、穏やかだが全てを見透かすような深い瞳で言った。その声には王族としての威厳と、相手を慮る温かみが同居していた。
「いやはや、道に迷ったわけではないのだが、君のこの隠れ家は、なかなかに趣があって、少々感心していたところだ。物語に出てくる賢者の庵のようだな」
彼は、緊張しているフローラを和ませるかのように少しだけ口元を緩めた。
フローラは、慌てて淑女の礼をとった。
「ジェラール殿下…まあ、このような場所まで、わざわざご足労いただきまして…恐縮の極みでございます。何のお構いもできませんが、どうぞ中へ……」
(殿下は、どこまでご存知なのかしら? 私のこの…みじめな状況を……)
不安が胸をよぎる。
応接間とも呼べない簡素な部屋で、ジェラール王子は侍女の淹れたハーブティーを一口飲むと静かに切り出した。
「フローラ公爵閣下、単刀直入に言おう。あなたの苦境、そして公爵邸で起きている忌むべき事態については、私の耳にも入っている」
その言葉に、フローラは息を飲んだ。王子の表情は穏やかだが、その瞳の奥には確かな怒りの色が揺らめいていた。
「そして、ドレイクと名乗る男、並びにその家族、さらにはドレイクと親しい女までが、あなたの留守を良いことに公爵邸を私物化し、公爵家の名誉を著しく汚しているという報告も受けている……まったく、恥知らずにも程があるな。カビか何かのように、美しい屋敷に巣食うとは」
王子の言葉は静かだが鋭く、ドレイク一家の愚行を的確に射抜いていた。
フローラは、思わず顔を伏せた。王族の耳にまで、この恥ずべき状況が届いていたとは。そして、その事実が、彼女の孤立感を和らげ、同時に味方を得たかもしれないという淡い期待を抱かせた。
ジェラール王子は、そんなフローラの心中を察したかのように力強く続けた。
「フローラ公爵閣下、顔をお上げなさい。あなたは何も恥じることはない。恥じるべきは、人の善意と信頼を踏みにじり、己の欲望のままに振る舞う者たちだ」
その言葉は、雪解けの冷たく清らかな水のようにフローラの乾いた心に染み渡った。
「そして、はっきりと言っておこう。私も、これ以上見過ごすつもりはない。あなたの公爵家を、あのようなハイエナどもの餌食にさせるわけにはいかないのだ」
フローラは驚きに目を見開いた。
「殿下…それは……?」
「言葉通りの意味だ、フローラ公爵閣下。私は君に協力する。いや、協力させてほしい。亡き公爵――君の父上には、私も若い頃、随分と世話になった。その恩義に報いるという意味もある。だがそれ以上に、君自身の気高さと、公爵家が長年培ってきた誇りを守りたいのだ」
王子の眼差しは、一点の曇りもなく、その言葉には揺るぎない決意がみなぎっていた。それは、社交辞令などではなく、心からの申し出であることが痛いほど伝わってきた。
「彼らは、公爵邸で毎夜のように、最後の晩餐でも楽しむかのように愚かな宴を開いていると聞く。だが、その晩餐が、本当に『最後』のものになるよう、少しばかり手助けをしてやるのも一興かもしれんな」
ジェラール王子の口元に、一瞬、皮肉ともとれる笑みが浮かんだ。公明正大な王子らしからぬその表情に、フローラは少し驚いたが、彼が本気でドレイク一家を懲らしめようとしているのだと確信した。
孤立無援だと思っていた。しかし、叔母のクローディアに続き、今度は王家の人間までが味方になってくれるという。フローラの胸に、熱いものがこみ上げてきた。
「ジェラール殿下……このフローラ、殿下のそのお言葉…どれほど心強いことか! このご恩は、決して忘れません」
フローラの声は震え、瞳には涙が溢れていた。しかし、それは絶望の涙ではなかった。
「礼には及ばない。むしろ、私にできることがあれば、何なりと申し付けてほしい。法律家、いや、もっと他の専門家が必要かな? それとも、あの者たちが最も恐れるであろう『王命』という名の鉄槌か?」
ジェラール王子は、悪戯っぽく片方の眉を上げてみせた。その姿は厳格な王子というより、頼れる兄のようにも見えた。
フローラは、涙をぬぐい強く頷いた。
「はい、殿下! このフローラ、必ずや公爵家を取り戻し、あの者たちに正義の鉄槌を下してみせます! 殿下のお力添えがあれば、百人力ですわ!」
彼女の声には、確かな力が漲っていた。
ジェラール王子は満足そうに頷くと立ち上がった。
「よろしい。では、具体的な計画は、また改めて練るとしよう。クローディア侯爵夫人も、すでに君の味方だと聞いている。なかなかに頼もしい布陣ではないか。あの愚か者どもが、どんな顔をするか、今から楽しみでならないな」
そう言い残し、ジェラール王子は再び雨の中へと去っていった。しかし、彼の訪問は、フローラの心に勇気と、これから始まる反撃への具体的な道筋を照らし出してくれた。公爵邸奪還作戦は、王家の強力なバックアップを得たのだった。
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