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サイドストーリー:君山と海
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君山洸は猫背かつ早足で下校していた。傍から見ればいかにも機嫌が悪そうな様子だが、そういうわけではない。ポケットに手を突っ込んで歩くその姿はまるで不良だが、制服は模範的な着こなしである。
常に愛想が悪く、悪態をついているように見えてしまうのが彼の致命的な短所だった。生まれつきのアッシュの髪と陽の光を受けると緑を含む瞳の色、白い肌も、周囲からの悪い評価を手伝ってしまうことがたまにある。しかし、大概は怖がられて誰にも近づかれずに済むので特に困ってはいなかった。
君山は常に急いで下校していた。祖父母に負担をかけないよう家事を行うためだ。
だが、今の君山にはとても気にかかることがある。途中からずっと誰かに後を付けられている気がする。おそらく小さな子どもだろう。不審者というのにはあまりに小さく、無害である。
君山はため息をついて仕方なく振り返った。子どもの相手をするのも面倒だが、ずっと付いてこられるのは更に面倒だ。そのうえ、小さな足音がとにかく鬱陶しかった。
「お前、俺に何の用」
視界に入ってきたのは、想像よりも小さな男の子だった。あどけない瞳を見て気が引けた。兄弟がいないこともあって、ここまで小さな子どもにどう相手をしていいか分からなかった。これはきっと泣かれてしまうと確信し、不器用さに嫌気がさした。だいたい、なぜ高校生の帰宅時間に低学年であろう小学生が一人で歩いているのかが、君山には疑問でならない。
男の子は特に君山の荒っぽい口調を恐れることなく答えた。
「家に帰りたいの。お兄ちゃんは僕の家の近くに住んでるから、付いてきちゃった」
「は?」と思わず声が出た。なぜこの男の子は君山を知っているのに、君山は彼を知らないのかと一瞬考えたが、答えは明白だった。興味がないからだ。
物心がついてからというもの、近所付き合いはほぼない。
祖父母は近所と仲良くしているが、君山は挨拶程度で済ませている。祖父母にもそれでいいと言われてきた。
「愛想のない変わった子」として通っているから、話しかけられることもほとんどない。祖父母は「いい子ですよ」と近所に言っているそうだが、愛想の悪さだけはお墨付きをもらっていることもあって、祖父母の発言によって君山の評価が変わることもなかった。君山にとってはそれでよかった。
「お前、どこから俺に付いてきた」
「お兄ちゃんと一緒に電車に乗って、一緒に降りたんだよ」
にんまりとした純粋な笑顔に反して、その回答内容は衝撃的だった。
こんな子どもがたった一人で電車でどこかに移動し、帰りの電車に乗って正しい駅で降りて帰ってきたというのか。それとも道に迷った挙句、君山のことを誰か別の「お兄ちゃん」と勘違いして、違う駅で出てきて付いて来てしまったのだろうか。
けれど、君山の容姿は圧倒的に覚えやすいほうだ。街を歩けば大概の人に振り向かれるし、制服も特徴的だ。グレーの地に黒い線の入った制服は近所では君山の高校だけだから、別人と間違える方が難しいかもしれない。
とにかくこのまま放っておくわけにもいかず、君山は焦りながら中腰になって子どもと目を合わせた。
「お前、本当に俺の家の近くに住んでいるのか?どこの小学校だ」
子どもはすぐに答えた。住所と郵便番号も聞くと、これもすぐに答えが返ってきた。間違いなくこの子どもは自分の近所に住んでいる。君山は胸をなでおろした。
「じゃあ、まぁ、なんだ。俺と一緒に帰ろう。お前の家に連れていってやるから」
「…うん。ありがとう」
ありがとう、と他人から言われることに慣れていなくてとぎまぎした。君山は日陰者の自分には似合わない言葉だと思った。
一瞬だけ男の子の顔が曇ったのが気になったものの、どうしていいかは分からない。
とりあえずはぐれないように左手を黙って出すと、男の子は素直に手を握ってきた。
「そういや、お前、名前は」
肝心なことを忘れていたことに気付き、君山は振り返らずに聞いた。
「カイ」
それを聞いた瞬間、苦虫をかみ潰したような気分がした。ある人物の顔が浮かんだ。君山と腐れ縁の男、黒瀬開の顔だ。この子どもの下の名前は、黒瀬開と同じ発音なのである。
黒瀬開はとにかく君山の心の中に入って来て仕方がない存在だった。それが昔から鬱陶しくて、一方で目の前からいなくなるのも気に入らず、初めて出会って以来、君山はずっと彼との接し方に困っていた。だから、その名前に反応せずにはいられなかった。
「まさか『開く』って書いてカイじゃないよな?…あ、まだ漢字知らないか」
「お兄ちゃんひどい。漢字分かるもん。『海』って書いてカイだよ」
それを聞いて安堵し、君山はいつもの調子を取り戻す。
「俺が聞きたいのはお前の苗字。早く言え」
君山はいつもより更にぶっきらぼうで荒々しい口調になった。カイという音に焦りを見せ、要らない情報を先に聞いてしまったことへの恥ずかしさを振り払うような話し方だった。
「じゃあ、お兄ちゃんが先に名乗ってよ」
しかし海は君山の態度に気圧されるどころか、負けず劣らず言い返してきた。君山は、チビなくせに減らず口な子どもだなと思った。けれど、他の人間のように自分の剣幕に委縮しないことに安心もした。
「あー悪かった。俺は君山洸だよ。ほら、お前も名乗れ」
「僕は織原海。あとね、7歳。よろしくヒカルお兄ちゃん」
「織原」という苗字には聞き覚えがある。回覧板で見た気がした。少し前に引っ越してきて、祖母に手土産を渡す女性を見たことがある。きっと海の母親だったのだろう。玄関先にいる女性に会釈を返した後、会話に巻き込まれないように自室に逃げたが、祖母に負けず劣らず感じのよさそうな顔をしていた。
家の場所は知らないが、海を自宅に連れて行って祖父母に「織原さんの家はどこか」と聞けば、簡単に送り届けられるはずだ。
「7歳?とんでもないガキじゃねえかよ。あと、ヒカルって呼ぶな」
「ガキじゃない。なんでヒカルって呼んじゃだめなの?かっこいい名前じゃん」
「お前、俺の嫌いな奴に似てるな」
君山はかつて開にも「かっこいい名前」をしていると言われたことを思い出した。
小学校の道徳で親に自分の名前の由来を聞いて、グループで教え合う授業があった。
しかし君山には名前の由来を質問できる相手などいなかった。名付け親である両親はすでに他界していたからだ。
父は君山が生まれる前に事故で亡くなり、母は3歳のときに病死したらしい。それ以来、祖父母の家に引き取られて大事に育てられていた。
だから君山はその宿題を祖父母に絶対に見られたくなかった。「親に」という設問の仕方が気に入らなかったし、幼心に、もし自分の名前の由来を祖父母が知らなかったらどうしようかと思った。たとえ名前の由来を知らなくとも、彼らは君山のために素晴らしい名前の由来を考えて、嬉々としてワークシートに書いてくれるだろう。君山はそれがとてつもなく嫌だった。
君山は祖父母にその宿題を隠し通し、当日に白紙のワークシートを出して、「俺はこの名前が嫌いです。由来は知りません」と言った。「洸」という名前が気に入らないのも本当だった。
同級生に沈黙が走るなか、同じ班に入れられていた開が唯一口を開いて、「なんで?洸ってめちゃくちゃかっこいい名前なのに」と笑った。それが開との出会いだった。それから開は事あるごとに話しかけてきて、鬱陶しかった。
他の人間は君山に睨みつけられていると勘違いして離れて行ってくれるのに、開だけはけろりとしていた。
「ヒカルお兄ちゃんって本当にひどいね」
「ならお前のこと家に帰してやらないぞ」
言ってから後悔した。今度こそ泣かれるのではないか、と海の方を見ると、泣いてはいないが子どもらしくない神妙な面持ちでうつむいていた。まさか、と思った。
「お前、もしかして家に帰りたくないのか?」
まさか、家で酷い目にでも遭っているのか。一抹の不安がよぎった。
「パパとママが心配するからもう帰るけど、帰ってもいつも誰もいなくてつまらないんだもん。夕飯とお手紙が冷蔵庫にあってね、読みながら一人で食べるの。でもママがね、今日は僕の誕生日だから特別に早く帰って来てくれるって言ってたのに帰って来ないから、僕、お迎えに行ったの。でもいないし、暗いから帰ろうと思ったけど帰り道が分からなくなっちゃって…。でも、ヒカルお兄ちゃんがいたから付いてきた」
虐待ではないのか。とりあえず安心した。海はとても真剣な顔をしている。海は海なりに悩んでいるのだろう。
きっと、共働き家庭の海の両親は忙しさのあまり帰って来られないのだ。
「友達はいないのか」
「いないよ」
海は即答した。
明るそうな子どもなのに、と君山は思ったが、人のことは言えないと感じた。開の顔が一瞬浮かんだことに嫌気がさしながらも、「俺もぜんぜんいないよ」と答えると、海は「一緒だね」と答えた。仲間を見つけたような顔だった。
「みんな僕にはパパとママがいないって言うの。本当はいるのに。『海はパパとママに嫌われてるんだ』って言うの。だから叩いたら、先生に怒られた。ヒカルお兄ちゃん、僕は嫌われてるのかな。怒る僕がおかしいのかな」
とても悲痛な声だった。
君山は、なぜこんな思いをしないといけない人間が出てくるのかと内心で憤りを感じた。他人にここまで心が動くのは久々だった。どこまで行っても人というのは「自分の思う普通」を押し付けたがるものだ。
君山はまた自分が幼かった頃のことを思い出した。両親と死別しているせいで、周りの大人からは「かわいそうな子」として扱われることがよくあった。同級生には両親がいないことをからかわれることがあった。「家族」についての話題が出ると腫れ物のように扱われることもあった。
授業参観に祖母が来ると驚かれ、同級生から度々「お父さんとお母さんは?」と質問された。鬱陶しくて仕方なかった。諦めて「死んでる。用がないなら黙れ」と返していた。けれど本当は、「どの家にも産みの親がいるのが当たり前だと思うな」と大声で全員に叫びたかった。素直に怒りを表出できる人間がうらやましかった。「カイ」と名の付く人間は、気に入らないことを「気に入らない」と言える才能でも持って生まれて来られるのだろうか。
君山はふと立ち止まって、海の方を振り返って再び腰を下ろし、しっかりと目を合わせた。
「いいか海、よく聞け。お前は絶対におかしくなんてない。お前のパパとママがが遅くまで帰って来ないのは、お前が大好きだからだ。忙しくなって帰って来られなくなったんだろうけど、誕生日だって、絶対に祝ってくれる。お前は嫌われてないし、おかしくもないよ」
「本当?」
海の顔がぱっと明るくなった。たった一言でこんなに表情が変わるなんて、単純でいいなと思った。
小さい頃からひねくれものだったことを除けば、海と自分は少し似ているかもしれないと君山は考えた。決定的に違うのは、人の言うことをそのまま受け入れられる素直さと、正直に怒りを表せることだろうか。
「お前、なんで先生に怒られたか分かるか?」
「分からない。僕はおかしくないんでしょ」
「そうだ。でも、叩いただろ?それがだめだ」
「なんで?あいつらが酷いこと先に言ってきたのに」
海は首を傾げた。屁理屈を言っているというより、純粋によくわかっていないという感じだった。子育てめいたことを言うものではないな、と君山は困り顔になった。たしかに、君山は海に共感する部分の方が圧倒的に多かった。家庭の事情に首を突っ込んで他人の親を馬鹿にするなんて、子どもでもあり得ない。けれど、このまま海が人を叩き続けたらろくな人間にならないことは明白だ。仮に相手を黙らせることができたとして、それは支配だ。自分とは違う意味で嫌われ者になるだろうと思い、しばらく答えを探した。
浮かんだのはやはり、腐れ縁の黒瀬開の立ち居振る舞いだった。またあいつか、と自分の脳内に呆れながらも君山は答えはこれしかないと思った。気に入らないことは気に入らないとはっきり言うが、決して人に暴力を振るわない、いくら殴られても絶対に殴り返さないあの在り方が答えだと思った。
「海、お前は猿じゃないだろ?」
「うん」
「じゃあ叩いちゃだめだ。言葉を使え。喋れるのはな、俺たち人間だけなんだよ。人間に暴力はいらないんだ。人間でいたかったら、暴力はだめだ。暴力はな、めちゃくちゃ楽なんだよ。頭を使わなくて済むからな。でも、せっかく言葉が使える人間に生まれてきたのに頭悪いことしても仕方ないんだ。だから、お前はこれからは叩くんじゃなくて、ちゃんと『親はちゃんといるし、嫌われてない』って言え。電車に一人で乗ってママの職場に行ったんだろ?お前は偉いよ。だから、叩くのはやめろ」
「うん。分かった」
海ははっきりと返事をした。小さな子どもとは思えない、いい返事だった。
君山は急に恥ずかしくなって、勢いよくそっぽを向いて、手をつないで海の前を歩いた。
「今のな、俺の大嫌いな奴が言ったんだ」
「そうなの?」
「うん。そいつは絶対に暴力を振るわないんだ。奴のことは嫌いだけど、俺はそういう所だけは好きだよ」
言った後で、君山はとんでもないことを口にしたと気づいた。ただの腐れ縁の鬱陶しい男を相手に自分は何を言っているのか。
「じゃあ、僕その人みたいになるけど、僕のこと嫌いにならないでね」
海のはねるような声が後ろからしてきて、君山は黙って大きくうなずいた。
君山の家が見えてきた。少し広めの一軒家だ。ここで、祖父母が自分を待っている。いつもより遅く帰ってしまったから、祖母はきっと夕飯をほとんど作り終えているし、祖父は風呂を洗っているだろう。
二人に海の家を聞いて、送り届けなければならない。海とはお別れだ。君山はその前にと、玄関前で海のほうを振り返った。
「一人は寂しいか?」
「うん。パパとママがいないとつまらない」
海は寂しさを平気で肯定した。
自分がこの年だったら「そんなわけあるか」と強がって悪態をついていただろうと考え、君山は海の頭を撫でた。
「俺の家で一緒にゲームでもするか?俺のじいちゃんとばあちゃんはお前のママと仲良しだから、来ても大丈夫だ」
らしくないことをしている自覚はあるが、思わず海を誘っていた。
祖父母が買ってくれたゲーム機は、小学生の頃、ほとんど君山が一人で遊んでいた。開が無理やり上がり込んできて、仕方なく一緒にやったこともあったが、中学生くらいからはほとんどやらなくなった。腕前もないから、小学生相手でも手加減の必要もないだろう。
「ゲームは家でパパとママと一緒にやるからいい。たまにお仕事の無い日があって、そのとき遊んでくれるから」
ぴしゃりと断られて、君山は苦笑した。やっぱり愛されて育っているんじゃないか。
「ヒカルお兄ちゃんのパパとママもお仕事なの?」
じいちゃんとばあちゃんとしか言わなかったせいか、海が聞いてきた。けれど腹は立たなかった。
「いや。俺の親はとっくに死んだよ。顔も覚えてない」
「パパとママがいなくて寂しくないの?」
「寂しくないよ。じーちゃんとばあちゃんがずっといてくれたから。お前もパパとママがいれば寂しくないんだろ?それと同じだ」
「そっか。同じだね」
海はにこりと笑った。
かわいい、と柄にもなく思って、思わず君山は目を逸らした。
「洸くん、帰ってきたのか?」
玄関先で影が見えたのか、祖母が玄関の引き戸を開けた。
腰が曲がっていてもおかしくない年齢なのに足腰がしっかりしていて、相変わらずのはつらつとした雰囲気に、毎日あっていても君山は驚かされる。勘の良さにも驚かされるものがあった。
事情を説明しようとしたが、祖母の美枝子が口を開くほうが早かった。
「あら、かわいいお客様だこと。織原さんの所の海くんだね。お母さんもお父さんも忙しいだろう。一人で暇してるんじゃないかい。洸くん、事情は聞くから、とりあえず入んな。海くん、うちの洸くんはぜんぜん友達を連れてこないから、あんたみたいな利口そうな子が友達になってくれるなら心強いよ」
君山はうなずいて、海の手を引いて中に入った。
簡単に事情を話すと、美枝子は織原家に事情を説明する留守番電話と手紙を入れておくから、海のことはとりあえず預かって、夕飯の時間になっても連絡がなければ海と共に食事をとろうと言った。海によると、いつも冷蔵庫にあるはずの夕食は今日は入っていなかったという。
海の両親は夜7時になっても帰っては来ず、ともに君山家で夕飯を食べた。
9時頃に電話がかかってきて、海の母親がやって来た。いつも用意されているはずの海の食事は、家で誕生日用の食事を作るつもりだったから準備しておかなかったということだった。母親は早く帰ってくるつもりだったものの、部下の身内に不幸ができてしまったことで突然仕事が増え、帰るわけにはいかなくなってしまい、泣きながら急いで車を走らせてきたのだ。
海を抱えた母親と美枝子は玄関先で仲良く話をしていた。互いの労をねぎらっているらしい。美枝子と話し終えた母親は、君山の方に歩み寄って来た。
「洸くん、うちの息子がご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」
「いや、俺は遊んでもらってただけなんで」
初めてしっかりと話をしたためにどう反応をしていいか分からず、君山はよくわからない答え方をしてしまった。
「面白い子ね。近所に良いお兄ちゃんがいてくれてよかった。では、これで失礼します。本当にありがとうございました」
深く会釈をして、母親は君山家を後にした。
家に入ると、君山は美枝子に優しく話しかけられた。
「洸くんは本当に良いお兄ちゃんになったこと」
「どこが。ばあちゃんとじいちゃんみたいに人懐っこくないし」
「そんなのどうでもいいことだよ。小さい子どもはね、人を見る目があるんだよ。洸くんが優しいから海くんはあんなに洸くんに懐いたんだよ。洸くんは私たちの自慢の孫だ」
美枝子はそう言って柔らかくほほ笑んだ。君山は美枝子の笑顔が好きだったが、恥ずかしくなって黙って夕飯の食器を片付けて洗い始めた。
「洸くん、風呂が沸いたから好きな時に入りなさい」
新聞を読みながら祖父の力は言った。
祖父母は仲が良く、君山が皿を洗う間、海について談笑していた。「洸くんが人を連れてきたのは久しぶりだ」と嬉しそうに何度も話している。
「洸くんはカイって名前に縁があるのかねえ」
美枝子のふとした呟きを聞いて、君山は背筋にぞくっとしたものが走った。
君山がこの家に連れてきた海以外の人間といえば、黒瀬開だけである。開の場合は連れてきた、というよりも勝手に付いて来て、ずかずか上がり込まれたという方が正確だったが、当時開は二人にとても可愛がられていた。
「ああ、黒瀬さんのところの倅の開くんか」
「あの子もいい子だったねえ。洸くん、久しぶりに開くんを連れてきて。見たい」
「いや、俺はあいつと仲良しのつもりはないから連れてこないよ」
君山は早口で開との関係を否定したものの、美枝子と力は聞く耳を持たない。
「今度連れておいで。おいしいものをたくさん用意しておこうね。もちろん織原さん家の倅も連れてきていいからね」
こうなったらもう美枝子は止められない。君山はたまに美枝子と自分は本当に血が繋がっているのか、と疑うときがある。祖父の力もそうだが、あまりにも人付き合いに対する考え方が違うのだ。ただ、色素の薄い肌と瞳の色は絶対にこの二人からの遺伝である。内面はまったく似なかったな、と君山は小さくため息をついた。
今日はまたとない良い日だった。これであの子が「カイ」と読む名前でなければもっとよかったのにと思うが、考えても無駄だろう。
やはり自分はあの図々しい人気者と腐れ縁なのだと諦めながら、君山は風呂場へと向かった。
常に愛想が悪く、悪態をついているように見えてしまうのが彼の致命的な短所だった。生まれつきのアッシュの髪と陽の光を受けると緑を含む瞳の色、白い肌も、周囲からの悪い評価を手伝ってしまうことがたまにある。しかし、大概は怖がられて誰にも近づかれずに済むので特に困ってはいなかった。
君山は常に急いで下校していた。祖父母に負担をかけないよう家事を行うためだ。
だが、今の君山にはとても気にかかることがある。途中からずっと誰かに後を付けられている気がする。おそらく小さな子どもだろう。不審者というのにはあまりに小さく、無害である。
君山はため息をついて仕方なく振り返った。子どもの相手をするのも面倒だが、ずっと付いてこられるのは更に面倒だ。そのうえ、小さな足音がとにかく鬱陶しかった。
「お前、俺に何の用」
視界に入ってきたのは、想像よりも小さな男の子だった。あどけない瞳を見て気が引けた。兄弟がいないこともあって、ここまで小さな子どもにどう相手をしていいか分からなかった。これはきっと泣かれてしまうと確信し、不器用さに嫌気がさした。だいたい、なぜ高校生の帰宅時間に低学年であろう小学生が一人で歩いているのかが、君山には疑問でならない。
男の子は特に君山の荒っぽい口調を恐れることなく答えた。
「家に帰りたいの。お兄ちゃんは僕の家の近くに住んでるから、付いてきちゃった」
「は?」と思わず声が出た。なぜこの男の子は君山を知っているのに、君山は彼を知らないのかと一瞬考えたが、答えは明白だった。興味がないからだ。
物心がついてからというもの、近所付き合いはほぼない。
祖父母は近所と仲良くしているが、君山は挨拶程度で済ませている。祖父母にもそれでいいと言われてきた。
「愛想のない変わった子」として通っているから、話しかけられることもほとんどない。祖父母は「いい子ですよ」と近所に言っているそうだが、愛想の悪さだけはお墨付きをもらっていることもあって、祖父母の発言によって君山の評価が変わることもなかった。君山にとってはそれでよかった。
「お前、どこから俺に付いてきた」
「お兄ちゃんと一緒に電車に乗って、一緒に降りたんだよ」
にんまりとした純粋な笑顔に反して、その回答内容は衝撃的だった。
こんな子どもがたった一人で電車でどこかに移動し、帰りの電車に乗って正しい駅で降りて帰ってきたというのか。それとも道に迷った挙句、君山のことを誰か別の「お兄ちゃん」と勘違いして、違う駅で出てきて付いて来てしまったのだろうか。
けれど、君山の容姿は圧倒的に覚えやすいほうだ。街を歩けば大概の人に振り向かれるし、制服も特徴的だ。グレーの地に黒い線の入った制服は近所では君山の高校だけだから、別人と間違える方が難しいかもしれない。
とにかくこのまま放っておくわけにもいかず、君山は焦りながら中腰になって子どもと目を合わせた。
「お前、本当に俺の家の近くに住んでいるのか?どこの小学校だ」
子どもはすぐに答えた。住所と郵便番号も聞くと、これもすぐに答えが返ってきた。間違いなくこの子どもは自分の近所に住んでいる。君山は胸をなでおろした。
「じゃあ、まぁ、なんだ。俺と一緒に帰ろう。お前の家に連れていってやるから」
「…うん。ありがとう」
ありがとう、と他人から言われることに慣れていなくてとぎまぎした。君山は日陰者の自分には似合わない言葉だと思った。
一瞬だけ男の子の顔が曇ったのが気になったものの、どうしていいかは分からない。
とりあえずはぐれないように左手を黙って出すと、男の子は素直に手を握ってきた。
「そういや、お前、名前は」
肝心なことを忘れていたことに気付き、君山は振り返らずに聞いた。
「カイ」
それを聞いた瞬間、苦虫をかみ潰したような気分がした。ある人物の顔が浮かんだ。君山と腐れ縁の男、黒瀬開の顔だ。この子どもの下の名前は、黒瀬開と同じ発音なのである。
黒瀬開はとにかく君山の心の中に入って来て仕方がない存在だった。それが昔から鬱陶しくて、一方で目の前からいなくなるのも気に入らず、初めて出会って以来、君山はずっと彼との接し方に困っていた。だから、その名前に反応せずにはいられなかった。
「まさか『開く』って書いてカイじゃないよな?…あ、まだ漢字知らないか」
「お兄ちゃんひどい。漢字分かるもん。『海』って書いてカイだよ」
それを聞いて安堵し、君山はいつもの調子を取り戻す。
「俺が聞きたいのはお前の苗字。早く言え」
君山はいつもより更にぶっきらぼうで荒々しい口調になった。カイという音に焦りを見せ、要らない情報を先に聞いてしまったことへの恥ずかしさを振り払うような話し方だった。
「じゃあ、お兄ちゃんが先に名乗ってよ」
しかし海は君山の態度に気圧されるどころか、負けず劣らず言い返してきた。君山は、チビなくせに減らず口な子どもだなと思った。けれど、他の人間のように自分の剣幕に委縮しないことに安心もした。
「あー悪かった。俺は君山洸だよ。ほら、お前も名乗れ」
「僕は織原海。あとね、7歳。よろしくヒカルお兄ちゃん」
「織原」という苗字には聞き覚えがある。回覧板で見た気がした。少し前に引っ越してきて、祖母に手土産を渡す女性を見たことがある。きっと海の母親だったのだろう。玄関先にいる女性に会釈を返した後、会話に巻き込まれないように自室に逃げたが、祖母に負けず劣らず感じのよさそうな顔をしていた。
家の場所は知らないが、海を自宅に連れて行って祖父母に「織原さんの家はどこか」と聞けば、簡単に送り届けられるはずだ。
「7歳?とんでもないガキじゃねえかよ。あと、ヒカルって呼ぶな」
「ガキじゃない。なんでヒカルって呼んじゃだめなの?かっこいい名前じゃん」
「お前、俺の嫌いな奴に似てるな」
君山はかつて開にも「かっこいい名前」をしていると言われたことを思い出した。
小学校の道徳で親に自分の名前の由来を聞いて、グループで教え合う授業があった。
しかし君山には名前の由来を質問できる相手などいなかった。名付け親である両親はすでに他界していたからだ。
父は君山が生まれる前に事故で亡くなり、母は3歳のときに病死したらしい。それ以来、祖父母の家に引き取られて大事に育てられていた。
だから君山はその宿題を祖父母に絶対に見られたくなかった。「親に」という設問の仕方が気に入らなかったし、幼心に、もし自分の名前の由来を祖父母が知らなかったらどうしようかと思った。たとえ名前の由来を知らなくとも、彼らは君山のために素晴らしい名前の由来を考えて、嬉々としてワークシートに書いてくれるだろう。君山はそれがとてつもなく嫌だった。
君山は祖父母にその宿題を隠し通し、当日に白紙のワークシートを出して、「俺はこの名前が嫌いです。由来は知りません」と言った。「洸」という名前が気に入らないのも本当だった。
同級生に沈黙が走るなか、同じ班に入れられていた開が唯一口を開いて、「なんで?洸ってめちゃくちゃかっこいい名前なのに」と笑った。それが開との出会いだった。それから開は事あるごとに話しかけてきて、鬱陶しかった。
他の人間は君山に睨みつけられていると勘違いして離れて行ってくれるのに、開だけはけろりとしていた。
「ヒカルお兄ちゃんって本当にひどいね」
「ならお前のこと家に帰してやらないぞ」
言ってから後悔した。今度こそ泣かれるのではないか、と海の方を見ると、泣いてはいないが子どもらしくない神妙な面持ちでうつむいていた。まさか、と思った。
「お前、もしかして家に帰りたくないのか?」
まさか、家で酷い目にでも遭っているのか。一抹の不安がよぎった。
「パパとママが心配するからもう帰るけど、帰ってもいつも誰もいなくてつまらないんだもん。夕飯とお手紙が冷蔵庫にあってね、読みながら一人で食べるの。でもママがね、今日は僕の誕生日だから特別に早く帰って来てくれるって言ってたのに帰って来ないから、僕、お迎えに行ったの。でもいないし、暗いから帰ろうと思ったけど帰り道が分からなくなっちゃって…。でも、ヒカルお兄ちゃんがいたから付いてきた」
虐待ではないのか。とりあえず安心した。海はとても真剣な顔をしている。海は海なりに悩んでいるのだろう。
きっと、共働き家庭の海の両親は忙しさのあまり帰って来られないのだ。
「友達はいないのか」
「いないよ」
海は即答した。
明るそうな子どもなのに、と君山は思ったが、人のことは言えないと感じた。開の顔が一瞬浮かんだことに嫌気がさしながらも、「俺もぜんぜんいないよ」と答えると、海は「一緒だね」と答えた。仲間を見つけたような顔だった。
「みんな僕にはパパとママがいないって言うの。本当はいるのに。『海はパパとママに嫌われてるんだ』って言うの。だから叩いたら、先生に怒られた。ヒカルお兄ちゃん、僕は嫌われてるのかな。怒る僕がおかしいのかな」
とても悲痛な声だった。
君山は、なぜこんな思いをしないといけない人間が出てくるのかと内心で憤りを感じた。他人にここまで心が動くのは久々だった。どこまで行っても人というのは「自分の思う普通」を押し付けたがるものだ。
君山はまた自分が幼かった頃のことを思い出した。両親と死別しているせいで、周りの大人からは「かわいそうな子」として扱われることがよくあった。同級生には両親がいないことをからかわれることがあった。「家族」についての話題が出ると腫れ物のように扱われることもあった。
授業参観に祖母が来ると驚かれ、同級生から度々「お父さんとお母さんは?」と質問された。鬱陶しくて仕方なかった。諦めて「死んでる。用がないなら黙れ」と返していた。けれど本当は、「どの家にも産みの親がいるのが当たり前だと思うな」と大声で全員に叫びたかった。素直に怒りを表出できる人間がうらやましかった。「カイ」と名の付く人間は、気に入らないことを「気に入らない」と言える才能でも持って生まれて来られるのだろうか。
君山はふと立ち止まって、海の方を振り返って再び腰を下ろし、しっかりと目を合わせた。
「いいか海、よく聞け。お前は絶対におかしくなんてない。お前のパパとママがが遅くまで帰って来ないのは、お前が大好きだからだ。忙しくなって帰って来られなくなったんだろうけど、誕生日だって、絶対に祝ってくれる。お前は嫌われてないし、おかしくもないよ」
「本当?」
海の顔がぱっと明るくなった。たった一言でこんなに表情が変わるなんて、単純でいいなと思った。
小さい頃からひねくれものだったことを除けば、海と自分は少し似ているかもしれないと君山は考えた。決定的に違うのは、人の言うことをそのまま受け入れられる素直さと、正直に怒りを表せることだろうか。
「お前、なんで先生に怒られたか分かるか?」
「分からない。僕はおかしくないんでしょ」
「そうだ。でも、叩いただろ?それがだめだ」
「なんで?あいつらが酷いこと先に言ってきたのに」
海は首を傾げた。屁理屈を言っているというより、純粋によくわかっていないという感じだった。子育てめいたことを言うものではないな、と君山は困り顔になった。たしかに、君山は海に共感する部分の方が圧倒的に多かった。家庭の事情に首を突っ込んで他人の親を馬鹿にするなんて、子どもでもあり得ない。けれど、このまま海が人を叩き続けたらろくな人間にならないことは明白だ。仮に相手を黙らせることができたとして、それは支配だ。自分とは違う意味で嫌われ者になるだろうと思い、しばらく答えを探した。
浮かんだのはやはり、腐れ縁の黒瀬開の立ち居振る舞いだった。またあいつか、と自分の脳内に呆れながらも君山は答えはこれしかないと思った。気に入らないことは気に入らないとはっきり言うが、決して人に暴力を振るわない、いくら殴られても絶対に殴り返さないあの在り方が答えだと思った。
「海、お前は猿じゃないだろ?」
「うん」
「じゃあ叩いちゃだめだ。言葉を使え。喋れるのはな、俺たち人間だけなんだよ。人間に暴力はいらないんだ。人間でいたかったら、暴力はだめだ。暴力はな、めちゃくちゃ楽なんだよ。頭を使わなくて済むからな。でも、せっかく言葉が使える人間に生まれてきたのに頭悪いことしても仕方ないんだ。だから、お前はこれからは叩くんじゃなくて、ちゃんと『親はちゃんといるし、嫌われてない』って言え。電車に一人で乗ってママの職場に行ったんだろ?お前は偉いよ。だから、叩くのはやめろ」
「うん。分かった」
海ははっきりと返事をした。小さな子どもとは思えない、いい返事だった。
君山は急に恥ずかしくなって、勢いよくそっぽを向いて、手をつないで海の前を歩いた。
「今のな、俺の大嫌いな奴が言ったんだ」
「そうなの?」
「うん。そいつは絶対に暴力を振るわないんだ。奴のことは嫌いだけど、俺はそういう所だけは好きだよ」
言った後で、君山はとんでもないことを口にしたと気づいた。ただの腐れ縁の鬱陶しい男を相手に自分は何を言っているのか。
「じゃあ、僕その人みたいになるけど、僕のこと嫌いにならないでね」
海のはねるような声が後ろからしてきて、君山は黙って大きくうなずいた。
君山の家が見えてきた。少し広めの一軒家だ。ここで、祖父母が自分を待っている。いつもより遅く帰ってしまったから、祖母はきっと夕飯をほとんど作り終えているし、祖父は風呂を洗っているだろう。
二人に海の家を聞いて、送り届けなければならない。海とはお別れだ。君山はその前にと、玄関前で海のほうを振り返った。
「一人は寂しいか?」
「うん。パパとママがいないとつまらない」
海は寂しさを平気で肯定した。
自分がこの年だったら「そんなわけあるか」と強がって悪態をついていただろうと考え、君山は海の頭を撫でた。
「俺の家で一緒にゲームでもするか?俺のじいちゃんとばあちゃんはお前のママと仲良しだから、来ても大丈夫だ」
らしくないことをしている自覚はあるが、思わず海を誘っていた。
祖父母が買ってくれたゲーム機は、小学生の頃、ほとんど君山が一人で遊んでいた。開が無理やり上がり込んできて、仕方なく一緒にやったこともあったが、中学生くらいからはほとんどやらなくなった。腕前もないから、小学生相手でも手加減の必要もないだろう。
「ゲームは家でパパとママと一緒にやるからいい。たまにお仕事の無い日があって、そのとき遊んでくれるから」
ぴしゃりと断られて、君山は苦笑した。やっぱり愛されて育っているんじゃないか。
「ヒカルお兄ちゃんのパパとママもお仕事なの?」
じいちゃんとばあちゃんとしか言わなかったせいか、海が聞いてきた。けれど腹は立たなかった。
「いや。俺の親はとっくに死んだよ。顔も覚えてない」
「パパとママがいなくて寂しくないの?」
「寂しくないよ。じーちゃんとばあちゃんがずっといてくれたから。お前もパパとママがいれば寂しくないんだろ?それと同じだ」
「そっか。同じだね」
海はにこりと笑った。
かわいい、と柄にもなく思って、思わず君山は目を逸らした。
「洸くん、帰ってきたのか?」
玄関先で影が見えたのか、祖母が玄関の引き戸を開けた。
腰が曲がっていてもおかしくない年齢なのに足腰がしっかりしていて、相変わらずのはつらつとした雰囲気に、毎日あっていても君山は驚かされる。勘の良さにも驚かされるものがあった。
事情を説明しようとしたが、祖母の美枝子が口を開くほうが早かった。
「あら、かわいいお客様だこと。織原さんの所の海くんだね。お母さんもお父さんも忙しいだろう。一人で暇してるんじゃないかい。洸くん、事情は聞くから、とりあえず入んな。海くん、うちの洸くんはぜんぜん友達を連れてこないから、あんたみたいな利口そうな子が友達になってくれるなら心強いよ」
君山はうなずいて、海の手を引いて中に入った。
簡単に事情を話すと、美枝子は織原家に事情を説明する留守番電話と手紙を入れておくから、海のことはとりあえず預かって、夕飯の時間になっても連絡がなければ海と共に食事をとろうと言った。海によると、いつも冷蔵庫にあるはずの夕食は今日は入っていなかったという。
海の両親は夜7時になっても帰っては来ず、ともに君山家で夕飯を食べた。
9時頃に電話がかかってきて、海の母親がやって来た。いつも用意されているはずの海の食事は、家で誕生日用の食事を作るつもりだったから準備しておかなかったということだった。母親は早く帰ってくるつもりだったものの、部下の身内に不幸ができてしまったことで突然仕事が増え、帰るわけにはいかなくなってしまい、泣きながら急いで車を走らせてきたのだ。
海を抱えた母親と美枝子は玄関先で仲良く話をしていた。互いの労をねぎらっているらしい。美枝子と話し終えた母親は、君山の方に歩み寄って来た。
「洸くん、うちの息子がご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」
「いや、俺は遊んでもらってただけなんで」
初めてしっかりと話をしたためにどう反応をしていいか分からず、君山はよくわからない答え方をしてしまった。
「面白い子ね。近所に良いお兄ちゃんがいてくれてよかった。では、これで失礼します。本当にありがとうございました」
深く会釈をして、母親は君山家を後にした。
家に入ると、君山は美枝子に優しく話しかけられた。
「洸くんは本当に良いお兄ちゃんになったこと」
「どこが。ばあちゃんとじいちゃんみたいに人懐っこくないし」
「そんなのどうでもいいことだよ。小さい子どもはね、人を見る目があるんだよ。洸くんが優しいから海くんはあんなに洸くんに懐いたんだよ。洸くんは私たちの自慢の孫だ」
美枝子はそう言って柔らかくほほ笑んだ。君山は美枝子の笑顔が好きだったが、恥ずかしくなって黙って夕飯の食器を片付けて洗い始めた。
「洸くん、風呂が沸いたから好きな時に入りなさい」
新聞を読みながら祖父の力は言った。
祖父母は仲が良く、君山が皿を洗う間、海について談笑していた。「洸くんが人を連れてきたのは久しぶりだ」と嬉しそうに何度も話している。
「洸くんはカイって名前に縁があるのかねえ」
美枝子のふとした呟きを聞いて、君山は背筋にぞくっとしたものが走った。
君山がこの家に連れてきた海以外の人間といえば、黒瀬開だけである。開の場合は連れてきた、というよりも勝手に付いて来て、ずかずか上がり込まれたという方が正確だったが、当時開は二人にとても可愛がられていた。
「ああ、黒瀬さんのところの倅の開くんか」
「あの子もいい子だったねえ。洸くん、久しぶりに開くんを連れてきて。見たい」
「いや、俺はあいつと仲良しのつもりはないから連れてこないよ」
君山は早口で開との関係を否定したものの、美枝子と力は聞く耳を持たない。
「今度連れておいで。おいしいものをたくさん用意しておこうね。もちろん織原さん家の倅も連れてきていいからね」
こうなったらもう美枝子は止められない。君山はたまに美枝子と自分は本当に血が繋がっているのか、と疑うときがある。祖父の力もそうだが、あまりにも人付き合いに対する考え方が違うのだ。ただ、色素の薄い肌と瞳の色は絶対にこの二人からの遺伝である。内面はまったく似なかったな、と君山は小さくため息をついた。
今日はまたとない良い日だった。これであの子が「カイ」と読む名前でなければもっとよかったのにと思うが、考えても無駄だろう。
やはり自分はあの図々しい人気者と腐れ縁なのだと諦めながら、君山は風呂場へと向かった。
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