言葉の壁を超えて 〜元外交官の異世界言語革命〜

焼肴のどみ

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第1章言語学院の日々

異種族との出会い ~言葉の向こう側にあるもの~

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朝日がルミナリアの街を照らす頃、陸は早くも目を覚ましていた。前世での生活習慣が、新しい体でも健在のようだ。窓から見える王都の景色は、朝霧に包まれて幻想的だった。二つの月はまだ薄く空に残り、一つは青く、もう一つは赤く輝いていた。
「この世界での初日か…」
陸は深呼吸し、前夜にリーシェから渡された学院の制服に着替えた。紺色のジャケットに白いシャツ、黒いズボン。胸元には王立言語学院の紋章—本を持つ金色の鷲—が輝いている。サイズはぴったりで、どうやら召喚時に彼の体型に合わせて用意されていたようだ。
部屋のドアをノックする音がして、リーシェの声が聞こえた。
「陸さん、朝食の時間です!」
ドアを開けると、昨日と同じ青い制服を着たリーシェが明るい笑顔で立っていた。彼女のオッドアイが朝日に輝いている。
「おはよう、リーシェ。早速案内してくれるのか」
「はい!今日から本格的に学院生活が始まりますので、まずは食堂へご案内します」
二人は石造りの廊下を歩いた。窓からは広大な学院の敷地が見える。中央に位置する巨大な図書館を中心に、いくつもの校舎が星形に配置されていた。魔法の光を放つ結晶が随所に設置され、学院全体に柔らかな光を届けている。敷地の端には、小さな森や池まであるようだ。
「なんて広大な学院だ」
「トランスレシア王立言語学院は、この大陸随一の言語教育機関なんです。世界中から学生が集まり、全ての主要言語を学ぶことができます。創立は500年前で、大分裂による混乱を収拾するために王家が設立したんですよ」
廊下を歩いていると、様々な種族の学生たちとすれ違った。人間だけでなく、長い耳を持つエルフ、がっしりとした体格のドワーフ、動物の特徴を持つ獣人たち。一人、虎の耳と尻尾を持つ獣人の少女が好奇心旺盛に陸を見つめていた。
彼らは互いに挨拶を交わしているが、明らかに異なる言語を使っており、コミュニケーションに苦労している様子だった。ある人間の学生は、エルフの言葉を真似ようとして発音を間違え、エルフの学生が困惑している場面も見られた。
「あの学生たちは何を言っているんだ?」
「あの人間の学生は『おはよう』と言おうとしましたが、発音が違ったので『頭が悪い』と言ってしまいました。エルフの言語は発音の微妙な違いで意味が変わるんです」
陸は眉をひそめた。こんな簡単な挨拶ですら難しいのか。
食堂に着くと、そこは既に学生たちで賑わっていた。広々とした空間に、長いテーブルが何列も並んでいる。天井は高く、ステンドグラスからの光が床に虹色の模様を作り出していた。料理人たちが活気よく働き、様々な種族向けの食事を準備している。
「ここが食堂です。各種族の食文化も学べるよう、様々な料理が提供されています」
陸は周囲を見回した。確かに料理の種類は豊富だ。人間の食事らしきパンやスープのほか、エルフの繊細な野菜料理、ドワーフの肉料理、獣人の生肉を含む料理まである。空中を漂う香りは複雑で、地球のどの料理とも違う独特のものだった。
しかし気になるのは、種族ごとに固まって座っている学生たちの様子だった。人間のテーブル、エルフのテーブル、ドワーフのテーブルと、明確に分かれている。中には種族混合のテーブルもあるが、そこでは通訳の学生が忙しそうに言葉を行き来させていた。
「種族間の交流はないのか?」
リーシェは少し悲しそうに首を振った。
「限られています。言葉の壁があるため、多くの学生は同じ言語を話す仲間とだけ過ごします。異種族間の交流は、通訳を介してか、最低限の単語だけを使ったものになります。私のように複数の言語を話せる学生は少数派なんです」
「それでは本当の意味での交流は難しいな」
二人はトレイに食事を取り、空いているテーブルに座った。陸はリーシェに勧められるまま、フロレシア風の朝食—温かいハーブティー、スペルト小麦のパン、卵とベーコンのキッシュ—を選んだ。
「美味しい」
陸は驚いた。料理の味は地球のものと似ているようで違う。より鮮明で、ハーブの香りが豊かだ。パンの小麦も少し異なる風味があり、卵はより濃厚な味わいだ。
「よかった!トランスレシアの食事が気に入っていただけて。この小麦は『ルナ麦』と呼ばれるもので、青い月の光を浴びて育つんです。卵は『星翼鳥』というこの世界特有の鳥のものです」
リーシェは嬉しそうに説明した。「私、実は料理も好きなんです。異種族の料理を学ぶ課外クラスにも参加しています」
「それは素晴らしい。料理は言葉がなくても心を通わせる手段だと思う」
「そうですね!」リーシェの目が輝いた。「実は、来週から学院で『異種族料理交流会』が開催されるんです。陸さんも参加されませんか?」
「ぜひ参加したい。前世でも食事を通した交流は外交の重要な要素だった」
食事中、陸は周囲の会話に耳を傾けた。理解できるのはリーシェの言葉だけだ。他の言語は、全く異なる音の体系に聞こえる。エルフの言葉は流れるような旋律を持ち、母音が豊かだ。ドワーフの言葉は力強く、子音が多く、短い単語が連なる。獣人の言葉には時折動物的な音が混じり、抑揚が激しい。
「今日の予定は?」
「まずはマゼンタ学院長の特別講義があります。その後、各言語の基礎クラスに参加していただきます。陸さんには『フロレシア上級共通語』『エルフ語入門』『ドワーフ語入門』の三つを受講していただく予定です」
「そうか、早速勉強を始めるんだな」
「はい。翻訳スキルを成長させるためには、まず基本的な言語知識が必要とされています」
食事を終え、二人が教室へ向かう途中、廊下で小さな騒ぎが起きていた。エルフとドワーフの学生が何か口論しているようだ。周囲には他の学生たちも集まり始めていた。
「何が起きている?」
「どうやら誤解があったようです。」リーシェは二人の会話を聞いて説明した。「エルフの学生が挨拶のつもりで言った言葉が、ドワーフの言語では侮辱に聞こえたようです」
陸は二人の様子を観察した。エルフの少女は長い銀髪を持ち、繊細な顔立ちをしている。彼女は困惑した表情で何かを説明しようとしているが、ドワーフの若者は怒りに顔を赤くして聞く耳を持たない。ドワーフは赤褐色の髪と立派な髭を持ち、筋肉質な体格だ。周囲の学生たちも、種族ごとに味方を決めて議論に加わり始めていた。
「解決できないのか?通訳はいないのか?」
「通訳の先生たちは別の講義に出ていて…」
陸は迷わず二人の間に立った。前世での外交経験が活きる瞬間だ。
「リーシェ、私の言葉を彼らに伝えてくれ」
リーシェは頷き、陸の言葉をエルフ語とドワーフ語に通訳し始めた。
「二人とも、落ち着いてください。言語の違いによる誤解だと思います。エルフの方、あなたが言いたかったことは何ですか?ドワーフの方、あなたが聞いたと思ったことは何ですか?」
陸の冷静な声と態度に、二人は少し落ち着いたようだ。エルフの少女が優雅な動きで何か言い、リーシェが通訳した。
「彼女は『今日の朝は美しいですね』と言ったそうです」
次にドワーフの若者が力強く話した。
「彼は『お前の身長は低いな』と聞こえたと言っています。ドワーフにとって身長に関する言及は大きな侮辱なんです。彼らは背が低いことを気にしているので…」
陸は理解した。音の類似性による単純な誤解だ。
「両者に伝えてほしい。これは単なる音の類似による誤解だ。意図的な侮辱ではない。エルフの言語での『美しい』という単語が、ドワーフ語の『低い』に似ているのだろう」
リーシェが通訳すると、両者は少し表情を和らげた。しかし依然として緊張は残っていた。
陸はふと思いついた。
「リーシェ、彼らの名前を聞いてくれるか?」
通訳を通じて、エルフの少女はリリアナ・シルバーリーフ、ドワーフの若者はグロム・アイアンハンマーだと分かった。
「リリアナとグロムに伝えてほしい。私は異世界から来た陸という者だ。この世界の言語をこれから学ぶつもりだ。二人がよければ、互いの言語と文化について教えてもらえないだろうか?そして、一緒に食事をしながら交流してみないか?」
リーシェが通訳すると、二人は驚いた表情を見せた。異世界からの召喚者という珍しい存在に興味を持ったようだ。しばらく考えた後、二人は同意した。
「素晴らしい。では今週末、時間があれば三人で会って話そう。リーシェにも通訳をお願いしたい」
この提案に全員が同意し、騒ぎは収まった。廊下に集まっていた学生たちも、驚きの表情で陸を見つめていた。
「さすが陸さん!外交官の手腕ですね」リーシェは感心した様子で言った。
「いや、単純な誤解を解くだけさ。しかし、こういった小さな誤解が積み重なって大きな対立になるんだろうな」
二人が講義室に向かって歩いていると、突然陸の頭の中に文字が浮かんだ。
【スキル進化:基本言語翻訳Lv2→Lv3】
【効果:会話の意図を感じ取る能力が向上しました。短い文章の翻訳精度が上昇。現在対応言語:フロレシア共通語】
「スキルが成長したようだ」
「そうですね!陸さんの翻訳スキルは、言語を理解するだけでなく、相手の意図まで感じ取れるようになってきたのかもしれません。これは凄いことです!」
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