病弱皇子と食欲おばけの女〜即位までのいばら道

日々妄想

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梅の予言

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 夜。
 外では、春の雨がしとしとと降り続いていた。
 寝台の上で丸まっていた梅が、突然むくりと起き上がった。

「殿下、変な夢を見ました!」
「…また食い物か?」
 黎翔は帳の向こうで本を閉じる。
「違います!!食べ物ではありません!」
「それは残念だな」

 梅は眉を寄せて、真剣な顔で言った。
「雷が山に落ちて、大きな岩が転がってきたんです。で、泣いてる子どもがいて、助けに行ったら目が覚めました」
「ふむ。夢占いで言えば、肉の食べ過ぎかもしれん」
「昨日は3食しか食べてません!」
「では飢えすぎだな」
 いつもならそれで終わる話だった。

 だがその朝。
 城の外、遠くの山から轟音が響いた。
「落雷か?」と家臣たちが騒ぐ。
 駆けつけてみると、山の斜面が崩れ、小さな子どもが泣き叫んでいた。
 そして、その子を必死に抱きかかえていたのは梅だった。

「なぜお前がそこに!」
「夢で見たんです! 気になって走ってきました!」
「どこの予知者だお前は!」
「予知って何ですか?」
「自覚がないのが一番怖い!」
 子どもを救い出したあと、梅は泥まみれになりながら笑った。
「夢の通りで、びっくりしたけどあの子を救えてよかった」
 黎翔は、その笑顔を見つめながら小さくつぶやいた。

「…夢の通り、か」

 それからしばらくしてから
「殿下、今日の夢は変でした」
「内容による」
「王都の倉庫が燃えてました」
「…縁起でもない」
「でも、火の中にたくさんの人が助けを求めてました。」
 黎翔は動きを止めた。
 笑って流すには、少し生々しすぎる。

「その夢、いつのことかわかるか?」
「うーん、桜が咲いてた気がします!」
「つまり、今の季節だな」

 倉庫、火――。
 気になった黎翔は、密かに“黒燕”へ調査を命じた。

 三日後、報告が届く。
 倉庫には火薬の樽が隠されていた。
 搬入したのは、第一皇子の手下。
 目的は単純。備蓄を焼き、補填予算を横領するつもりだった。

 黎翔は机上の文を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「倉庫の火薬…第一皇子の仕業、か」
 梅の夢が示した“炎”は、現実の兆しだった。
 彼は密かに指示を出した。

 “宰相が裏で若い女を囲っている、そして懐妊した”という噂を流せと。

 ほどなくして、宮中の女たちの間にその話は燃え広がった。
 怒り狂った宰相の妻は、「恥知らずめ!」と叫びながら、噂の女がいるという商家に踏み込む。
 そして、その家の娘を捕らえ、屋敷に連れ帰って詰問した。
 だがその娘の父こそ、第一皇子の倉庫に火薬を運び込んでいた商人の一人だった。娘が捕らえられたと知るや、男は青ざめ、震えた。
「次は……我らの番かもしれぬ」
 恐怖に駆られた彼は、すべてを宰相に自白した。
 ――倉庫を焼き、国の備蓄を失わせ、その補填金を奪う計画。
 その黒幕が第一皇子であることも。
 
朝議の日。
 宰相はその告白をもとに、堂々と第一皇子を糾弾した。
 廷臣たちの視線が一斉に皇子へと向かう。

 第一皇子は顔色を変え、すぐに朝堂の中央へと進み出た。
「金に目がくらんだ手下の独断であった!」
 声はよく通り、表情も堂々としている。さすがに場慣れしていた。
「だが、手下を管理できなかった自分にも非がある。ゆえに金三千両を国庫に寄付し、償いと共に国の繁栄を祈る。」

 その場にいた重臣たちがざわめく。
 新人官僚の月俸は10両ほどだ。 三千両——決して少ない額ではない。だが、己の責を認める姿勢を示したことで、逆に潔白さが強調された。
 皇帝は静かに頷き、やがて「よい」とだけ告げた。
 これで一件落着、という空気が流れる。

 中々うまい手である。
 国庫に金が入ることで、皇帝もご満悦。
 もとより皇位は第一皇子にほぼ決まっている。今さら皇帝が長子を弾圧して恨みを買う理由もない。最初から強い処罰が下ることなどあり得なかった。

 一方、宰相の側も冷静だった。
 今回の騒動で得たのは、第一皇子の“片腕”を失わせたという事実。
 狙い通りだ。
 しかも三千両という金が第一皇子の懐から出る—— 宰相からすれば、まさに棚から牡丹餅である。

 宰相家と王妃家は、代々犬猿の仲。
 互いに皇后を輩出し、長年にわたって権勢を二分してきた。たとえ第一皇子が次代の皇帝になろうとも、朝廷の半分以上は宰相家の息がかかっている。
 それでも宰相にとって、次代の皇后を自家から出すことは譲れぬ悲願だった。ゆえに、こうして時折、第一皇子の勢いを削ぐ。
 まるで獲物をじわじわ弱らせる獣のように。

 報告を受けた黎翔は、静かに梅を見た。
「お前はどうやらただの寝言を言っているわけではないようだ」
「え、私寝言言ってますか?」
「…うむ、言っている」
「私なんて言ってますか?」
 黎翔はしばし無言で梅の顔を見つめ、それからゆっくりと片方の口角を上げた。鼻で笑うその仕草には、どこか薄い軽蔑と、理解しがたい興味の色がのぞいていた。
 梅の顔がみるみる青ざめる。
「私なんて言ってますか?」涙目で訴えてくる梅に笑いが止まらない黎翔。

 しばらくしてから黎翔は聞いた。
「怖い夢しか見ないのか?」
「何でもないような日常を夢見ることの方が多いです。」
「どんな?」
「前に火傷したとき、夢で見た薬草を試したら治ったし、山でお腹がすきすぎた時も、夢で見たキノコが食べられるやつでした。それに、この前の旅で飲んだおいしい水も、夢で見た井戸の場所だったんですよ!」

 黎翔は、湯呑を手にしたまま動きを止めた。
 夢が、彼女に“生きる術”を授けている――。

「…梅」
「はい?」
「次にどんな夢を見ても、必ず俺に話せ」
「はい! でも食べ物の夢でもですか?」
「むしろそっちの方が重大そうだ」
 梅はけらけら笑い、黎翔は目を細めた。

 黎翔はそれ以来、梅の話す夢をちゃんと聞くようになった。
 梅の夢は、“予知”だ

 だがいわゆる巷で聞くような予知とは違うようだ。
 黒燕の報せより早く届くこともあれば、遅れることもある。
 そして、梅の夢は、どこか決定的に“ずれて”いる。
 あの倉庫の件もそうだった。
 夢の中で彼女は「火の中で人々が助けを求めていた」と言った。
 けれど、実際に燃えるはずだったのは、ただの備蓄用の穀物。
 人ではない。
 黎翔は、机上の地図を見つめながら、静かに指先で線をなぞった。
 ――もし、倉庫が失われることで食糧が尽き、その先に飢えに苦しむ民が生まれるのだとしたら。
 梅の見た“炎の中の人々”は、焼ける倉庫ではなく、その後に飢える民の象徴ではないのか。
 「夢は、出来事そのものではなく、未来の形を映している……」
 彼女の夢は、単なる予知ではない。
 それは、その先にある真実を、象徴として見せているのかもしれない

 数日後。
 梅は湯気の立つ茶碗を手に、のほほんとやってきた。
「殿下、午後ティーの時間ですよ。」
「うむ、休憩としよう。」
「そういえば、さっき昼寝で夢を見たんです」
「どんな?」
「大きな黒い鳥が、北の空へ飛んでいきました。
 羽が真っ黒で、でも途中で一枚だけきらっと白く光る羽があるんです」
「黒い鳥…白い羽…」
 黎翔の脳裏で、地図が広がった。
 北――その近くは、第一皇子が今、軍を再編している地方。
 黒燕の密偵によれば、不穏な動きもある。

「梅は、天がこの国に遣わした“夢の巫女”なのかもしれんな。そういえば、伝説でそんな一族があったような」
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、独り言だ」

 梅は首をかしげながら聞いてきた。
「殿下、今夜はいい夢が見られるように夜食は海鮮が詰まった白い麻婆豆腐にしますか?」
「夢の神も胃袋から来るのか」
 黎翔は小さく笑い、湯気の向こうで茶を啜った。
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