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切れぬ縁
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梅の体が、音もなく黎翔の腕の中へ崩れ落ちた。
カラカラと音を立ててたくさんの小瓶が梅の袖から出てきた。
「殿下に矢が刺さる夢を見たから、たくさんの薬を持ってきました。でも使わなくてよさそうですね。」
唇が震え、名を呼ぼうとしても声にならない。
その胸から溢れた生温かい血が、黎翔の指の隙間を流れていく。
「梅!」
黎翔の叫びは、掠れていた。
あの矢は彼に向かって放たれたものだった。
彼女は、迷いもなく飛び込んできたのだ。
戦乱の喧噪が遠のき、時間が止まったかのようだった。
梅の呼吸が、細く、細く、遠のいていく。
黎翔は外套を裂いて傷口を押さえたが、血は止まらない。
唇を噛み、何度も名を呼ぶ。
その声に応えるように風が揺れた。
ふと、空気が変わる。
炎の匂いの奥から、ひどく静かな気配が近づいてきた。
白髪の老人。
あの夜と同じ姿。月のような髪、氷のような瞳。
老いた指が、そっと梅の額に触れる。
途端に、血の流れがぴたりと止まった。
黎翔の掌に、温もりが戻ってくる。
「…なぜだ」
黎翔が低く問う。
「お前は何者だ」
老人は答えずに冷ややかに言った。
「気づいているはずだろう、その娘は、生きていてはならぬ一族だ」
「……」
「未来を見る者は、世界の均衡を崩す。ひとたび“定め”を覗けば、人は己の命を軽んじ、国は秩序を失う。ゆえに、彼らは滅ぼされた。あの娘が生き続ければ、再び災いが呼ばれる。」
その声は淡々としていた。
まるで雪が降るように冷たく、哀しかった。
黎翔は、梅の手を離さなかった。
その小さな指が、かすかに彼の指を握り返す。
それだけで、十分だった。
「…どうしても梅を生かすと言ったら?」
黎翔は静かに言った。
「運命だろうと理だろうと、俺は従わない。」
「梅はもう、夢など見なくていい。俺が見たい景色を見せる。食べて、笑って、眠って、それだけして生きればいい。俺がそう生かす。」
沈黙のあと、老人はため息のように目を閉じた。
そして小さく呟く。
「……切れぬ縁もあるもんだ。黎翔。お前ならこの子を救えるかもしれぬ」
言い残し、老人の姿は霧のように消えた。
直後、梅が微かに息を吸い込む。
黎翔は抱き締めたまま、安堵の息を漏らした。
彼女の瞳がゆっくりと開く。
「でんか?」
「おう。俺だ。」
黎翔は笑った。
「みんなに苛められて、へとへとなんだ。早くけがを治して助けに来てくれ。」
軽く言いながら、彼は梅の髪を撫でた。
梅はその手の温もりに身を委ね、やがて瞼を閉じる。
黎翔はそのまま彼女を抱いて、夜を越えた。
夜明け。
白い布の天蓋が揺れていた。
薄い光が射しこみ、木の香と花の匂いが混ざる。
梅はゆっくりと目を開け、身を起こす。
馬車に引かれた後のように全身が重くだるい。
思い出す。
あの夜の戦。
飛んできた矢。黎翔の背をかばった自分の体。
笑うと胸がまだ痛む感じがする。
だが、胸には傷の跡がない。
確かに矢は当たったはずなのに。
そのとき、戸の向こうから足音がした。
「起きたか」
黎翔の声。
振り向くと、彼は薄衣のまま、静かに近づいてきた。
頬にはかすかに疲労の色があるが、目の奥は柔らかかった。
「おはようございます、殿下。元気そうで良かったです。」
「また梅に助けられた。ありがとう。でも、もう危ない真似はしないと約束しろ。」
「はい……なんだか長い夢を見たような気がします。でも、起きたら何も覚えていません。」
「それでいい。」
「でもなんだか胸がもやもやします。」
「なら、起きてから見ればいい。」
「それただの妄想じゃないですか?」
黎翔は穏やかに笑い、彼女の額に唇を落とした。
その瞬間、梅の心拍が一拍跳ねた。
今まで感じたことのない鼓動だった。
外では、風が黒燕の旗を揺らしていた。
その音は、どこまでも遠く、澄んでいた。
カラカラと音を立ててたくさんの小瓶が梅の袖から出てきた。
「殿下に矢が刺さる夢を見たから、たくさんの薬を持ってきました。でも使わなくてよさそうですね。」
唇が震え、名を呼ぼうとしても声にならない。
その胸から溢れた生温かい血が、黎翔の指の隙間を流れていく。
「梅!」
黎翔の叫びは、掠れていた。
あの矢は彼に向かって放たれたものだった。
彼女は、迷いもなく飛び込んできたのだ。
戦乱の喧噪が遠のき、時間が止まったかのようだった。
梅の呼吸が、細く、細く、遠のいていく。
黎翔は外套を裂いて傷口を押さえたが、血は止まらない。
唇を噛み、何度も名を呼ぶ。
その声に応えるように風が揺れた。
ふと、空気が変わる。
炎の匂いの奥から、ひどく静かな気配が近づいてきた。
白髪の老人。
あの夜と同じ姿。月のような髪、氷のような瞳。
老いた指が、そっと梅の額に触れる。
途端に、血の流れがぴたりと止まった。
黎翔の掌に、温もりが戻ってくる。
「…なぜだ」
黎翔が低く問う。
「お前は何者だ」
老人は答えずに冷ややかに言った。
「気づいているはずだろう、その娘は、生きていてはならぬ一族だ」
「……」
「未来を見る者は、世界の均衡を崩す。ひとたび“定め”を覗けば、人は己の命を軽んじ、国は秩序を失う。ゆえに、彼らは滅ぼされた。あの娘が生き続ければ、再び災いが呼ばれる。」
その声は淡々としていた。
まるで雪が降るように冷たく、哀しかった。
黎翔は、梅の手を離さなかった。
その小さな指が、かすかに彼の指を握り返す。
それだけで、十分だった。
「…どうしても梅を生かすと言ったら?」
黎翔は静かに言った。
「運命だろうと理だろうと、俺は従わない。」
「梅はもう、夢など見なくていい。俺が見たい景色を見せる。食べて、笑って、眠って、それだけして生きればいい。俺がそう生かす。」
沈黙のあと、老人はため息のように目を閉じた。
そして小さく呟く。
「……切れぬ縁もあるもんだ。黎翔。お前ならこの子を救えるかもしれぬ」
言い残し、老人の姿は霧のように消えた。
直後、梅が微かに息を吸い込む。
黎翔は抱き締めたまま、安堵の息を漏らした。
彼女の瞳がゆっくりと開く。
「でんか?」
「おう。俺だ。」
黎翔は笑った。
「みんなに苛められて、へとへとなんだ。早くけがを治して助けに来てくれ。」
軽く言いながら、彼は梅の髪を撫でた。
梅はその手の温もりに身を委ね、やがて瞼を閉じる。
黎翔はそのまま彼女を抱いて、夜を越えた。
夜明け。
白い布の天蓋が揺れていた。
薄い光が射しこみ、木の香と花の匂いが混ざる。
梅はゆっくりと目を開け、身を起こす。
馬車に引かれた後のように全身が重くだるい。
思い出す。
あの夜の戦。
飛んできた矢。黎翔の背をかばった自分の体。
笑うと胸がまだ痛む感じがする。
だが、胸には傷の跡がない。
確かに矢は当たったはずなのに。
そのとき、戸の向こうから足音がした。
「起きたか」
黎翔の声。
振り向くと、彼は薄衣のまま、静かに近づいてきた。
頬にはかすかに疲労の色があるが、目の奥は柔らかかった。
「おはようございます、殿下。元気そうで良かったです。」
「また梅に助けられた。ありがとう。でも、もう危ない真似はしないと約束しろ。」
「はい……なんだか長い夢を見たような気がします。でも、起きたら何も覚えていません。」
「それでいい。」
「でもなんだか胸がもやもやします。」
「なら、起きてから見ればいい。」
「それただの妄想じゃないですか?」
黎翔は穏やかに笑い、彼女の額に唇を落とした。
その瞬間、梅の心拍が一拍跳ねた。
今まで感じたことのない鼓動だった。
外では、風が黒燕の旗を揺らしていた。
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