13 / 14
番外編 神様と夢がなくなった
しおりを挟む
季節が、ひとつ巡った。
王都の庭には、春の風が吹く。
政は安定し、北の国との同盟も堅く、そして新しい帝王は、穏やかに国を見つめていた。
黎翔。
かつて病弱で表舞台に出て来れなかった男。
今は玉座にありながら、王なる権威を纏っている。
そして、彼の隣に笑う者がいる。
「陛下、今日の朝ごはんは豆腐と、それから…」
「また豆腐か」
「はい! 豆腐は裏切りません」
「お前がそれを裏切ってくれれば、王都の豆腐屋が少しは休めるだろうな」
「そんな! 豆腐に罪はありません!」
梅は、今日も元気だった。
「陛下、今日の予定は?」
「朝議、政務、北境の報告の確認、それと……」
「それと?」
「お前と昼寝だ」
「えっ、それ、正式な政務ですか!?」
「いや。帝王の特権だ」
「ずるい!」
廊下を歩くふたりを、侍女たちが微笑みながら見送った。
梅は相変わらず、食べて、寝て、笑って、未来など見ない。
黎翔はその姿を見るたびに思う。
ああ、きっとこれが“平和”というものなのだと。
日が暮れる。
宵の空に、白い雲がふたつ重なって浮かんでいた。
梅が見上げて指を差す。
「見てください、陛下。蓮が、二つ咲いてますよ」
「……ああ」
黎翔はその横顔を見つめる。
「梅」
「はい?」
「この国に、何が起きようともお前はただ、食べて、遊んで、寝ていろ」
「……え、それでいいんですか?」
「それが、お前の務めだ」
「はい、ちゃんと毎日頑張ります!」
「……頑張るという言葉の意味を、いずれ教えねばな」
「えへへ」
梅が笑うと、春風が通り抜け、白い花弁がふたりの肩に舞い落ちた。
黎翔はそっと梅の髪を撫で、空を見上げる。
そこには、夢で見た“二つの蓮”が、確かに浮かんでいた。
「予知ではなく、願いとして未来を、見よう」
そう呟く声は、春の風に紛れ、静かに空へと消えていった。
※※※
反乱騒動のあと、王都は再建のために昼夜を問わず動き、黒燕の兵たちは城の警護にあたっている。
その中心にいるはずの新帝は、静かに歩いていた。
目的地は、後宮の一番奥、梅が眠る部屋だ。
あの戦の日、矢を受けて倒れたあとも、不思議なほど傷は早く回復した。
あのとき白髪の老人が現れ、梅を救う手を差し伸べた。だが今だ意識は戻らない。
黎翔が部屋に入ると、香の淡い煙が漂っていた。
梅は寝台の上で静かに眠り、額には汗がにじんでいる。
その枕元に、白髪の老人が座っていた。
あの不思議な男だ。
「……また、おまえか」
「また、わしだ」
老人は笑いもせず、梅の顔を見つめていた。
「覚悟せねばならんぞ」
「何の覚悟だ」
「この娘は、生き残ってはいけない一族、九幽族の末裔だ。予知を継ぐ血筋……かつていくつもの王国を滅ぼした血脈だ。見る者がいる限り、世は定まらぬ。だからこそ、彼らは滅んだ。お前は知っているはずだ、皇子。生きるということは、知らぬまま歩むことでもある」
黎翔の手が無意識に梅の指を握る。
老人は続ける。
「未来を見通す者が現れると、国は争う。
皆がその力を奪い合う。
――だから、あの一族は滅ぼされたのだ。」
黎翔はじっと老人を見つめた。
灯の揺れる部屋の中で、風が壁をなでる音だけが聞こえる。
「ならば、俺が守る。」
その言葉に、老人は眉をわずかに動かした。
深い皺の奥に、かすかな憐れみの色が浮かぶ。
「守る、とな。
陛下、あなたが守れば――また争いの種となる。」
黎翔はしばし黙し、低く息を吐いた。
「誰かを犠牲にしてまで保つ平和など、長くは続かない。罪の上に築いた秩序は、いずれ崩れる。」
老人は静かに頷き、そして言った。
「ならば――予知の力を封じるがよい。
生きながら、眠りの中に閉じ込めるのだ。」
黎翔は目を細めた。
「…封じる?」
「この娘は眠りの中で世界の形を覗き見る。
ならば夢を奪えばよい。
食べ、笑い、遊び、そして深く眠る。
それだけで予知の回路は閉ざされる。」
その言葉に、黎翔はしばらく沈黙した。
炎の明かりが、彼の横顔を赤く照らす。
そしてゆっくりと、頷いた。
「それで、いい。」
老人は少し驚いたように眉を上げる。
「それで本当に、よいのかね?」
黎翔は静かに答えた。
「俺は俺の力で、この国を守る。
予知の力に頼るつもりはない。
梅には、夢よりもーー現を生きてほしい。」
その声は、決意と優しさが入り混じっていた。
老人は袖の中から一粒の小さな丸薬を取り出した。
「これを香に混ぜよ。夢を閉じる薬だ。効きすぎれば永遠に目を覚まさぬ」
「信じよう。……お前は、梅を殺そうとしていないから」
「それと『蓮が二つ咲く日、この国は選ばれる』という予言はどういう意味だ、何に選ばれるのだ?」
老人は蜂でも潰せそうなほどに眉間にしわを寄せて、深く黎翔の顔を見てからポツリと言った。
「…うむ…予言というものは曖昧である…」
「………」
どこまで老人の話を信じたらいいのか不安になってきた。
夜が明けるころ、黎翔は梅の枕元で香炉に火を灯した。
柔らかな香りが部屋を包み、梅の呼吸が少しずつ力強くなっていく。
やがて彼女が目を開いた。
「……殿下?」
「起きたか。もう何も考えるな。食べて、遊んで、寝る。それだけしていればいい」
「……それだけ?」
「ああ。それだけでいい」
梅は不思議そうに笑い、目を閉じた。
黎翔はその髪を撫でながら、静かに呟いた。
梅の身分はあまりに低すぎたため王妃になれず愛妾のまま。黎翔は政に尽くした王として歴史に残った。
王都の庭には、春の風が吹く。
政は安定し、北の国との同盟も堅く、そして新しい帝王は、穏やかに国を見つめていた。
黎翔。
かつて病弱で表舞台に出て来れなかった男。
今は玉座にありながら、王なる権威を纏っている。
そして、彼の隣に笑う者がいる。
「陛下、今日の朝ごはんは豆腐と、それから…」
「また豆腐か」
「はい! 豆腐は裏切りません」
「お前がそれを裏切ってくれれば、王都の豆腐屋が少しは休めるだろうな」
「そんな! 豆腐に罪はありません!」
梅は、今日も元気だった。
「陛下、今日の予定は?」
「朝議、政務、北境の報告の確認、それと……」
「それと?」
「お前と昼寝だ」
「えっ、それ、正式な政務ですか!?」
「いや。帝王の特権だ」
「ずるい!」
廊下を歩くふたりを、侍女たちが微笑みながら見送った。
梅は相変わらず、食べて、寝て、笑って、未来など見ない。
黎翔はその姿を見るたびに思う。
ああ、きっとこれが“平和”というものなのだと。
日が暮れる。
宵の空に、白い雲がふたつ重なって浮かんでいた。
梅が見上げて指を差す。
「見てください、陛下。蓮が、二つ咲いてますよ」
「……ああ」
黎翔はその横顔を見つめる。
「梅」
「はい?」
「この国に、何が起きようともお前はただ、食べて、遊んで、寝ていろ」
「……え、それでいいんですか?」
「それが、お前の務めだ」
「はい、ちゃんと毎日頑張ります!」
「……頑張るという言葉の意味を、いずれ教えねばな」
「えへへ」
梅が笑うと、春風が通り抜け、白い花弁がふたりの肩に舞い落ちた。
黎翔はそっと梅の髪を撫で、空を見上げる。
そこには、夢で見た“二つの蓮”が、確かに浮かんでいた。
「予知ではなく、願いとして未来を、見よう」
そう呟く声は、春の風に紛れ、静かに空へと消えていった。
※※※
反乱騒動のあと、王都は再建のために昼夜を問わず動き、黒燕の兵たちは城の警護にあたっている。
その中心にいるはずの新帝は、静かに歩いていた。
目的地は、後宮の一番奥、梅が眠る部屋だ。
あの戦の日、矢を受けて倒れたあとも、不思議なほど傷は早く回復した。
あのとき白髪の老人が現れ、梅を救う手を差し伸べた。だが今だ意識は戻らない。
黎翔が部屋に入ると、香の淡い煙が漂っていた。
梅は寝台の上で静かに眠り、額には汗がにじんでいる。
その枕元に、白髪の老人が座っていた。
あの不思議な男だ。
「……また、おまえか」
「また、わしだ」
老人は笑いもせず、梅の顔を見つめていた。
「覚悟せねばならんぞ」
「何の覚悟だ」
「この娘は、生き残ってはいけない一族、九幽族の末裔だ。予知を継ぐ血筋……かつていくつもの王国を滅ぼした血脈だ。見る者がいる限り、世は定まらぬ。だからこそ、彼らは滅んだ。お前は知っているはずだ、皇子。生きるということは、知らぬまま歩むことでもある」
黎翔の手が無意識に梅の指を握る。
老人は続ける。
「未来を見通す者が現れると、国は争う。
皆がその力を奪い合う。
――だから、あの一族は滅ぼされたのだ。」
黎翔はじっと老人を見つめた。
灯の揺れる部屋の中で、風が壁をなでる音だけが聞こえる。
「ならば、俺が守る。」
その言葉に、老人は眉をわずかに動かした。
深い皺の奥に、かすかな憐れみの色が浮かぶ。
「守る、とな。
陛下、あなたが守れば――また争いの種となる。」
黎翔はしばし黙し、低く息を吐いた。
「誰かを犠牲にしてまで保つ平和など、長くは続かない。罪の上に築いた秩序は、いずれ崩れる。」
老人は静かに頷き、そして言った。
「ならば――予知の力を封じるがよい。
生きながら、眠りの中に閉じ込めるのだ。」
黎翔は目を細めた。
「…封じる?」
「この娘は眠りの中で世界の形を覗き見る。
ならば夢を奪えばよい。
食べ、笑い、遊び、そして深く眠る。
それだけで予知の回路は閉ざされる。」
その言葉に、黎翔はしばらく沈黙した。
炎の明かりが、彼の横顔を赤く照らす。
そしてゆっくりと、頷いた。
「それで、いい。」
老人は少し驚いたように眉を上げる。
「それで本当に、よいのかね?」
黎翔は静かに答えた。
「俺は俺の力で、この国を守る。
予知の力に頼るつもりはない。
梅には、夢よりもーー現を生きてほしい。」
その声は、決意と優しさが入り混じっていた。
老人は袖の中から一粒の小さな丸薬を取り出した。
「これを香に混ぜよ。夢を閉じる薬だ。効きすぎれば永遠に目を覚まさぬ」
「信じよう。……お前は、梅を殺そうとしていないから」
「それと『蓮が二つ咲く日、この国は選ばれる』という予言はどういう意味だ、何に選ばれるのだ?」
老人は蜂でも潰せそうなほどに眉間にしわを寄せて、深く黎翔の顔を見てからポツリと言った。
「…うむ…予言というものは曖昧である…」
「………」
どこまで老人の話を信じたらいいのか不安になってきた。
夜が明けるころ、黎翔は梅の枕元で香炉に火を灯した。
柔らかな香りが部屋を包み、梅の呼吸が少しずつ力強くなっていく。
やがて彼女が目を開いた。
「……殿下?」
「起きたか。もう何も考えるな。食べて、遊んで、寝る。それだけしていればいい」
「……それだけ?」
「ああ。それだけでいい」
梅は不思議そうに笑い、目を閉じた。
黎翔はその髪を撫でながら、静かに呟いた。
梅の身分はあまりに低すぎたため王妃になれず愛妾のまま。黎翔は政に尽くした王として歴史に残った。
0
あなたにおすすめの小説
異世界に喚ばれた私は二人の騎士から逃げられない
紅子
恋愛
異世界に召喚された・・・・。そんな馬鹿げた話が自分に起こるとは思わなかった。不可抗力。女性の極めて少ないこの世界で、誰から見ても外見中身とも極上な騎士二人に捕まった私は山も谷もない甘々生活にどっぷりと浸かっている。私を押し退けて自分から飛び込んできたお花畑ちゃんも素敵な人に出会えるといいね・・・・。
完結済み。全19話。
毎日00:00に更新します。
R15は、念のため。
自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行「婚約破棄ですか? それなら昨日成立しましたよ、ご存知ありませんでしたか?」完結
まほりろ
恋愛
第12回ネット小説大賞コミック部門入賞・コミカライズ企画進行中。
コミカライズ化がスタートしましたらこちらの作品は非公開にします。
「アリシア・フィルタ貴様との婚約を破棄する!」
イエーガー公爵家の令息レイモンド様が言い放った。レイモンド様の腕には男爵家の令嬢ミランダ様がいた。ミランダ様はピンクのふわふわした髪に赤い大きな瞳、小柄な体躯で庇護欲をそそる美少女。
対する私は銀色の髪に紫の瞳、表情が表に出にくく能面姫と呼ばれています。
レイモンド様がミランダ様に惹かれても仕方ありませんね……ですが。
「貴様は俺が心優しく美しいミランダに好意を抱いたことに嫉妬し、ミランダの教科書を破いたり、階段から突き落とすなどの狼藉を……」
「あの、ちょっとよろしいですか?」
「なんだ!」
レイモンド様が眉間にしわを寄せ私を睨む。
「婚約破棄ですか? 婚約破棄なら昨日成立しましたが、ご存知ありませんでしたか?」
私の言葉にレイモンド様とミランダ様は顔を見合わせ絶句した。
全31話、約43,000文字、完結済み。
他サイトにもアップしています。
小説家になろう、日間ランキング異世界恋愛2位!総合2位!
pixivウィークリーランキング2位に入った作品です。
アルファポリス、恋愛2位、総合2位、HOTランキング2位に入った作品です。
2021/10/23アルファポリス完結ランキング4位に入ってました。ありがとうございます。
「Copyright(C)2021-九十九沢まほろ」
~春の国~片足の不自由な王妃様
クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。
春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。
街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。
それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。
しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。
花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??
王宮メイドは今日も夫を「観察」する
kujinoji
恋愛
「はぁぁ〜!今日も働くヴィクター様が尊すぎる……!」
王宮メイドのミネリは、今日も愛しの夫ヴィクターを「観察」していた。
ヴィクターが好きすぎるあまり、あますところなく彼を見つめていたいミネリ。内緒で王宮メイドになり、文官である夫のもとに通うことに。
だけどある日、ヴィクターとある女性の、とんでもない場面を目撃してしまって……?
※同じものを他サイトにて、別名義で公開しています。
優しい雨が降る夜は
葉月 まい
恋愛
浮世離れした地味子 × 外資系ITコンサルのエリートイケメン
無自覚にモテる地味子に
余裕もなく翻弄されるイケメン
二人の恋は一筋縄ではいかなくて……
雨降る夜に心に届いた
優しい恋の物語
⟡☾·̩͙⋆☔┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈ ☔⋆·̩͙☽⟡
風間 美月(24歳)……コミュニティセンター勤務・地味でお堅い性格
雨宮 優吾(28歳)……外資系ITコンサルティング会社勤務のエリートイケメン
白椿の咲く日~ひそかな恋、遠い日の思いは
紫さゆり
恋愛
結婚を控えた真由子は、久しぶりに異母姉の稚子(わかこ)と会う。
真由子の母の雪江は、大学教授であり著名な歌人の水上実之(みなかみさねゆき)の後添いとして水上家に嫁いだ。
婚約者の諒人(りょうと)のことなど、真由子は稚子と色々語り合ううち、庭の白椿の木は真由子がなついていた異母兄、靖之が植えたものだと知る。
白椿の木をめぐっての、ひそかな大人の恋物語です。
「地味ブス」と捨てられた私、文化祭の大型スクリーンで王子様の裏の顔を全校生に配信します
スカッと文庫
恋愛
「お前みたいな地味女、引き立て役にもならないんだよ」
眼鏡にボサボサ頭の特待生・澪(みお)は、全校生徒が見守る中、恋人だった学園の王子・ハルトから冷酷に捨てられた。
隣には、可憐な微笑みを浮かべる転校生・エマ。
エマの自作自演により「いじめの犯人」という濡れ衣まで着せられ、学園中から蔑まれる澪。
しかし、彼女を嘲笑う者たちはまだ知らない。
彼女が眼鏡の奥に、誰もが平伏す「真実の美貌」と、学園さえも支配できる「最強の背景」を隠していることを――。
「……ねぇ、文化祭、最高のステージにしてあげる」
裏切りへのカウントダウンが今、始まる。
スクリーンの裏側を暴き、傲慢な王子と偽りのヒロインを奈落へ突き落とす、痛快・学園下剋上ファンタジー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる