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番外編 神様と夢がなくなった
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季節が、ひとつ巡った。
王都の庭には、春の風が吹く。
政は安定し、北の国との同盟も堅く、そして新しい帝王は、穏やかに国を見つめていた。
黎翔。
かつて病弱で表舞台に出て来れなかった男。
今は玉座にありながら、王なる権威を纏っている。
そして、彼の隣に笑う者がいる。
「陛下、今日の朝ごはんは豆腐と、それから…」
「また豆腐か」
「はい! 豆腐は裏切りません」
「お前がそれを裏切ってくれれば、王都の豆腐屋が少しは休めるだろうな」
「そんな! 豆腐に罪はありません!」
梅は、今日も元気だった。
「陛下、今日の予定は?」
「朝議、政務、北境の報告の確認、それと……」
「それと?」
「お前と昼寝だ」
「えっ、それ、正式な政務ですか!?」
「いや。帝王の特権だ」
「ずるい!」
廊下を歩くふたりを、侍女たちが微笑みながら見送った。
梅は相変わらず、食べて、寝て、笑って、未来など見ない。
黎翔はその姿を見るたびに思う。
ああ、きっとこれが“平和”というものなのだと。
日が暮れる。
宵の空に、白い雲がふたつ重なって浮かんでいた。
梅が見上げて指を差す。
「見てください、陛下。蓮が、二つ咲いてますよ」
「……ああ」
黎翔はその横顔を見つめる。
「梅」
「はい?」
「この国に、何が起きようともお前はただ、食べて、遊んで、寝ていろ」
「……え、それでいいんですか?」
「それが、お前の務めだ」
「はい、ちゃんと毎日頑張ります!」
「……頑張るという言葉の意味を、いずれ教えねばな」
「えへへ」
梅が笑うと、春風が通り抜け、白い花弁がふたりの肩に舞い落ちた。
黎翔はそっと梅の髪を撫で、空を見上げる。
そこには、夢で見た“二つの蓮”が、確かに浮かんでいた。
「予知ではなく、願いとして未来を、見よう」
そう呟く声は、春の風に紛れ、静かに空へと消えていった。
※※※
反乱騒動のあと、王都は再建のために昼夜を問わず動き、黒燕の兵たちは城の警護にあたっている。
その中心にいるはずの新帝は、静かに歩いていた。
目的地は、後宮の一番奥、梅が眠る部屋だ。
あの戦の日、矢を受けて倒れたあとも、不思議なほど傷は早く回復した。
あのとき白髪の老人が現れ、梅を救う手を差し伸べた。だが今だ意識は戻らない。
黎翔が部屋に入ると、香の淡い煙が漂っていた。
梅は寝台の上で静かに眠り、額には汗がにじんでいる。
その枕元に、白髪の老人が座っていた。
あの不思議な男だ。
「……また、おまえか」
「また、わしだ」
老人は笑いもせず、梅の顔を見つめていた。
「覚悟せねばならんぞ」
「何の覚悟だ」
「この娘は、生き残ってはいけない一族、九幽族の末裔だ。予知を継ぐ血筋……かつていくつもの王国を滅ぼした血脈だ。見る者がいる限り、世は定まらぬ。だからこそ、彼らは滅んだ。お前は知っているはずだ、皇子。生きるということは、知らぬまま歩むことでもある」
黎翔の手が無意識に梅の指を握る。
老人は続ける。
「未来を見通す者が現れると、国は争う。
皆がその力を奪い合う。
――だから、あの一族は滅ぼされたのだ。」
黎翔はじっと老人を見つめた。
灯の揺れる部屋の中で、風が壁をなでる音だけが聞こえる。
「ならば、俺が守る。」
その言葉に、老人は眉をわずかに動かした。
深い皺の奥に、かすかな憐れみの色が浮かぶ。
「守る、とな。
陛下、あなたが守れば――また争いの種となる。」
黎翔はしばし黙し、低く息を吐いた。
「誰かを犠牲にしてまで保つ平和など、長くは続かない。罪の上に築いた秩序は、いずれ崩れる。」
老人は静かに頷き、そして言った。
「ならば――予知の力を封じるがよい。
生きながら、眠りの中に閉じ込めるのだ。」
黎翔は目を細めた。
「…封じる?」
「この娘は眠りの中で世界の形を覗き見る。
ならば夢を奪えばよい。
食べ、笑い、遊び、そして深く眠る。
それだけで予知の回路は閉ざされる。」
その言葉に、黎翔はしばらく沈黙した。
炎の明かりが、彼の横顔を赤く照らす。
そしてゆっくりと、頷いた。
「それで、いい。」
老人は少し驚いたように眉を上げる。
「それで本当に、よいのかね?」
黎翔は静かに答えた。
「俺は俺の力で、この国を守る。
予知の力に頼るつもりはない。
梅には、夢よりもーー現を生きてほしい。」
その声は、決意と優しさが入り混じっていた。
老人は袖の中から一粒の小さな丸薬を取り出した。
「これを香に混ぜよ。夢を閉じる薬だ。効きすぎれば永遠に目を覚まさぬ」
「信じよう。……お前は、梅を殺そうとしていないから」
「それと『蓮が二つ咲く日、この国は選ばれる』という予言はどういう意味だ、何に選ばれるのだ?」
老人は蜂でも潰せそうなほどに眉間にしわを寄せて、深く黎翔の顔を見てからポツリと言った。
「…うむ…予言というものは曖昧である…」
「………」
どこまで老人の話を信じたらいいのか不安になってきた。
夜が明けるころ、黎翔は梅の枕元で香炉に火を灯した。
柔らかな香りが部屋を包み、梅の呼吸が少しずつ力強くなっていく。
やがて彼女が目を開いた。
「……殿下?」
「起きたか。もう何も考えるな。食べて、遊んで、寝る。それだけしていればいい」
「……それだけ?」
「ああ。それだけでいい」
梅は不思議そうに笑い、目を閉じた。
黎翔はその髪を撫でながら、静かに呟いた。
梅の身分はあまりに低すぎたため王妃になれず愛妾のまま。黎翔は政に尽くした王として歴史に残った。
王都の庭には、春の風が吹く。
政は安定し、北の国との同盟も堅く、そして新しい帝王は、穏やかに国を見つめていた。
黎翔。
かつて病弱で表舞台に出て来れなかった男。
今は玉座にありながら、王なる権威を纏っている。
そして、彼の隣に笑う者がいる。
「陛下、今日の朝ごはんは豆腐と、それから…」
「また豆腐か」
「はい! 豆腐は裏切りません」
「お前がそれを裏切ってくれれば、王都の豆腐屋が少しは休めるだろうな」
「そんな! 豆腐に罪はありません!」
梅は、今日も元気だった。
「陛下、今日の予定は?」
「朝議、政務、北境の報告の確認、それと……」
「それと?」
「お前と昼寝だ」
「えっ、それ、正式な政務ですか!?」
「いや。帝王の特権だ」
「ずるい!」
廊下を歩くふたりを、侍女たちが微笑みながら見送った。
梅は相変わらず、食べて、寝て、笑って、未来など見ない。
黎翔はその姿を見るたびに思う。
ああ、きっとこれが“平和”というものなのだと。
日が暮れる。
宵の空に、白い雲がふたつ重なって浮かんでいた。
梅が見上げて指を差す。
「見てください、陛下。蓮が、二つ咲いてますよ」
「……ああ」
黎翔はその横顔を見つめる。
「梅」
「はい?」
「この国に、何が起きようともお前はただ、食べて、遊んで、寝ていろ」
「……え、それでいいんですか?」
「それが、お前の務めだ」
「はい、ちゃんと毎日頑張ります!」
「……頑張るという言葉の意味を、いずれ教えねばな」
「えへへ」
梅が笑うと、春風が通り抜け、白い花弁がふたりの肩に舞い落ちた。
黎翔はそっと梅の髪を撫で、空を見上げる。
そこには、夢で見た“二つの蓮”が、確かに浮かんでいた。
「予知ではなく、願いとして未来を、見よう」
そう呟く声は、春の風に紛れ、静かに空へと消えていった。
※※※
反乱騒動のあと、王都は再建のために昼夜を問わず動き、黒燕の兵たちは城の警護にあたっている。
その中心にいるはずの新帝は、静かに歩いていた。
目的地は、後宮の一番奥、梅が眠る部屋だ。
あの戦の日、矢を受けて倒れたあとも、不思議なほど傷は早く回復した。
あのとき白髪の老人が現れ、梅を救う手を差し伸べた。だが今だ意識は戻らない。
黎翔が部屋に入ると、香の淡い煙が漂っていた。
梅は寝台の上で静かに眠り、額には汗がにじんでいる。
その枕元に、白髪の老人が座っていた。
あの不思議な男だ。
「……また、おまえか」
「また、わしだ」
老人は笑いもせず、梅の顔を見つめていた。
「覚悟せねばならんぞ」
「何の覚悟だ」
「この娘は、生き残ってはいけない一族、九幽族の末裔だ。予知を継ぐ血筋……かつていくつもの王国を滅ぼした血脈だ。見る者がいる限り、世は定まらぬ。だからこそ、彼らは滅んだ。お前は知っているはずだ、皇子。生きるということは、知らぬまま歩むことでもある」
黎翔の手が無意識に梅の指を握る。
老人は続ける。
「未来を見通す者が現れると、国は争う。
皆がその力を奪い合う。
――だから、あの一族は滅ぼされたのだ。」
黎翔はじっと老人を見つめた。
灯の揺れる部屋の中で、風が壁をなでる音だけが聞こえる。
「ならば、俺が守る。」
その言葉に、老人は眉をわずかに動かした。
深い皺の奥に、かすかな憐れみの色が浮かぶ。
「守る、とな。
陛下、あなたが守れば――また争いの種となる。」
黎翔はしばし黙し、低く息を吐いた。
「誰かを犠牲にしてまで保つ平和など、長くは続かない。罪の上に築いた秩序は、いずれ崩れる。」
老人は静かに頷き、そして言った。
「ならば――予知の力を封じるがよい。
生きながら、眠りの中に閉じ込めるのだ。」
黎翔は目を細めた。
「…封じる?」
「この娘は眠りの中で世界の形を覗き見る。
ならば夢を奪えばよい。
食べ、笑い、遊び、そして深く眠る。
それだけで予知の回路は閉ざされる。」
その言葉に、黎翔はしばらく沈黙した。
炎の明かりが、彼の横顔を赤く照らす。
そしてゆっくりと、頷いた。
「それで、いい。」
老人は少し驚いたように眉を上げる。
「それで本当に、よいのかね?」
黎翔は静かに答えた。
「俺は俺の力で、この国を守る。
予知の力に頼るつもりはない。
梅には、夢よりもーー現を生きてほしい。」
その声は、決意と優しさが入り混じっていた。
老人は袖の中から一粒の小さな丸薬を取り出した。
「これを香に混ぜよ。夢を閉じる薬だ。効きすぎれば永遠に目を覚まさぬ」
「信じよう。……お前は、梅を殺そうとしていないから」
「それと『蓮が二つ咲く日、この国は選ばれる』という予言はどういう意味だ、何に選ばれるのだ?」
老人は蜂でも潰せそうなほどに眉間にしわを寄せて、深く黎翔の顔を見てからポツリと言った。
「…うむ…予言というものは曖昧である…」
「………」
どこまで老人の話を信じたらいいのか不安になってきた。
夜が明けるころ、黎翔は梅の枕元で香炉に火を灯した。
柔らかな香りが部屋を包み、梅の呼吸が少しずつ力強くなっていく。
やがて彼女が目を開いた。
「……殿下?」
「起きたか。もう何も考えるな。食べて、遊んで、寝る。それだけしていればいい」
「……それだけ?」
「ああ。それだけでいい」
梅は不思議そうに笑い、目を閉じた。
黎翔はその髪を撫でながら、静かに呟いた。
梅の身分はあまりに低すぎたため王妃になれず愛妾のまま。黎翔は政に尽くした王として歴史に残った。
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