以水救水ヒロイズム

まめ

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川瀬かわせは自分の能力がおかしなことになっていると気づく。
 ている。

 酒蔵の地下から三人分の声が聞こえる。何処から聞こえるのか、何人いるのかが聞き分けられる。これほどにはっきりと聞こえたことはかつてない。分かった情報を二人に伝えれば、葉月はづきはなんでそんな事がわかるのよ、ときつい口調で問う。

 能力だと端的に説明をしても納得のいかない顔をしていた彼女だったが、鵜山うやまが窘めるように声をかけると大人しくなった。川瀬を疑わしいものを見るような目で見てくるのは変わらなかったが。

 聞こえすぎているのなら使わない手はない。鵜山と共に軽い計画を立てて、三人で酒蔵に潜入した。計画とはいっても、川瀬が力で探って、鵜山が不意を突いて、葉月と川瀬で囚われているらしい少女を確保するという雑なものだった。

 地下への道を、力で声の聞こえる方を探る事で見つける事が出来た。やはりまるで本当の「声」を聴いているかのように、聞こえないはずの距離感の声が聞こえる。耳が異様に良くなったような気分だ。心の声まで聞こえるなど、聴覚を超えているのだが、感覚らしくなっていると川瀬は思った。
 階段から下を覗く、足音を立てないように。

『痛い』

悲鳴が脳裏に響いて、川瀬は頭を押さえた。

『痛い痛い痛い痛いやめて痛い、ゆるして、助けて、刺さないで、痛い痛い痛い』

頭が割れそうなほど、痛いという言葉が呪文の様に繰り返される。鵜山が川瀬の顔を覗き込む。彼の表情に変化はない。この声は川瀬にしか聞こえていないようだった。しかし、地下への階段から扉の開いた地下室が見えてしまう。

そして、川瀬は声の意味を理解した。

地下室の中央に杭があった。
少女が貫かれていた。

腹を貫通した杭によって、空中に寝そべったまま縫い留められている。少女が着ている白い着物が真っ赤に染まっている。彼女の口ははくはくと息を求めるように動いている。声は出していない。川瀬には部屋をつんざく悲鳴が聞こえるが、彼女の口から声は出ていなかった。

生きていた。体重によって、そして、もがく体によって杭に沈んでいく少女は生きていた。

「採血、完了しました」

 冷えた声が地下室に響く。その声の持ち主は杭に腹を貫かれていた少女を両腕で抱え上げ、杭から引き揚げた。
 ぐったりとして見える少女は死んでいてもおかしくはないはずだが肩が大きく上下している。

「良い顔するよなあ、声は出せないのが残念だけどさ。すげえ、そそられるんだよね」

 部屋の奥から若い男の声がして、はっと川瀬は身を固くした。目的も忘れてしまうほど、目の前に急に飛び込んできた凄惨な光景を、脳が処理してくれなかったのだ。

「この僕が孕ませてやろうか?光栄だろ。僕はお前を世話役に犯された母親みたいにはしないぜ。この怖い怖いオニイチャンからも離してやるからさ」

 好青年といった顔立ちの男は、顔に似合わない歪んだ笑みを浮かべた。機嫌がよさそうに、震える少女に近づく。彼女は口を開かない。
 川瀬には、怖い来ないでと叫ぶ少女の声が聞こえていた。「怖い怖いオニイチャン」と男が表したらしい、少女を杭から取り上げた傍らの人物よりも、目の前の若い男に怯えているようだった。

 じっと息をひそめたままだった川瀬は息をのむ。
 少女を杭から抜いた男……水城だ。水城京介みずききょうすけ、鵜山の教え子。ぺらぺらと少女にいやらしく話しかける男の隣で、水城は黙っている。人形のように。

「僕の玩具になれよ、な?僕の子種を注がれるなんてからしてこれ以上の幸福はないだろう?」
「……
「あ、何か言ったか?水城」

「汚らわしいと言いました。私もにすぎないのです。そのような言動は品位を落とすのでは?」
「へえ、僕に意見するつもり?」
「まさか。私にそのような権限はありません」
「じゃあ口答えするな。殺処分されたくないならな」
「御随意に」

 殺処分という単語に欠片も心を動かされたふうもなく、水城は淡々と言った。相手の男は舌打ちする。

「畜生、伯父さんに言いつけてやる。何だよ、家畜の癖に潔癖なやつだな。それともなんだ?守ってるつもりかよ」
「私がにそのような情を抱くほど人らしく見えましたか?」

 水城の温度のない瞳が男に向けられる。男は押しのけられたように、一歩後退する。そして、首を振り大声で言う。

「父親違いとはいえ義妹を杭に刺して平気な顔してんだもんな、お前。……ああ、そうか」

 男は爽やかな笑みが似合いそうな顔で、いやらしく笑った。

「……お前、そうか、そうだよな。なあなあ、どんな気持ちなんだよ、母親が自分を見て汚らわしい近寄るなって怯えるのって。なあ!……だんまりかよ」

 会話が途切れ、沈黙が部屋を覆う。覗いていた川瀬は漸く石化から解かれたような心持で、後ろにいる鵜山と葉月に目線をやった。鵜山は両腕で葉月を押さえている。恐らく彼女は室内が見えた瞬間飛び出そうとしたのだろう。それを止めていた鵜山だが、彼は動かない。

 教え子を見たからだ。ちょうど、川瀬より数段上にいる彼には室内は見えていなかったのだ。しかし、川瀬が衝撃に動けずにいた間に、覗き込んでしまった。そして、その衝撃が彼の腕の力を弱める。男がぐったりした少女に歩み寄ろうとしている。葉月が鵜山の腕を振りほどいて駆けだした。

「綴!」
『名月ちゃん!』
「お前!どこから……このっ」

 硬直していた鵜山が目を見開き、はじかれたように駆け下りる。川瀬もつられて彼の後を追う。室内に入った時には、鵜山は猟銃を持った男を突き飛ばして、押さえつけたところだった。
 葉月は男に払われたのか、地面に倒れている。傍には男の腕を捻り上げた鵜山がいる。川瀬は迷いながら、綴と呼ばれた少女のもとへ駆け寄る。とにかく計画通りに動くことしか考えられなかったのである。

「お嬢ちゃん」
『来ないでっ怖い怖い』

 少女の瞳が怯えたように揺れた。怖がらないで大丈夫だと囁けば少女の目が見開かれた。

「……鵜山隆一郎」
「京介」

 鵜山が男から手を離した。気を失ったのか、男の手がだらりと床に落ちた。葉月に手を差し伸べて起こしてから、彼はしっかりと向かい合うように立った。

「この期に及んで、何か?」
「……お前は、何に」

先生、という葉月の悲鳴と共に、鈍い音がした。いつの間に起き上がったのか、鵜山を狙っていた男は再び眠らされた。葉月の手には床に転がっていた角材がある。
水城は男が倒れ伏したことにすら、さして興味がなさそうに一瞥しただけだった。

千夏ちなつ、と珍しい呼びかけをして鵜山が川瀬に向かって一言呟いた。

たった一言。それで、十分だった。

次の瞬間には川瀬は駆けだしていた。力ない少女を背負い、葉月の手を引いて。
振り返ることはなかった。後には立ちふさがるように、教え子の前に立った鵜山がいるだけだった。




「駄目、駄目、先生が、先生が死んじゃう!」
「そう言ったってなあ!戻る訳にはいかないんだよ!」
「離しなさいよ!先生が殺されていいの!」
「よくねえよ、はっ……はあ、ちょっと、黙っとけ、お嬢ちゃん」

 川瀬は荒く息をつく。職業柄あちこち駆け回っているだけあって体力はある方だが、そうは言っても限度がある。少女を背負って、かつ暴れる葉月を引っ張ったまま走るなど、息が切れないはずがなかった。

「くそ、声が……こっちだ」
「離しなさいったらっ」
「この子を助けたいんだろ!」

 葉月がぐっと息を詰まらせる。そして黙った。手を振り払われて、顔を顰める。しかし、彼女は踵を返すことをしなかった。不機嫌そうな顔のまま、川瀬の後を追うように走る。
 
走って、走ってどのくらい経ったか。旅館を抜け、暗い道をまだ走る。旅館を出てからは葉月が先導するように、前を走っていた。旅館の僅かな明かりはもう遠い。村の中心から外れた神社への道にまで来たようだった。
 坂道を前にして、川瀬は立ち止った。肩を落とす。息が上がっていた。

「は、はあ……ここまで来たら、しばらくは、大丈夫、だと、思うわ。……神社の方には村人は滅多に来ないから」

 そこまで言って、葉月は川瀬の背にいる綴を引き剥がす。ぎゅっと抱きしめて、囁いた。

「綴、綴!大丈夫?傷はもう……塞がっているのね」
「あのなあ、背負ってきたのは誰だと……どういうことだ?」

 少女は覗き込まれ、怯えた目で川瀬から目を逸らした。白い着物は赤く染まっている。長い黒髪も相まって、こんな時間に出会いたくはないような姿である。
 しかし、美しい少女だった。混乱の最中、そのようなことに感じ入る余裕もなかったが、こうして顔を見てみれば、和服が良く似合う儚げな顔立ちをしている。

 川瀬が怖いのか、頑なに視線を合わせてくれない。葉月と同年代だとするならば、やけに大人びている。怯えた瞳が潤んで揺れる様は艶やかとさえいえるかもしれない。
 まともな趣味を持っていると自負している川瀬は、頭を掻いて首を振った。葉月が綴を庇うように後ろに隠す。

「やらしい目で綴を見ないでくれる?最低」
「様子を見ようとしただけだろうが。で、どういうことなんだ。このお嬢ちゃんは杭に刺されて腹に大穴開けてたんじゃなかったのか」
「最低!」

 吐き捨てた声に、綴が身を震わせた。肩を竦めて、にやりと笑ってみせる。

「お嬢ちゃんが一番脅かしてんじゃねえか」
「あんたの所為でしょ!気遣いってことを知らないの?いくら何でも目の前で傷を抉るような言い方することないでしょう、馬鹿じゃないの」
「うるせえなあ、俺にそんなもんを期待する方が馬鹿だっての」

 怖いと声が聞こえた。川瀬は葉月をどかすようにして、綴に声をかける。

「悪かった悪かった。このお嬢ちゃんがつっかかってくるだけで、喧嘩してるわけじゃねえ。……へえ、こりゃ、どういう仕組みだ?」

 少女の腹に傷がない。目を見開いた綴は、首を傾げた。

『どうして?』
「ん?ああ、声が聞こえるんだよ」
『本当に?』
「綴ちゃんの声なら聞こえてるぜ」

 何が綴ちゃんよと叫んだ葉月が、綴を再び抱きしめて隠す。着物のはだけた袷を直して、言い聞かせている。

「いーい、綴。このおやじは信用しちゃ駄目」
「誰がおやじだ。俺はおやじって言われるような年じゃねえよ。大体、俺がおやじなら、お嬢ちゃんが大好きな先生だっておやじになるからな」
「先生はあんたみたいにデリカシーない最低野郎じゃないもの」
「はいはい、全く。可愛くねえガキだな」

 ため息をついた。葉月は綴には近づけないとばかりに座らせた彼女を遠ざけだ。早口に綴は疲れてるの、質問なら後にして、と言う。取り付く島もない。
空を見上げる。木々の隙間から見える空は僅かに白みだしていた。

「……先生は」

 葉月はそのまま項垂れるように口を閉じた。何も言わない。慰めにもならないだろう。

 鵜山は川瀬に言ったのだ。「頼んだ」と。言った目を見た。生徒を頼むなどと、生徒のために平気で危険に身を投じる、彼が頼んだ。

しかし、それだけならば川瀬は鵜山を引き留めたかもしれない。自分の生死を度外視したような振る舞いであることは、混乱の最中であってもわかりきっていた。鵜山は一人残ることで、葉月と綴の二人の少女を逃がそうとしただけではないのだ。

救うつもりなのだ。綴に拷問(というより本来殺していたようなこと)をしていたあの教え子を。あの機械のような男は、もしかしたら人を殺しているのかもしれない。廊下の赤い手形を思い出すと、川瀬には殺していないと思う方が難しい。

それでも、鵜山は救うつもりなのだ。

優しい先生?その範疇を超えていた。……狂気じみている。
川瀬には止める事ができなかった。

 『もう、失うのは、沢山だ』

 そう聞こえたら、聞いてしまったら、それは彼の望む通りにするしかないだろう。彼の左手の指輪を思い出す。彼と初めて会ったあの事件を思い出す。
 そして、目を閉じた。

「友達がいのない奴だな、本当に……あのせんせ」

 木の幹に凭れるようにして、川瀬は目を開けない。目を開けた時には、全てがくだらない悪夢であることを、頭の片隅で祈りながら。
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