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⑱
しおりを挟む暗い木々の奥からは追っ手の気配は無くなんとか逃げ切れたようだとファイは一息つく。
「ぷぎ…」
蹲り顔を伏せるフジをぷごぷごと手足で揺らすが反応はなかった。怒りか悲しみか絶望か、ファイにはフジが何を感じているのか分からなかったが大切な人と離れてしまう苦しみは理解出来た。
真っ暗な森にひとりと一匹。心許ないだろう。ファイがもっと大きくて強くて逞しかったらフジもここまで落ち込まなかったのだろうか。
「ぷぎゅ~ん…ぷぎ?」
バサリと大きな羽音が聞こえ上から赤が降りて来た。トサリと優しく槇尾を横たえると大きな趾が地面に降り立つ。
「フジ…」
消え入りそうなクレスの声にハッとフジは顔を上げた。
「クレス…!どうして!!」
「ごめん…」
出会った頃からヘラヘラと笑っていた鳥の沈痛な面持ちにフジはきゅっと口を閉じた。わかってる。死んだと言っていた槇尾ダイスケが生きていた。あの雌蜂の言葉から、行動から人質にでも取られていたのだろうとフジにだって予想が付いた。
「ごめんなさい…」
エルが同じ目に遭ったら?フジが同じ目に遭ったら?きっと二人はクレスと同じことをした。責められない。クレスと槇尾がどういう関係かは知らない。それでもクレスが槇尾の話をしていた時どこか楽しそうだったのをフジは感じ取っていた。
ごめん…と金色の目を伏せ羽を広げ飛び去って行くクレスにフジは何も言えなかった。
エルといた時の森はフジがゆっくり熟睡できるほど安心で静寂だったのに、今はこんなにも不安で五月蝿い。虫の音、動物の気配、獣の唸り声、吐息、風の音、木のざわめき全てが煩わしくて恐怖の対象となる。どこからか見られているような気もするし、何かが背後にいるような気もする。怖くて怖くて堪らなかった。
「エル…」
こんなにも依存していた。
大陸から帰って暫くエルのいない生活を送ることになっても平気だと自負していた。森の中だからだろうか、いや…きっとこれから先どこでだってエルがいないとフジは不安で堪らないのだろう。エルに会いたい。心臓が搾り取られるみたいに痛い。
近くからカサリ、と小さな音がした。
ファイにも聞こえたようでスクリと立ち上がり辺りを警戒している。
カサ、カサ、カサカサカサ…と数を増した気配にフジも体を起こし構えた。暗闇に何かがいる。ここで襲われたらファイは逃げれるだろうがフジには無理だ。そうすればエルはきっと一生あのままなのだろう。
(そんなの…そんなの…!)
無力とは罪だ。何も出来ず何も守れずただ嫌だ嫌だと泣き叫ぶだけ。己の頼りなさにこんなにも絶望したことはない。祖父母が死んだ時も母が死んだ時も父が狂ってしまった時も時代が、世界が悪いのだと他責にしていた。そうやって自分の力の無さから目を逸らしていたんだろう。
強くならねば。
せめて夜が明けるまで生き延びれるくらいには。
エルにもしもの時の為にと渡されていた短剣を構えフジは覚悟した。何が来ようと絶対に死なない。
カサリと暗がりから闇が溶けたような黒が現れた。
小さな蜘蛛だ。
「ぷぎ…!」
ファイには見覚えがあった。糸の巣に大きなヤモリもどきと捕まった時に見た蜘蛛だ。カサカサと数を増しファイとフジを囲うそれらは各々に糸を吐き出し二人を覆う糸のテントを編んでいく。あっという間に糸に包み込まれ事態が飲み込めないフジにファイはなんとかしてこの蜘蛛のことを伝えようとジェスチャーする。
「ぷぎ!」
「え…なに?」
「ぷーぎ!」
ぺちぺちとフジの足を叩くファイに「お、俺?」と自身を指差すとぷぎ!と大きく頷いた。
「むちゅ!むちゅ!」
「??」
「ぷー…むちゅ!」
「キス…?」
「ぷぎゅ!ぷぎ、むーちゅ!」
「俺、キス?…ファイにキスしろってこと?」
「ぷぎぷぎぷぎぷぎ!」
止めてくれ!エルに殺される!首が取れるかと思うほどふるふると否定し再びぷぎぷぎと必死に伝える。
「ぷっぎぃー…むーちゅ!!…ぷぎゅっ!」
「ジッと見て…キス…抱き付く…?」
「ぷぎ!」
「何だろう…仲良し?…いや、恋人?」
「ぷぎ!」
「俺の恋人…?」
「ぷぎぃ!」
「エル?」
ファイはこの蜘蛛がエルだと言う。
ファイ自身はこの蜘蛛がエルだとは知らなかったがエルの仲間?兄弟?手下?みたいなものだろうと思ってフジにそう伝えたかった。結果的にフジにこれはエルだと伝わったみたいだが結論としては間違っていなかった。
離れても尚フジを守ってくれるのか。
「エル…」
エルがどうしてああなったのか分からない。助けられるのか、そもそも生きてはいるのだろうか、わからない…だけど今はエルに守られた安寧に感謝してフジはファイを抱き締めながら眠りについた。
◇
寝て醒めたら全てが夢だったら良かったのにと思うことはとうの昔に辞めた。そんな救いのない妄想はこれまで何度だってしてそれでも現実は残酷でフジの大切は人は皆んな消えて行ってしまった。それは悲劇ではなく特別でもない、今の世界では仕方のないことだった。
でもこれだけは、エルを奪われることだけは仕方ないで終わらせる訳にはいかない。
朝日が昇ると共に目が覚めたフジとファイは話し合った。と言ってもフジが一方的に話しかけるだけだが。
これからどうするかについてだ。
正直このまま帰れば地図は完成したのだ大金は手に入りフジの一生は人類が滅亡しない限り困らないだろう。帰り道エルはいないがファイがいる。無知だった行きと違い帰りならば多少の困難も乗り越えられる。だが車で来た道は?エルがいないと車は動かせない。いやそれも最悪歩けば帰れなくはない。帰りの船もフジにも呼べる。エルがいないと帰れない理由を探しては潰し、探しては潰し。
(俺は結局…)
「ファイ」
「ぷぎ?」
「お前はこのまま逃げてもいいんだぞ。俺は…やっぱりエルを奪われたままじゃ嫌だ。エルを取り戻したい」
フジの言葉にまん丸なファイの目はキリリと鋭くなり「ぷぎぃ!」力強く頷いた。フジに助けられたこの命、ここでフジを助けてやらねば豚が廃るってもんよ!
ファイは漢気のある豚なのだ。
『エル救出大作戦!』と地面に枝で書かれた文字の前でひとりと一匹は迎え合わせで頭を捻った。
「状況を振り返って行こう」
「ぷぎ」
「まず、槇尾さんの背中にくっ付いてた幼虫と人型の蜂針、あれがエルをおかしくさせてる要因だと思う」
「ぷぎぷぎ」
「毒を刺されてるなら死んでるんだろうけど…エルのあの感じだと操られてるって線が濃厚なのかな」
「ぷぎぃ」
「それにあの蜂が現れる前からエルの様子がおかしかった。いきなり倒れて脈が早くて熱っぽかった…あと、臭いがどうって気にしてたよな」
「ぷぎ」
臭うとエルが言っていた辺りから何か仕込まれていたのだろうか。しかしフジもファイもクレスも臭いはわからず、エルにだけ効果のある臭い。…そう言えばあの雌蜂はエルになんと言ってた?
『まさか十年越しにこの子に再会できるなんてね。日頃の行いかしら?』
「十年…」
エルが新大陸を離れたのは十年前。
その時にあの蜂と何かあったのだろうか。
二人でうんうんと頭を悩ませているとパキリと小枝が折れる音がした。フジとファイは振り返り驚く。
「エル…!」
「フジ」
いつもと変わらないフルフェイスの軍人がそこに立っていた。何故、逃げ出せたのか?エルならあり得る。フジの名を呼んでくれた。エル、エル…!
思わず駆け寄ろうとしてフジは止まる。
待て、0番で同じことがあった。自分が求める人に変化する虫。ソイツだとしたら?
チラリとファイを見れば「ぷぎ!」と嬉しそうに駆け回っていた。ファイにもエルに見えている?ならばあれば本物なのだろうか。
「フジ」
優しげに声を掛けられれば止められなかった。広げられた腕に飛び込めばギュッと抱き締められる。ああエルだ。良かった。エルが戻って来てくれた。
「フジ」
「無事で良かった…エル早くここから逃げましょう!よくわかりませんがあの蜂は貴方を狙ってる。また襲われる前に早く」
「逃げる?」
腕を引き早くと声をかけるも彼は鷹揚な態度でピクリとも動かない。
「逃げる?…私から?」
「違います!人型の蜂から…エル?」
膝を少し曲げ背中と膝裏に腕を回され横抱きにされたフジは狼狽えた。この抱き方はよくエルがする。それ自体に問題はないがなぜ今フジを抱き上げたのか。
「エル、あの、どこに…」
大きな歩幅でスタスタと進むエルの後ろをファイはちょこちょこと着いて行く。ぷぎ!ぷぎ!と声を掛けてもエルは振り返らない。それはいつものことなので気にはしないが様子がおかしい。ファイはエルの足に尾を絡ませ止めようとするも強い力で引き摺られるだけだった。
「ぷぎゃん!」
やがて尾を振り払われすってんと転ぶファイを気にも留めずエルは幹に大きな穴が空いた大木に近付き潜りながら中へ入る。枯れ葉が敷き詰められたそこにフジを降ろすと穴の上空を仰ぎ見た。
「ひっ…!」
木の内側にべたりと張り付いた大きなヤモリにフジは悲鳴を上げる。これはヤモリの巣なのだろう。突然の侵入者に警戒し威嚇するそいつの尻尾を掴むとエルは穴から引き摺り出し投げ捨てた。
空中で舞い体勢を立て直し地面に着地したヤモリの前には小さな子豚。
「ぷ、ぎ…」
ファイには二度目のデカヤモリだ。ギラリと縦長に開いた瞳孔がファイをギョロリと捉えた。
「ぷぎゃ~~~!」
バタバタと四本の足で地面を這うように追いかけて来るヤモリにファイは必死に逃げた。
その様子を穴の中から見ていたフジは目の前で立ちはだかるエルを咎める。
「ファイ…!エル!貴方なにを!」
「逃げることは許さない」
しゃがみ込みフジと目線を合わせたエルが両腕を木の壁に付け囲い込むようにフジを捕らえる。困惑した様子のフジの頬を撫でるエルはいつもの優しいエルなのに。
「逃げるなんて」
トンと肩を押され背中が壁に当たり真上から垂れた糸がフジの両腕を拘束し吊るすように持ち上げた。
「許さない」
責める言葉がフジを覆った。
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