20 / 48
⑳
しおりを挟む『返して?そうねぇなら人間を連れて来てちょうだい。私の可愛いベイビーちゃん達の養分になる素敵なパパを探して来てねクレス』
――
――――
――――――
うとうとしていたらしい。昨晩、槇尾の怪我が治るのを見届けるために一睡もしていなかったクレスはパチリと目を開けた。目の前では槇尾とファイが対エル戦に向け訓練をしている。槇尾は軍医の癖に何故か馬鹿みたいに力があるからファイのいい稽古相手なるだろう。
ファイは随分と強くなった。あのヤモリを単独で倒せるほどだ。体も徐々に大きくなりこれからもっと逞しくなるだろうな、と寝起きのぼんやりする頭でクレスは考えた。
「あ、起きたんですね」
「ウン」
「昨晩寝ていなかったんでしょう?」
そう笑いながらフジはクレスの隣に座る。
「フジ…ごめんねぇ?」
思考が定まらないまま口から勝手に溢れた謝罪にクレスは自分自身に驚いた。思っていた以上にフジへの罪悪感に苛まれていたらしい。
マキオを雌蜂に奪われクレスは必死に人間を探した。
だが元々この地にいない生き物を探すなんて絶望的だった。いないならばマキオを無理やり取り返した方が早いんじゃないかと連れ帰ろうとした事もあったがそうすると彼は自分の右腕を折り、次は左腕を岩に叩き付けようとしてクレスは慌てて止めた。マキオは攻撃こそして来ないがクレスが雌蜂の命令から背こうとすると自傷行為をし出すのだ。
クレスは大陸中を飛び回りやっと人間を見つけたが明らかに近付いてはならない生き物と行動していた。このまま人間を攫えばきっとアレに殺される。遠巻きから監視し隙があれば接触してやろうと思ったが周囲に張り巡らされる蜘蛛の巣に中々近寄ることが出来なかった。守られているにも関わらず人間はソイツに怯えて逃げ出し、最期には大陸の餌食となった。何人も何人も死ぬせいでマキオはずっとあの蜂に捕らわれたままだった。
養分、と言っていたように日に日にやつれていくマキオにクレスは焦った。このままだと死んでしまう。まともに飲み食いをしていないと気付いてからは果物や魚を食べさせに会いに行ったが幼虫の成長に伴い吸い取られる養分量も増えているのかマキオは依然痩せこけたままだ。
『肉が好きだな』
特に豚肉が好きだ、と話していたのを思い出した。
食べたら正気になるかも…なんて望み薄いことを考え森を探索中に見かけた子豚を捕まえようとしたがやけにすばしっこくて仕留め切れなかった。だがその代わりに人間を見つけた。人間が生きてあの生き物と大陸の奥まで来ているのは初めてだった。
今回はいつもと違うのか?
しかも雌蜂やマキオのいるあの森に向かっているようだと気付きチャンスだと思った。
だけど…その人間は優しくて、殺そうとした子豚は負けん気が強い面白いやつで、危ないと思ってたそいつはやっぱり強くて冷たいやつだったがその人間を心から愛していた。マキオと出会う前のクレスならこんなことで悩まなかったと思う。マキオを知って、誰かと笑ったり泣いたり怒ったり悲しんだり、愛だなんだを知ってしまった今だからこんなにも心が痛い。
フジを生贄にマキオを解放してもらう。
きっとエルは俺を殺すだろう。
クレスだってマキオをフジのために犠牲にされたらエルを殺しにかかっている。それでもマキオを助けたかった。殺されても構わない。
最期にマキオを抱き締めて死ねるならクレスはそれで構わなかった。
「私…クレスに騙されたんだと知ってとても悲しかったんです」
「ウン…」
「だけどクレスの立場だったらやっぱり同じことをしたと思うんです。私もエルも」
似ているな、とクレスは目を細めた。
エルは恐らくクレスが何かを企みマキオのことをただ気紛れに助けた人間と思ってはいないことに気付いていたはずだ。それなのに何故クレスを追い払わなかったのかその時は分からなかった。
でも今ならわかる気がする。
「だから謝らないで下さい。でも絶対にエルを取り返しましょう!手伝ってくれますよね、クレス」
「ウン。助けるよ」
このふたりはどこまでも人の痛みを理解している。
『ファッキン人型雌蜂からフジの彼氏を救出大作戦』と書かれた文字の前にふたりと一匹と一羽は円を作って頭を悩ませていた。
「少し考えたんですが支配されているor操られている説が濃厚だとしてエルはその支配力が槇尾さんより弱いんじゃないでしょうか?」
「まあ有り得るな」
人ではないエルだからこそ雌蜂の力にわずかながら抵抗出来ているのかも知れない。
「ただ会話は出来ないんですよね…こう、噛み合わないと言うか、私の言葉が全く届かなくて」
「ふむふむ」
フジの言葉に思い当たる節があるのかクレスは頷き思い出したように「あ!」と声を上げた。
「マキオの時に思ったンだけど~あの状態の時って心の奥底にしまってある本音とか、無意識下に抱えてる感情とかが漏れ出てるンじゃないかなぁ」
「深層心理ってことですか?」
「んー、その言葉はよくわかンないけど…酩酊状態って言ってたジャン?あの時って頭がふわふわ~ってなって本音がポロリってなるからあんな感じぃ?」
「おい待て聞き捨てならねぇぞお前なにを聞いた」
「まァまァ」
「おい!」
本音…あれがエルの本音なのだろうか。
『私から離れないでくれ』
『貴方は帰るのだろう』
『どうして逃げる』
『逃げるなんて』
『許さない』
エルの怒りにも悲しみにも似た激情を真っ直ぐぶつけられて怖くは…なかったが、どうしたらいいのか分からなかった。エルはフジに何を求めていたのだろう。どうすればあんなにも悲しげなエルを救ってあげられたのか。
『フジ』
優しげにフジを呼ぶ声が懐かしい。
エルはいつだってフジの名を呼んでくれた。
名を。
…そう言えば。
「…呼んでなかったな…俺の名前」
『貴方は』『貴方を』『貴方が』エルは最初こそフジの名を呼んでいたが途中から呼ばなくなっていた。あれだけフジフジと名前を呼んでくれていたのに。
あの時エルが求めていたのは誰だ。
(俺じゃないのか…?)
突如沸いた疑惑にモヤモヤと胸の中に黒い感情が走る。あれが深層心理だとしてエルが求めているのはフジじゃなかったとしたら。
十年前エルはこの大陸から海を渡りフジの世界へとやって来た。ずっと考えていた。なぜわざわざ人間に付いて来たのかと。
『離れないでくれ』
『どうして逃げる』
フジはエルから離れたことなんてない。ならその言葉は十年前の探索隊の誰かへの言葉だったんじゃないだろうか。記憶の底にある忘れられない思いが溢れているのかもしれない。それが例えば…父だとしたら。フジと父はよく似ていた。歳を取り背格好もよく似てきて後ろから見るとどちらかわからないと言われることも多かった。
(記憶が無いながらも父の面影を俺に見ていたとしたら…?)
突拍子もない予想に馬鹿げてると笑いたかった。
『フジ』
そんな訳ないと否定して欲しいのに。
「フジ?」
「…」
「フージィ~?」
「あ!…ごめんなさい少し考え事をしてました」
ヒラヒラの目の前で翼を振るクレスに笑えば困ったような顔をされた。
「…なに考えてるかわかンないけどあんまり深く考えちゃダメだよぉ」
クレスは他人の機微に鋭い。
こう言うところが槇尾がクレスに惹かれた理由なのだろう。槇尾は槇尾で思い切りがあり一緒にいて楽しい人だとこの短い時間で理解できた。
(じゃあ俺は?)
告白された時から疑問に思っていたがエルがフジを好きになる要素が何度考えても見当たらなかった。エルは本当はフジを通して誰かを見ているのかもしれない。
(でも…今はそんなの関係ない…とりあえずエルを助けることだけ考えよう)
「…クレスひとつ聞きたいことがあります。人型の蜂と出会う前にエルは臭いのことを気にしてましたよね?あれは何かわかりますか?」
「あー…アレねぇ…M23号を燃やしたンだよね」
「M23号?」
「擦るとスッキリした匂いがするンだよぉ」
「ミントに似た植物だな。いちいち名付けるのも面倒だから食えそうなもん見つけた順に番号振ってたんだよ」
槇尾がゴソゴソと持っていたリュックから小さな緑の葉を取り出した。
「料理にも使ったりしたが主に虫除けだな。あれを燃やすと昆虫の嫌いな臭いを発するみてぇだから夏とかはよく焚いてたが…」
槇尾はチラリと横目でクレスを見た。
「北に進んで行けば流石に雌蜂の存在がエルに気付かれると思って試しに焚いてみたンだよねぇ。あいつ視野は広いけど視力は悪いから他の感覚器官で空間把握してンのかなぁって」
どうやら効果は抜群だったようだ。
クレスは大きな体を縮こませ謝った。
「あそこまでダメージ与えるとは思わなかったンだよぉ…」
臭いの元を特定出来ず感覚が麻痺したのか大きな人型の蜂の存在にも気付かない。発熱と発汗、風邪に似た症状にまでなったエルを思い出しフジは考え付いた。
「それを使えばエルの動きは止められますね」
「温厚な顔して考えることえげつねぇなぁ~!好きだぜ俺はそう言うの!」
がははと笑う槇尾にフジもつられて笑う。
「やはり背中に付けられた幼虫、あれを取ってみることしか現状は思いつきませんね。後はどうやってエルを誘き出すかですが…森中に焚いたとしても隠れられたら骨が折れますし」
「んなの簡単だろ。古今東西男を誘う罠ってのは決まってんのよ」
「ぷぎ?」
肉か?首を捻るファイに槇尾はチッチッチと指を振りそのままフジを指した。
「ハニートラップだ!!」
フジはポカンと開いたままの口が閉じなかった。
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる
結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。
冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。
憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。
誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。
鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。
【BL】捨てられたSubが甘やかされる話
橘スミレ
BL
渚は最低最悪なパートナーに追い出され行く宛もなく彷徨っていた。
もうダメだと倒れ込んだ時、オーナーと呼ばれる男に拾われた。
オーナーさんは理玖さんという名前で、優しくて暖かいDomだ。
ただ執着心がすごく強い。渚の全てを知って管理したがる。
特に食へのこだわりが強く、渚が食べるもの全てを知ろうとする。
でもその執着が捨てられた渚にとっては心地よく、気味が悪いほどの執着が欲しくなってしまう。
理玖さんの執着は日に日に重みを増していくが、渚はどこまでも幸福として受け入れてゆく。
そんな風な激重DomによってドロドロにされちゃうSubのお話です!
アルファポリス限定で連載中
二日に一度を目安に更新しております
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる