測量士と人外護衛

胃頭

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 作戦としてはこうだ。
 「まずフジとファイで雌蜂の所まで行って喧嘩を売ってくる。エルを返せど腐れ雌蜂!ってな!…え?口が悪い?…んじゃエルを返せ!だけで良いわ。そしたら恐らくあの雌蜂はエルにお前らの始末を命令する。俺の時は流石に俺にクレスを殺す力はねぇと判断したんだろーけどエルはそうじゃねぇだろ。そしたらファイはフジを連れてここまで逃げて来い。俺とクレスでここいらにM23号を焚いて待機してる。んで見事この匂いに動けなくなったエルの背中の幼虫をもぎ取るって算段だ!」
 三つの丸が星マークに突撃する図を見ながらクレスが言う。
「雑じゃなぁい?」
「こう言うのは単純な方がうまくいくんだよ」
 言い切る槇尾にフジはおずおずと手を挙げた。
「あの…エルが異変に気付いてここまで追いかけて来なかった場合は?」
「目の前にお前がいるのに?」
「そ……」
 確かにそうですね、と言えるほど今のフジはエルに愛されている自信が無かった。何かを躊躇っている様子のフジに何も言わずに槇尾は続ける。
「いいか?こっからが一番大事だ。お前らから聞いた話だとエルは絶対にお前を追いかけて来る。そこが地獄だろうが飛び込んで来るだろうぜ。が、もし異変に気付いて追いかけて来なかった場合、いや追いかけて来たとしても念の為にエルを釘付けにしておいてもらいたい」
「ど、どうやって?」
 フジに出来る芸当であればいいが。
「ストリップだ」
「…………はい?」
「脱げ!誘うようにゆっくり服を脱いでいけ!男ってのは単純だから好きな奴がんなことしてたらチンコ以外は停止する。その隙に俺らで背中の幼虫をもぎ取り正気になるのを祈るしかねぇ!」
「な、何を言ってるんですか…!?」
 立ち上がり顔を染めたフジだったが槇尾は無視して拳を掲げた。
「やるしかねぇ…やるぞお前ら!」
「お~!」
「ぷぎぃ~!」
 本当に大丈夫だろうか。

 一際背の高い大木の幹に作られた蜂の巣にごくりと唾を飲む。攻撃はして来ないはずだと言われても恐怖がないわけではない。
「えっと…」
 喧嘩を売って来いと言われたがフジは生まれてこの方喧嘩などしたことがない。
「ぷぎゃ~~!!!ぷぎ!ぷぎ!ぷぎぷぎ!ぷぎ~!」
 躊躇うフジの隣でファイが吠えた。
 甲高く森に谺す子豚の鳴き声に大きな蜂の巣から人型の雌蜂が姿を表し、あら?と不思議そうにフジを見た。
「貴方たち生きてたの」
「エルを返して下さい!」
「ぷぎゃん!」
 下から叫ぶフジたちを一瞥し雌蜂は「ダーリン」と木の根元に声をかけると裏に待機していたらしいエルが現れた。フジを見ても何の反応もせず姿勢良く佇む姿に悲しくなる。
 (エル…)
「あの五月蝿いの今度はちゃんと始末して来てちょうだいね」
「ああ」
「ファイ!」
 頷くエルを見てフジはすぐにファイの背中に乗り森を駆けた。襲い掛かる糸を避けグングンと猛スピードで進むファイは槇尾が指定した木を抜けた。スッと鼻に透き通る清涼感、これがM23号の匂いだろう。流石にこの距離だフジにも感じ取れるほど強い匂いをエルが気付かない訳がない。
 少し開けた場所に降ろしてもらいファイは茂みに身を隠した。
 予定ではこの後エルがここに来る。それをフジが何とか引き留めて釘付けにしている間に隠れている三人がエルの背中の幼虫を剥ぎ取る。
 誰か一人でも手が届けば御の字だ。
 バクバクと鳴る鼓動と共に待ち構えていれば薄暗い木々の奥からフルフェイスが姿を見せた。少しフラついている様子からやはりこの匂いはエルには弱点らしい。
「っ…」
 躊躇ってる場合じゃない。ここで失敗したらエルはもう二度とフジの元に戻って来ないかもしれないんだ。それに比べたらこんなこと…!
 ゆっくりとファスナーに手をかけジッジッジ…と下ろしていくとエルはピクリと反応した。上着と中のトレーナー、アウトドア用のズボンも脱ぎ捨て上は速乾性のカットソーと下はトレッキングパンツだけになる。エルの前でこんなに薄着になるのは初めてで、裸でもないにフジは何となく恥ずかしかった。
「エル…」
 フジがたどたどしく手を差し伸ばせばふらふらと誘われるようにエルは近付きその手を取った。
 全身を見られている視線を感じてフジはまた頬を染める。せめて何か言ってくれ…!と思うが、いやむしろこのまま何も言わずに誘いに乗ってくれとも思う。エルの手を引き木の根元に空いた大穴へと今度はフジから導く。先にフジが中に入りエルの手をクイっと引けば大人しくしゃがみ込み中に頭を入れた。これで少しは可動域を狭める。なるべくエルが自由に動けないようにしてくれと槇尾から指示されていた。
「エル…あの…脱がせてくれませんか?」
 槇尾に教えられた言葉通りに足を差し出せばエルは動かなくなる。やはりこんなおじさんに靴を脱がせと言われても嫌だよな…と引き攣った顔で足を引っ込もうとすればガシリと足首を捕まれフジは驚く。靴紐を丁寧に解きハイカットのトレッキングシューズを脱がされ、反対の足も掬い上げられると脱がされた。
「…」
 まるで次は?と指示を待つ犬のように片膝を付け見つめて来るエルに「えっと…」フジはゆっくり両手を差し出した。
「う…う、上の服も…脱がせ…て…?」
 一気に熱が上がり逆上せるかと思うほどフジは顔が赤くなるのを感じた。
 (何だよ上の服も脱がせろって!勝手に脱げよ!)
 自分で脱いだ方がマシだと訴えるフジに槇尾はいいやと首を振る。お前さんはわかってねぇとため息も吐かれる始末だ。クレスとファイには分からないようで不思議そうな顔をしていたがフジにだって分からない。こんな行為で本当にエルは釘付けになるのか。
 ビダッと再び固まったエルだが恐る恐るフジの服の裾を掴むとゆっくり持ち上げて行く。
『ぜってぇ乳首は見せろよ!』
 どんな指示だと思ったがとにかく今は遂行するしかない。裏返った服の裾が胸を越えて顔を抜け腕にかかる。そのまま腕の輪の中にエルの首を入れてやればエルは動揺した。フジだって緊張している。こんなにもエルに近付いたのは抱き締め合ったあの日以来だ。
 いやあの日よりもずっと顔との距離が近い。
「エル…」
 呼べば腕を腰に回されギュッと抱き締められた。
 (エル…エルだ…)
 甘い雰囲気に呑まれ作戦中だったことも忘れてエルの顔に唇を寄せたところで視界が反転した。
「チッ…!!」
 槇尾の舌打ちが聞こえる。
 小型ナイフを構えた槇尾と趾で飛びかかったクレス、尾を突き刺したファイの姿が何故か逆さまになっている。違うひっくり返っているのはフジの方だ。
 背後からの攻撃に気付いたエルはフジを抱き寄せその場で後方宙返りし避けると地面に着地する。その腕にはしっかりとフジを抱いていた。
「みんな…!」
 エルに避けられたせいでぶつかり合ったようでファイは目を回しクレスも勢いのまま穴の中にすぽりと体を埋めていた。ただひとり姿勢を立て直しエルに構えた槇尾は笑っていた。
「ヤベェな…」
 冷や汗が背筋を流れる。
「いててて…なぁんでバレたンかなぁ」
「ぷぎゃ、ぷぎゃ~」
「大方この匂いに慣れてきたって感じだろ」
「この短時間でぇ?」
 こわいよおと泣き言を漏らすクレスにいつもなら檄を飛ばす槇尾も今は同意した。フジを抱えながらも隙を見せない戦闘服にフルフェイスの男は見た目は人間そのものだが漂う雰囲気が化け物だ。どうする。真剣勝負で敵う相手ではないと実際に対峙してみれば嫌でも理解できた。
 エルはゆっくりフジを地面に下ろすと上着を脱ぎ上半身裸のフジに掛けてやる。こんな状況でも紳士らしい。いつものエルのような対応に正気に戻ったのだろうか?と見上げるフジだったがエルはダッと槇尾たちの元へと走ると目を回すファイを鷲掴み大きく振りかぶって森の奥へと投げた。
「ぷ、ぎゃ~~~~~~!!!??」
「クソ…ッ!」
 すかさず斬り掛かる槇尾の攻撃を避けたエルの蹴りが槇尾の腹に直撃する。
「ぐ、う"ッ!」
 鳩尾に入った強い衝撃に胃液を吐きながら蹲る槇尾に止めを刺そうとハンドガンを構えたエルだったが背後から鋭く弾丸のように羽が発射されその場から即座に離れる。
「エル…!!」
 ばさりと羽ばたかせもう一度飛ばされた羽を今度は糸の網で止められクレスは舌打ちした。やはり不意打ちでもない限りコイツの背後に回るなんて不可能だ。
「マキオ!」
「ゲホッ、大丈夫だ…」
 腹を抑え起き上がる槇尾にクレスはホッとするも状況は変わらない。フジが何度もエルの名を叫んでいるが聞こえていないようで見向きもしていない。こうなればハニートラップもストリップも通用しないだろう。
 どうする。槇尾は強いとはいえただの人間だ。ファイも何処かへ飛ばされ戻って来るにはまだかかるだろう。なんとか空中戦へ持ち込められればクレスに勝ち目はあるか?いや自在に操る糸の飛距離は計り知れない。
 これまでにない程に頭を回転させるクレスだったが相手は待ってくれるはずもなく無数の糸が襲って来る。上下左右逃げ場のない網に逃げられない。
「クッ…!」
 羽根ごと体を拘束されクレスはその場に倒れた。
「ったくヤベェ彼氏だなフジ!」
「槇尾さん一旦逃げて下さい!このままでは…!」
「つってもなぁ…」
 ザリと土を踏む音にフジから視線を移せば威圧感のある軍人が立っていた。十年前この大陸に槇尾と共に上陸した男たちは陸軍の中でも精鋭ばかりだったがとは言え人間の枠を越えない。
 (流石に八年大陸探索をひとりで行うだけの力と頭はあるわけだよなぁ…)
 絶体絶命とはこの事か。ジリジリと後退する槇尾と追うように一歩足を踏み出すエル。その背後からフジが飛び掛かるもいとも簡単に避けられ腕を掴まれる。
「エル!」
「…また行くのか」
「なにを…」
「どうして帰るんだ」
 まただ。またエルは今じゃない遠く記憶の奥底に眠るなにかを見ているのだろう。
「ッ、わ!」
 くんっと腹から後ろに引かれて大木に体を巻き付けられる。両手で思い切り糸を引きちぎろうとするも固くビクともしない。エルの糸は不思議だ。伸び縮みする粘着性のある糸や、鋭く硬い獣の皮膚も突き破る糸、様々な糸を用途に合わせて出している。
「エル…っ!」
 槇尾を見下ろすエルの背中に三匹白くてらてらとした幼虫の姿があった。上着を脱いだことで目視できるようになったのに、あの背中に手を届かせられる者がいない。フジは恐らく殺されることはないだろうが槇尾に対しては明確に敵意を出していた。
「ハハッ…流石にマズイな」
「返せ」
「あー?何をだ?アンタの大事な大事なフジならもうアンタのもんだと思ってたがねぇ…違うのか?」
「私のだ」
「だからそーだって言って…グッ、ウッ!」
 片手でギリギリと首を絞められ持ち上げられる。地面から足が離れ重力とエルの指の力で槇尾の首を一層絞めた。気道が締まり空気が吸えない。足をバタつかせエルの体を蹴ろうと試みるが力が入らずズルリと胴を滑らすだけだった。
「マキオ!!!」
 地面に伏せたクレスが叫ぶ。ギチギチと締め付ける糸を翼を広げなんとか解こうとするが全く動かない。マズイ、マズイ、マズイ!槇尾の顔が赤から青に変わって行く。このままではマキオが死んでしまう。
「エル…ッ、エル!!」
 フジは声が枯れるまでエルの名を呼んだ。
 それでもその背中が振り返ることはなかった。
「エル…」
 (どうすれば…)

――――――
 
「ぷぎゃん!」
 べちんと大木に顔面をぶつけそのままズル…ズル…と地面に落ちた子豚はぺそぺそと泣いた。最近吹き飛ばされてばかりだ。
「ぷぎぃ…」
 どれくらい飛ばされたのだろうか。距離は分からないが方向はわかる。僅かにするあのスッとした匂いを辿ればフジたちの元に戻れるはずだ。
 トットコと走り出そうとしてファイは立ち止まる。
 でもエルにあの匂いは効かなかった。そんなエルと戦って勝ち目はあるだろうか?エルは強い。フジが居なければファイは近寄りもしなかった。フジを通して一緒に行動するようになって意外といい奴だとわかり始めたが基本的にフジが一番でフジが悲しまなければファイが崖から落ちそうになっていても見向きもしないだろう。
 フジの助けにはなりたい。
 なりたいがここでファイが助けに入っても無駄死にするだけではないだろうか。
「ぷぎゅ~ん…」
 困った。こんな時ファイはいつもどうしていたかな。ファイの夢は大きくて強くなることだ。今はまだ大きくも強くもない。ここで死んでしまえばその夢は途切れてしまう。困ったな。母に言われたのだ大きく強く逞しい子になりなさいと。

 ファイは母とふたりで暮らしていた。母は大きくて強い豚で、自分の何倍も大きい獣でも鋭い尾で仕留めた。二匹は獰猛な生き物が少ない海沿いの森に暮らしていた。母の手に負えない危ないやつは大体大陸の内部に住んでいるのでファイを産む時に内陸部からこちらに移動して来たのだ。
 その頃のファイは今よりも好奇心旺盛で見たことない生き物がいればすぐに興味を持った。
 ある日ファイが海辺で遊んでいると遠くに大きくて固そうで青やら白やら赤やら色のついた生き物が音を立てて大陸に向かって泳いで行くのを見た。ファイはその光景に目を輝かせた。
「ぷぎぃ~!」
 なんだあれ!なんだあの生き物!
 その生き物は上陸すると大きな口を開けた。中から二足歩行の生き物がゾロゾロと現れ、そいつらは何日も何ヶ月もかけて背の高いオレンジ色、丸くてコロコロ転がる生き物、四角い動かないけどデカいやつ、土を抉る黄色い生き物、色んなものを海から運んで来た。しばらくするとソイツらは大きな生き物を使って木を切り倒し、山を崩し、次々と森を壊し始めファイは驚いた。
 何をしてるんだ?そんなことしたら住む場所がなくなっちゃうよ!
 森にある美味しい果物も、綺麗な虫も、草木も生き物もみんな消えてしまう。翼のあるものは森から一斉に飛び去り、陸地を行くものは逃げるように内陸部へと走り、気性の荒い獣はソイツらに襲い掛かり…どうなったかわからない。だけど母に連れられ逃げ行く後ろでダーン!ダーン!と森中に響く音を聞いた。
 ファイと母の生活は一変した。
 穏やかな森だが二匹にとっていつどこで襲われるかわからない生活になった。それからドラマティックな展開など何もない。母は多分死んだ。どう死んだかファイは知らない。ただいつまで待っても住処に帰って来ない母に死んだのだなとファイは思った。恨んだり、憎んだり、そんなものはなくてただひとりは悲しいなと思った。それからファイは一匹で生きている。
 母がよく言っていた大きく強く逞しい子にとの言葉を胸に。

「ぷぎ」
 よし、逃げよう!ファイはトットコと匂いとは逆方向に走る。ファイは大きく強く逞しい子にならねばならないのだ!ここで死ぬわけにはいかないと本能が叫ぶ。
「ぷぎ、ぷぎ、ぷぎ」
 とりあえずこの森から抜け出さねばならない。多少は強くなったファイとは言えどこの森をひとりでは生きていけない。エルとクレスがいたからこそ平和に旅ができた。そう思えば槇尾はよくクレスがいたとは言えこの森に暮らせたな~とファイは感心する。槇尾はフジと同じ人間の癖に強かった。頭も良くて肉の解体も上手くて羨ましい。ファイは槇尾に尋ねたことがあったのを思い出した。
『強くなるにはどうするか?そうだなぁ…自分で決めたことを最後までやり通すこと、ぜってぇに諦めねぇことだな!強さってのは力だけじゃねーのさファイ』
 ピタリとファイの脚が止まる。
 力だけじゃない強さってなんだろう。
 クレスにも同じように聞いたことがある。
『強くなりたい~?ん~、ファイはスピードと長い尾があるから俺と同じ遠距離タイプなンだよねぇ。距離取って攻撃が最大の武器になるンじゃなぁい?』
 ふむふむこれは分かりやすい。
 エルにも聞いた。
『好機を逃さないことだな。お前のように弱い生き物なら特に』
 ムカついたがその通りだと思った。
 フジには…聞いてないけど…けど、いつもファイを褒めてくれた。
『ひとりで大きなヤモリを倒せたなんてすごいな。お前はこれからもっと大きくなって強い子になるんだろうね。俺はそれが楽しみだよ、ファイ』
 フジは優しかった。
『大丈夫だよこれで治すだけだから』
 怪我したファイを助けようとしてくれていたフジを攻撃したにも関わらず救ってくれた。
『俺は…やっぱりエルを奪われたままじゃ嫌だ。エルを取り戻したい』
 フジは弱いのに諦めなかった。エルがいなくなって、クレスに裏切られて、ファイとふたりだったのに逃げなかった。
 そうか、これが槇尾の言ってた強さか。
 フジは弱いけど心が強い。
「ぷぎ…」
 戻ろう。
「ぷぎ!ぷぎ!ぷぎ!」
 強くなる為に。

――――
 
「ぁ…ッ、が……!」
 飲み込めず涎が垂れ見開いた目が充血していく。苦しみから暴れる体力も既になく意識が薄れ始める中クレスの泣き叫ぶ声だけが遠くから聞こえた。
「マキオ!!!やめろエル!!!」
 芋虫のように蠢いてどうにか進もうと足掻くクレスだったがそれじゃ間に合わない。趾にまで巻き付いた糸が邪魔で立つことすら出来ない。このまま情け無く伏せたままマキオを見殺しにしてもいいのかと唇を噛み締めた。
「エル…エル…!」
 どうすればいい。槇尾を殺されたくない、エルにも人を殺して欲しくない、クレスから槇尾を奪いたくない。どうすればいい。今のフジに何が出来る。
 こんなに叫んでもエルに届かないのに…!
 目の前の光景を直視出来ず俯くフジの耳に聞き覚えのある足音が聞こえた。
 ハッと顔を上げ辺りを見渡す。
 そうだ、まだあいつがいる。
 だけどこの状況でエルの不意を突いて近付くことは不可能に近い。
 考えろ。
 今のフジに出来ることを。エルがフジを本当に好きかどうかなんてこの際は置いておこう。だってあんなにも求めてくれたのだから好意はあるはず。
 腰元のそれに触れてフジは思い付く。
 怖い。
「っ、はぁ…はぁ…」
 だけどこのままだと槇尾が死ぬ。
 エルも助からない。
「はぁ、はぁ、はぁ…」
 怖い。
 だけど。
 覚悟を決めろ。
「は、は、は、はっ…う"っ、ぁ…!!!」
 ザクリと自分の肉を鋭い刃で突き立てる感触は忘れないだろう。痛みはなく、筋肉に突き立てられた違和感に体中から血の気が引いた。じわじわと次第に痛みが増え激痛が走る。痛い。ダラダラと足を伝い落ちる血液を見ないように真っ直ぐ前を見た。
「はぁ、っ、ぁ…え、る…」
 どれだけ叫んでも振り返らなかった背中がこちらを見ている。表情はわからないが驚いているようで槇尾の首から手を離していた。
 よかった、見てくれて。
 エル、エル…
「は、っ、はぁ…ファイ…!!!」
「ぷぎ!」
 フジが叫ぶより早いか茂みから小さな子豚が飛び出して長い尾でエルの背中に張り付いた三匹の幼虫を突き刺し引き剥がした。ぶちゅりと裂けた音も共に紫の体液が流れピクピクと痙攣しやがて動かなくなる。
 視界が霞む。
 フジは意識を落とした。
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