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㉒
しおりを挟む『父さん!これ持って行って!』
『お前これ…肌身離さず持ってた母さんからの』
『これのお陰で俺はきっとここまで生きてこれたんだよ。だから父さんに預ける。大切な物だから絶対に持って帰って来てよ』
『…ああ。ありがとうソウくん』
『ねえソウくんは止めない?もう俺25だよ』
『いくつになってもソウくんは父さんのかわいいソウくんなのさ。じゃ、行ってくる』
大きく手を振って笑う父を当たり前の光景だと思っていた。帰って来たらまた笑って手を振ってくれているのだと、そう信じて疑わなかった。
懐かしい歌に目を開けると大きな影がフジを覆った。鼻に入る爽やかな匂いと温かく柔らかな羽の感触がする。
「あ、起きたぁ?」
「……クレス」
クレスに膝枕の状態で寝かされていたフジはゆっくり体を起こす。寝起きのまだ覚醒していない頭で「歌が…」と零せばクレスは笑った。
「マキオが初めて教えてくれた歌なンだぁ~歌詞覚えてンのこれしか知らねーってさ!なんの歌これぇ?」
「国歌ですね」
「コッカ?」
国民であればほぼ全員が知っている歌だ。今はもう歌う機会も聴く場面もなかなか無いがそれしかまともに知らないのはどこか槇尾らしくてフジは少し笑ったところでハッとする。周りがとても静かだ。
「…そうだ!エルは…!」
「わわ、急に立ったら危ないよ!怪我は治したンだけど血を流したのは変わらないンだからぁ」
その言葉に思い出して太腿を見れば治療してくれたらしく綺麗に傷が塞がっていた。辺りを見渡しても誰もいない。
(他の皆んなはどこに…?)
クレスは立ち上がるとクルリと背を向けフジを振り返った。
「フジは起きるまでここで休んでてもらお~ってエルがね。さ、乗って乗ってぇ」
初めての空中散歩だ。
地面に降り立つ振動を感じフジはやっと息を吐いた。
生まれて初めて飛んだ大空はどこまでも雄大で人間では決して味わうことの出来ない体験だったが、なにぶんクレスのスピードや動きが恐ろしくずっと息を止めていた。ジェットコースターにすら乗ったことないフジには衝撃が強すぎた。
見覚えのある一際背の高い大樹と幹の蜂の巣。
人型の蜂の所にやって来たようだ。
エルと槇尾、それにファイは木の幹で何かを取り囲むようにして立っている。三人はフジたちに気付いたのか振り返り、その中から弾けるように小さな豚が飛び出した。
「ぷぎぃ~~!」
「ファイ!よくやったなお前!」
胸に飛び込んで来たファイを受け止め思い切り頭を撫でてやる。ファイは興奮したようフジの体によじ登り背中と肩と頭に足を乗せぷごぷごと誇らしげに鳴いた。
おれがいちばんだ!
乗られたフジは重みで腰を折り曲げ苦笑いをした。少し前のファイなら背中に乗られても平気だったが、今のファイは10キロほどはあるだろうか。背中に乗ってぴょんぴょんと跳ねられると流石に痛い。
「ぷぎ!ぷぎ!ぷぎ!ぷ、ぎゃ!!」
「フジ」
突然重みが消えその声にパッと体を起こす。
エルだ。大きな手でファイの顔面を鷲掴んでいるがフジはそれを気にするどころではなかった。
「エル…!」
涙が溢れそうなほど瞳いっぱいに溜まっていくのがわかった。エルはべちゃりとファイを捨て飛び込んで来たフジを強く抱き締めた。
「エル…!エル!」
「フジ…すまなかった」
「謝らないで下さい…良かった、戻って来てくれて…」
「ああ…ありがとうフジ。貴方を信じていた」
感動の再会の下で一番活躍したのにとメソメソと泣く子豚だったが、優しく持ち上げられフジにまたギュッと抱き締められた。
「ファイ、お前のお陰だよ」
「ぷぎぃ~!」
うりうりと鼻を顔に寄せるファイに笑っていたフジだったが耳に入ってきた怒声にビクリと肩を揺らす。エルの背後を覗き見ると槇尾がなにやら騒いでいた。
「やいやいやいやいテメェよくも俺様を餌にしやがって!ああ!?」
「い~~~や~~~!揺らさないでよぉ!バカ!」
「あー!?」
枝から垂れた糸に蓑虫状態で吊るされた蜂をゆさゆさと揺すが、バカバカ!と罵倒され槇尾は余計にヒートアップしたらしい。ガシリと蜂の体を掴むと右に大きく引っ張り勢い良くその手を離した。
「きゃ~~~~~!!!」
右から左へ大きく振れた蜂を槇尾の反対側で待ち構えていたクレスが趾でグッと押し返し、振り子のようにブンブンと揺さぶられ蜂は甲高い悲鳴を上げる。悪餓鬼のようにギャハハハと笑う槇尾とクレスに遊んでいると勘違いしたファイはフジの腕の中から飛び降り、ぷぎぃ!ぷぎぃ!と左右に大きく揺れ動く蜂をタッタカタッタカと追いかけて遊び出した。
蜂…
「エル、私あの蜂に聞きたいことがあって」
そう言うとエルは頷く。
「針先まで糸を巻いているが念のためそばから離れるな」
フジの手を握り振り子にされている蜂の元へ行くとエルはフジを守るよう前に立ち「おい」と声かけた。
「ダーリン!こいつら止めてぇ~~!」
「黙れ」
「きゃあっ!」
クイと枝から伸びた糸を上に引き、垂れる長さを短くすると強制的に振り子を止めた。遊び足りなさそうにファイはぷぎゅ~んと鳴くが槇尾はもう十分らしくその様子を見守っている。
「あの!聞きたいことが…十年前あなたとエルの間に何があったんでしょうか」
「はー?なんでそんなことアンタに答えなきゃならないわけぇ?」
「そこから下に叩き付けられたくなければ答えろ」
五メートルはあるであろう高さにぶら下げられた蜂は糸に簀巻きにされ今は羽も使えない。そののまま地面に落とされたらひとたまりもないだろう。
「も~怖いこと言うわねぇ!別に大した話じゃないわよ。十年前に貴方を見つけてパパになって貰おうと思って追いかけてただけ!」
自分の記憶にない大陸にいた頃の話にやはりエルも少しは興味があるらしく続きを催促するようにグンと糸を下げた。
「きゃっ!」
「それからどうした。諦めたのか」
「だって貴方強くてなかなか捕まらないんだもの。だから…そう、確かその時に初めて人間を見たのよね」
まさか。
「ひとりは槇尾と同じ服を着てたわ。軍人さんって言うの?とっても強そうで素敵だったからパパになって貰おうと針を刺そうとしたんだけどもう一人が飛び出して来たから間違って刺しちゃったのよ。仕方ないからそいつをパパにしようとしたら貴方が邪魔して来て…ホントに覚えてないの?」
蜂は不思議そうにエルを見たが彼は何も答えなかった。話を聞いても思い出せないらしい。
恐らくその二人は第一探索隊の天馬カズキとフジの父だろう。やはり父達はここまで来ていたのだ。
「何が気に入ったのか貴方その人間を追いかけてこの森を出て行っちゃったからまあ…それ以降は諦めたのよ」
ドクンと心臓が鳴る。
フジの予想は当たっていたのかもしれない。十年前エルはここで父と出会い、蜂から父を救い、父を追いかけて最後には海まで渡ったのだ。
(やっぱり…エルは父さんを…)
ドクドクと脈打つ鼓動が五月蝿い。
エルもその二人が天馬とフジの父だと気付いたのだろう淡々と話を続けた。
「その針から注入するのは卵だけじゃないな」
「ええそうよ、対象を弱らせてから卵を植え付けてるわ。抵抗されたら面倒だもの」
「効果は」
「個体によって違うのよ。主に妄想状態、記憶混濁、高揚感、陶酔感…精神的にも身体的にも依存性が高くて従順になりやすいの…だから大体私の命令に従うんだけど貴方には効きづらかったわね、残念」
「それは…」
「薬物みてぇなもんだな」
フジの呟きに槇尾が苦い顔で言う。
今の時代にも存在し安価かつ粗悪な品が庶民に広く流通している。貧困による飢餓と過度な肉体労働からのストレス、愛する人を亡くした悲しみと世界への絶望から乱用する者が後を立たない。
その症状を聞く限り刺されたのは父だ。
フジの動揺に気付いたエルはフジを落ち着かせようと背中を摩った。
「刺された者の治療法は?」
「幼虫を取れば意識は戻るわよ。貴方達もそうだったでしょ」
「卵を植える前に刺された状態の人間はどうすればいい」
「ええ…?そんなの知らない…きゃぁ!わかった!わかったから落とさないで!…そうねぇ…」
蜂は少し考えて「蜜を与えてみたらどうかしたら?」と目線を上げた。遠くからではその大きさはわからないがおおよそ十メートルはあるであろう巨大な蜂の巣。
「あれには治癒効果もあるし子ども達が取ってきたものだから。体内で循環する麻薬成分を幼虫の体液で中和して貴方達は正気に戻るのよ。だから…まあ絶対とは言えないけど可能性はあるかしら」
「貰って行くぞ」
「いいわよ。子ども達もみんな巣立ってあの中には今は誰もいないし」
フジは頭の片隅にずっとあった父のことを解決出来そうな兆しに期待せずにはいられなかった。長年微睡の中を彷徨い続けた父をようやく解放出来るかもしれない。
「またしばらくひとりね…」
どこか寂しそうにため息を吐く蜂が狂う前の父の姿と重なった。祖父母を亡くし、母を亡くしフジと二人きりになってしまった父は何年経っても寂しそうだった。勿論フジも同じだったが、幼い頃から死が直ぐ隣にあったフジと父とでは家族を亡くすことへのダメージが少し違ったような気がする。
「んで~?コイツどうすんのぉ?」
クレスの問いにピリつく雰囲気の中フジは意を決して「あの!」と声をかけゴクリと唾を飲む。
「それなんですが、エルも槇尾さんも無事に帰って来たことですしこのまま解放ではダメでしょうか…?」
その言葉にクレスは飛び上がりフジの胸倉を掴む勢いで詰め寄った。
「はぁ~~~~!?なに言ってんのフジ!コ、イ、ツに!何されたか忘れたわけぇ!?」
「そうなんですけど…」
「優しいのも大概にしないと痛い目見るよ!」
「いえ…優しさではなく…その…この大陸の生態系を私たちの都合でなるべく変えたくないんです…」
フジの言葉にクレスは頭を捻る。
「どゆことぉ?」
「私たちの大陸はそんな人間のエゴで結果的に滅んでいったので…ここをそんな風にしたくないなって…おもって…」
この未知の大陸は人の手が入っていないあるがままの自然が残されている。大陸中のありとあらゆる生物が地球が生まれてから何億年、何十億年もの時をかけて複雑な生態系を築いてきたはず。変化する虫も、苗床にするキノコも、体液を栄養とする湖も、そしてこの蜂もその中で本能に従い生きようとしているだけなのだ。
子孫繁栄、生存本能は当たり前のこと。
外部からやってきた人間は謂わば外来生物だ。
旅の途中ずっとフジの心の隅に引っかかっていたことだった。
「そうは言ってもさァ…!」
「特にこの蜂やクレスみたいに知能の高い生き物が死ねばこの辺りの生態系を大きく崩しかねないんじゃないかと…」
これまでの旅の中でもクレスや蜂のように人の言葉を覚え操る程の賢い生物はいなかった。大陸中を探せば彼らのような存在はまだまだいるのかも知れないが、少なくとも第五区画のバランスを崩してはクレスにも恐らくこれからもここで暮らすだろう槇尾にもどんな影響があるかわからない。大袈裟かも知れないがそんな大袈裟を無視していった結果が今の世界だ。
「…でも!…ウーン…槇尾はどう思う?」
クレスに話を振られた槇尾は少し黙ってからはぁぁと深くため息を吐いた。
「まあ…一理あるな」
「ええ!本気!?エルは!」
「…私情を挟めばすぐにでもこいつを殺したい」
「だよね!?」
「だが、フジの言うことは正しい」
「えええ!あんたフジの言ってることだからイエスマンになってないよねぇ!?」
エルは首を振る。
「それは違う。成長した蜂たちは蜜を運ぶ過程で花々を受粉させる。クレス、貴方が好きな果物も美しいと思う花もこいつらがいてこそだ。作物が育たなければそれを食う草食の生き物も餌場を変え森からいなくなる。母であるこいつが死ねば数年は変わらないだろうが…この森自体がいずれ消えるかもしれない。力のある生き物はそれだけ周囲に与える影響力も大きい」
「…でも、そんな…」
エルの言葉に狼狽えた様子のクレスの肩を槇尾が叩いた。
「ま、そう言うことだな」
「マキオ…いいのォ?」
槇尾が過ごした数年は記憶が無かったとは言え悲惨なものだった。食事も取らず睡眠もろくにしない。そう命令されていたのか自身がそうしていたのかクレスにも槇尾にもわからないが今にも死にそうな憔悴し切った様子の槇尾をずっとクレスは見て来たのだ。悲しみと、怒り、槇尾をあんな目に遭わせた蜂をいつか絶対に殺してやると覚悟を決めていたのに。
頭をポンと優しく撫でられ困ったように笑う槇尾に納得いかないながらもクレスは渋々頷いた。
当人の槇尾がそう言うのならクレスは何も言えなかった。
「だがよ、このままこいつ野放しにしてまた狙われるのはごめんだぜ俺は」
槇尾が蜂を睨み付けながら吐き捨てるとエルが動く。
「卵を産む器官は針先だけか」
「…?いいえ他にあるわ。寄生させるために卵をそちらから針に移動させてるだけだよ」
「そうか」
枝にキッチリ締められていた糸を緩め蜂は地面に落とされ尻餅をついた。
「あん!なにするのよ~!ちゃんと質問に答えたじゃない!」
キャンキャン吠える蜂を無視しエルは糸巻きにされている針を指差し尋ねる。
「ここに痛覚はあるか」
「痛覚?触られてる感覚はあるけど痛みは鈍いかしら…なんでそんな」
蜂の答えを最後まで聞かず隆起した太い木の根の上に蜂針を置くとエルは片足を上げ踏み込んだ。
バキッと固いものが折れた鈍い音がする。
「!?!?ッ、た~~~~い!!!なにするのよ!!」
「これで針は刺さらない」
振り返り「文句はないな」と槇尾に尋ねる。
「お、おう…」
頷く槇尾にひしりとクレスとファイが抱き付いていた。
「こわ…」
「ぷぎ…」
やはりエルはエルだ。
「フジ、貴方の意見は素晴らしい。こんな目に遭って言える事ではない」
「いえ…そんなことは…」
クレスの長年の憤りを昇華させずに憎い相手を見逃せと言っているのだ。槇尾にだって思う事もあるだろう。エルも支配された張本人だ。被害を受けていないフジだからこそこんなことを言えたのだろうと自虐するがそれでも意見を曲げるつもりはなかった。
幸いクレスも槇尾もエルの狂行に溜飲が下がったらしく蜂に巻き付いていた糸を剥ぎ取り「二度と俺らの現れるなよ!」と尻を蹴り飛ばし逃していた。
「きゃっ!も~~~乱暴な奴ばっかり!頼まれなくても現れないわよバーーカ!」
飛び去って行く蜂を見てフジは息を吐いた。
兎にも角にも父が助かる手掛かりが掴めたのは大きい。長かった十年間を思い出す。仕事と介護、食事も睡眠もまともに取れず病院に入れてからもあまりの異常行動に何度も転院させられた。幸運なことに今の病院では長くお世話になっている上にフジの身に何かあっても大陸渡航の前金だけで父の面倒を最期まで見てくれると言ってくれていた。
(やっと父を…)
帰国してからのことを考えフジは血の気が引いた。
「エ、エル…!大変です!帰りの道のりを考えると上陸してから半年が過ぎてしまいます…!!」
震える手で訴えるフジにエルは至って冷静だった。
「それは…」
「帰りならクレスが送ってやれよ」
槇尾が事もなさげに言えばクレスは目を見開く。
「ええ!?二人も!?無理無理無理!」
「迷惑かけたんだそれくらいいいだろ」
その言葉に何も言い返せず鳥は唸り声を上げ承諾した。
いつだって別れは突然だ。
エルに渡された小瓶に注ぎ入れられた蜂蜜は綺麗な琥珀色の中に金平糖のような形の動く固形物が混ざった不思議な液体だった。初めての蜂蜜にはしゃぐファイはすでに浴びるほど蜜を食べていた。
クレスの飛行で凡そ二日ほどで港まで帰れるらしい。それならばエルのタイムリミットまでには間に合うだろうとフジは安堵する。
「じゃあ元気でな」
クレスの趾に糸を巻きそれにエルとフジが掴まり帰る方法に決まった。勿論フジに糸を掴み続ける握力も体力も無いのでエルに抱っこされる形になるが。
手を挙げる槇尾にフジは寂しくなった。短い時間ではあったが槇尾は気さくで誰もが好きになる人柄だった。大陸生活の話をもっと聞いてみたかったが、残念ながら時間がない。それはまた会いに来た時にでも聞いてみようか。
「ええ、また。…槇尾さん、蜂を見逃してもらってありがとうございました」
「あー…その事についてはもうアレコレなしだ。お前の意見は正しいと思うぜ、俺は。それに虫とは言え女の顔が付いた生き物を殺すのも抵抗があったしな」
がははと笑う槇尾にフジは眉を下げた。
それが本音かどうかは分からないがフジを気遣う槇尾の優しさが心に沁みた。
「…それと、あの件よろしくお願いします」
「おー任せとけ」
「すみません大変なお願いをしてしまって」
「いいって。それに世界を捨てて呑気にここで生きてた俺が人類を救う手伝いが出来るなんてむしろありがてぇよ」
槇尾は一度世界を諦めていた。探索隊と逸れクレスに命を救われしばらくここで暮らしながら恐らく探索隊は全滅したんだろうと考えていた。人類にこの大陸の移住は不可能だ。生還さえ難しい。きっとこのまま世界と共に人類は滅びる。ならばヘラヘラと笑ってる癖に寂しがり屋なこの鳥と最期まで過ごしたいと思ったのだ。
「ファイ…大きくなれよ」
フリフリと尾を振るファイの柔らかな頭を撫でこの感触も最後かと思うと名残惜しい。
「ぷぎ!」
「最後までありがとう。お前がいてくれて本当に良かった」
「ぷぎゅ~ん…」
「また会いに来るから」
「ぷぎぃ!」
「フジ、行こう」
「はい!」
エルに呼ばれ向かおうとして槇尾に止められた。
「ひとつだけ俺からも頼めねぇか」
「勿論です」
「弟がいるんだ。槇尾ヒロノブ…まあ多分研究者か学者か大陸調査の仕事に就いてると思うんだわ。もし会えたら俺は元気にやってるって伝えてくれ」
「わかりました。必ず伝えます」
頷くフジに槇尾は小さく笑った。
風塵からフジを守るように抱き地上から離れグッと上昇したクレスにつられ引っ張り上げられていく糸をしっかりと握り浮遊する。片腕で抱かれるのはやはり怖いらしい。フジは落ちないようにエルの首に腕を回しギュッと抱き締めた。片腕でフジを抱き続けることに支障は無くさらに近距離でフジとい続けられ理由が出来たエルは態度にこそ出さないが機嫌が良かった。
「ファイー!槇尾さーん!お元気でー!」
手を振る槇尾とぴょこぴょこ跳ねるファイがどんどんと小さくなって行く。見えなくなるまでフジはジッと眺めていた。
時刻はもう夕方に近い。大陸の先、海の向こうから淡いオレンジが空に滲んでいた。もう少しすれば日は西の地平に傾き宵空が訪れるだろう。流石に夜間の飛行は控えようと辺りが真っ暗になったところで地上に降り立ち野宿した。三人で火を囲み食事をするのは初めてだったがもう何年もこうして旅をしているような気さえする居心地の良さだった。朝日が昇る前に出発し、白紫色に染まっていく空と広大な森が朝の最初の光で輝く光景を上空から眺めた。それから小休憩を挟みながらも飛び続け到着した頃にはすっかり日も暮れていた。
「私連絡入れて来ます…!」
フジは降り立つとよろける体を何とか立たせ急いで連絡を入れに走った。飛んでいる間ずっと今にもエルに毒が刺されるのではないか、こんなギリギリまで連絡しなくて大丈夫かと気が気でなかったのだ。
バタバタと走り去るフジを見届けながらクレスは静かに言う。
「あんたには感謝してるンだよ」
「何がだ」
「俺の企み気付いてて放置してくれてたデショ」
「…私がいればフジに危険が及ぶことはないと慢心していただけだ。お前の為じゃない」
「ウン…」
エルの本音がどうかはクレスには分からない。人の心は思ったよりも複雑で自分の予想と大幅に外れていることの方が多いのは槇尾と暮らしてよくわかった。
この大陸の生き物はもっと単純だ。弱ければ搾取され殺され、子孫を残す為に交尾をし、愛だ恋だなんて語るのは力のある生き物だけだ。クレスも槇尾と出会う前はもっとシンプルに生きていたのに随分と面倒な考えをするようになったと我ながらゲンナリする。だがそれが人間の面倒臭いところで愛おしいところなのだろう。
「…だから俺もさぁ、見逃すよ」
向き合うクレスにエルは何も言わない。
「でも一日だけだよ。明日また来た時にフジが泣いてたら…殺す気で止めるからねェ」
「それは助かる」
見向きもせず去って行くエルの背中を眺めた。
「フジ…」
エルの心などクレスには予想も付かない。
だが醜くドス黒く重い愛を抱えたとても面倒で哀れな男の心情ならクレスにもよく分かるのだ。
フジ、フジ…呆れるほど優しい彼があの男の愛をどう受け止めるのだろうか。
願わくばどうかふたりが明日も笑っていますように。
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