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番外編⑦
しおりを挟む何処かから悲鳴が聞こえた気がした。
「ん…いま何か…」
重たい瞼を開き霞がかった頭でここは何処だと考えながらも規則的な揺れと酒に酔いポカポカと温かくなった体にまた睡魔が訪れる。
「起きたのか」
「すみません…寝てましたね」
エルの声に意識を浮遊させ今度はパチリと目を開けると食べながら寝落ちしていたらしい。手に持っていた残りの天ぷらはすっかり冷え紙は油を吸ってベタついていた。まるで赤子のような自分に照れながら横抱きで運んでくれているエルを見上げ誤魔化すように笑う。
「初めて酒を飲んだんだ仕方ない。アイツらの前では意識はしっかりしていたように見えたが」
「エルが帰って来たら気が緩んで…そしたらなんか一気に酔いが回ったみたいです」
「そうか」
また照れてる。フジから少しでも好意を感じると未だに照れるこの初心な恋人が可愛くて仕方ない。槇尾もきっとクレスが可愛くて仕方ないのだろう。槇尾とエルがいなくなり二人で話した時のクレスのしどろもどろながらも槇尾への想いを話す彼は確かに可愛かった。
「二人…うまくいくといいですね」
「そうだな」
カサリと小さな蜘蛛がやって来て冷えた天ぷらが回収されて行く。きっと彼等の食事になるのだろうが食べかけでごめんねと心で謝っておいた。
「槇尾さんずっと準備してたのかなぁ…」
手が空きまたうとうとと揺蕩いながら口にした言葉にエルの足が止まった。んん?と寝ぼけながらも見上げるもまた規則的な歩みが再開される。
「気付いていたのか」
「クレスと…話をしている時にそういえば果物とお酒しか口にしてないなって思い出して…最初はお酒でお腹いっぱいなのかなって思ってたんですけどあの人よく食べるしなにか理由があるのかと」
「…貴方は…」
「鋭くなりました?」
話しているうちに眠気もどこかへ消えていき自慢げに見遣れば上から小さく笑い声が漏れた。
「いや貴方は元々他者に対しては鋭い。ただ自分に向けられる矢印に鈍いだけだ」
「ええ?そんなこと…あります?」
確かにエルからの好意には気付かなかったがあれは彼が分かりにくかっただけだとフジは抗議する。フルフェイスの感情を読み解く方が難解だろうと思うが今は顔が見えなくても彼が何を考えているのか何となく分かり始めたので心を通わせることは大切なのだと実感した。
「ある」
「例えば」
「今どれだけの人間に好意を向けられているか知っているか?」
「…恋愛的な意味で?」
「ああ」
「ふふん、みくびらないで下さい!私だって学んでるんですからね」
昔に比べて人との交流が劇的に増えたのだ。国際機関の代表などと身分不相応な立場にある為に最初の一年は人の顔と役職を覚え、相手が何を求めているか察するに必死だったがそのお陰である程度心の機微を読めるようになった。それは自分に向けられる感情も含まれる。むしろ嫌でも目立つ立場にあるのでそちらの方が鋭くなったとさえ思う。
「まず貴方」
「その通りだ」
確固たる自信を持って言えば当然とばかりに返され少し心がくすぐったい。
「それと総務課の堤さん、研究業務課の中戸さんとあと警備の海堂さん!」
この三人には依然想いを告げられたことがある。勿論エルがいるのでお断りしたが皆理解してくれたし応援すると笑ってくれた良き仕事仲間だ。
「ああ」
告白されたと恋人に告げるのはどうなのかと悩んだ事もあったが隠される方が悲しいと身を持って学んだフジはきちんとエルに報告済みだ。三人のことも把握しているエルは特に反応もなく淡々と頷いた。
さてこの成長どうだ!とまた顔を見上げれば「それと?」続きを促されフジは首を傾げた。
「ん?」
「…」
「…」
「…あとはですね…えーっと」
「思い付かないんだな」
図星だった。
(他?他に誰が…?)
身に覚えがなくエルの勘違いではないかとさえ思うが彼に限ってそれは無いだろう。機関施設内には常に小蜘蛛が巡回中だ。
「貴方は自分が思うより魅力的だ。その善良な性格も大きいが今この世界における重要ポストである点を加えるとよりそれが増す。権力と金は人を狂わす」
「それを言うならばエルも同じじゃ無いですか」
いやむしろ彼の方が世界にとって貴重だろう。
なんせエルがいなければ人類は滅ぶのだ賢い人間ならばエルに取り込みたいと思うのも仕方ないことかもしれない。あと普通にかっこいい。
「そうだ。だがそれは私の正体を知らない者からの好意だ。私の中を知れば畏怖に変わるだろう」
「またそんなことを…そんな人ばかりじゃ無いと思いますが…」
と口で言いながらも最近はそれで良いとさえ思っているのだから自分は性格が悪い。エルはフジが自分に向けられる矢印云々と話しているが無自覚なのはむしろエルの方なのでは無いだろうかと思う。
人の心は口に出したものご全てじゃない。
その裏に隠された真意を読み解かなくてはならないのが人間の複雑で面倒なところだ。
エルへの支持は絶大で人類を救った英雄として世界中の様々な非営利団体・宗教団体・反国際組織がエルを狙っている。世界の方針が『新大陸移住』ではなくあくまで『復興』であることに意を唱え、エルをトップに祭り上げようと企む集団だ。エル自身も復興を望むことを明言しているのに彼等にはそんなこと関係ないのだろう。あの手この手でアプローチを掛けてくるのだからあちらの世界にいるよりも新大陸にいた方がむしろ落ち着くくらいだ。
いわゆるモテとは違うのだろうがここまで熱く求められていれば求愛とそう変わらないだろうとフジは全く持って面白くない。
エルはフジのものなのに。
「モテる恋人を持つと大変ですね」
遠く離れたどこにあるかも分からない新大陸で二人きり。こんなにも近い距離にいるのに見知らぬ不特定多数から数多の執着を寄せられているのだと思うとゾッとする。フジはただエルと生きたいからこの道を選んだのに彼を取られらしまえば元も子もないではないか。
「エルが私を監禁したくなる気持ち分かってきました」
「喜んでされよう」
「コテージに閉じ込めて?」
「ああ。永遠に二人きりだ」
冗談とも本気とも取れる魅力的な誘いにフジはクスクスと笑う。
エルとこれからも生きる道を切り開くために彼の牢屋から抜け出したあの選択は後悔していないし勿論今もあれで良かったと思っている。ただあのまま彼に囲われる生活を選んだらどうなっていたのかなとつい考えてしまう時も正直あるのだ。
自分がこんなにも嫉妬深い人間だとは思わなかった。エルの魅力に世界が気付いてしまったことが妬ましい。彼のことを認めて欲しいし彼はもっと愛されるべきだと頭では理解しているのに暗く重い心がそれを拒むのだ。
陰る心に耐え切れずぼそりと言葉を溢した。
「…私、お腹いっぱい食べちゃいました…」
「貴方は少し痩せ過ぎだから肉をつけた方がいい。ああ待てフジ今の貴方が物足りないと言うわけではなく健康面に対しての話だ」
突然の話題転換を不思議に思いながらもフジの言葉に食糧難の為に仕方ないと理解しているが少しでも健康でいて貰いたいとエルは頷く。しかしその反応はどうやら違ったようで少し頬を膨らますフジにエルは思わず歩を止めた。
「フジ?」
「お腹いっぱいだから!」
「…?良いことだ」
「肉も魚もたくさん食べましたし!」
「ああ見ていた」
「いいんですか!」
「…??貴方が美味しそうに食べる姿は見ていて飽きないので私は嬉しいが」
困惑しながらも本音を言えばフジはすっかり小さくなってしまった。何か間違えたのだろうかと不安がるエルにフジは何も言わなかった。言わないのではなく言えないのだがそんな自分も嫌になる。直接言えばいいのにこんな遠回しの言葉じゃ伝わるはずがない。
それでも察してほしいなど子どもみたいな我が儘が心を占める。同じ気持ちであって欲しかったと面倒臭く拗ねてしまう。ああ自分が本当に嫌になるな。
「フジ」
心を読まれたのかとドキリと胸を衝いた。
「見てもらいたいものがある」
そんなフジの憂いを知ってか知らずかエルの視線の先を追えば鬱蒼とした森から一変そこだけ切り取られたように広がった空間を輪郭がおぼつかない柔らかく潤った月が照らしている。
穏やかな月明かりの下で心地良い春の宵の風と共にぶわりと紙吹雪のような薄紫の小さな花弁が舞って思わず目を瞑りそれからゆっくりと開いた。
「これは…」
細技や竹で格子状に編まれた棚から滝のように降り注ぐ淡い紫色の美に圧倒され言葉を失う。
綺麗に整えられた藤棚がそこに静かに佇んでいた。
「野生の藤を見付けたので折角ならと作ってみたんだが」
不安と期待に満ちた雰囲気でこちらを伺うエルにフジは何も言えなかった。幾重にも並んだまるで三つ編みみたいな花房がカーテンのように垂れ下がり幻想的に揺蕩うそれらから目が離せない。
本物はこんなに美しいのか。
昔父に写真で見せてもらった時も綺麗だとは確かに思ったが鮮やかな色彩の花々に目を取られ静かに咲く藤はそのたくさんある草花の中のひとつに過ぎなかった。
もっと近くで眺めてみたくて食い入るように見つめているとそれに気付いたエルがゆっくりと降ろしてくれフジは小走りで藤棚まで向かい首を真上に逸らした。
「すごい…」
視界全てに広がる藤の幻想的な光景に息を呑む。
「藤は生命力に溢れている。野生のものは他の樹木に巻き付きその木の姿に合わせ自由に形を変えるんだ」
首が折れてしまわないかと不安になるほどジッと紫のシャワーを浴びる彼を藤棚の外から眺めながらエルは言う。
仕事の都合でひとりこの大陸を訪れる時があった。その時にたまたま見付けた藤は他の木々に絡み付き野生味に溢れながらも美しく他所を圧倒する生命力で紫の小さな花を咲かせていた。このように人の手が加えられ綺麗に整えられた様も見事だがそれと同時に野生に生きる藤もまた逞しく美しい。
「貴方のようだと」
最初は海すら渡れないだろうと彼を軽んじていた。
大きな荷を背にぐらつく足取りに数日もすれば根を上げ引き返すだろうと。その方がいい。もう人ならざる者だと嫌悪され逃げて行く背中を見たくない、もう人間が死にゆく様を見届けたくなかった。
あの時の自分は愚かだと嘲笑う。
フジは強い。体の強さではなく心が強い。
柔らかな笑顔と雰囲気、動作も優しく穏やかな彼だがその根底には確固たる意思がある。困難に打ち勝つ芯の強さ、全てを受け入れる器の広さ、他者の痛みを理解する心、全てがたおやかで美しい。
「フジ」
静かに涙を流すフジに気付いて駆け寄った。
「エル、どうしましょう」
月に照らされ淡く光る薄紫に包まれたフジがあまりにも儚くて思わず彼の手を握った。このままどこかへ消えてしまうんじゃないかと馬鹿みたいに焦ったのだ。どこにも行かない。どこにも行かせない。ギュッと手を握ればちゃんと握り返されたがそれでも焦燥は消えない。
「貴方に抱かれたくて仕方ありません」
彼の涙はきっとこの世で一番尊い。
ああ、そうか。
だから彼は言ったのか。
どうしようもなく心が痛いな。
「お腹いっぱい食べたから…難しいな」
ようやく先ほどのフジの訴えに気付いた間抜けな自分にエルは笑った。
お互いを求めている気持ちは揺るがないのに、隙間なんて無くなればいいとピッタリ体を重ね合わせていなければ消えない不安。苦しいほど愛おしくてこんなにも高まった気持ちをぶつけられないのは確かに悔しいな。
フジを優しく抱き締めた。
幸せがたくさん詰まった腹が苦しくないように。
なのにフジは足りないと強く強く抱き締め返す。
「フジ」
「いい、いいんです、お腹よりも胸の方が苦しい。貴方が好きだ、どうしようもなく。誰にも渡したくない」
「ああ」
世界にも藤の花にも彼を渡したくない。
何処かへ連れ去られないように。
内側から埋められないのなら外側から誰にも奪われないよう、強く強く抱き締めた。
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