測量士と人外護衛

胃頭

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番外編⑧

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 春眠暁を覚えず、とはよく言ったもので春の心地良さに誘われて布団から出るのが億劫だ。そんな感覚を味わうのはもう何十年ぶりじゃないだろうか。
 普段は野宿が基本なのだが藤棚の隣に作られた小屋で昨夜は眠りについた。頻繁に来ているのだから野宿ばかりだと体が辛いだろうとエルが建ててくれたらしいのだが室内で迎える春の朝は暖かくていつまでも起きれそうにない。
 さらに言えば実に一年振りの長期休暇だ。
 このままずっとゆらゆらと微睡の中を彷徨い続けられればいいのに、そんな気持ちで現実と夢の境を行き来していると確かに聞こえた呼吸音にフジの意識は一気に覚醒した。
「エル」
「ッ、起きていたのか」
「いまおきました…けど、ねぇ、また吸ったでしょ!」
 逃げられないよう素早く目の前にあった首に両腕を回せば至近距離に八つの赤目、動揺しているのか僅かに揺れる瞳をジロリと見詰めれば観念したのか唸り声を上げた。
「お風呂に入ってない日は恥ずかしいから嫌だって言った!」
「貴方の体臭は薄いから問題は無い」
「普通に臭いですよ!春とは言え昨日も汗かきましたし」
「だから良いんだが」
「い・や・で・す!」
 パッと腕を離し解放してやるが依然エルはベッドに寝そべるフジの上で腕立て伏せの状態のまま動かない。
 こうやってフジが寝ている隙に匂いを嗅ぎに来るのがこの恋人の困ったところだ。嗅がれるのは…まあ恥ずかしいが嫌ではない。元々エルはフジの匂いにつられてこの大陸から海を渡ったのだからそこまでの愛を見せ付けられてしまえばこの行為も愛おしいものだと思う。思うが、お風呂に入ってない日は勘弁して貰いたいと散々言い続けているにも関わらずこうやってコッソリと嗅いでいるのをフジは知っていた。
「…怒らせただろうか」
「怒っては…ないですけど…」
 シュンと子どもの様に落ち込んでしまう姿に思わず否定してしまう。いや確かに怒ってはいないのだがここで嫌だとはっきり伝えないからエルもまた悪びれずにフジを嗅ぎに来るのだろう。
 (そうだ、ちゃんと伝えよう)
 このままではイタチの追いかけっこだと意を決したフジだったが「駄目だろうか…?」と控えめな態度で伺ってくる恋人に両手を挙げて降参した。
「…………少しだけなら」
「フジ」
 解放された犬のようにむぎゅりと抱き付いて来たエルは待ってましたとばかりにフジの首筋に顔を埋めスンスンと鼻を鳴らす。鼻息の擽ったさに身を捩り小さく笑ってしまった。なんやかんや甘えさせてしまうのだから自分も本当に嫌ではないのだろう。
「ふっ…エル、くすぐったいです…!」
「貴方は首が弱いな」
「っ、ん、誰でも弱いのでは…?」
「さあ?貴方以外のことは知らない」
「あ!ぅ、ぁ…そこも、くすぐった…んっ」
「ああ、耳の裏も弱かったな」
「ひ…ッ!な…舐めました!?」
「舐めてない」
「う、そだぁ…ッ、ふっ…ぅ」
 耳元から聞こえる湿った音が明らかに嘘だと示しているのに俄然「舐めてない」と言い続けながらも愛撫してくるエルの声には享楽が含まれている。普段フジに嘘を付くことなど一切ない男だが、こういった戯れの時にはふざけたりするのがだがこれは明らかにフジの影響だった。性的な触れ合いの際に緊張でガチガチに固まりストレートな物言いしか出来なかった初期のエルを和ませてやろうと冗談めかしに遊んでいたフジのやり方を真似して覚えてしまったのだろう。
 耳裏をなぞるしっとりとした熱が耳たぶを甘噛みし耳輪を舐めゾクゾクと背筋が震えた。擽ったいような気持ち良いようなその相中にあるなんとも言えない刺激に小さく震え耐えるようにエルの腰に手を回すことしか出来ない。
「ぁ…エル…匂うだけだって…は、ぁ…」
「それだけで満足できると?」
「ああっ!な、か…だめ…ッ、あ、あ、うう~~ッ!」
 ぐちゅりと大きな音と共に耳の穴を舌で塞がれいよいよ声が耐えきれない。逃げ出そうと体を捩るも上に乗られているので抜け出せずそのまま左耳を犯され笑い声と嬌声が混じったような甘ったるい声が小屋に響く。
「ああっ、エル…!中はいやです!そ、と!外に出して!」
「…」
「う、うっ、中ぐちゃぐちゃにするの嫌です…っ!」
「フジ」
「はぁっ、はぁ…は、い…?」
「わざとか?」
「??」
「無自覚なのか…」
 何がだろうか。
 とりあえず耳から離れてくれたことにホッとしながらもエルは上から退く気はないらしく彼の両肘に囲まれたままフジは見上げた。困ったような、興奮したような…なんだその顔は。フジが悪いとでも言いたげな雰囲気だが全く身に覚えがない。
 眠気はとっくにすっ飛んでしまった。
「さ、起きましょう」
 胸元を押し腹筋で起き上がれば素直にエルもフジから退いたが複雑そうな顔でコチラを見ている。何故?不思議に思いながも床に降りようとしてぽすんとベッドに縫い付けられてしまう。
「エル?」
「貴方が悪い」
 フルフルと首を振り決して自分は悪くないと主張するエルの顔がグッと近付きフジの鼻に唇を落とした。
「軽く舐めるだけで我慢しようと思っていたのだがそうもいかなくなってしまったのでお付き合い願おう、フジ」
「…ちなみにどこへ?」
 ここまで来れば察しがついたらしいフジはダラダラと冷や汗を垂らし引き攣った笑みで問い掛ければペロリと汗すら舐められてしまう。
「さて、どこかな」
 不適な笑みを浮かべる口から真っ赤な舌が落ちてきた。

――――

 うららかな春の陽気に小さな命もすっかりと地中から顔を出し生命活動に勤しんでいる。6番の森に隣接する広大な草原では毛の生え代わりも終わりまたもふもふとした綿毛のような体毛を纏った羊たちが声を上げ彼方へ此方へと駆けている。それを追いかける小さなピンクの塊は一匹から三匹へと数を増やしぷごぷごと元気に走り回っていた。
 森と草原の境目に三人と一羽。
 フルフェイスの男は顔こそ出ていないが雰囲気のそれが目に見えてわかるほど満足気に華やいでいた。
「昨日はまあ色々助かったわ」
「こちらこそ食事とお酒を準備してもらってありがとうございました。とても美味しかったです」
「そりゃ良かった」
 人間二人は顔こそ笑っているがどこか疲れ切った様子が拭えずその隣の大きな鳥に至ってはげっそりとした顔で自慢の羽はボロ雑巾のようにヘタっていた。
 あの後、エルに全身という全身をくまなく舐められ息も出来ないほどの羞恥を味わったフジはその過程で二回ほど射精してしまい疲労困憊だった。立てるが歩く気力も無くここまでエルに文字通りおんぶに抱っこ状態でやって来たのだがその時この二人がタイミング良く現れたのだ。
 どうやら別れの挨拶に来てくれたらしいがどうにも様子がおかしい。きっと想いが通じ合い情熱的な夜を過ごした事だろうと予想していたのだがどうにもこうにもそんな感じには見えないが…また変なことを言ってしまうのも躊躇われとりあえず様子見のフジの隣、全く空気など読まない男が言い放つ。
「それで処女卒業は出来たのか槇尾」
「「う"ッ」」
 ビクリと大袈裟なほど肩を揺らす二人にも驚いたがエルの言葉にもフジは驚いた。歯に衣着せぬ物言いをする人だがフジ以外にあまり興味が無くこんな風に突っ込んだことを聞くとは思わなかったのだ。昨夜槙尾と何かあったのだろう。エルにしては珍しい。
「貴様らの面倒にまた巻き込まれてやったんだフジに感謝しろ」
「ええ!?私は何もしてませんよ!」
「だから助かったって…ちょっとまだ問題は多いがようやく先に進めたわ。ありがとなフジ」
「いえ、そんなっ」
 感謝される覚えがなくわたわたと手を振ればのちのちとクレスが近付いてフジをがばりと抱き締めた。
「フジ!オレの骨は拾ってねェ!!」
「はい?」
「ウッ、ウッ…オレはもうお嫁に行けない…」
「バカ!オメェは嫁に行かねーだろ!」
「ウ~~~!フジ~!」
 ぺしょぺしょと泣きながら槇尾に引き剥がされたクレスにフジは苦笑いを浮かべた。昨夜二人に何があったんだ。事情は分からないが本当に嫌ならクレスほどの力のある生物なら槇尾などとっくに吹き飛ばされてる。逃げ去りもせず大人しく従っているところを見るにまだ心の準備が出来ていないのか、槇尾が無茶したのか…いずれにせよ憶測の域を出ない上に友人の性事情にこれ以上突っ込むのも無粋だろう。
「それじゃあお世話になりました!また来ますね」
「ああまたな!」
「ウッ…またねェ…」
 手を振り別れるのはもう何度目か。しかしまた会えるのが分かっている別れは悲しくないなと思う。次会う時には二人はまた違う顔を見せてくれることだろう。
 春の風が強く吹いた。舞い上がる真っ白な体毛を捕まえようと飛び跳ねるファイとJr.にも手を振り草原を歩いて行く。
「さ、帰りましょう」
 エルに手を差し出せば握り返されそのまま抱えられた。
「疲れさせたお詫びに」
「もう歩けますよ」
「それでも抱いていたい」
 エルがこれくらいの重さなど全く問題ないことはすでに承知しているし確かに意識してみれば体もダルい気がしてきたので言葉に甘えてそのまま腕に体を預けた。小さく笑う声が聞こえてフジも笑う。もうすっかりお姫様だ。あれもこれも彼がしてくれるのだから。
「気になりますか宇月さんのこと」
 遠くを見つめるエルにそう尋ねれば「…そうだな」と素直に頷く。あちらで何があったのか分からない時折り何かを気にする素振りを見せるのだからエルは認めないが宇月のことを大切にしているのだろう。
「リョウがまた何か企んでるんですね」
「そのようだ」
「大丈夫ですよエル。アイツが何を考えてるのかは分かりませんが宇月さんのことちゃんと好きなのは間違い無いですから」
 恋バナと言うやつがどんなものかは分からないがお互いの話をしたことはある。その時の顔を見れば彼が真面目に恋愛しているのだと言うのは分かった。誠実な男だ、それは自信を持って言える。宇月に迷惑をかけるような真似はしない、とは断言出来ないが大切にしていることは確かだろう。
「リョウがどんな人間か昨日聞きましたよね」
「ああ」
「好機を逃さない男です。野生の獣みたいに獲物を狙って狙って確実に仕留める、みたいな」
「国のトップに立つ人間ならそれくらいが良いだろう」
「それとひとつ願いがあって、アイツは――……」
 ぶわりとまた風が吹く。
 髪を巻き上げ風の強さに目を細めるフジだったがその口元は笑っていた。
「そうか…」
 まだ小瓶の中にいた頃の記憶が蘇る。
「エル?」
「いや問題無い」
 春風が立つ、命の芽吹く匂いがした。
 
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