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4「昔からずるいんだ、俺」
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「実琴。そろそろお腹空かない?」
少し掠れた優しい声が、俺の耳に語り掛ける。……拓斗の声。どうやら、ソファで眠ってしまっていたらしい。
「もう昼?」
「寝たの朝だからね。まだ、寝ててもいいけど」
時刻はすでに正午を過ぎていた。
「寝起きすぎて、お腹空いてんのかどうかわかんない」
「じゃあとりあえず、顔洗う? シャワー浴びてもいいけど。実琴、汗かいてない?」
さすがに上着は脱いだけど、外出着のまま寝てしまったため、体はじんわり汗ばんでいた。
「浴びたいけど、またこれ着るのかぁ」
「洗ってあげるよ。乾燥機使えばすぐ乾くだろうし。その間、俺の服、貸すから」
「拓斗、洗濯するんだ……」
「一人暮らしだからね」
当然のことなのに、なんだか感動してしまう。
「こういう拓斗の変化は、気にならないんだよなぁ」
「どういうこと?」
「漫画とかゲームとか、いつの間にか好きじゃなくなってるのは寂しいけど、できることが増えるのはただの成長だからいい」
結局、拓斗は漫画もゲームも、好きなままだったし。
「あの頃に比べたら成長したよ。ご飯も作れるしね」
「出来過ぎても、それはそれでちょっと距離感じるけど……」
「大丈夫。俺は実琴と一緒だよ」
そんな明るい髪で、おしゃれで、社交的な拓斗が俺と一緒だなんて、どうして思えるんだろう。
やっぱり少し引っかかるけど、拓斗がそう言うのなら、そう思っておこう。
「下着はさすがに俺の借りたくないでしょ? 新しいのあるから、使って」
「拓斗、準備いいじゃん」
「うちに泊まって欲しいなーって、前々から思ってたから」
どうやら迷惑ってわけでもなさそうだ。
「ありがとう。じゃあシャワー浴びてくる」
「あとで洗面所のところに服置いとくよ」
拓斗が貸してくれた服は、少しだけど大きかった。体格差があるからしょうがない。
「拓斗、めちゃくちゃ身長伸びたね」
「昔は実琴より小さかったもんね。まあ、中学の頃にはもう抜かしてたけど」
「プリン落として泣いてた拓斗が、こんな大きくなるなんて……」
なんだか感慨深くなってしまう。
「泣いてはいないよ。泣きそうだったけど、ちょっと拗ねただけ」
泣きそうになりながら拗ねてる時点で、かなり子どもっぽいし、かわいいんだけど。
「あのとき、実琴の前で拗ねたら、実琴が優しくしてくれるはずだって、わかっててやってた気がするんだよね」
「えー……それ、ずるくない?」
「そう、昔からずるいんだ、俺」
遅めの昼ご飯を食べた後、漫画を読んだり、配信サービスのアニメを見ながら過ごしているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
「なんか、帰るのめんどうになってきちゃったな」
つい、そんなことをぼやいてしまう。
「じゃあ、もう一泊してく?」
拓斗はあたりのように言うけれど、突然、二泊もするなんて。
「さすがに悪いよ。元々そんなつもりじゃなかったのに……」
「俺はいいよ。楽しいし。実琴も、バイトとかしてないでしょ」
「うん……しようとは思ってるんだけど」
いまはまだ親の小遣いで生活している。大学生活に慣れたら始めてみようなんて考えていたけれど、あっという間に一か月が経ってしまっていた。
「拓斗もバイトしてないよね?」
「んー……してないけど、ちょっとした小遣い稼ぎはしてるかな」
「小遣い稼ぎ?」
「それより、泊まるんなら早めに連絡入れときなよ。昨日みたいに遅い時間じゃ、親も心配するだろうし。もう1つ、一緒にやりたいゲームがあるんだよね」
「え、どれ?」
「その前に連絡。ゲーム始めたら、時間忘れちゃうでしょ」
「うーん……」
「……っていうか、泊まって欲しいな。1人暮らしで寂しいんだよね」
「あ……」
そっか。
俺は家に帰れば、親と5つ上の兄が迎えてくれる。
そんなに会話を交わすことはないけど、それでも、電気がついていたり、人の気配は当然あって、寂しいなんて思うことはなかった。
「寂しいとか、そんなこと言われたらさぁ……」
「……ずるい?」
ずるいけど、本当に寂しいならほっとけないし。俺が断りにくいようにそう言ってるのなら、それはそれで、求めてもらえているような気がして、嬉しかったりする。
「うーん。それじゃあ、もう一泊する」
「ありがとう」
少し迷ったけど、結局、今日もまた拓斗の家に泊まることにした。
その後――
気づいたときには、ソファで横になっていた。
たしか最新のゲーム機で、拓斗が勧めてくれたゲームをやらせてもらったんだっけ。画面がきれいすぎて、少し目が疲れたのを覚えている。ちょっと休憩するつもりが、そのまま眠ってしまったようだ。
薄暗い部屋の中、視界に入った掛け時計の針は1時を越えていた。体には薄手のブランケットが掛けられている。拓斗が掛けてくれたんだろうか。まだ覚醒しきれていない頭でそんなことを考えていると――
「キス……しよっか」
熱っぽい声が、耳に入り込んできた。少し掠れていて、なんだか大人の色気を感じさせる。
この声……拓斗?
普段の声色とは少し違うけど、拓斗に違いない。拓斗の声は、すごく聞き心地がいい。中学の頃、声優に向いてるんじゃないかって、勧めたこともあるくらいだ。
誰にしゃべってるんだろう。ここにいるのは拓斗以外、俺だけのはず。だけど、もちろん俺に声をかけているわけじゃない。
別の、誰かに話しかけているような距離を。
静かな空間に、リップ音が響く。
「はぁ……」
零れる吐息が、拓斗の興奮を物語っているように感じた。次第に激しくなっていくキスを連想させる音の数々に、俺は思わず体を強張らせる。
寝ている間に、誰か来たんだろうか。彼女がいるなんて話は聞いていないけど、ただ俺に言ってなかっただけってこともある。
よく一緒に過ごしているとはいえ、毎日、拓斗と遊んでるわけじゃない。
やっぱり泊まらない方がよかったんじゃないかとか、いろいろ思うこともあるけど、それより不思議なのは、相手の声がいっさい聞こえてこないこと。
拓斗が話しかけてるんだし、少しくらい返事をしてもいいだろう。
頷いたり、なにか反応しているにしても、静かすぎる。
「はぁ……ここ、尖ってきちゃったね。舐めていい?」
俺の思考が定まらない中、拓斗はどんどんことを進めていく。
なに考えてんだ?
同じ部屋には、俺がいるのに。
音を立てないようにしながら、少しだけ頭を動かすと、イスに座る拓斗の足が確認できた。
やっぱり拓斗だけ?
この場に彼女はいないみたいだけど、どういうことだろう。
「ん……動かないで……じっとしてくれる? ちゃんと、よくしてあげるから」
拓斗はいったいなにを話してて、俺はいまなにを聞かされているんだろう。
「下も、見せて欲しいな。あれ……もう濡れちゃってる? じゃあ、たっぷりかわいがってあげないと……ね」
衣類の擦れる音や甘いセリフ、少し荒い息遣いは、まるで本当に拓斗が誰かをかわいがっているみたい。もちろん、普段の拓斗がこういう状況で、どういった対応を取るかなんて俺は知らないけど。
「はぁ……いいよ……もっと、欲しがって」
俺を起こさないようにボリュームを抑えているのか、それとも囁いているのか。静かに語る拓斗の声は、俺の耳をくすぐっているみたいだった。
拓斗のこんな声……聞いていられない。でも、聞いていたい。どうすればいいのかわからないまま、狸寝入りを続ける。
「どうだった? ん……癒された? ありがとう。それじゃあまた。おやすみなさい」
どれくらい経っただろう。大した時間じゃなかったのかもしれないけれど、ものすごく長く感じた。
別れの挨拶を述べた後、拓斗は大きく息を吐く。
「はぁ……」
イスの軋む音がして、拓斗が立ち上がったと解かる。目を伏せたままでいると、俺の前髪をなにかが払った。
拓斗の指……?
「おやすみ」
眠ったフリをする俺の耳元で拓斗が囁く。熱くて、思わず身震いしそうになった。さっき拓斗のいろんな囁き声を聞いたけど、直接耳元で囁かれるのはたぶん初めてだ。
拓斗が部屋から出て行くのを耳で確認した後、俺はやっと体から力を抜いた。
「はぁ……」
なんだったんだろう。拓斗が座っていたイスの方へと目を向ける。そこにあるのはパソコンのディスプレイ。手前には、大きめの弁当箱くらいのなにかが置いてあったけど、部屋も薄暗いし、布がかぶさっていてよくわからない。
拓斗のせいで目が冴えてしまった俺は、その後しばらく寝つけないでいた。
少し掠れた優しい声が、俺の耳に語り掛ける。……拓斗の声。どうやら、ソファで眠ってしまっていたらしい。
「もう昼?」
「寝たの朝だからね。まだ、寝ててもいいけど」
時刻はすでに正午を過ぎていた。
「寝起きすぎて、お腹空いてんのかどうかわかんない」
「じゃあとりあえず、顔洗う? シャワー浴びてもいいけど。実琴、汗かいてない?」
さすがに上着は脱いだけど、外出着のまま寝てしまったため、体はじんわり汗ばんでいた。
「浴びたいけど、またこれ着るのかぁ」
「洗ってあげるよ。乾燥機使えばすぐ乾くだろうし。その間、俺の服、貸すから」
「拓斗、洗濯するんだ……」
「一人暮らしだからね」
当然のことなのに、なんだか感動してしまう。
「こういう拓斗の変化は、気にならないんだよなぁ」
「どういうこと?」
「漫画とかゲームとか、いつの間にか好きじゃなくなってるのは寂しいけど、できることが増えるのはただの成長だからいい」
結局、拓斗は漫画もゲームも、好きなままだったし。
「あの頃に比べたら成長したよ。ご飯も作れるしね」
「出来過ぎても、それはそれでちょっと距離感じるけど……」
「大丈夫。俺は実琴と一緒だよ」
そんな明るい髪で、おしゃれで、社交的な拓斗が俺と一緒だなんて、どうして思えるんだろう。
やっぱり少し引っかかるけど、拓斗がそう言うのなら、そう思っておこう。
「下着はさすがに俺の借りたくないでしょ? 新しいのあるから、使って」
「拓斗、準備いいじゃん」
「うちに泊まって欲しいなーって、前々から思ってたから」
どうやら迷惑ってわけでもなさそうだ。
「ありがとう。じゃあシャワー浴びてくる」
「あとで洗面所のところに服置いとくよ」
拓斗が貸してくれた服は、少しだけど大きかった。体格差があるからしょうがない。
「拓斗、めちゃくちゃ身長伸びたね」
「昔は実琴より小さかったもんね。まあ、中学の頃にはもう抜かしてたけど」
「プリン落として泣いてた拓斗が、こんな大きくなるなんて……」
なんだか感慨深くなってしまう。
「泣いてはいないよ。泣きそうだったけど、ちょっと拗ねただけ」
泣きそうになりながら拗ねてる時点で、かなり子どもっぽいし、かわいいんだけど。
「あのとき、実琴の前で拗ねたら、実琴が優しくしてくれるはずだって、わかっててやってた気がするんだよね」
「えー……それ、ずるくない?」
「そう、昔からずるいんだ、俺」
遅めの昼ご飯を食べた後、漫画を読んだり、配信サービスのアニメを見ながら過ごしているうちに、辺りはすっかり暗くなっていた。
「なんか、帰るのめんどうになってきちゃったな」
つい、そんなことをぼやいてしまう。
「じゃあ、もう一泊してく?」
拓斗はあたりのように言うけれど、突然、二泊もするなんて。
「さすがに悪いよ。元々そんなつもりじゃなかったのに……」
「俺はいいよ。楽しいし。実琴も、バイトとかしてないでしょ」
「うん……しようとは思ってるんだけど」
いまはまだ親の小遣いで生活している。大学生活に慣れたら始めてみようなんて考えていたけれど、あっという間に一か月が経ってしまっていた。
「拓斗もバイトしてないよね?」
「んー……してないけど、ちょっとした小遣い稼ぎはしてるかな」
「小遣い稼ぎ?」
「それより、泊まるんなら早めに連絡入れときなよ。昨日みたいに遅い時間じゃ、親も心配するだろうし。もう1つ、一緒にやりたいゲームがあるんだよね」
「え、どれ?」
「その前に連絡。ゲーム始めたら、時間忘れちゃうでしょ」
「うーん……」
「……っていうか、泊まって欲しいな。1人暮らしで寂しいんだよね」
「あ……」
そっか。
俺は家に帰れば、親と5つ上の兄が迎えてくれる。
そんなに会話を交わすことはないけど、それでも、電気がついていたり、人の気配は当然あって、寂しいなんて思うことはなかった。
「寂しいとか、そんなこと言われたらさぁ……」
「……ずるい?」
ずるいけど、本当に寂しいならほっとけないし。俺が断りにくいようにそう言ってるのなら、それはそれで、求めてもらえているような気がして、嬉しかったりする。
「うーん。それじゃあ、もう一泊する」
「ありがとう」
少し迷ったけど、結局、今日もまた拓斗の家に泊まることにした。
その後――
気づいたときには、ソファで横になっていた。
たしか最新のゲーム機で、拓斗が勧めてくれたゲームをやらせてもらったんだっけ。画面がきれいすぎて、少し目が疲れたのを覚えている。ちょっと休憩するつもりが、そのまま眠ってしまったようだ。
薄暗い部屋の中、視界に入った掛け時計の針は1時を越えていた。体には薄手のブランケットが掛けられている。拓斗が掛けてくれたんだろうか。まだ覚醒しきれていない頭でそんなことを考えていると――
「キス……しよっか」
熱っぽい声が、耳に入り込んできた。少し掠れていて、なんだか大人の色気を感じさせる。
この声……拓斗?
普段の声色とは少し違うけど、拓斗に違いない。拓斗の声は、すごく聞き心地がいい。中学の頃、声優に向いてるんじゃないかって、勧めたこともあるくらいだ。
誰にしゃべってるんだろう。ここにいるのは拓斗以外、俺だけのはず。だけど、もちろん俺に声をかけているわけじゃない。
別の、誰かに話しかけているような距離を。
静かな空間に、リップ音が響く。
「はぁ……」
零れる吐息が、拓斗の興奮を物語っているように感じた。次第に激しくなっていくキスを連想させる音の数々に、俺は思わず体を強張らせる。
寝ている間に、誰か来たんだろうか。彼女がいるなんて話は聞いていないけど、ただ俺に言ってなかっただけってこともある。
よく一緒に過ごしているとはいえ、毎日、拓斗と遊んでるわけじゃない。
やっぱり泊まらない方がよかったんじゃないかとか、いろいろ思うこともあるけど、それより不思議なのは、相手の声がいっさい聞こえてこないこと。
拓斗が話しかけてるんだし、少しくらい返事をしてもいいだろう。
頷いたり、なにか反応しているにしても、静かすぎる。
「はぁ……ここ、尖ってきちゃったね。舐めていい?」
俺の思考が定まらない中、拓斗はどんどんことを進めていく。
なに考えてんだ?
同じ部屋には、俺がいるのに。
音を立てないようにしながら、少しだけ頭を動かすと、イスに座る拓斗の足が確認できた。
やっぱり拓斗だけ?
この場に彼女はいないみたいだけど、どういうことだろう。
「ん……動かないで……じっとしてくれる? ちゃんと、よくしてあげるから」
拓斗はいったいなにを話してて、俺はいまなにを聞かされているんだろう。
「下も、見せて欲しいな。あれ……もう濡れちゃってる? じゃあ、たっぷりかわいがってあげないと……ね」
衣類の擦れる音や甘いセリフ、少し荒い息遣いは、まるで本当に拓斗が誰かをかわいがっているみたい。もちろん、普段の拓斗がこういう状況で、どういった対応を取るかなんて俺は知らないけど。
「はぁ……いいよ……もっと、欲しがって」
俺を起こさないようにボリュームを抑えているのか、それとも囁いているのか。静かに語る拓斗の声は、俺の耳をくすぐっているみたいだった。
拓斗のこんな声……聞いていられない。でも、聞いていたい。どうすればいいのかわからないまま、狸寝入りを続ける。
「どうだった? ん……癒された? ありがとう。それじゃあまた。おやすみなさい」
どれくらい経っただろう。大した時間じゃなかったのかもしれないけれど、ものすごく長く感じた。
別れの挨拶を述べた後、拓斗は大きく息を吐く。
「はぁ……」
イスの軋む音がして、拓斗が立ち上がったと解かる。目を伏せたままでいると、俺の前髪をなにかが払った。
拓斗の指……?
「おやすみ」
眠ったフリをする俺の耳元で拓斗が囁く。熱くて、思わず身震いしそうになった。さっき拓斗のいろんな囁き声を聞いたけど、直接耳元で囁かれるのはたぶん初めてだ。
拓斗が部屋から出て行くのを耳で確認した後、俺はやっと体から力を抜いた。
「はぁ……」
なんだったんだろう。拓斗が座っていたイスの方へと目を向ける。そこにあるのはパソコンのディスプレイ。手前には、大きめの弁当箱くらいのなにかが置いてあったけど、部屋も薄暗いし、布がかぶさっていてよくわからない。
拓斗のせいで目が冴えてしまった俺は、その後しばらく寝つけないでいた。
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