推しのアイドルグループが解散しました

優月紬

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川田陽菜の場合

【3】

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「陽菜ってさ、Spring好きだったよね?」
「うん。龍之介推しだよー」

 バイトの休憩中、陽菜はバイト仲間に話しかけられていた。
 彼女はSpringのファンではないし、大学も違う。ただ、シフトが重なることが多く年齢も同じだったため、なんとなく仲良くなれた人だ。

「これ、ファン的にはどんな感じなの?今話題になってるやつ。Spring藤奏多の激変」

 彼女は陽菜の方にスマホをグイッと突き出し、数日前に退所とバンド結成を発表した藤奏多の動画を見せてきた。

「うーん。藤くん推しの人からすると、嫌がって推すのやめるって言ってるか、好きなことやっていいよって感じに別れてるかな。他のメンバーを推してる人からすると、ちょっと複雑だし嫌って意見が多い」
「違う違う、聞きたいのは陽菜の気持ち!どうなのこれ?」

 私の気持ち?そんなこと言われても困る。私は龍之介くん推しだから、意見なんて別にない。発表を見た時は驚いたけど、Springはもう解散してるし、自由にしたらいい。藤くん推しの人は大変そうだなと思うだけだ。
 ……でも、これをそのまま言ったら問題だろうなと思って、とりあえず曖昧に笑っておいた。

「まあ、活動続けてくれるだけ幸せか。グループ箱推しじゃなかったら今までとやること変わらないもんね」
「そうだね、これからも推しの応援するだけ」

 実際みんな、そうしている。
 今日の早朝には梅田くんのソロデビューに関するネットニュースが流れていて、正式発表されたらそれに着いていくって投稿を沢山見かけた。
 私も今後発表されるであろう、龍之介くんの活動を応援する予定だ。そうしないと、趣味がなくなってしまうし、推しがいない状態で人間関係を作っていくなんて、多分無理だから。

「あ、ごめん、ちょっと推しに投げ銭してこないと。配信始まってる」
「ライバーだっけ?」
「そうそう、ルナって名前のライバー!めっちゃ美人でさ。今イベント戦ってるから負けられないの」

 陽菜は彼女のスマホを覗き込み、そのライバーの生配信を見た。
 彼女はスマホを連打し、推しにハートマークを送っている。画面の中では、ルナと呼ばれた美人が笑顔で手を振りながら、投げ銭してくれた人にお礼を言っていた。

 なんか、すごい世界だなぁ。

 陽菜はこの時、初めてまともにライブ配信を見た気がした。
 Springも生配信をすることはあったけど、ライブ配信を見ること自体にチケット代が必要だった。だから、投げ銭のシステムは存在しなくて。
 彼女のスマホの中で繰り広げられる課金アイテムの投げ合いに、陽菜は少し引いてしまった。
 だってこの、一瞬だけ表示されるハートマーク、千円だよ?それを、連打。……ちょっと考えられない。

「だああああっ!投げ切った!よっしゃ!暫定一位!」

 彼女は若干引いている陽菜を前に、満面の笑みで喜んでいた。どうやらルナさんが参加中のイベントで、暫定一位に上がったらしい。
 要するに、同じイベントに参加しているライバーの中で、投げ銭された金額がトップになったということ。

「これってさ、何のイベントなの?」
「えっとね、配信アプリのトップバナーに一週間表示してもらえる権利獲得のイベントだよ。ルナさんの魅力をみんなに広めるチャンス!」
「そ、そうなんだ」

 思ったよりも大したことないイベントだなと思い、陽菜は小首を傾げた。
 まあでも、CDの売上ランキングと似たようなものかと思い直す。
 Springも、CDの売上が多ければライブのセットが豪華になり、テレビ出演のチャンスが増える。だからオタクは、沢山CDを買うわけで。多分、やっていること自体は同じだ。

「ルナさんってさ、投げたら投げた分だけ優遇してくれるから好きなんだよね。無課金リスナー優先されるとさ、やっぱり応援しててもつまらないし。投げ銭する人のおかげでルナさんの生活が成り立ってるってこと、分かってないんだろうね。投げ銭せずにコメントだけする人って」

 彼女は水筒に入ったお茶を飲みながら、何かを思い出すように嫌そうな顔をした。

「なんか分かるかも。Springのオタクにもいるよ、CD買わずに無料の動画だけ再生して、SNSで大好きって投稿だけする人」
「マジか。やっぱどこの界隈も同じだね」

 誰を推すことにしたとしても、お金がかかる。お金をかけてこそ、本物の、”正しい”オタクだから。

「やば、休憩終わる!推しのために働かないと」
「うん、私も今月お金ピンチだから頑張らないと」

 陽菜は心の中で思ってしまう。良かった、自分の推しが、Springの菜原龍之介くんで。だってもし、ライバーやVtuberを推していたら、毎日のように投げ銭をしなくてはいけなくなる。そうなると、今よりもっとお金が必要で……

 そこまで考えて、やめた。私も彼女も、推しのために働いて、お金を払っている。でもそれは全部、推しのためでもあり、自分の楽しみのため。自分がやりたいから、そうしているだけだ。
 陽菜は気合を入れ直して、休憩室を後にした。



【菜原龍之介、退所のお知らせ】

 そのメールが陽菜の元に届いたのは、大学もバイトも休みという、久しぶりにのんびり過ごせる日だった。
 最近はどうしても、自分の部屋にいると山積みになったCDやグッズが溢れていて、ため息が溢れてしまう。
 だからこの日、陽菜はリビングで過ごしていた。

「えっ、退所!?」
「退所?誰が?」

 思わず大きい声を出すと、ソファーでのんびりしていた母親に声をかけられた。

「龍之介くん、退所するって。それで、」

 芸能界を引退するんだって。そう、メールに書いてある文章をそのまま読み上げれば良いだけなのに、なぜか陽菜は続きが言えなかった。
 信じられなくて、モヤモヤした気持ちが胸の中でつっかえて、引退という言葉を、どうしても声に出したくなくて。

「ふーん。芸能界引退するんだ。それなら陽菜、寂しくなるね」

 母親は勝手に陽菜の手元を覗き込んで、そこに書かれている文字を読む。
 けれどあまり興味がなさそうに、そろそろ夕飯作らなきゃと呟き、キッチンの方に行ってしまった。

 ……龍之介くんが、芸能界からいなくなる。

 想像していなかった訳ではない。だって、Springは解散したのだから。でも、藤くんや梅田くんは、活動を続けていく。歌って踊って、今まで通りに。

 今まで通り。今まで通り、なのだろうか。彼らはもう、Springではないのに。
 陽菜の中に、何とも言えない複雑な感情が湧いてくる。自分でも理由が分からなくて、この感情の正体を突き止めたいのにどうすることもできなくて、ただひたすら混乱していた。

 引退。引退ってことは、これからはもう、龍之介くんのオタクを名乗れない?いや、そうじゃなくて、龍之介くんはいなくなって、もう二度と見れなくなって、それで、Springも、龍之介くんも、もういなくなってしまって。

 頭の中が、ぐるぐると回る。ああ、そうか。寂しいのか。陽菜は一瞬そう思って、そうではないとすぐに思い直す。

「なんで……?あんなに応援したのに、そんなこと許されるの?引退?は?そんなのって」

 許されていいのだろうか。だって、陽菜の貯金は、全てSpringのCD代に消えた。バイトで稼いだお金も、ありったけ龍之介くんのために払い続けていたのだ。全てはSpringの今後の活躍のため、そして、龍之介くんの活躍のためだ。それなのに。

 そうだ、この感情は、怒りだ。だってそんなの、あり得ない。私が貢いだお金は?バイト代は?欲しくもないCDを買って、使わないグッズを買って、今までの楽しい推し活をやめて、”正しい”推し活に変えたのに。その結果が、引退?
 陽菜は近くにあったクッションを床に叩きつけると、ああ、私は怒っているんだと結論付けた。

「陽菜、ちょっと静かにして。うるさいよ」

 母親に言われ、我に返る。何だか怒りのパワーが湧いてきてしまって、関係ないはずの母親にまで余計なことを言ってしまいそうだった。

「ごめん。部屋戻る」

 陽菜はパタパタと、階段を駆け上がっていった。自分の部屋の扉を開けて、大きく息を吐く。それでも怒りは全く消えてくれなかった。
 部屋の隅っこに放置されている、未開封のCDの山が視界に入る。
 部屋の壁に貼ってある、菜原龍之介のポスターが笑っている。ニコニコと、大好きだったその笑みで。

「……っ、」

 ポスターの龍之介と目があった瞬間、言い表せない感情がブワッと湧き上がってきた。
 陽菜は怒り狂った表情をしている。けれど、その目からは一筋の涙がこぼれ落ちていた。
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