ないのんショートショーツ2025奇想

あべ舞野

文字の大きさ
2 / 2

テーマ 「忘れられない匂い」  記憶にへばりつくと言えば…と書いた落差がすごい2話

しおりを挟む
壱 「センセイの実験」

 目の前でネオンブルーの光がさく裂した。
 俺は大学の研究室にいたはずだ。教授に頼まれて、開発中のヘッドギアを付けた。そこから妙な音が響くと同時に、この小部屋に押し込まれたんだが…。
 周囲はギラギラと輝く空間だ。
 ピンク、紫、青、あらゆる色が目の前を通り過ぎる。
 くらくらして酔いそうだ。
「助けて」
 思わず叫んだ。俺は息を詰めて扉を開けた。鍵は無い。頭の装置の音も止まった。
 世界は元通り。ああ良かった。
 教授は肩をすくめた。
「どうだったね、嗅覚を視覚化する実験は?」
 そう。脳へ特殊な電波を送る。すると匂いが『視える』ようになる。
 俺はその実験に参加してたんだ。
「いや、すごい景色でもうダメでした」
 部屋の窓から中を覗いた。
 白い部屋にテーブルがあるだけ。その上には靴下、ぐちゃぐちゃで灰色。脱いだばかりかい。
 誰の⁈ つま先とか、色が変わってるよ? いやだからこそ、あの強烈な景色か! 嗅がなくて良かったかも、と俺は胸をなでおろした。
 あれ? センセイ、裸足だ。
 覚えていないのに、忘れられないニオイになった。

 
弐 「君は金木犀」

 グラスが触れあう涼やかな音。そこに、焼き鳥やから揚げを注文する声がかぶる。ここは夜の居酒屋、金曜の夜だ。僕は会社の連中と座敷に座っている。
 人口の少ない町だ。僕は学校も仕事もずっと地元だった。
 社会人になってからは、会社と家の往復ばかり。繰り返すいつもの日々、うんざりする日常。
 ちょっとしたイベントといえば、節目の人事異動だったりする。
 秋の異動で僕の部署に女性が来た。歓迎会は9月の末になった。そして皆でここに居ると言うわけだ。
 今日の主人公は、僕と同い年らしい。同じ課だけど、担当業務が違うから殆ど話をした事はない。
 小林と名乗った彼女は、課長の隣から立った。ビールのカップを手に、席を次々移動する。参加者全員に挨拶をするつもりらしい。マメなんだな、と感心だ。
 ふと見ると、髪にオレンジの小花がからんでいる。キンモクセイだ。僕はあの花を知っている。花言葉は幾つもある。そのうちの一つは『初恋』だったか。
 アルコールのせいだろうか。僕の頭はどこか痺れたようだ。心の奥底に沈めていた記憶が、出口を求めてうごめいている。
「どうも~」
 耳元で笑いを含んだ声が弾けた。異動してきた小林さんだ。もう頭のキンモクセイは取れていた。僕らはグラスを合わせた。
 彼女は首を傾げた。
「見おぼえがあるって思ってたの。もしかして…中学の人? 私、そこ卒業してます! 高校は違うよね」
 確かに僕の母校だ。よく見たら彼女を思い出した。しばらく地元トークに花が咲く。狭い地域なのだ。会社に旧知の人がいてもおかしくない。それから彼女は腰を浮かせた。次の挨拶だろう。だが、また腰を下ろす。スマホを出した。
「見てみて! 中2の時ね、1年だけ居た子。クラスが違ったよね。覚えていないかな?」
 画面には、ショートヘアにゆるふわパーマをかけた女性がいた。赤い口紅が似合う。あでやかな同系色のブラウス姿でカメラにピースだ。それでも僕には分かった。
 あの彼女だ。どきん、と胸が鳴る。忘れようとしていた古い記憶。
 小林さんが続ける。
「気が合ったの。転校してからも連絡を取ってるんだ。たまに会うよ」
 何て言えばいいのだろう。僕が口ごもっているのに、小林さんは気が付かないようだ。
「それでさ~結婚するんだって! 海外勤務に着いて行くらしいよ。今度、彼ピを紹介してもらうんだ!」
 僕はやっと声を出した。
「そうなんだ。おめでたい。ごめん、あんまり覚えてないんだ」
「そっか。覚えてないんだ」
 小林さんは今度こそ立ち上がった。僕の隣のお局様に、元気に挨拶をしている。
 僕はグラスを持ち上げた。ビールの苦さが口に広がる。


 中学2年の時だった。
 いつも帰り道が同じになる女子がいた。長い髪を1つに束ねて、いつも節目がちだ。彼女の家は転勤族だったか。隣のクラスの転校生だったと思う。名前さえ憶えていない。風にさえ奪われそうな華奢な肢体だった。
 涼しい風が吹き始める頃だ。彼女が道の途中で立ち止まっていた。僕に気が付くと、ふわりと笑った。
『いい薫りだね』
『何が?』
 僕は照れていた。不愛想な声になった。彼女はめげなかった。
 これ、と細い指が上を指さす。見知らぬ家の植え込みだ。黄金とも思えるオレンジ。緑の葉を覆うほどに、可愛らしい花が咲き誇る。確かに周囲には芳醇な香りが満ちる。彼女は花を見上げた。首が露わになった。制服の紺から浮き出たようだった。まるで撫でる為に用意されたような喉。ピンクの唇がうっすら開いた。
『ほら、キンモクセイ』
 それはまるで呪文の響きだった。花よりも甘い囁き。僕の腹の底に、むず痒い感情が沸いた。それが何か、当時の僕には分からない。だから目を逸らした。何も答えられずに背を向けた。本当は、そのまま彼女に笑いかけたかった。なよやかな手のひらを包み、髪に触れてみたかった。
 そんな想いを悟られなくない。とても照れくさくて、自分を持て余す。翌日からは彼女を避けるように走って帰った。
 次の年、彼女は学校にいなかった。父親がまた転勤したらしい。


 幹事が遠くから呼んでいる。
「追加の飲み物、頼む人はいますか?」
 メニューに目を落とす。またビールか、サワーにするか。日本酒やリキュールには、名前の隣に説明書きが付いている。桂花陳酒が目に入った。
 キンモクセイを漬け込んだ白ワインだ。僕は手を挙げた。
「これを…キンモクセイのお酒を」
 ちょっとざわめきが起きた。おしゃれ、とか聞こえる。何人かが同じ物を注文した。小林さんもだ。僕と目が合うと、ちょっと肩をすくめた。
 それがどういう意味なのか、僕は知らない。何か思う所があるのかもしれないし、ただ少し動いただけかもしれない。
 運ばれて来た桂花陳酒は、水色のグラス入りだった。氷が転がる。鼻に抜けるまろやかな薫り。
 今なら分かる。あの彼女は、外の世界の空気をまとう異邦人だった。それゆえの憧憬だった。あれは恋だ。形さえ取らなかった。初めは淡くても、激しい炎になりうる心の動きだった。
 写真の彼女は、まるで夏の盛りの向日葵だ。小さな花は大輪へと変化したのだ。もうあの人ではない。そして遠い世界に永遠に去った。
 僕はおそらくこの地で張った根のままで生きるのだろう。
 だから。
 こんな感傷に浸る時があってもいいだろう?
 僕の思い出の中では、君は黄金の可憐な花。この薫りがやって来る度、僕はこの想いとともに季節を過ごそう。
 ーーー君は僕のキンモクセイ…
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

盗み聞き

凛子
恋愛
あ、そういうこと。

降っても晴れても

凛子
恋愛
もう、限界なんです……

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...