銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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帝国・教国編

私の居場所(ミュリエル視点)

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新しい温室に向かって足取り軽く、先頭を進んでいた。唯一の出入り口である少し分厚い扉を開けるには、毎回私の認証が必要だから。レネも、外で警護をしてくれるツヴァイも脇に避けて待っていてくれる。
銀の取っ手に手を触れて、魔力を少し吸われる感覚のあとに淡い光が走り、音もなく扉が開いた。中に満ちているのは、しっとりと湿った空気と薬草の青い香りでした。

「・・・やっぱり、落ち着きます」

ゆっくりと深く息を吐き、肺の空気を入れ替えるように。ぐっと背伸びをしてから、いつも通りに作業の準備を始めます。
淡桃色の綿のワンピースの上に纏うのは、セージで染めた園芸用のエプロン。初めて衣服を染めたもので、想定した濃い緑色ではなく灰色がかった緑になった。けれど、使い込むたびに生地が柔らかくなって身体に馴染んでくる。今ではもうすっかり相棒になっていた。
剪定用のハサミを確認して、手袋をつけて。腰をかがめて地面に目を凝らすと、柔らかい新芽の隙間から雑草がのびているのが見えた。指先でそっとつまみ、根ごと引き抜く。土がぽろぽろと落ち、かすかに土の香りが広がった。

「ミュリエル様、こちらの方も抜いてしまってよろしいでしょうか?」

隣から声がする。顔を上げれば、レネが真剣な表情で草を確かめていた。以前間違えて薬草を抜いてしまってから、毎回確認してくれている。
謝罪は受けましたし、元々芽かきをしようと思っていたと伝えても、しばらくは彼女の目の奥から罪悪感が抜けませんでした。
本来なら、侍女のお仕事だけでいいはずなのに私の趣味に付き合ってくれるのだから、感謝の気持ちしかないのに。
本心からそう伝えたら、『一生お側に仕えさせて下さい』と嬉しい返事を頂きました。

「お願いします。レネ、いつも手伝ってくれてありがとう」
「ありがたき幸せでございます」

互いに微笑むと、空気が一段と和やかになった。
ある程度草抜きを終えて、私はジョウロ型の魔道具を手に取る。水晶のような装飾が施されていて、実際に水は入っていないから軽い。傾きにあわせて、魔力を少しずつ水へと変換してくれる仕組みで、水の魔石をつけたり自分の魔力を使用することもできる魔道具だった。
一度、試しにアルに見守ってもらいながら自分の魔力を使ってみたけれど、水をまいた後がほんのり輝いて見えて、場所が分かりやすいと顔を見合わせたのを思い出す。しかも、翌日には植物が異常なスピードで成長していた。
それ以来、効果と消費魔力がはっきりするまで、1人で作業するときは魔石を使うようにとの2人で決めた約束を守っています。

「元気に、育ってね」

草木の一つひとつに声をかけながら、丁寧に水を与えていく。水滴が葉を滑り落ち、返事をするかのように日を受けてきらりと光った。
ふと気づく。私はこの温室が自分の場所になっていくことに、充実感とやりがいを感じていることに。
魔の国に来てからはずっと、私の居場所はアルや誰かと共にある場所だった。寝室も、執務室も、図書室も。もちろんそれは幸せなことだけれど、こうして自分が管理する空間を持つのは、実家を出てから初めてのことだ。

『もし僕がミュリエルの意にそぐわない事をしたら、ここに籠もるといいよ。きっといいお灸になる』

完成した温室を初めて一緒に見て回ったとき、冗談めかしてアルはそう言った。扉の認証は、管理上私だけしか開けることができない設定にしてあるからと。
手を握りながら、その目はどこか寂しげに笑っていたから、そういう用途でここを使うつもりはない。これまでも、これからも。

『大好きなアルと喧嘩なんて・・・想像できないです。もし意見の相違があったら、話し合って解決したいです』

そう答えた私に彼は驚いた顔をして、『やっぱり敵わないなぁ』と笑ってくれました。
・・・アルはきっと、何か考えがあって言ったのだと思います。それでも、私の意思を尊重して温室を作ってくれたことが胸に深く染みています。

足元の、1つの鉢に目をやった。そこにはミンツェの芽が伸びている。鉢から溢れそうになっている葉を少し分けてもらいながら思い出した。
もし地面に直接植えてしまっていたら、繁殖力が強すぎてほかの薬草を押しのけてしまうところでした。以前からある温室で株分けしてもらった際に、カイン様に教えていただいたおかげで鉢植えに収めておけた。こうして失敗を避けられるのはありがたい。

「こちらは、もう少しで花が咲きそうです」

レネの声に導かれて近づくと、草木染めに使う花のつぼみがふくらんでいるのが見えた。

「本当ですね・・・どんな色を見せてくれるのでしょうか」
「きっと、ミュリエル様に似合うお色です」
「ふふっ、楽しみです」

私はそっとつぼみに指先を伸ばし、触れないように間近で眺める。
草木染めは、カイン様の温室にはない植物が多く必要で、始めた当初は取り寄せていました。でもそのうちに、どうしても出したい色が出てきて、この温室の一部に植物を植えました。
最近になって整い始めて、やっと出せる色が増えてきています。エプロンみたいに、思い通りの色が出なくても悔しさよりも次はどうしよう、これを試してみたいとアイディアが浮かぶ。そんな失敗なら、いくらでも繰り返したいと思えた。

ふと天井を仰ぐと、二重構造のすりガラス越しに青空が広がっていた。その中央に、黒い鳥が風見鶏のようにじっと止まっているのが見える。温室で作業をしているときに、いつも見かけるその鳥を、私は内心『クー』と名付けていた。
野鳥だろうから、懐いたりまして会話ができたりするわけではないけれど、寄り添ってくれている気がして、いつか世話をしてあげたいと思っている。

後ろの方でコンと、扉が軽く叩かれた。足を向けて、扉に手を置き内側から開く。

「お邪魔するよ、ミュリエル」
「いらっしゃいませ、アル」
「お茶の準備をしてまいります」

レネが摘みたてのミンツェを手に退室して、温室の中は2人きりになる。穏やかに微笑んだアルが、顔に手を当てて少し震えている。
私が扉を開けて招き入れるたび、『いらっしゃいませ』の言葉に感動するんだ、とおっしゃっていましたっけ。くすりと笑みが漏れる。
2人で植物を見ながら休憩するためのソファに掛ける。アルは懐に手をやった。

「今日は、差し入れを持ってきたんだ」
「ありがとうございます。これは・・・?」
「ツテがあって、国外に自生する薬草の種が手に入ったんだ。いろいろ混ざっているらしくて、何が芽吹くか、そもそも芽が出るかもわからないけど・・・あの場所に、どうかなって」

渡された小さな布袋とアルの顔を見比べて、私は思わず目を見開いた。
温室の一角にある、私が魔力を暴発させてしまった場所は土壌が変わってしまったようで、今でも草一本生えていない。いくつか試した植物も、土が合わないみたいで根付かなかったのだ。
その場所でも・・・いいえ、ここにこそ合うかもしれない種を、手に入れてくれただなんて。
袋を小さく開いて、手のひらに少し乗せてみる。ころころと転がり出てきたのは大きさも色も、異なる種たち。その一つひとつが私にとって希望の光に見えた。
顔を上げる。同じソファに寄り添って座る漆黒の目が、どこまでも優しく私を見つめていた。

「・・・ありがとうございます。大切に、大切に育てますね」
「ミュリエルならきっといい子に育てられるよ。僕が君のおかげで、少しはいい夫になれたようにね」

優しく微笑むアルに、胸が熱くなった。私は種の入った布袋を抱きしめるように胸に当てる。
失敗で終わったはずの場所が、こうして新しい芽吹きを宿す可能性を秘めている。それを信じて、託してくれるひとがいる。そのことが、ただただ嬉しかった。

温室は、私の居場所になっていく。ここでは成功も、失敗すらも自分のペースで重ねていける。そう思うと、胸の奥にじんわりとした安らぎが広がっていくのを感じていた。






ーーーーーーーーーー

後日
「お呼びでしょうか、主」
「ああ。侍女からの報告で、最近ミュリエルが温室の前にひまわりの種を蒔いているらしいんだ」
「それは・・・もしや、クレーエに気づかれて?」
「ちなみに、クーと呼んでいるそうだよ。ただの黒い鳥だと思っているみたいだから警護見守りはこのままで」
「はっ」
「ところで・・・クレーエは、啄むふりできる?」
「・・・はい、可能です」

その年の夏、温室の扉周りにひまわり畑ができ、多種多様な野鳥が飛来した。野鳥に囲まれて幸せそうに過ごす妻に、夫は大いに癒された。
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