銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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帝国・教国編

俺から見た2人(トレーシー視点)

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「失礼します」

城の上階にあるー室に許可を得て入室した俺は、好奇心に負けて目線だけ動かして部屋を見回した。
染め作業用に改装されたらしく、造り付けの棚に大きな洗い場、広いベランダに続くフランス窓から光が差し込む明るい場所だった。その上、換気と排水のための魔力の通りを感じる。陛下御用達のハイドワーフの手だろうが、精度はかなり高い。

「どうぞ、お待ちしておりました」

棚の一つから布の包みを手に振り返ったミュリエル様は、先んじて俺に着席を促す。ちなみに本日の装いは、レース襟の濃紺のワンピース。その上にあちこち染液が撥ねたエプロンを纏い、銀の髪は黒の組紐で高い位置に束ねられている。作業中らしく機能的だが、彼女の美しさはそれでも一層際立っていた。
うん、やっぱ美少女は何着てても美少女だな。目の保養って意味で、まじ眼福。

「本日はお時間をいただき、ありがとうございます」
「いえ、ちょうど案件も落ち着いて暇してたんで。こちらこそお声掛けいただき、光栄です」

臣下の礼を取り、軽く笑ってウインクすればミュリエル様は安心したように息をついてくれた。
普段は陛下の膝の上か2人がけのソファに座る彼女が1人がけのソファに収まっている様は、ちょんとしていて小動物感が増して可愛らしい。ちなみにその陛下は・・・今日、もしくは明日まで所用で王都を離れると聞いている。だから、作業のしやすさはもとより御身を最優先に考えてここを面会場所にしたのだろう。
もちろん、彼女の後ろにはレネ専属侍女ツヴァイ騎士団長が控えている。ついでに部屋の外にはラティスがいるのを見てきた俺としては、少々、まあかなり戦力多過だろとは思うが。
つーかいくら本人が強いとは言え、陛下の護衛がヴィントだけってそれでいいんかい。いや、一応宰相もいるか。
とにかく、勅命かつミュリエル様警護対象者が受け入れている以上、配置について他人が口を挟むのは野暮ってもんだろう。

「草木染めで、行き詰まっておりまして・・・トレーシー様のお知恵を、拝借したいです」
「俺でお力になれることなら、何なりと」

相変わらず美味い、侍女が淹れる紅茶を飲みながら目をあげた俺は静かに刮目した。ミュリエル様の顔をまじまじ見るのも失礼だし、仕事柄どうしても全身をつま先から見る癖がついていて、異変に気づいたのがこのタイミングになっちまった。
対面して座る、陶磁器のように滑らかな頬は紅潮しておりアメジストの瞳には決意が宿る。しかし、その目の下にはうっすらと影―化粧でも隠しきれていない、クマがあった。
・・・原因は、おそらく寝不足。しかも1日や2日程度ではない。
正直、陛下の寵愛を一身に受けるミュリエル様に、クマがあっても・・・まあ、納得だ。けど、隣国の動きが怪しいこの状況で、さすがに連日寝かせないって事はありえんだろ。
邪推はできても確信持てず、彼女の口からどんなお願いが語られるのか、内心ドキドキしながら言葉を待った。

「草木染めで、黒羽色を出したいんです」
「くろばいろ?」
「はい。アルの・・・髪色のような、黒を」

一瞬そんな色あったかと記憶をたどったが、彼女の造語らしい。
黒羽色。語呂もいいし素晴らしい名付けだ。ミュリエル様は俺に負けず劣らず、ネーミングセンスがいい。

「もしかして、何か作りたいものでも?」
「ええ。私の手で染めた布に、魔力を込めると結界魔法が付与されるので、悪除けのお守りとして・・・身体の害となるものを防ぐ、マスケを作りたいんです」
「なるほど。それでわる除け・・・素晴らしい」

族である俺らを慮る優しい言葉選びと声。それと同時に瞳に宿った懸命さに、思わず笑みを返す。
褒められて、頬を染めたミュリエル様は侍女と一緒にささっと布を並べてくれた。
茶色がかった黒、灰色がかった黒、赤黒、青黒・・・机いっぱいに広げた染め布は全て、黒だった。これまでにいろんな染液、触媒を試したのだろう。
それでも、黒羽色には届いていない。様々な色布に触れてきた俺には、一目で分かった。

「黒羽色は・・・夜よりも深くて、でも澄んでいて。いつでも、私を優しく包んでくれる色なんです。でも、どんなに染めても近づけなくて・・・」

彼女の、穏やかな瞳の中に揺れる切なさに、俺は深い納得とほんのりとした羨望が広がっていくのを感じていた。
これは、妻から夫への純然たる愛の囁き。聞いてるこっちがこそばゆくなるくらいのな。
だが、染めて干してを繰り返す草木染めは根気がいるし、このままでは彼女の体力が先に尽きる。

「ミュリエル様・・・黒羽色は、単色じゃ無理だ」

俺は作業台の隅から大きなバケツを引っ張り出し、彼女の前に置く。
首を傾げたミュリエル様に、一言。

「こうするのさ。染液を混ぜる。染める順番を変える。つまり『配合』だ」
「なるほど・・・!」
「服飾師は、狙った色を諦めない。黒羽色の配合、俺も手伝うぜ」

その瞬間、アメジストの瞳がキラキラと輝いた。それはどこまでも純粋で、尊敬と期待に満ちていて――我に帰るには十分だった。
・・・いや、すげー誇らしいけどこれ以上はアウトだな。
俺は陛下の忠臣兼悪友であって、互いに他意はないとは言えその最愛に詰め寄られ、憧れの眼差しを向けられていい相手じゃない。
というか、陛下に知られたら・・・想像に難くない結末を察して、全身がブルリと震えた。

ーそして、固く誓う。作業中、絶対に適切な距離を保ち続けることを。


△▼△


配合実験という名の試行錯誤は、侍女からエプロンを差し出された瞬間に始まった。

「公爵様、こちらをどうぞ」
「サンキュ・・・サイズぴったりだな」
「恐れ入ります」

染液はもともと十分な量があり、触媒も揃っている。下染め、本染めと順番を変えては布を浸し、乾かすを繰り返した。
正直、助かった。相談があると言われて急いで草木染めの本を読み漁った一夜漬けした俺でも役に立てる案件だった! 御用達のプライドが首の皮一枚保たれてほっとしている。
・・・もちろん、生地にもこだわりを持つが。俺は本来デザイナー寄りの服飾師だ。あんまり信頼されすぎても、胃が痛いぜ。

「ここで鉄を入れましょう」
「もう少し、煮詰めてからのほうが・・・」

真剣そのものの表情で、記録帳らしいノートと染料の色を覗き込む彼女は王妃というより熱心な学生だ。俺もいつしか夢中になって、レネのメモを取る手が倍速になる。
幸いにも、季節は夏。試しに染めた布の大きさはハンカチサイズで、陰干しでも1時間もあれば結果が出た。
ふと視線が流れた先で、ミュリエル様の右耳に小さな桜の花びらが揺れているのに気づいた。桜の花を形取る石は、目指す黒羽色のマスグラバイトでその彫刻は繊細そのもの。例のチョーカーのリメイク品だ。
深淵の黒と、ひそやかな春の花。相反するはずの2つがこんなにも自然に調和することに、俺は見惚れて手が止まる。

「新しい布、準備できました。あ、トレーシー様、裾が!」
「えっ、うわ! やっちまった・・・」

・・・その後、正方形の布が並ぶ物干し台に、下ろし立てのシルクのシャツが追加になった。ついでに色は黒緑だった。


△▼△


「ミュリエル様、公爵様。昼食の時間でございます」
「ありがとう、アインス」
「休憩にしましょう。ミュリエル様」

昼には最近専属侍女になったらしい侍女長が軽食を運び込んできて、ミュリエル様とTシャツ姿の俺とで珍妙な昼食会になった。小さい口で、上品にサーモンサンドを食べる表情はすごく満足げで、肩の力と目元の影が少しだけ抜けたようで安堵する。
彼女のクマは、研鑽の証だった。夫への一途な愛の深さと同時に、限界すれすれな現状を物語ってもいるけどな。

「薬液は、だいぶ絞れてきたな・・・」
「あとは、順番と時間ですね」

たくさん染めて、たくさん乾かして。あっという間に窓の外は闇夜に染まっていた。
途中から、アインスが水魔法で布を脱水してくれたおかげで作業効率は格段に上がった。本人は魔力が少ないからできると言っていたが、その精度は素晴らしく布へのダメージもない。
そうして積み上がった布を2人して検品していた、そのとき――

「・・・っ! トレーシー様、見てください!」

ミュリエル様の手の中で、はためいた布は・・・紛れもない黒羽色。
そっと端に触れる。照明の光にかざせばほんのり紫や青が潜むが、全体は漆黒に近い。色ムラもなく、表面もサラサラとした触り心地。
俺も思わず声を上げる。

「おお、これは! やりましたね!」

感激のあまり、ハイタッチを交わそうと両手を差し出した瞬間・・・細い身体が糸が切れたようにその場に崩れ落ち――

「ミュリエル様!?」

思わず肩を掴み、支えるように抱きとめる。俯いた身体を揺らして顔を覗き込めば、胸に布を抱きしめたまま穏やかな表情で目を閉じていた。
・・・顔色は普通、脈は正常。要は、寝落ちだ。
周囲に目配せして、両腕でひょいと横抱きにする。作業台は酷い有様なので、休ませるなら最初に座っていたソファだな。
それにしても、軽い。それに顔立ちが整いすぎて、目を閉じているだけで儚く見える・・・うわ、睫毛長いな。
ミュリエル様は決して、活動的なタイプじゃない。どちらかといえば読書や刺繍をしてこじんまりと過ごす貴族令嬢らしい女性だ。その彼女が、1日中頑張ったのだから無理もない。
とりあえず可及的速やかに俺の腕から降ろして差し上げないと・・・

そのとき――ノックの後に間髪入れず、扉が開いた。
きっと日常的にそうしているのであろう、スピードで。



「・・・随分と遅くまで起きているんだね、ミュリエル?」



背筋に、冷たいものが走る。ゆっくりと、ぎこちなく振り返った。
そこには、外套を纏ったままの黒羽色の君――アルディオスが立っていた。


△▼△


一瞬で状況を整理する。
俺の腕の中には、満ち足りた表情で寝息を立てているミュリエル様。
部屋に満ちる仄かな染薬の匂いと、机の上に広がる様々な黒の布。
そして、陛下。一瞬見開かれた瞳が無音のまま細められ、口元に冷たい笑みが浮かんだ。

やばい。これは死。

「いや、これはっ――」

声が裏返る。だが、俺は口を慌てて閉じた。
何を口走ろうとした? この状況で口答えしようものならやましい事があるって言ってるようなもんじゃねーか!
俺は首だけ後ろを振り返り、第三者からの助けを求める。
レネ! ツヴァイ! お前ら一部始終見てただろ!? これは不可抗力で、俺は潔白だって!

・・・だが、侍女たちは陛下に頭を下げたまま微動だにせず、騎士団長はわざとらしい咳払いとともに目線を逸らされる。
裏切られた。完全に。

コツ、コツコツ。
外套を外し、袖の埃を払いながら無言のまま陛下がまっすぐ歩み寄ってくる。静かな部屋に軍靴の高い音が響く。
その微笑みは、絶対零度。社交界で名高い『氷の微笑』を、俺は初めて真正面から至近距離で浴びた。
・・・なんだかんだで、陛下は俺を重用してくれている。だからそれを浮かべた彼とすることは、今まで一度たりともなかったのだ。

「ミュリエルの、実験に付き合ってくれてありがとう・・・ただ」

直立不動で動けない腕から最愛を受け取り、一瞬だけ色の宿った瞳はまた俺を捉えて一言。

「寝顔を見ることは許してない」

その声は決して激情ではなく、静かな冷気。

後生だから、処すならひと思いにしてくれっ・・・!
そう、心で叫びながら硬直した腕に外套を置かれる。それきり、陛下からのアクションはなく俺はただただその後ろ姿を見送るしかできない。

ツヴァイが音もなく扉を閉めた瞬間、腰が抜けて座り込む。魂が半分抜けた俺に、背後からレネの小声の囁き。

「・・・御愁傷様です」

ーこの日、俺は生まれて初めて・・・この国で最も高貴な色とされる『黒』を、心底恐ろしいと思った。


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