銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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帝国・教国編

崩壊の序章(ヴィント視点)

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気流に乗り、羽ばたき1つで風を操りながら俺は夜の冬空を翔けた。
前方、エルシュネー山脈が抱く新雪が、星の光に白く瞬いて見える。王都を出て1日、まもなく帝国との国境を過ぎようとしていた。
背には全身を黒に包んだ主と、小竜化したルントのみ。それぞれが無言で、ただ1つの目的のために意識を集中させていた。
それでも時折、ルントが緊張し身を縮こませて座っているのが背から伝わってくる。
それも当然。本来俺が背に乗ることを許すのは、契約者たる主とその妃のみ。今回は魔力の特性―他人に感知されにくい性質が、同乗者にも及ぶ―を利用して移動するための特別措置であることを、彼も理解しているのだ。

何年か前になるが、研鑽もなく種族の力に驕り高ぶっていたルントはあろうことか妃に近づき、主の琴線に触れた。
だが、王として多忙を極める主が愚行の尻拭いにかける時間などない。結果、彼は教育係を任された俺やラティスに、完膚なきまでに叩きのめされた。
ある程度整った後、里に戻っていたがー再び会った今、あのときの躾が骨の髄まで染み付いているらしい。
・・・主の手を煩わせなければ、何でもいいが。

「方角は右に10度、速度はそのままで」
「はい」

種族柄、夜目はあまり効かない俺に主は時折短く方角を告げる。それを頼りに、翼を大きく開いて空気を切った。


△▼△


帝都近くの森に着いたのは、予定より少し遅れて午後4時を回った頃だった。日も傾き視界は悪かったが、念の為に帝都まで千キロを切った地点からは低く這う雲の合間を縫うように進んだ。
そこから素早く降下し、街道から外れた森の茂みに降下する。
砂埃、足音1つ立てずに降り立つ主は手早く結界を貼り、ルントは短く礼を述べて素早く背から降りてきた。

「ヴィント、ゆっくり休んで」
「ありがたき、幸せ」

俺は羽根を折りたたんで座し、目を閉じる。この後に備えて、長時間の移動で消耗した気力や魔力を回復することに徹した。
結界の強度を確認し、周囲の警戒を終えた主は時折労るように俺の羽根を撫でてくださる。その手は微弱な魔力を帯びており、全身に沁みて実に甘美だ。
おかげで、短い時間で敵地ということも気にならないほど英気を養うことができた。

「主、クレーエを放ちます」
「ああ」

日が完全に沈み、帝都の輪郭が夜に溶ける頃。吐く息は白くあと僅かでも気温が下がれば雪が混じりそうな空の下、最終確認のために俺はクレーエを放った。黒羽の烏は無音のまま飛び立ち、それぞれ別の飛行ルートで帝都へと向かう。
目を閉じ、視界を同期した。帝都に近づくにつれ強くなる灯りや人の雑踏、雑音が鼻につく。
しかし、俺個人の感情など主の望みの前には塵に等しく、ただただ情報の取捨選択を繰り返した。

闇夜に紛れたクレーエは順調に移動し、帝都の結界の上を滑るように接近する。
その時だった。

ピキ、と。
薄い氷を爪で裂いたような聖の波動が走り、1体の視界が歪んだ。十分な距離を取っていたはずだが、結界に迎撃されたクレーエを速やかに魔力に戻し、跡形もなく霧散させる。

そして気づく。1ヶ月前に見た時よりも結界が厚く、聖女だけで賄える量を遥かに超えた力を有していることに。
それだけなら、まだ理解できた。本来聖女の作る結界は対魔に特化した盾であり、帝国から魔の国に手を出した手前、報復に備えるのは当然だからだ。
だが・・・眼下に広がる結界には、厚みは増しても精緻さが感じられない。なんとも空虚で、粗が目立つ代物だった。

視界を切り替え、さらに上空から観察を続ける。結界越しの帝都は不恰好に歪み、灯りや建物の輪郭すら霞んで見えた。幻視効果を施しているにしても層が均一ではなく、場所によって流れが乱れている証拠だ。
本来、結界は聖女の祈りによって生じ、美しく形作られる細工のようなもの。
目にすることが多い妃の結界など、まさしくそうだ。触れるどころか近づくことすら躊躇いを覚え、俺の目には畏れ多いほどに眩しい。魔族に害が届かないよう転じているが、優しく、決して折れぬ強かさを宿している。

あの尊き輝きに比べれば、帝都のそれは・・・粗暴な光を押し固めただけの、ただの檻だ。

同期を終えてクレーエを消すと、静かに目を開ける。主の前に跪いた。

「主、報告いたします。帝都の結界は、聖女が通常張れる物より厚みが倍近くになっており、威力も拡張されています。おそらく、外的要素からの力の注入があったものかと。中の様子は歪んで見え、クレーエでの5メートル以内の接近は不可能でした」

主は静かに目を細めた。

「そう。彼女のとは、まるで違うな」
「はい。雲泥の差です・・・あれは、粗雑な檻にすぎません」
「・・・ふっ。どちらが檻の外側か、わかってもいないだろうに」

一瞬声を漏らして冷笑を浮かべ、漆黒の眼差しがさらに深い影を落とす。俺にも、主の意図するところが胸に落ちた。
静かに、しかし怒りに震える夜気を感じながら姿勢を正した。

「次いで、城に続く馬車の列や多くの魔力反応からも、本日城での集会が催されていることは確定です」
「わかった。早く、帰れそうだね」

そう呟いた理由を、俺はすぐに理解する。
今夜、予定通り戦勝会が行われることは、俺達にとって僥倖に過ぎない。主催者である皇帝も、聖女も、城に集った上位貴族すらも一度に葬ることができる・・・帝国への報復を、一息で終わらせることが可能、という意味だ。

「はい。加えて、ご指示通りに帝都内の隊員は撤退を完了してあります。いつでも、潜入行動に移れます」
「ありがとう。でも、予定通り正面からいくよ。理はこちらにあるのだから」

主はゆっくりと頷く。しかし、その声音には固い意志が宿っていた。俺は深く頭を垂れ、夜の森の匂いを吸い込んだ。

たとえ、諜報員が全員撤退した現在でも。これまでの入念な調査と監視により仕込みは完了、帝都のすべての流れは掌握下にある。
今更、愚かな人間たちがどんなに騒ごうとも。この世で真に力を持つのは我らだけ―そう思いながら、俺は翼を微かに広げた。

全ては、主のため。
そして、愚行を犯した者達に報いを受けさせるために。


△▼△


夜の帳が、都を包みこんでいた。
遠目にも分かる。城壁の内側に灯る光が無駄に眩しく、目につく。城だけでなく、街全体が宴の雰囲気を帯びていた。
しかし、勝利に杯を交わしながら、彼らは誰一人として知らない。その勝利が偽りであることも、門前に滅びの気配が立っていることも。

「主、再度御約束を」
「ああ。10分を目安に、書簡を渡すまでね」

目だけで苦笑を返しながら、主はマスケを軽く指で抑えている。一息つくと、躊躇なく俺の魔力外に出て歩みを進めていった。

門の前には二人の衛兵と、焚火に手をかざして肩をすくめている兵士が一人。全員の鎧には帝都騎士団の紋章がついている。剣を足にかける鷲と、光を模した十字の意匠だ。
歩み寄る主に、片方の衛兵が眉をひそめた。

「おい、そこの者。ここがどこだかわかっているのか?」
「もちろん。皇帝の玉座があり聖女が守る帝都、だろう?」
「ならば下がれ。本日は催しのため、夜間の一般通行を禁じている」

衛兵は槍の柄を少し傾けて、威嚇の構えをとった。
しかし、あの気配、立ち振る舞い、なによりも気品さで相手を判別できない門番など、なんの役にも立たないな。

「緊急だよ・・・皇帝への、謁見を求める」
「は?」
「僕は、魔の国の使者。王の名代として来た。用件は1つ――宣戦布告だ」

一瞬気圧されたように、衛兵の目がぐっと見開かれた。次の瞬間、焚火の傍にいた兵士が笑い声を上げる。

「はっ、宣戦布告だと? お前ひとりでか?」
「寝ぼけてやがる。リーゼロッテ様の結界がある帝都に、魔族ごときが何ができる?」
「・・・ふん、たしかに面構えは悪くない。女にはモテそうだが、冗談が過ぎるな」
「僕の国には、“正々堂々”という言葉があってね」

彼らの下卑た笑いを受け流しながら、主はゆっくりと懐に手を添える。
その動作に焦った槍が向けられる。たとえ妃の守りがなくとも、何の付与もない鉄の塊が主に傷をつけることなど不可能だ。
・・・その事実は、十分に理解はしているが。あの兵士の腕は後で切って捨てると心に決めて、男の顔を覚えた。

「国家間の、最低限の礼儀を尽くしに来ただけだ。なんの通達もなくこちらを襲撃したお前たちと違って」
「なんだと!」

兵たちが一斉に槍を構えたが、主は動じない。それでも、俺は兵士の軽率さに吐き気がする思いだった。
その時、兵の背後から足音が近づいてくる。革靴と重鎧の擦れる音。帝都騎士団の紋章を肩に刻んだ男――この門の夜警部隊長だ。

「どうした、騒がしいな」
「はい、部隊長。この者が、皇帝陛下への謁見を求めておりまして――宣戦布告をすると」
「宣戦布告?」

低い声は訝しむ様子を隠しもしない。部隊長が主を見上げたその瞬間、門番たちの笑いがぴたりと止まる。
夜気が張り詰め、呼応するかのように焚火が揺らめく。主が投げ渡した書簡が部隊長の手にしかと触れる。
男は手の中の書簡に警戒を強め、ゆっくりと剣に手を伸ばした。

「貴様、まさか・・・!」
「伝えておいてくれ。これは僕――アルディオス・フォン・ルシフェルによる、帝国への正式な宣戦布告だ」

名を告げた瞬間。焚き火から一際大きく爆ぜた高い音が響く。
兵士の何人かの視線が焚き火にそれた瞬間、俺は一歩を踏み出して主のもとに跪いた。再び魔力範囲に入ったために、主を見失った兵士たちは口汚く罵り合いながら、目の前を駆けていく。
主は、黒羽の外套を翻して振り向いた。月明かりの下、その顔は夜に溶けるような怜悧さに彩られている。

「御約束の時間を、過ぎておりましたので」
「待たせたね。行こうか」
「はい」

本人の申し出により、ルントは俺の足首に小さく抱きついたまま。背に主の重みを感じて、首を上げて速やかに空へ駆ける。

賽は投げられた。この後は、我らの時間だ。
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