銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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王国の聖女編

その後の2人(アルディオス・ヴィント視点)

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前後半で視点が変わります。
後半のヴィント視点は残酷表現あり。苦手な方は自己回避ください。
ーーーーーーーーーー


書類を整えふと顔を上げると、対面してソファに座る身体はわずかに傾き、細い肩がゆっくりと揺れていた。
ミュリエルは、刺繍枠を抱えたまま珍しくうたた寝をしていた。右の指はまだ針を握っていて、薄く色づいた唇がわずかに開いている。繊細な花を縫い取りながら、そのまま夢に落ちてしまったらしい。

「・・・ミュリエル?」

静かな声で呼びかけるが、反応はない。靴の音が2人だけの部屋に小さく響くのを気にしながら、傍らに歩み寄った。隣に腰を下ろし、そっと指から針を抜いた。触れた指はひんやりと冷たく、緊張して固まっている。針をクッションに、刺繍枠をテーブルへ戻したあと、彼女をゆっくりと抱き寄せて自分の膝の上に頭を乗せた。
銀色の髪が、腿にさらさらと流れる。その滑らかさに、無意識に目尻が下がる。
だけれど、その整ったかんばせを引き立てるはずの瞼の下には、化粧でも隠しようのない隈があった。

「・・・ごめん」

・・・この一か月ほど、彼女は夢にうなされる日があった。目覚めるたびに震えて、目尻に涙を浮かべていた。
初めは、フラッシュバックかと思った。平穏な日々に身を置き慣れたころ、過去の被害を思い出すことはままあることだ。そして、それを乗り越えれば精神の成熟と安定にもつながる。僕がたっぷり甘やかして、心身ともにミュリエルを支えればいいと考えていた。
しかし、その頻度は徐々に増え、眠りながら泣く日すらあった。それこそ、夢も見ないように体力の限界まで愛で尽くした夜でも。
さすがにおかしいと調査を命じた頃には、愛しい人から陽だまりのような笑顔が減り、食欲不振からか体重も落ちてしまっていた。

一度、うなされていた彼女を起こそうとして明確に拒絶され、突き飛ばされた。
開いた距離が遠く感じ、激しい絶望に襲われ目の前が真っ暗になって・・・次に気がついたときには嫌がるミュリエルを強引に腕の中に閉じ込めて、手近なバスローブの紐で縛り上げていた。
翌日、手首に跡が残る状態で目の覚めた彼女に、なんとか事情を説明して許しを請うたのは言うまでもない。聞けばミュリエル自身も昨晩の記憶などなく、夢の内容すら覚えていないことが知れた。
ーまさか、幾重にも施した呪い返しをすり抜けて、彼女に悪夢を見せる者がいるだなんて。完全に、僕の手落ちだった。

「不甲斐ない夫で・・・もっと早く、気づいて動いていれば」

薄い瞼を指先で撫で、こめかみから頬へと沿うように手を滑らせる。
悪夢は昼夜問わず襲ってきていたから、内容を覚えていないとは言え得体の知れない恐怖は計り知れない。だけど、夢見師がくれた鈴を寝室の天蓋に下げてからは、よく眠れる日が戻っていた。
そういえば、月の君と呼ばれた彼女を言い得て妙だと思ったものだ。月は、魔力にも関係していて魔族の中でも受け入れられる要素の1つだし。

「少しでも、良い夢を見られますように」

そう呟いてから、両手で彼女の右手を包み込む。以前してくれたマッサージのお返しだ。固くなっていた親指と人差指の間を優しくほぐすように揉んだ。そういえば、膝枕もしてもらったっけ。
しばらくして、満足した僕は膝掛けを引き寄せてそっと手を戻す。ミュリエルの髪を撫で続けた。眠る彼女の顔は、先程よりもわずかにやわらぎ、口元が緩んで見える。
聞こえてくる寝息は穏やかで、温かな重みと微かに膝の上で響く音が僕の心を静かに包み込んだ。


△▼△


彼女を、隣の部屋にあるベッドに寝かせて額にキスを落とす。鈴はこちらにもあるので一度濁り消耗具合を確認して、チリンと鳴らす。これでしばらくは、目を覚まさないはずだ。
再び執務室へ戻ると、僅かに重力をかけて扉に圧をかける。自席に腰を下ろしてから、指先で数回机の天板を叩き目を閉じ、意識を切り替えた。

「入れ」

扉の向こうで控えていた声が短く応じる。

「失礼いたします。報告に参りました」

クリスは静かに入室し、深く一礼を捧げた。緑の髪を短く後ろで束ねた彼の表情は、硬く引き締まっている。

「では、始めてくれ」
「かしこまりました」

夕の静けさが執務室を包み、室内灯だけが穏やかに揺れていた。クリスは肩にクレーエを伴っており、現在王国にいるヴィントも報告に参加すると述べる。部屋の隅には護衛のツヴァイが、静かに佇んでいた。
書簡を開き、淡々と読み上げる。

「ミュリエル様を蝕んでいた悪夢の原因は、やはり夢見師の指摘通り紫の宝石がついたブローチでした」
「もとは彼女の母の所有物だった、あれ?」
「はい。アルディオス様もご承知の通り、長らく王国の聖女のロザリオの要石として使用されていたようです。ところが、最近になって新たな石を得たらしく、宝石は信奉者の1人に下賜されました」
「・・・繋がりが呪いを強くしたか」

偶然とはいえ、嫌な繋がりだ。やはり、初手で形見を手に入れられなかったことが悔やまれる。
ミュリエルの顔が脳裏に浮かんでいた。起き抜けの涙を隠そうとして俯いたり、心配をかけまいと微笑もうとしたり・・・
僕は静かに臍を噛んだ。

「信奉者たちが、あの女の指示で呪いをかけたことは間違いありません。おそらく、いつまでも姿を現さない本物の聖女に悪夢を見せることで教会に引き寄せようとしたのでしょう。精神的に弱ったところにつけ込み、自らの支配下に置こうと糸を引いた節があります」
「・・・本当に、馬鹿げている」

僕が婚姻を国内外に知らせてから、後が無い教会がまがい者を王国の聖女と認定したことは知っていた。そして、女の歪んだ癖も。
それでも、向こうが手を出さなければ放置しておくつもりだったのに。

「人数、居所は?」
「判明しております。術者は合計6名、内訳は男が4人、女が2人です。また、呪いの核は先んじて潜入させた柱によりすり替えが完了、回収済みです」

僕は頷くと、クレーエに目をやった。

「ヴィント。直接命じる」

間もなく、静かにそこにいたクレーエの瞳に光が宿った。

『主、何なりとご命令を』

ヴィントの声は冷静で、実直だった。いつも通りの返答に、僕は一瞬安堵を覚える。

「呪いの核である宝石を僕に。加えて、この件に携わった王国の聖女の狂信者どもを全員、生きたまま連れてこい」

抑えてはいたけれど感情の乗る声音に、クリスがわずかに身を引く。だが、クレーエは微動だにしない。向こう側で臣下の礼を取ったことまで、ありありと想像できる。
さすが、修羅場を超えた数の差かな。

『畏まりました。今夜にでも対処に移ります』
「可能な限り、手早く済ませろ・・・ミュリエルに、悪夢の続きを見せることなど絶対に許さない」
『了解いたしました。必ずや主の望みを果たします』

通信が切れたあとも、しばしの沈黙が流れた。僕の指先は、書簡から離れてクリスの淹れた紅茶にのびていた。

「・・・あとは、くだんの女だな」

クリスが小さく頷く。

「現在は、国境のダンジョンに王太子たちと挑んでいるとの報告が挙がっております。おそらく、権威付けと揺さぶり、我が国がどこまで掴んでいるか確かめるためでしょう。彼女の処遇は・・・」
「待っていれば、向こうから来る。わざわざ追う必要はないよ」

自然と、魔力が揺らぐ。沸々と煮える怒りを体現しているかのようだ。
間違いのないように、僕はクリスにはっきり述べた。

「久しぶりの獲物だ・・・僕が手を下す」

ミュリエルを苦しめた張本人だ。必ずこの手で決着をつける。








△▼△








捕縛は拍子抜けするほど簡単だった。

王国の主都より二街離れた教会の跡地。
その地下へ潜んでいた信奉者たちは、有事の際の訓練も組織系統もなっておらず、ただ偽りの聖女の名を叫び、呪文の一節を口ずさむことしか能がなかった。
陛下に求められ、設立からだいぶ経った影の部隊我々にとって、そんな集団は掃討というより回収に近い作業である。

今、その信奉者たちは地下訓練場の一角、魔法障壁で囲まれた円形の檻の中に膝をついていた。
男4人、女が2人。交々こもごも意味の無い言葉を発している。
すでに国境を越えた以上逃げても意味はないし、抵抗すればするほど制御陣が作動して魔力を吸い取っていくだけだ。

「騒がしいな。まだ神の加護とやらでも期待してるのか?」

檻を見やると、信奉者の一人が血走った目で睨みつけてくる。

「黙れ! あなたたちのような悪魔には、いずれマリアンヌ様からの裁きが下るのです!」
「は」

ここにいる時点で加護などないとなぜ気づかない。心底そう思った。
好きに宣えばいい。どうせ、奴らに許しは訪れない。


△▼△


命令通り、全て差し出すつもりだった。呪詛の要である紫の宝石と、その術者たる信奉者どもを。
だが、主は石だけ受け取ると、微笑を浮かべて言った。

『ご苦労だったね』
『身に余る光栄です。主、この度は』
『僕も見たけど、呪術に長けた者がいたわけではない。あの女が使い倒した宝石に、縁があり元凶があった。仕方ないよ』
『はっ・・・それでは、捕らえた者達は如何様に』
『殺さなければ、あとはヴィントの裁量に任せる。部下たちも増えてるし人体の把握も必要だろう?』

それは、命令というより下賜であり、信頼の証だった。
深々と頭を下げて、執務室をあとにする。主の感心はすでに手の中の宝石に移っていた。  


石畳の床に膝をつかされた白衣の女が、俯いたまま呻き声を漏らしている。その肌には抵抗したせいで縄の跡が模様のように浮かび、歯を食いしばりながらも必死に自身へ回復魔法をかけていた。淡い光が傷を癒し、皮膚が元の色に戻っていく光景は、一種の神秘にも似ていたが。

「いやぁああ! 魔物に触れられた・・・穢れが移る!!」
「ここから出せ。水だ、水を寄越せ!」
「・・・どう見ても聖なる者には見えねぇな、あの面構えは」
「狂信者の内面なんざ、香水で覆い隠した悪臭みたいなもんだ。腐ってるに決まってるだろ」

部下達の密やかな呟きを聞きながら、口元だけに薄い笑みが浮かぶ。普段なら任務中の私語を咎めるところだが、内にある憤りに気づいたからだ。
そうだ、私は怒れる。存在意義を与えて下さった主のためならば。
足音を響かせながら檻の前に立ち、じろりと信奉者の一人を見下ろす。年若い男だ。金髪を短く切り揃え、青ざめた顔にはまだどこか救いを求めるような表情が残っていた。
それがすでに心の芯まで、偽りの聖女に浸食された証だとわかっている。

「隊長、動作確認、準備できました」

部下の報告に頷き、俺は檻の扉を開けた。

「お前たちは訓練用の的だ。回復魔法しか使えぬよう楔を打ってある。壊れたら自ら治せ。気を失っても、魔方陣で勝手に治る」

必要なことだけを話し、何一つ理解していない者たちをそのままに訓練場へ踵を返す。後方で控えていた経験済みの者たちは、目線一つで指示がなくとも檻から信奉者どもを引きずり出していた。
石造りの空間には複数の魔法陣が刻まれていて、中央には制御用の陣、周囲には強制治癒の陣が複数配置されている。

「おい、新参」

名を呼ばれた若い隊員たちが、肩を震わせながら駆け寄ってくる。

「はいっ」
「急所の実践を行う。魔力だけは上等だから魔法の標的にもなるし、斬り所の練習にもなる」

俺は硬化させた羽根で、手首を繋がれ宙吊りになった男をなぞった。

「目、喉、腋、脇腹、下腹部、脚の付け根。ここを狙え。骨が浅く、血管が近い」
「ひぃいいい! やめろ! 離せぇ」

後輩はごくりと唾を飲み込みながら頷いた。
設立当初は主従契約を結んだ半魔が大半を占めていた構成員は、中身はそのままに諜報部として近衛騎士団に編入されたのをきっかけに人数が増えた。今期所属した中には、貴族子弟や生まれてから国を出たことがなく、人間を見るのが初めての者もいる。

「魔法で、どれだけ苦痛を与えられるかを知るのも仕事だ。回復魔法は自分でかけさせる。気を失ったら、足元の魔法陣で強制回復される。それまでは、使い続けて構わん」

向かいの魔法陣にも信奉者の一人が引きずられ、連行されてきた。白衣は血と泥で汚れ、目元は泣き腫らしている。だがその口元にはまだどこか諦めきれない信仰の影が残っていた。

「聖女様・・・マリアンヌ様! どうかご加護を」
「火球、威力は六割。焦がす程度でいい」
「了解!」

若い隊員が詠唱し、掌から火の球を放つ。信奉者の腹部に直撃し、悲鳴が上がる。衣が焼け、皮膚がただれた。回復魔法の光が、震える手で発動される。瞬間、焦げた皮膚が再生し、女は何度も咳き込んだ。

「その調子で続けろ。水球も使え。その体格の者の、肺がどれだけ満たされれば窒息するかも覚えろ。焦ると雑になる」
「はっ!」

もう一人の部下が水の魔法を詠唱し、口元に水球をぶつけた。肺を満たした水に苦悶しながら、男は震える声で回復魔法の紋を切って気道を再生する。繰り返し、繰り返し。
それを見下ろしながら、罪悪感のようなものが胸をよぎった。
主の目であり耳であるはずの自分がいて、事件を未然に防ぐことができなかった。
しかし、それはすぐに別の感情でかき消される。

主の唯一を、傷つけたのだ。
関わりの薄い、俺ですら確信できる。主の寵愛を一身に受けながらも、妃は奢りが一切ない。城から出ず、無欲に日々を過ごす彼女に謂れなど有り様もない。
偽物に唆されるがまま、夢を弄び、心を蝕んだ者たちに慈悲など無用。

「見ておけ、お前ら。これが敵だ。殺さず長く使え」

そう言い放ち、俺は隊員たちの前に立つ。

「今日の訓練で手を抜いた者は、次は自分が標的になると思え。狂信者を甚振るのが目的ではない。影として現場に出る資格を得るための試練だ。心してやれ」
「はいっ!」

全員が目に光を宿らせ、一斉に返事をした。
視線の先で一人の信奉者が絶叫を上げ、自らの魔法で再生し、そして苦しみの連鎖に戻っていく。
再び俺の口元には、冷ややかな笑みが刻まれていた。だがその奥にあるのは、確かな忠誠と、主への誓い。
命ある限りどんな手を使ってでも主の望みを叶えるという、静かなる誓約だった。


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