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王国の聖女編
親友との乾杯(トレーシー視点)
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肌が粟立つほど冷えた指先で、俺は魔封箱の蓋を閉じた。慎重に慎重を期して何度も確認した。
封印の文様が刻まれた銀の箱の内部には、例の扇子が固定されている。内外に使用した、俺の髪で結えた組紐は今用意できる最上の物。
それが、勢い余って深く刺した掌から落とした血と一緒に、鍵となって封を固めていた。
「これで、大丈夫」
その言葉は誰に向けたものでもない。ただ、無意識に洩れた独り言だ。
再度紐の結びと緩みを確認し、ポーションで止血する。箱を麻布で包み、両手に抱えて早足に部屋を出た。真っすぐに向かうのは、城の中枢にあるクリスの執務室。こういった『処理』には、彼ほど信頼できる存在もない。
「あとは頼んだ」
「確かに、受け取りました」
ノックを忘れて箱を差し出したとき、クリスは言葉少なに頷いた。中身には言及しない。形式的には聖女から献上されたものだ、それゆえに慎重なのだろう。
以前、俺は服飾師として情報を共有されている。あれが装飾品以上の意味を孕んでいることなど、一目でわかった。
そこに有るだけで、敬愛する2人を不幸にする。言うなれば特級呪物だ。
陛下は謁見中表立った感情を見せなかったが、彼女に関することだけは別だ。監視されているとは言え本丸が蠢く今、影のみがついた状態にしておくには危険すぎる。
素早く身を翻し、今来た廊下を引き返す。まだまだ休めそうにない。
△▼△
愛しのミュリエル様に会えば、陛下は甘えて癒されたかもしれない。いつものように、彼女以外を遠ざけて、ぴったりと寄り添って、何も言わずに・・・見たことも聞いたこともないから俺の妄想だけどな。ただ大きな相違はないはずだ。何年付き従っていると思ってる。
でも今回ばかりは、違う。
ミュリエル様を守るためには、一度被った仮面を貫き通さなければならない。自ら招いた王国の者たちを、この国から合法的にどうにかする手はずを整えるまで。
理性ある、為政者として一縷の隙も許されない。彼は『魔王』であり続けなければならないのだ。
なら俺は、ただの古い友人としてそばにいるだけ。
すれ違う近衛の礼に頷き返しながら、出た時よりも早く衣装部屋の隣へと戻った。落ち着ける家具と香りに囲まれるここは、もはや公然の自室と化している。
ずっと身につけていた、式典用の白い手袋を取って暖炉に放り込む。ちりちりと、灰になるのを尻目に上着も、カフスボタンを外す間もなく袖を捲り上げる。
洗面器に張った湯に手を沈め、指の一本一本を何度も擦った。一度、二度、三度・・・七度目でようやく血の気が戻った頃。鏡に映った自分を見てため息をつく。
「まったく、やってられねぇな。直にお褒めの言葉でももらわなくちゃ」
サイドボードの中から、赤ワインの瓶がちらりと輝いて見えた。癖でそこに手が伸びかけて・・・ぴしゃり、と自分の手の甲を叩く。地味に湿った音がして、痛い。
「・・・馬鹿か。俺はまだ死にたくない」
陛下にも、ミュリエル様にも着てもらいたい服が、身につけてもらいたい小物がたくさんある。
流石に髪を染めるまではしなくていいと思うが、今夜親友に差し出す酒としてはそぐわないと感じた。
代わりに手にしたのは、透明な蜂蜜酒の瓶。それと、下賜されたワイングラス2脚。
昔、陛下が王位を継いだ直後、国政に忙しくしていたときに一部の荒事を肩代わりしたらくれた。今に比べれば青い表情を残していた顔を思い出して、ふっと笑みが漏れる。
手に馴染んだ収納袋の中に、それらとあと1つをそっと忍ばせた。
・・・さて、どこにいる?
陛下は間違いなく、誰も来ない場所にいるはずだ。だが、この後のことを考えて魔力の発散は絶対にしない。探知はウザいし、訓練場や地下室にも向かわない。
上階にいる守るべき人と2階の聖女の間に位置する、城の『静かで独りになれる場所』にいる。
準備を整え思考を巡らせながら、俺は部屋を飛び出した。
誰よりも早く、見つけなければならない。彼の心を守るために。
△▼△
東塔の渡り廊下。
あそこは昔、彼がまだ子どもだった頃に誰にも邪魔されず読書をしていた場所だ。夕暮れが近づく今時分ではほとんど通る者もいない。午前中は陽が差し込んで、音が少なく、風が通る。『収める』には、最適の場所。
「いた・・・」
予想は的中した。よっしゃ冴えてる俺。
渡り廊下の先、影になった柱の前に無言で佇む陛下がいた。黒衣の肩を包むマントがよれ、金の留め具が床に落ちている。後ろ姿からでも張り詰めた糸が読み取れる。
俺はその背に一礼し、静かに言った。
「陛下、一杯お付き合いいただけませんか」
彼は返事もせず、振り返らなかった。背に色濃く拒絶を漂わせている。
「命に従い、よく頑張った臣下に。ご褒美だと思って」
「・・・」
応答はないが、ゆっくりと振り返った陛下は俺の隣に並んで腰掛けた。石の縁は冷たかったが、城中走って火照った体に心地いい。栓を抜いてグラスに注ぎ、彼の方へ差し出す。蜂蜜色の液体が傾いた日の光を受けて、黒の虚ろな瞳に映っていた。
「乾杯」
「・・・乾杯」
ようやく返されたその声は、端的に言って疲れていた。崩れてはいなかったけれど、指先にかすかな震えがあるのを俺は見逃さなかった。
陛下は、完璧に近い方だ。だが機械じゃない。感情がないわけ無い。怒り、傷つくことだってある。
先に俺が飲んで、空のグラスを無言で持ち上げる。陛下は諦めたようにため息をつくと一口だけ飲んだ。
甘く、深く、胸を温める味が喉を通る。結構いい味だ。
「・・・とっておきが、ある」
グラスの縁に唇を寄せていた彼の目が向く。俺は袋から、革張りのスケッチブックを取り出した。留め具を外し、やや乱雑にページをめくる。
「昨日、朝方まで描いてた。ほら、これは・・・どうかなって」
開かれたページには、水色のドレスのデザイン画が描かれていた。柔らかいリネンと絹を重ねた胸元、波打つようなスカートの裾には、小さな刺繍で陽だまりに咲く草花が添えられている。全体は控えめな生成りだが、光の当たり方で桜色に見える細工が施されていた。
モデルの顔はない。なくても、彼には伝わるから。
「暖色系も似合うけどさ、大人の女性になられた彼女にはそろそろ寒色系も勧めたい」
「・・・いい」
ぽつり、とアルディオスが呟いた。小さな声だったが、確かにそれは肯定だった。打ち震えそうな歓喜を、にやけそうになる口元を必死に隠して俺は次のページをめくった。
「これは、夕食のあと読書でもしながら羽織っててほしい部屋着。素材は綿麻と薄いフリルで、帯はちょっと長めにした」
瞳の色と合わせた、柔らかなラベンダー色。袖口はふわりと広がって、腰にはリボンで結ぶ軽やかなデザイン。肌触りが優しく、そしてなによりミュリエル様らしく、慎ましく美しい。
「麻はダメ。肌に合わない」
「そっか、繊細だもんな」
「ただ・・・この花の刺繍はいい。好きだと思う」
「だろ? 椿は、温室で一番最初に世話したって聞いたぜ」
またページをめくる。今度は夜会用のドレス。黒を基調に、薄いグレイッシュブルーがグラデーションになって流れる。スカートは歩くたびにふわりと広がる仕立て。襟元は高く、肩は覆っているが、背中の部分は大胆に空いている。
はっきりと、アルディオスの眉間に皺が寄った。イケメンはマジでどんな顔してても様になるな。
「これは、いらない」
「やっぱりか。ちょっと大人びすぎるかと思ったけど、陛下の趣味じゃないって顔してる」
「いや。彼女には、威圧的な服は似合わない」
「ごもっとも」
次のページへ。デイドレス、耳付きフードの寝間着、シンプルなブラウス。漆黒の目がスケッチにそっと追いつき、ぽつぽつと感想を口にする。時折、指先で図案を押さえ、色味を変更したり、レースの幅を短くするよう指示を加えたり。
「この袖、広すぎ。動きにくいかも」
「直しておくわ。引っかけて紅茶でもこぼしたら大変だ」
「この腰回りのライン、気に入ってる。彼女がこの形、好きだから」
「それ、以前膝枕でうたた寝してたときのスカートと似てるの、気づいてた?」
「誰に聞いている?」
いつの間にか、陛下の目に色が戻り穏やかな空気を纏っていた。グラスが空になるたび注いだミードの瓶には、わずかに甘い琥珀色が残るのみ。渡り廊下を染めていた夕日は、夜の帳に変わっていた。
「で。あの扇子だけどさ」
ここに来てから初めて、漆黒の目に俺が映る。内心の緊張を悟られぬよう、努めてごく自然に本音を言った。
「センスねぇよな」
永遠にも感じる、一瞬の沈黙。気まずい空気が流れるかと思われた、が。
「ふっ・・・」
アルディオスは、噴き出していた。それは最初、ただ喉の奥で抑えきれなかった笑いだった。しかし、次第に声になり、ついには口元を押さえて肩まで震わせて笑い始めた。
長いこと抑えつけていたものが、今ようやくほどけたのだろう。その証拠に、アルディオスは笑いの合間に涙を拭って一言だけ言った。
「・・・トレーシー、君たまに、本当に命知らずだよな」
「ああ、結構覚悟決めたわ。全部終わったら特別休暇くれ」
冷や汗を隠すように肩を竦めて、残りを注ぎ込んだグラスを一気に飲み干す。瓶はやっと空になった。
陛下は静かに瞬きをして俺を見て、目を細めて確かに言った。
「ありがとう」
陛下の、涙ぐんで潤んだ顔は見る者を魅了して罪深い。それこそ子供の時から見知っている俺じゃなかったらヤバかったぞ。
まあ見たのは俺だけだから、笑って返す一択だ。
「そう思うなら、これからもどうぞご贔屓に」
片付けをする俺の横、陛下が何の気なしにめくったスケッチブックの最後のページには、ただ一言。
『貴方たちの背を、俺が守る』
そう、古語で記されている。
それを見たとき、アルディオスは再び言葉を失った。そして、言葉を発さずそっとページを閉じていた。
ーーーーーーーーーー
副題 : 対峙前、魔王はいかにして平静を取り戻したか。
封印の文様が刻まれた銀の箱の内部には、例の扇子が固定されている。内外に使用した、俺の髪で結えた組紐は今用意できる最上の物。
それが、勢い余って深く刺した掌から落とした血と一緒に、鍵となって封を固めていた。
「これで、大丈夫」
その言葉は誰に向けたものでもない。ただ、無意識に洩れた独り言だ。
再度紐の結びと緩みを確認し、ポーションで止血する。箱を麻布で包み、両手に抱えて早足に部屋を出た。真っすぐに向かうのは、城の中枢にあるクリスの執務室。こういった『処理』には、彼ほど信頼できる存在もない。
「あとは頼んだ」
「確かに、受け取りました」
ノックを忘れて箱を差し出したとき、クリスは言葉少なに頷いた。中身には言及しない。形式的には聖女から献上されたものだ、それゆえに慎重なのだろう。
以前、俺は服飾師として情報を共有されている。あれが装飾品以上の意味を孕んでいることなど、一目でわかった。
そこに有るだけで、敬愛する2人を不幸にする。言うなれば特級呪物だ。
陛下は謁見中表立った感情を見せなかったが、彼女に関することだけは別だ。監視されているとは言え本丸が蠢く今、影のみがついた状態にしておくには危険すぎる。
素早く身を翻し、今来た廊下を引き返す。まだまだ休めそうにない。
△▼△
愛しのミュリエル様に会えば、陛下は甘えて癒されたかもしれない。いつものように、彼女以外を遠ざけて、ぴったりと寄り添って、何も言わずに・・・見たことも聞いたこともないから俺の妄想だけどな。ただ大きな相違はないはずだ。何年付き従っていると思ってる。
でも今回ばかりは、違う。
ミュリエル様を守るためには、一度被った仮面を貫き通さなければならない。自ら招いた王国の者たちを、この国から合法的にどうにかする手はずを整えるまで。
理性ある、為政者として一縷の隙も許されない。彼は『魔王』であり続けなければならないのだ。
なら俺は、ただの古い友人としてそばにいるだけ。
すれ違う近衛の礼に頷き返しながら、出た時よりも早く衣装部屋の隣へと戻った。落ち着ける家具と香りに囲まれるここは、もはや公然の自室と化している。
ずっと身につけていた、式典用の白い手袋を取って暖炉に放り込む。ちりちりと、灰になるのを尻目に上着も、カフスボタンを外す間もなく袖を捲り上げる。
洗面器に張った湯に手を沈め、指の一本一本を何度も擦った。一度、二度、三度・・・七度目でようやく血の気が戻った頃。鏡に映った自分を見てため息をつく。
「まったく、やってられねぇな。直にお褒めの言葉でももらわなくちゃ」
サイドボードの中から、赤ワインの瓶がちらりと輝いて見えた。癖でそこに手が伸びかけて・・・ぴしゃり、と自分の手の甲を叩く。地味に湿った音がして、痛い。
「・・・馬鹿か。俺はまだ死にたくない」
陛下にも、ミュリエル様にも着てもらいたい服が、身につけてもらいたい小物がたくさんある。
流石に髪を染めるまではしなくていいと思うが、今夜親友に差し出す酒としてはそぐわないと感じた。
代わりに手にしたのは、透明な蜂蜜酒の瓶。それと、下賜されたワイングラス2脚。
昔、陛下が王位を継いだ直後、国政に忙しくしていたときに一部の荒事を肩代わりしたらくれた。今に比べれば青い表情を残していた顔を思い出して、ふっと笑みが漏れる。
手に馴染んだ収納袋の中に、それらとあと1つをそっと忍ばせた。
・・・さて、どこにいる?
陛下は間違いなく、誰も来ない場所にいるはずだ。だが、この後のことを考えて魔力の発散は絶対にしない。探知はウザいし、訓練場や地下室にも向かわない。
上階にいる守るべき人と2階の聖女の間に位置する、城の『静かで独りになれる場所』にいる。
準備を整え思考を巡らせながら、俺は部屋を飛び出した。
誰よりも早く、見つけなければならない。彼の心を守るために。
△▼△
東塔の渡り廊下。
あそこは昔、彼がまだ子どもだった頃に誰にも邪魔されず読書をしていた場所だ。夕暮れが近づく今時分ではほとんど通る者もいない。午前中は陽が差し込んで、音が少なく、風が通る。『収める』には、最適の場所。
「いた・・・」
予想は的中した。よっしゃ冴えてる俺。
渡り廊下の先、影になった柱の前に無言で佇む陛下がいた。黒衣の肩を包むマントがよれ、金の留め具が床に落ちている。後ろ姿からでも張り詰めた糸が読み取れる。
俺はその背に一礼し、静かに言った。
「陛下、一杯お付き合いいただけませんか」
彼は返事もせず、振り返らなかった。背に色濃く拒絶を漂わせている。
「命に従い、よく頑張った臣下に。ご褒美だと思って」
「・・・」
応答はないが、ゆっくりと振り返った陛下は俺の隣に並んで腰掛けた。石の縁は冷たかったが、城中走って火照った体に心地いい。栓を抜いてグラスに注ぎ、彼の方へ差し出す。蜂蜜色の液体が傾いた日の光を受けて、黒の虚ろな瞳に映っていた。
「乾杯」
「・・・乾杯」
ようやく返されたその声は、端的に言って疲れていた。崩れてはいなかったけれど、指先にかすかな震えがあるのを俺は見逃さなかった。
陛下は、完璧に近い方だ。だが機械じゃない。感情がないわけ無い。怒り、傷つくことだってある。
先に俺が飲んで、空のグラスを無言で持ち上げる。陛下は諦めたようにため息をつくと一口だけ飲んだ。
甘く、深く、胸を温める味が喉を通る。結構いい味だ。
「・・・とっておきが、ある」
グラスの縁に唇を寄せていた彼の目が向く。俺は袋から、革張りのスケッチブックを取り出した。留め具を外し、やや乱雑にページをめくる。
「昨日、朝方まで描いてた。ほら、これは・・・どうかなって」
開かれたページには、水色のドレスのデザイン画が描かれていた。柔らかいリネンと絹を重ねた胸元、波打つようなスカートの裾には、小さな刺繍で陽だまりに咲く草花が添えられている。全体は控えめな生成りだが、光の当たり方で桜色に見える細工が施されていた。
モデルの顔はない。なくても、彼には伝わるから。
「暖色系も似合うけどさ、大人の女性になられた彼女にはそろそろ寒色系も勧めたい」
「・・・いい」
ぽつり、とアルディオスが呟いた。小さな声だったが、確かにそれは肯定だった。打ち震えそうな歓喜を、にやけそうになる口元を必死に隠して俺は次のページをめくった。
「これは、夕食のあと読書でもしながら羽織っててほしい部屋着。素材は綿麻と薄いフリルで、帯はちょっと長めにした」
瞳の色と合わせた、柔らかなラベンダー色。袖口はふわりと広がって、腰にはリボンで結ぶ軽やかなデザイン。肌触りが優しく、そしてなによりミュリエル様らしく、慎ましく美しい。
「麻はダメ。肌に合わない」
「そっか、繊細だもんな」
「ただ・・・この花の刺繍はいい。好きだと思う」
「だろ? 椿は、温室で一番最初に世話したって聞いたぜ」
またページをめくる。今度は夜会用のドレス。黒を基調に、薄いグレイッシュブルーがグラデーションになって流れる。スカートは歩くたびにふわりと広がる仕立て。襟元は高く、肩は覆っているが、背中の部分は大胆に空いている。
はっきりと、アルディオスの眉間に皺が寄った。イケメンはマジでどんな顔してても様になるな。
「これは、いらない」
「やっぱりか。ちょっと大人びすぎるかと思ったけど、陛下の趣味じゃないって顔してる」
「いや。彼女には、威圧的な服は似合わない」
「ごもっとも」
次のページへ。デイドレス、耳付きフードの寝間着、シンプルなブラウス。漆黒の目がスケッチにそっと追いつき、ぽつぽつと感想を口にする。時折、指先で図案を押さえ、色味を変更したり、レースの幅を短くするよう指示を加えたり。
「この袖、広すぎ。動きにくいかも」
「直しておくわ。引っかけて紅茶でもこぼしたら大変だ」
「この腰回りのライン、気に入ってる。彼女がこの形、好きだから」
「それ、以前膝枕でうたた寝してたときのスカートと似てるの、気づいてた?」
「誰に聞いている?」
いつの間にか、陛下の目に色が戻り穏やかな空気を纏っていた。グラスが空になるたび注いだミードの瓶には、わずかに甘い琥珀色が残るのみ。渡り廊下を染めていた夕日は、夜の帳に変わっていた。
「で。あの扇子だけどさ」
ここに来てから初めて、漆黒の目に俺が映る。内心の緊張を悟られぬよう、努めてごく自然に本音を言った。
「センスねぇよな」
永遠にも感じる、一瞬の沈黙。気まずい空気が流れるかと思われた、が。
「ふっ・・・」
アルディオスは、噴き出していた。それは最初、ただ喉の奥で抑えきれなかった笑いだった。しかし、次第に声になり、ついには口元を押さえて肩まで震わせて笑い始めた。
長いこと抑えつけていたものが、今ようやくほどけたのだろう。その証拠に、アルディオスは笑いの合間に涙を拭って一言だけ言った。
「・・・トレーシー、君たまに、本当に命知らずだよな」
「ああ、結構覚悟決めたわ。全部終わったら特別休暇くれ」
冷や汗を隠すように肩を竦めて、残りを注ぎ込んだグラスを一気に飲み干す。瓶はやっと空になった。
陛下は静かに瞬きをして俺を見て、目を細めて確かに言った。
「ありがとう」
陛下の、涙ぐんで潤んだ顔は見る者を魅了して罪深い。それこそ子供の時から見知っている俺じゃなかったらヤバかったぞ。
まあ見たのは俺だけだから、笑って返す一択だ。
「そう思うなら、これからもどうぞご贔屓に」
片付けをする俺の横、陛下が何の気なしにめくったスケッチブックの最後のページには、ただ一言。
『貴方たちの背を、俺が守る』
そう、古語で記されている。
それを見たとき、アルディオスは再び言葉を失った。そして、言葉を発さずそっとページを閉じていた。
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副題 : 対峙前、魔王はいかにして平静を取り戻したか。
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