銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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日常編

断章 ー服飾師の聞き取りー

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視点を決めない、第三者視点です。


ーーーーーーーーーー
王城の上階に位置する王の執務室には、冬の冷たい空気が名残を留めていた。
冬の陽射しが後ろの窓から差し込み、厚手のカーテンがふんわりと揺れる。暖炉の火は低く保たれ、柔らかく燃える薪の音が小さく部屋に響いていた。
そんな部屋に書類を抱えて静かに扉をノックし、控えめに入ってきたのはトレーシーだった。

「お休み中、失礼します」

視線を上げたアルディオスは、淡く微笑んだまま「どうぞ」と入室を許可した。その横には、妻であるミュリエルの姿もある。

「続きは、また後で」
「はい、わかりました」

トレーシーの予想通り、2人は椅子ではなくソファに寄り添って座っていた。ちょうど昼下がりの休憩時間。積まれた書類の端に、温かいハーブティーの香りが漂う。ポットの向きからして本日は、アルディオスが淹れたようだった。
顔を見合わせて、穏やかな表情の2人。今日も仲がよろしいことで何よりだ。

「先日お2人にお渡しした寝具の、その後の感想をお聞かせいただければと思いまして・・・いかがですか?」

トレーシーは、静かに近づきながらメモ帳を手にペンを構えた。視線は2人の背後へ・・・いや、正確には見えてはいないものを幻視していた。

ー灰色のもふもふな猫耳に、そよそよと揺れる毛長の尻尾・・・黒豹のしなやかな尾が、ふわりと妻の尻尾に絡んでいる。
想像とはいえ、しっかり見えた。脳裏に。

「暖かくて、とても気に入りました。冷える夜でも、朝までぐっすり眠れて・・・トレーシー様、とても良いものをありがとうございます」
「お褒めに預かり光栄です。質感、サイズ感などに違和感などありませんでしたか?」
「はい、内側も外側も触り心地が良くて・・・眠る前に、フードを被って頬擦りするのが最高に気持ちいいです」

ナニソレ、超見たい! てか、夫婦揃ってデッサンさせて欲しすぎるぅ!!
無垢な人妻の微笑みに、トレーシーの本音は舌先の、ほんのすぐそこまで出かかった。しかし、隣の夫のひと睨み微笑みでなんとか理性を取り戻す。
ちなみに灰猫の尻尾は、嫉妬半分お仕置き半分に黒豹に囚われガジガジ噛まれている・・・空想の中でだが。

「ミュリエル。サイズ感のことも聞かれてるよ」
「あ、はいっ! あの、少し袖が長めですが、それがゆったり着られて・・・手足が冷えなくて良く眠れます」
「それはよかった。職人は、手が命ですからね」

頭の上でぴくぴくと、灰色の耳が揺れているように見えるミュリエルはほんのり赤らんだ頬で頷く。アルディオスの言葉とともに、背後に回された右手がどうなっているかなんて、考えない。
ええ、ええ。萌え袖はミリ単位で調整しましたとも、と心の中で盛大にガッツポーズをしながらトレーシーは笑みを深くする。というか自然に深くなる。
とにかく、着用者の1人から満点に近い形で評価を受けて、服飾師としてこれ以上のことはない。そう思えた。
彼女の言葉を受けて、隣のアルディオスも頷く。

「僕の方は、サイズは丁度だ。デザインも実用性も、素晴らしい・・・ただ」

感情の赴くままに走らせていたペンが、そこでぴたりと止まった。
来た。アルディオスのそれは、今まで準備してきた全てを再検討せざるを得ない状況ぶち壊しにする可能性を宿した『ただ』だ。
トレーシーは最古参の忠臣として、何度それに辛酸を舐めた枕を涙で濡らしたことか、数えきれない。もちろん、ほとんどの場合指摘される穴だらけの企画書を通そうとしたこちらに非があるのだが。
無意識に、背筋を正す。王の言葉を待った。

「君から要望の出ていた委託販売にあたっては、いくつか条件をつけたい」
「条件、ですか」
「まず1つ目、宣伝活動一切に僕たちを使うことは禁ずる」
「・・・ハイ、承知しました」

正直、これは予想通りだ。黒髪黒目など、種族的な特徴がすでに知れ渡っているアルディオスはともかく、ミュリエルの容姿を世間一般に知られるわけにはいかないから。ただ、心のどこかで『高貴な夫婦御用達!』くらいは入れられるかなと企んでいたトレーシーは、『一切』の前に玉砕した。
さすが、抜かりはない。これでこそ政治もできる敬愛する魔王陛下である。
対して、隣のミュリエルは目をぱちくりさせている。

「宣伝活動・・・ですか?」
「簡単に言うと、販売する商品の広告に僕たち御用達、とか明文化することだよ」
「!! それは、恥ずかしいです・・・」

ぴーんと立ってしまった耳を撫でつけるように、アルディオスは微笑みながら隣の妻の頭を撫でた。
これで、一切の重みが明文化されたわけだ。トレーシーは内心ため息をつきながらも、そのやりとりを微笑ましく見守った。

「ミュリエル様、大丈夫ですよ。陛下の仰る通り、誰にも知られないようにしますから」
「よろしくお願いします。トレーシー様」
「はい」
「続いて2点目。ミュリエルと僕の寝具モチーフ・・・これらは商用利用を禁止とする」
『・・・へ?』

アルディオスはいつも通りに冷静な口調だが、内容は・・・導火線がわずかに残っただけの爆弾だった。
その証拠に、王の執務室に不似合いな間抜けな声が2人分漏れた。特に、ミュリエルにしては珍しい反応である。

「ちょ、ちょっとお待ちください。それはつまり、あの2着のデザインは・・・陛下とミュリエル様だけしか、お召しになれないと?」
「あれは僕たちのために君自らが用意した1着であって、元より他に出すつもりもない、そうだろう? トレーシー」

明確な断定。それ以上でも以下でもない。トレーシーはしばしその言葉を反芻するため沈黙し、やがて口元を押さえた。こみ上げてきた笑いを必死にこらえる。崩れそうな頬はなんとか堪えるが、声は漏れた。

「くっ・・・ああ、やっぱり・・・」
「何か?」
「いえ、なんでもありません。ただ、納得がいきすぎて・・・」

独占欲というか・・・いや、これはもう愛そのものだわ。
ただの実用品にすぎないはずの防寒パジャマ。だが、それ自体を唯一無二にすることで、アルディオスは公然とミュリエルへの想いを示している。そしてそれを『心底当然』と思っているあたりが、魔王としての威厳と愛の共存という、稀有なバランスである。

「一応伝えておくけれど、似たような装飾や配色も模倣と見なす。オリジナル性の高い別物としてなら販売許可を出そう・・・例えば、狐とか羊とかね」

トレーシーは堪えきれずに小さく吹き出した。さすが、魔の国一の愛妻家は妻のこととなるといつも以上に徹底している。

「ふっ・・・承知、いたしました。では、商品名は“恋する防寒パジャマ”ではなく、“孤独な冬のもふもふ対策”にしましょうか」
「・・・ビジュアル的に子供に人気が出そうだし、そのネーミングセンスはどうかと思うけど・・・販売の権利は君にある。判断は任せるよ」

ー結局、特注の2着は王都の流行に乗ることなく、“非売品”のまま城の最上階に留まることとなった。だが、それでも想像の火は消えない。

トレーシーの目には、今この瞬間も並んで座る二人の背後に灰と黒の尾がそっと、互いの腰に絡まってくすぐるように揺れている姿が見えていた。
これもあくまで、妄想であるが。

「話を戻しますが・・・お2人とも、今の寝具に問題がなければ、洗い替え用にもう1着ずついかがですか?」
「そうですね、長く大切に着させてもらいたいです」
「優先順位は低くて構わないから、手の空いた時にでも頼むよ」
「畏まりました」

ミュリエルがそっと呟き、アルディオスが小さく頷いた時、トレーシーはすでに第2弾の設計図を頭の中で描き始めていた。

もちろん、希望通りモチーフは変えない。灰猫と黒豹はもう2人だけのものだ。
そうそう、耳は前より柔らかくして。尻尾にもう少し反応幅を・・・いっそのこと、フードにも魔法陣を仕込むか。
誰にも真似できない2着を、誰より近くで仕立てる者として。魔王と妃の『冬の夜のおそろい』は、今日も密かに、王城の片隅で進化し続けている。


(続?)
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