銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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日常編

近衛騎士の話(セルグ視点)

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近衛騎士セルグ・リーエン視点。


ーーーーーーーーーー

ジルドルフ卿という名は、随分前、それこそ俺が入団する前から名簿に記載されていた。
『相談役』という肩書で、近衛騎士団に属しているらしいが、これまで一度も顔を見たことがなかった。治める領地が遠いのか、真面目に訓練に出てこない上役か、あるいは名ばかりの外様か・・・そんなふうに考えていたのも、今日までの話だ。

「セルグ、お前に頼みたい」

団長に呼ばれ、そう言われたのは朝の鍛錬前だった。
訓練場の端に、小柄な少年と灰色の髪の男が立っていた。男は無地の軍服に身を包み、従者らしい少年に何やら指示を出している。

「あれが・・・ジルドルフ卿、ですか?」
「そうだ。初めて会うか?」
「ええ、名は知っていましたが」
「彼の相手をしてくれ。どちらかが一本を取るまでの模擬戦、剣は模造刀、魔法は身体強化まで。それで頼む」

団長自身、任務が忙しく久しぶりの練習参加だった。しかし、持ち前の魔力の練度、氷結色の目に揺らぎは一切ない。命令ではないものの、期待されているような気がして拒む理由もない。むしろ気持ちは高揚してきていた。
俺は力強く頷き、模造刀を右手に訓練場の隅へ歩み寄る。

ジルドルフ卿は、従者の少年に右腕を前に固定具で留めてもらっていた。まるで封印でもするかのように、ぴたりと動かない右腕。その様子に少しの違和感を覚える。
後ろで固定しないのか? まあ、それ自体はよく使う道具ではあるが。

「お待たせしました、ジルドルフ卿。お初にお目にかかります、セルグ・リーエンです」

そう名乗って一礼すると、顔をこちらに向けた男は穏やかな笑みを浮かべた。灰色の髪に、落ち着いた紫の瞳。思ったよりも若い。いや、年齢不詳というべきか。どこか抜けた雰囲気を持ちながら、全身に隙がないように思える。

「よろしく。呼び方はジルでも、ドルフでも。形式ばったのは苦手でね、この格好なら不敬なんてとらないさ」

そう言って彼は騎士の一礼を返した。人懐こいように思えて、その瞳の奥は冷静だった。
身体つきを含めた立ち居振る舞いは、文官というよりは武人に近い。だが剣士然としてもおらず、不思議な違和感を覚える。固定具が実質的なハンデになるため自分もつけましょうか? と尋ねたが、彼は首を横に振った。

「どちらでも。私のための訓練だから、有無は気にせず」
「わかりました。では、始めます」

まずは様子を見るため、基本の斬りから入った。鋭く振り抜いた刃を、ジルドルフ卿はあっさりと左手一本で受け流す。どうやら左利きらしい。

ー動きが、遅い?
卿からの初撃はまるで力が抜けたような、拍子抜けする反応だった。重心も浅い。攻撃の意志が見えない。
まさか・・・やる気がないのか?
ほんの一瞬、そう思いかけた。滅多に剣を持たぬ相談役のお守り接待でも任されたかと。
だが、続けて二撃、三撃と斬り込むうちに違和感は確信へと変わっていく。

・・・躱されている。もしや、狙いが読まれてる?
こちらの刃が届く寸前、すでに卿はそこにいない。踏み込みを見ているのではない。視線、呼吸、身体全体から意図を読み取っているとしか思えない動きだった。

ただ避けているのではない。危険の直前だけ、最小限で位置を変える。まるで空気の流れを自在に操っているかのような、自然で無駄のない体捌き。

「・・・っ」

やばい。これは・・・!
隅で行う模擬戦なのにもかかわらず、周囲の騎士たちが息を呑んでいるのがわかる。ジルドルフ卿の見た目こそ片腕だが、動きは決して未熟ではない。むしろ身体の軸をぶらすことなく、異様な完成度だった。
俺は奥歯を噛んだ。何度も斬り結ぶ間に、こちらの息が上がっている。だが、灰色の髪を揺らす男は汗一つかいた様子はなく、構えも立ち姿も変えずに佇んでいる。その向けられる眼差しだけが真摯で、鋭い。
もしかして、自分の方が試されているのか?
ツヴァイ団長が全体を注視しつつも、こちらを目を細めて見守っているのが視界に入る。

だったら、遠慮はいらないな。

「はぁああっ!」

次で決める。自分の誇りを懸けた一撃を、放つときがきた。
踏み込みと同時に剣を振る。意図的に足の裏へ魔力を集中させ、刃がぶれる寸前の加速を生み出す。斬撃が相手に届く、その瞬間—

—ガキンッ!

鈍い衝撃とともに、ジルドルフ卿の模造刀が動いた。
咄嗟の反応だった。防ぎきれなかった剣は弾かれ、俺の胸元へ鋭く突き込まれる・・・と同時に、自分の刃も彼の喉元をかすめる位置にあった。
一瞬、空気が凍りつく。互いに動きを止めたまま、沈黙が支配する。

「一本・・・」

審判役が言いかけた声を遮ったのは、団長だった。

「否。両者、引き分けとする」

場に緩やかなざわめきが戻る。
一礼して顔を上げた俺は、ふと自分の額に汗が滲んでいることに気づいた。呼吸を整える間もなく、体の芯から重い何かが押し寄せてくる。

勝ったと思った。でも・・・違った。
切り合いを振り返る。ジルドルフ卿の動きの全ては、後手だった。だが、それが意図されたものだったのだとしたら。
受け流しも、回避も、剣を弾かれたことすら、計算された範囲内だったのだとしたら・・・
俺は急いで卿へと走り寄り、言葉を絞り出して頭を下げた。

「ありがとうございました! 次があれば、またぜひお願いします」

頭を下げたまま、握手を求める手が自分でも分かるほどに震えていた。
だけれど、彼はそれを指摘することもなく左手でそれをしっかりと握り返してくれる。

「またよろしく。リーエン」

微笑みを浮かべ、敬意を忘れない柔らかな声が聞こえる。剣を薙いだまま、従者を連れて去っていく背に敬礼をとりながら、俺はまだ胸の内で整理できないものを抱えていた。
その背に、団長がぽつりと呟く。

「魔力は4分の1・・・あれでも、まだ実力の3割も出していない」
「え?」

思わず振り返ったが、何も答えずに歩き出す。ただその背中に、黄金色の一房の髪が揺れている様は、どこか誇らしげに見えた。


(終)
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