銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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日常編

断章 ー聖域あるもふもふー

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副題 ∶ もふもふ狂想曲~冬の部~ 終止

ーーーーーーーーーー
それは、王都に革命をもたらした。
もちろん戦でも、まつりごとでもなく。ひとつの布製品によってもたらされた、静かな夜の支配だった。

最初は、ごくささやかな展示だった。王都中央区にある商店街の片隅、まだ人通りの少ない早朝に親子用パジャマのサンプルが飾られた。クリーム色と水色の優しい組み合わせ。フードに縫い付けられた丸くて柔らかな耳、ぴんと伸びた短めの尻尾。耳は飾りで動かないが、尻尾は着用者の感情に合わせてふわふわと動くという。

「感情で、動くのね」
「子どもが夜泣きしたら、寝ててもあやしてくれるってほんと?」
「お母さんが抱きしめると、子の尻尾が嬉しそうに揺れるらしいわよ」

噂は、数日のうちに母親たちの間に広まった。
当初の販売ラインナップは『母子用セット』のみ。王都でも限られた工房しか作成していないため、注文数には上限があり、在庫がなくなり次第完全予約制。だが、その背後にはすでに膨大な数の尻尾パーツの在庫と、生産ルートの確保が整えられていた。
耳はあくまで飾りであり、母子による大きさの調整も少ないため製造の手間も軽く済む。動くのは尻尾のみ・・・だがそれこそが、心理的に最大の効果を発揮した。

母子のぬくもりと一体感を演出するには、過剰な動きは不要だったのだ。
仕掛けたのは、ヴァンピーア公爵家当主であり知る人ぞ知る衣装狂の男。だが彼の販売計画の裏には、ある日ぽつりと呟かれた『一言天啓』があった。

「まずは母子、次に父親、最後にカップルかな」

それは、ごく私的な場での呟きだった。聞いていたのはトレーシーのみ。しかし彼はその瞬間、人生の指針を得たかのように背筋を正し、懐から帳面を取り出して戦略に書き起こした。

第1段階:母子ペア販売
第2段階:男性・女性単体販売
第3段階:ペアセット販売

その3段構えは、単なる衣服の販路拡大ではなかった。家庭内の感情の導線を読み取り、購買の動機を『必要』ではなく『共感』や『憧れ』に誘導する高度な心理的設計だったのだ。
ただ、王の視点では単身女性・・・友達や姉妹でお揃いの物を着たいという乙女心が抜けていたため、実際の現場はトレーシーの手でそっと加筆修正をしておいた。
仕方がない。アルディオスにはすでに唯一がいて、それ以外は路傍の石と同じなのだから。
実際、第2段階である単身者向けの販売が始まって1週間後には、王都のあちこちでこんな声が聞こえるようになっていた。

「うちの娘がね、パパも一緒に着ようって。どうしてもって・・・」
「息子と一緒に寝る時、ちょっとでも動くと尻尾が反応するから、寝返りすら気を遣うよ。だが・・・悪くない」
「思ったより・・・温かいな、これ」
「話題のパジャマ! これでルームメートとお揃いにできるっ」

そして始まった第3段階、満を辞してのカップルペアセットの投入。
商会に貼られた広告には一切のモデル写真がなく、ただもふもふした素材と尻尾の動き方の説明が添えられているだけだった。だが人々の想像は、むしろ膨らんだ。

「これは、庶民のみならず貴族夫婦たちの中でも流行しているらしいぞ」
「尻尾が感情に合わせて動くから、魔術工房が関わっているって話だ」
「ペアって表記、いいわよね。私たちみたいな同性カップルでも買いやすくて素敵!」
「なんでもヴァンピーア公爵家のお抱え工房だけでは足りず、外注先を探しているところだそうだ」

王都中がざわついた。噂の出どころについても、さまざまな憶測が飛び交った。
しかし、そのどれもが曖昧だった。製造元がヴァンピーア公爵家であること以外は、公的な情報としては何も公開されていない。同梱されたパンフレットには、洗濯の仕方と合わせて小さな注意書きが一行だけ添えられるのみ。

《本製品に関する由来のご質問には、一切お答えいたしかねます》

実際、製品に対しては徹底した情報統制が敷かれていた。アルディオスと交わした契約書に明文化された通り、匂わせるような発言や文言は一切禁じられていたからだ。
誰にも知られず、誰にも語られず。ただその幸せだけが静かに浸透する。そんな商品が、ある。

──そして、王都の夜は変わった。
寝具売り場の棚が空になり、街角の工房には注文書が積まれる。子供たちは素直にお風呂に入って尻尾を振って遊び、カップルはおそろいで眠ることを楽しみにした。
なんとなく父母の顔して誤魔化していた独り者すら、『経済的』→『着心地がいい』→『可愛い』の3段活用にまんまと嵌まり、洗い替え用を堂々と買い求めるようになった。

ヴァンピーア公爵家には工房を通じて日々注文、問い合わせが殺到したが、専用窓口である従兄弟(接客の鬼)を領地から召喚したトレーシーは、すべてを笑顔でかわした。
それでも何よりも優しく、幸せを届けていた・・・それこそが、もふもふパジャマ。

──そしてその火付け役の正体は、今後も語られることはない。
すべては、ある男が愛する人のために仕立てさせた、一着のパジャマから始まったのだということも。


△▼△


王都の仕立屋の作業場には、今日も注文票の束が山のように積まれていた。
冬の到来とともに、突如として沸き上がった『もふもふパジャマブーム』。その火種は、他の誰でもないトレーシー自身が放ったものである。
―最も、本人にそのつもりはなかった。興が乗ったデザインを活用した、執務の合間を縫ってのちょっとした小遣い稼ぎ、そのつもりだったのに。

「なんで、こんなことになってるかな・・・?」

積まれた布サンプルを前に、呆れたような呟きが漏れた。呟きながらも、手元のスケッチ帳にはまた新たな図案が描き加えられていく。もうそろそろ、2冊目が終わりそうなほどに。

ー狸耳・長毛仕様、ロップイヤーの白兎型、赤狐モデルの高級ライン、果てはロングホーン羊の耳付きフードなど、まさしく多種多様。知り合いの仕立て職人たちは、毎日休みなく縫製にあたろうとしていたし、それでも追いつかずに暇をしていた知り合いに仕事を外注していいか尋ねる有様だった。
もちろん、彼らとの長い付き合いであるトレーシーは外注先のを直視して確認した上で、合格の工房のみパジャマ作成の許可、それ以外は空いた時間で耳と尻尾の作成依頼を出した。そして、どちらにしろ従業員の強制労働や徹夜は禁止と厳命した。破ったら、取引をその場で止めるとまで明言して。
職人たちは全員、アドレナリンが出まくっていて自主的な残業をしようとする者が後を絶たない。とはいえ、城下町王のお膝元で過労死など絶対に許されない愚行である。
もとより、トレーシーは社畜ではない。何事も適量を守って、仕事は楽しく健康にがモットーだ。
それでも携わる全員が満足げなのは、作るそばから売れていく事実、受け取った者たちの笑顔に、感謝に触れたから。
珍しく感傷にふけっていたトレーシーに、背後から声がかかる。

「公爵様、単純な疑問なんですが・・・」
「おー工房長、なんすか?」
「この図案たち、なんで猫科が1つもないんです? 元々人気もあるし、猫耳やライオンの襟巻き風なんかは真っ先に売れると思ったんですが」
「げほっ・・・げほっ・・・っ、ごほ・・・!」

数十年来の付き合いである工房長が、何気ない様子で問いかけてきた一
信頼している相手に見事に撃ち抜かれたトレーシーは、飲んでいた紅茶を喉に詰まらせて盛大に咳き込んだ。エルフの女性である工房長はひとまとめにした髪も長耳も揺らし、慌てて布を持って駆け寄ってくる。

「だ、大丈夫ですか!? すみません、そんなに驚くとは思わず!」
「い、いや・・・だ、大丈夫。ただの、逆流で・・・」

ようやく呼吸を整え、トレーシーは目元をぬぐった。紅茶が鼻の中のみならず涙腺までもを刺激して、視界がぼやけている。

やっぱり聞かれた・・・そりゃあ、普通気づくよな。
猫科の動物―猫、ライオン、豹、チーター、ピューマ、マヌルネコ、果てはマーゲイやサーバルに至るまで、あらゆる猫科モチーフの使用を禁止。
そう指示を出したのは、だったから。

「えっと、猫科が出せない理由は・・・」

オレンジの目を泳がせた。
だって、アレが最強なんですもん、とはいえないからだ。
脳裏に鮮明に浮かぶのは、鈴付きの灰色猫耳パジャマと、同じく鈴付きの黒豹モチーフの重厚シルエット。しかも、
王都の雇用促進、微々たるものだが経済発展への寄与のご褒美に、あの2人があの格好で並んで座っていた試着室での一幕は・・・トレーシーの目に焼きついて離れなかった。正直、軽く昇天しかけた。
ちなみに2人ともファスナーはきっちり上まで締めて、トレーシーの接近・スケッチは禁止されていたけれど。

ー無理である。他の誰かに着せたところで、あれを超えることは絶対にない。それどころか、あの尊みが薄まるのも許せない。もちろんアルディオスからの条件があったのも事実だが、トレーシーはトレーシーなりに忠義と審美眼を貫いたのだ。

「・・・色々と、事情がありまして。商業的に猫科全面禁止なんです」
「ええっ、もったいない・・・!」
「わかります。わかりますけど、無理なんです。これは・・・そう、主上の命です」

多少の真実と誤魔化しを混ぜつつ、トレーシーは肩をすくめてみせた。
自らも作成にあたっていた彼女は唸りながらも『それなら仕方ない』と納得してくれた様子で作業に戻っていった。
だが、その背中にトレーシーは聞こえない程度に小さな声で付け加える。

「世の中には、触れちゃいけない領域ってもんがあるんですよ・・・」

それは、魔王とその寵妃にしか許されない、特別なもふもふの話であった。
王都の夜は今日も、多種多様な耳と尻尾で溢れている―猫がいないことを、内心不思議がりながら。


△▼△


王城の仕立て室の午後は穏やかな陽射しに満ちていた。だいぶ春めいた日が増えてきて、心地の良い風が吹いている。トレーシーは紅茶のカップを持ったまま、先ほどの一言を反芻する。

「付き合いが長いって、いいね」

その言葉は、業務の合間の何気ない会話の中で、ぽろりと落ちたものだった。件のパジャマ騒動について少し触れたときのこと。ふと思い出したように、アルディオスが微笑して言ったのだ。
ただ、それだけのことだった。
けれど、トレーシーの胸の奥には、ひんやりとした安堵と静かに灯る誇りが広がっていた。

・・・よかった、間違ってなかったんだ。
あのとき、直感で動いた。黒豹と灰猫のデザインは、アルディオスとミュリエル―あの2人だけに許されるもの。自分が作ったものながらそこには理屈では言い表せない、聖域のようなものがあった。アルディオスが禁止したのも、その2種だけだ。

だが、トレーシーは思った。、と。

たとえ耳の形が違っても、たとえ色が違っても。誰かに『似てる』と言われればそれまでだ。1度デザインが出回ってしまえば、誰かが真似しようとする。誰かが、下心で購入する可能性だってある。

それだけは、王御用達の服飾師として許せなかった。
あの三角の耳とやわらかな尻尾に包まれたミュリエルの、恥じらいと幸福が混じった表情。それを背後から優しく包むアルディオスの、尻尾まで愛しさをこめた動き。
並んで座っているだけで絵になる2人を、思い出すだけで胸がいっぱいになる。

あれは、唯一無二。絶対に複製なんてさせちゃいけない!!

それが、猫科全てを封印した理由だった。完全なるトレーシーの拡大解釈、独断である。
禁止リストに書き込む手は震えた。陛下直々の命令を改変することには、相応の覚悟が要った。けれど―

「僕の悪友はさすがだね。そこまで考えてくれるとは、思わなかった」

後日、何気なくそうアルディオスが口にしたのだ。感心したように、けれど心底嬉しそうに。『付き合いが長いって、いいね』と続いたその言葉に、トレーシーは初めて自分の選択が正しかったのだと実感した。
紅茶を再び啜る。とても良い物のお礼にとミュリエルから下賜して分けてもらったハーブティーは、独自のブレンドと言う。彼女らしく疲れた胃にも優しく染み渡るようで、ほんのりとラベンダーの香りがした。

・・・敬愛してやまない2人が笑ってくれたなら、それでいい。
トレーシーは目を細め、そっと息をつく。
ときに引っかき回しつつ、決して裏切らず、越えず、でも支える。それが彼の役割だった。

だからこそ、自分だけは知っている。あの灰猫と黒豹パジャマが、どれほど奇跡的に完成された『最強の対』であるかを。そして、誰にも真似させないという誓いを、褒賞後に強く深く胸に刻んだことを。

「猫科は・・・出さない。絶対に」

紅茶の湯気まで楽しみながら、にんまりと笑った。誇らしげに、ちょっとだけ鼻を高くして。


(続?)
ーーーーーーーーーー

「天は二物を与えずっていうけど、陛下にあげすぎじゃね?」
「お褒めの言葉をどうも」
「商才もあるとか・・・もし、引退してもコンサル業で食べていけると思う」
「跡取り貴族のたしなみ、一般教養だよ。トレーシーも受けてるはずだけど」
「向き不向きってことで・・・そういえば、単身者用の前にペア販売でもよかった気もするけど」
「・・・カップルは、最後。僕が彼女のために依頼して、作らせたのがきっかけだからね」
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