銀の細君は漆黒の夫に寵愛される

理音

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日常編

冬の夜の2人(アルディオス視点)

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父、カインは・・・柔和な口調と顔をしていながらも、実は誰よりもこだわりの強い男だと僕は思っている。
式典に着ていく服がない、と言って新年会をサボられそうとぼやいた僕に、ミュリエルが申し出てくれて父の礼服を整えることになった。
・・・危うくローブを一から作りそうだったけど、流石にそれは早すぎる僕だってまだ作ってもらっていないので、トレーシーに用意させたものに刺繍をしてもらった。
それでも、ローブが仕上がるまでの数日を彼女は分厚い植物図鑑と向き合って図案を考え、一針一針丁寧に刺繍を仕上げていた。それほどまでに、真剣で真摯だった。
その結果が、先日の3人でのお茶会であり父が現在の彼女を正しく認識して、心底気に入ったことに繋がる。回収することも考えたけど、新年会を終えた後も父はローブを手放すことなく、裾をそっと撫でていた姿が見られたから。
・・・だから今夜は、せめてもの感謝を込めてミュリエルを癒してあげたい。そう思うのは当然のことだ。

「ミュリエル。今夜はお礼をしたいから、先にお風呂に入って寝室へ来てくれる?」
「はい?」

不思議そうに首を傾げた彼女は、僕の表情をじっと見てから小さく微笑んだ。

「わかりました・・・その、なにか、されちゃうんでしょうか?」
「うん、リラックスできることだけ、ね。汚れるかもしれないから、上は簡単な服でおいで」

軽くそう返すと、ミュリエルは顔を赤らめながらも頷き、浴室へと向かってくれた。


△▼△


「アル、戻りました」

やがて、寝室のドアが音もなく開き、湯気を纏ったミュリエルが現れた。下はふわふわとした灰猫パジャマで、くったりとした尻尾が少しだけ不安げに揺れている。僕が彼女のくしゃみに心を撃ち抜かれて以来、トレーシーに依頼して仕立てたあの一着だった。
けれど、上は見慣れない黒地の綿のTシャツだ。長袖で首元にはゆとりがあり、鎖骨がチラリと見える。しかも・・・左胸には灰色の糸で猫の顔だけシルエットと、ピンクの肉球が歩いた跡のように2つ刺繍されていた。

「いかが、ですか?」
「Tシャツ、かわいいね。いつの間に作ったの?」
「柔軟をするときに、レネが動きやすい服を用意してくれて・・・刺繍は、私が」
「今度、僕にもしてくれる?」

彼女の中にも、すっかり灰猫がトレードマークとして染み付いたみたいで笑みが溢れる。でも、公式トレーシーだけでなく宗家ミュリエルの供給があるなら欲しいに決まっている。そして求める権利は僕だけにある。
思いの丈を手を握って目線で伝えると、ミュリエルは『あ・・・』と小さく息を飲み、それからもじもじと手を唇の前に重ねながら頷いた。その一部始終を脳内に録画しながら、僕は心の中で狂喜乱舞した。

「部屋、あたたかいですね」

彼女の視線の先、窓の外ではいつの間にか深々と雪が降り積もっていた。その言葉に胸を撫でおろしつつ、ベッドの上に大きめのタオルを敷き、枕を抱えて膝の上に置く。ぽんぽんと、招くように叩くとミュリエルがためらいがちにその上に頭を乗せた。洗いたての彼女から、ほんのりと金木犀の香りが届く。

「膝枕、うれしいです」

ころんと寝転んだミュリエルから発せられた一があまりにも無防備で可愛すぎて、危うく理性を飛ばしかける。上目遣いな彼女は十二分な威力すぎてぐう、と変な音が出そうになるのを必死に押し留めた。
・・・僕も、膝枕できて嬉しいよ。ミュリエル。

「・・・よかった。ちなみに、これからするのは耳のマッサージだよ」
「耳、ですか?」
「うん。耳って、実は身体の色々なツボが集まっていて、マッサージすることで疲労回復や気分転換できるんだって」
「へぇ・・・初めて聞きました」
「目元、タオルをおくよ。動いたら落ちちゃうから、気をつけてね」

ややかすれた声でそう返しながら、そっと目元に柔らかい布を置いて光を遮る。そして、枕元の小型スピーカーから、小川のせせらぎを再生した。

さらさら・・・こぽ、こぽ・・・ぽこっ

「・・・本格的、ですね」
「知らなかった? 僕はミュリエルのことに関しては、いつも全力だよ」
「ふふっ、そうですね・・・ありがとうございます、アル」

彼女の笑う声も、背景音に混じって心地いい。

「違和感があったり、怖かったりしたらすぐに教えてね。力を抜いて横になっていてくれれば、それで十分だから」
「わかりました。おねがい、します」


△▼△


施術の第一歩は、温めからだ。
僕は用意したお湯で適温にした蒸しタオルを、両耳に包むようにそっと当てた。ミュリエルが小さく身じろぎし、うっとりと吐息を漏らす。

「ん、あったかい・・・」
「最初に温めておくと、周辺の筋肉も緩みやすいし効果が出やすいんだって」
「アル、どうしてそんなに詳しいんですか・・・?」
「最近、刺繍の合間に目元を揉んだりしていただろう? 疲れを取りたいと思って」

と言うのは紛れもない本心だ嘘ではないが、ミュリエルの耳にはだいぶ前から狙いを定めていた。
だって、伸びた髪をかけるたび。形のいい小ぶりな耳が覗く。その上、吐息のかかる距離で囁くと甘い声を出してくれるし。
・・・弱点ではないけれど、育てたいと思うのは夫として当然のことだ。
そんなよこしまな企みなど一切知らないミュリエルは、ほんわりと表情を柔らかいものにしている。数分間、タオルの上から少し押さえてじんわりと温めながら彼女を見守る。やがて、タイミングを見計らってタオルを外し、乾いたタオルで水気をぬぐってオイルマッサージへと移った。

「オイル、使うよ。髪についても大丈夫なやつだから気にしないでね」
「はい」

使用するのは、ラベンダーの香りをわずかに含んだホホバオイル。数滴を指先に垂らし、まずは左右の耳たぶを同時に包み込むように撫でる。
くる、くる・・・親指と人差し指で、柔らかく回す。

「ん、ふふ。くすぐったいです」

ちょっと肩をすくめて笑いながらも、ミュリエルは逃げない。耳たぶから耳輪の外周をなぞるように、ゆっくりとオイルをなじませていく。耳の裏、つけ根、こめかみのあたりも・・・まるで花びらを触るように。

「力、強くない?」
「だいじょうぶです・・・気持ちいい、です」

オイルをなじませた指先が、耳たぶを包み込む。肌はあたたかく、ふんわりとしていてまるで小さな果実に触れているようだ。

くる、くるり。
親指と人差し指で円を描くように揉みながら、僕はそっと囁く。

「ここは“聴宮”っていうツボなんだ。音に関係する部分で、押すと耳鳴りやストレスに効くらしいよ」
「たしかに・・・すこし響きますね」

くすぐったそうに小さく笑いながら、ミュリエルは声を漏らす。指がそこに留まり、軽く圧をかけては離す。

こぽぽ・・・すぅ、くちゅ・・・くちゅっ

わずかに湿ったオイルの水音が、ヒーリング音楽に溶けていく。いつの間にか、彼女の頬に赤みがにじんでいた。
次に、指を耳の外縁である耳輪に移す。耳を縁取るようにそっとなぞると、なで肩がぴくりと動いた。
季節が移ろえば、肩出しドレスも似合うと思うとは仕事のできる服飾師の談で激しく同意だが。鎖骨が露わになると一気に色気を滲ませてしまうので、この部屋以外で披露の機会はなさそうだ。

「これは、“耳門”というツボのあたり。あごや目の疲労にも効くらしい」
「あご・・・?」
「うん、話しすぎたときもそうだけど、細かい物を見続けたり考えすぎたりしたときにもいいって」

指の腹で、やさしく押すとまた『くちっ』と湿った音が鳴る。オイルは少しずつ体温でとろけ、マッサージと共に耳に馴染んでいく。

くちゅ、くちゅ、す・・・ぬるっ
繰り返すごとに、ミュリエルの呼吸が深くなる。

「ここは翳風えいふうって言って、首や肩こりに効くらしいよ」

耳の後ろの顎の付け根のあたり。小さな窪みに沿って、軽く円を描きながら撫でる。
膝の上の彼女はもう、ほとんど身を任せきっていた。耳たぶから首筋まで、そっと伸びていくラインがあまりに繊細で。
目元はタオルで隠れているのに、表情の緩みが見える気がした。

「ふぁ・・・ぁ、そこ、きもち、いいです……」
「よかった。ちょっとくすぐったいかもしれないけど、もう少しね」

耳のつけ根を親指で軽く挟み込み、少し深めに押してみる。
くちゅ、くちゅ・・・ぬるっ、と音を立てながら、あたたかな圧が染みこむように伝わっていく。

「それと、安眠点って言われてる場所もあるんだ。ここ。耳の真ん中のくぼみ」

小指の腹を使って、軽く耳甲介じこうかいを撫でる。布越しに彼女のまぶたがぴくりと動き、少しだけ残っていた肩の力が抜けた。

「すぅ……ふぅ……」

その吐息のやわらかさは、すでにまどろみの入り口にいる証だ。両耳を交互に、あるいは同時に。左右対称に手を動かすと、音も左右で揃っていく。

ぬる、こぽ、くちゅっ、くちゅ、す・・・こぽこぽ・・・
川のせせらぎと、オイルの音が重なって響き合う。僕自身もつられて、心がほぐれていくのを感じていた。

ーああ、癒されてるのは、僕の方かもしれない。
こんなふうに触れることができる幸せを、噛みしめながらもう一度耳の輪郭をなぞる。優しく、丁寧に。
見やれば、ミュリエルの手指の握りがだんだんと緩くなっていく。自分の呼吸を落ち着かせるように整えながら、なめらかな指の動きを保った。浮いた汚れをタオルでそっと拭き取っていく間も、彼女の体からは少しずつ力が抜けていく。

温かさと音と、触れる手の温度が織りなす空間は、まるで夢の中のようだった。そして、もう一度耳を包み込んだとき、彼女は静かに深く息を吐いた。

「……くぅ……」

眠っている。ゆるく開いた唇と、ぱたり、ぱたりとやわらかく規則的に揺れる尻尾が、ミュリエルが深い眠りに落ちたことを物語っていた。

耳掃除本番は、これからだったんだけどな。
小さく苦笑しながら、僕は綺麗に拭った指で銀の髪を撫で、額にそっと口づけを落とした。

「おやすみ、ミュリエル」

そう囁いて、微弱な重力魔法で彼女を浮かせて立ち上がる。宙で丸くなる彼女はさらに猫感が増していたけれど、尊いだけなので万事問題ない。冷えが届かぬように可及的速やかに行ったおかげか、ベッドを整えて再び降ろすまで、目を覚ます予兆すらなかった。
布団の下でも、何かを探すように動く尻尾に後ろ髪を引かれる気分だ。僕は、なんとかそれを振り切って使った布をすべてまとめて暖炉の火を弱めると、静かにバスルームへと足を向けた。


(終)
ーーーーーーーーーー
副題 : 癒しの永久機関

次の訓練で黒地の速乾生地に黒豹(顔だけシルエット)とシルバーグレイの肉球2つの刺繍がついたTシャツを着たアルディオスを見て、近衛騎士たちからトレーシーに問い合わせ購入希望が殺到した。
彼は訳が分からず困惑した。
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