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柴楽 松

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26)宮登と関根

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 その日を境に、学校での宮登へのいじめは次第に減少していった。きっかけは、関根が発したたった一言だった。

「もう遊びは疲れた」

 関根のその言葉は簡潔ながらも強烈な影響を及ぼし、それまで彼の取り巻きだった者たちも次第に手を引いていった。もちろん、長い間続いていた名残からか、冷たい目を向ける生徒が全くいなくなったわけではなかったが、それでも関根の影響力は絶大だった。
喧嘩が強いと噂される関根だが、実際にその腕っぷしの強さを目にした者はほとんどいない。ただ、彼の鋭い眼光と圧倒的な存在感が、周囲を畏怖させていたのだ。
そんな関根が、自らの意志で宮登へのいじめに終止符を打った。彼は周囲にこう言い放った。

「あれ以来シラケちまったよ。それに今の時代、同性愛を軽視するのは古いのもある。卒業も間近だし、そろそろ考え方を変えるべきだと思ってな」

 その発言に取り巻きたちは動揺を隠せなかった。中には関根を支持し続ける者もいたが、多くは彼との距離を取り始めた。権力と影響力を持つ関根が次第に孤立する姿は、一部の生徒たちにとって予想外であり、驚きを伴うものだった。
関根自身はいじめを受けることはなかったが、これまでの自分を取り巻いていた人々との大きな変化に、少なからず困惑しているようだった。

 放課後、夕日が校舎の窓を赤く染める中、宮登は麻見田と湖沢と三人で下校していた。いつものように笑い合いながら歩いていると、不意に後ろから聞き慣れた声が飛んできた。

「ちょっと話せないか?」

 振り返ると、そこには関根が立っていた。あの日以来、一度も直接声を交わしていない関根だった。距離を置こうとしていたのは関根も同じだったはずだ。それだけに、突然の呼びかけに宮登の胸はざわついた。

 宮登と関根は、夕陽に染まった道の端で向き合い、ぎこちなく立ち尽くしていた。周囲の喧騒から少し離れたその場所は、不思議と二人だけの世界のように感じられる。互いに何かを言い出そうとするも、その間には重い沈黙が横たわる。
少し離れた自販機の前では、麻見田と湖沢が飲み物を手に取りながら、二人の様子を窺っている。

「大丈夫かな、宮登……」麻見田が心配そうに呟くと、湖沢が首を傾げながら答えた。
「分からない。でも、あの関根が声をかけるなんて、きっと何かあるんだろ」

 二人の視線は、どこか不安げな表情を浮かべる宮登と、その前で深く息をつく関根に注がれていた。夕陽の赤い光が彼らの影を伸ばし、静かに揺れる木々の葉が、風に吹かれて微かにざわつく音だけが響いていた。
関根がようやく口を開いた。声を張ることなく、低く沈んだ声が宮登の耳に届く。

「色々、話がしたい」

 その短い一言に、宮登は一瞬戸惑いの表情を浮かべるも、すぐに表情を引き締めた。今は逃げることも誤魔化すこともできない――そんな緊張感が、二人の間に漂っていた。

「話って何?」

 声を発するたび、胸の奥にあった恐怖と嫌悪感が再び押し寄せてくるのが分かった。身体が少し震えるのを隠そうと、宮登は努めて冷静なふりを装う。
関根は少し困ったように視線を泳がせ、言葉を探しているようだった。その様子に苛立ちが募る。

「ないなら帰る」

 足を一歩踏み出した瞬間、関根の声が遮るように響いた。

「待て!」

 その声には焦りが混じっていた。立ち止まった宮登が振り返ると、関根が深く息を吐き、静かに言葉を続けた。

「悪かった」

 その一言は短いながらも重たかった。まるで何年もの間、胸に積もっていた罪の意識がその言葉に凝縮されたかのようだった。

「俺はお前を傷つけてきた。それは変わらないし、これからも恨まれて当然だと思う」

 関根の表情は痛みを帯びていた。後悔と自責の念が絡み合い、彼の声には微かな震えがあった。

「お前に嫌われることで、お前を傷つけることに納得して動いてた。酷いことばかりしてきた。でも……謝りたかった」

 関根がそっと宮登の腕を掴む。その手がかすかに震えているのが伝わり、宮登の心は複雑な感情でざわついた。

「俺……お前と同じで、前世の記憶があるんだ」

 その言葉を聞いた瞬間、宮登は目を見開いた。どこかで予感していたことが、現実となって目の前に突きつけられた。

「物心がつき始めた頃、自分の身体が自分のものじゃないような気がしてた。それだけなら違和感で済んだけど……中学で谷口に出会って、ロコの記憶を思い出した」

 関根の声は次第に小さくなっていった。それはまるで、記憶を辿るたびに彼自身が傷ついていくようだった。

「でも、おかしいだろ?俺たち、同い年なのに転生してるなんて。ズレがありすぎる」

 時間軸の矛盾。その疑念が彼を苦しめ、真実を受け入れることを妨げてきたのだろう。関根の言葉は重く、そして悲しい響きを帯びていた。

「事故のことは全く覚えてない。でも、もしそれが本当なら、納得できると思ったんだ。谷口に向き合える自信がついた」

 関根は自分の言葉を噛みしめるように話し続けた。その表情には、苦しみの中にも小さな希望の光が見えた。

「ありがとう。俺、谷口とちゃんと話をしようと思う」

 その言葉には、これまでとは違う決意が感じられた。宮登への感謝と、過去と向き合う勇気を得た関根の姿は、どこか清々しささえ漂わせていた。

「俺は……人間が嫌いになったのは、お前のせいだと自信を持って言える」

 宮登は静かに、けれども確かな怒りと苦しみを込めて言葉を吐き出した。握りしめた拳が小刻みに震え、その声には積もり積もった感情がにじんでいた。

「でもな、その分だけ信夫の優しさがすごくよくわかったんだ」

 宮登は目線を逸らしながら言葉を継ぐ。彼の声は、次第に辛さと複雑な感情に染まっていった。

「迷惑をかけたくないって気持ちが、初めて自分の中に芽生えた。それに気づいて、俺は少しだけ人間らしくなれた気がしてる」

 短く笑うような仕草を見せたが、その目に宿るのはどこか遠い記憶を見つめる色だった。

「それは……これがきっかけなんじゃないかって、無理やり思うようにしてるだけだけどな」

 声がわずかに掠れた。宮登は胸の奥から湧き上がる複雑な感情を押し込めながら、関根に視線を向けた。その目はまっすぐだったが、どこか苦しげでもあった。

「あくまで……言い聞かせてるんだ」

 最後の言葉を吐き出すように紡ぐと、宮登は目を伏せ、深く息をついた。彼の心に広がる傷跡と、それを抱えながら前に進もうとする決意が、重たい空気の中に漂っていた。
関根は、そんな宮登の姿をじっと見つめていたが、彼の言葉にどう応えればいいのか分からず、ただ唇を引き結んだままだった。

「ハムスターってな、基本的に単独行動する生き物なんだ」

 宮登はどこか遠くを見つめるような目をして、ぽつりと語り始めた。

「縄張り意識が強くて、他のハムスターと一緒にいるのは苦手なんだよ。でもさ……虐めがきっかけで、俺も仲間の大切さってやつを覚えた気がする」

 その声には微かな後悔と、どこか感謝のようなものが入り混じっていた。

「もし、あれがなかったら――虐めなんてことがなかったら、俺はきっとずっと一人で突っ走ってたと思う。信夫を困らせて、嫌われて、それで終わりだったと思う」

 宮登は少しだけ唇を噛み、胸の奥から湧き上がる感情を押し込めるように深く息をついた。
その表情は複雑で、どこか達観したようにも見えるが、同時に幼さの残る苦しげなものだった。彼の中で、過去の出来事と今の自分を繋ぎ合わせる言葉は重く、静かにその場の空気を沈ませていった。
関根は宮登の言葉を黙って聞きながら、その心情を推し量るように視線を落とした。彼にとっても、それは簡単に受け止められるものではなかった。

「今までのお前は、大嫌いだ」

 宮登は、はっきりとそう言い放った。
関根の口元が微かに動いたが、何も言葉を発することはなかった。沈黙の中で、宮登はその視線をまっすぐに受け止めている。

「でも……感謝できるくらい今の俺には気持ちに余裕がある」

 宮登の声は、先ほどまでの冷たさを少し和らげたようだった。

「これからは……お前次第だよ」

 その言葉が何を意味するのか、関根は思わず宮登を見つめた。

「それって……」

 問いかけようとする関根の言葉は途中で途切れた。
宮登は苦笑いを浮かべ、肩を軽くすくめると、わざとらしく照れ隠しをするように言った。「じゃあな」
そう言うなり、彼は背を向け、急いで麻見田と湖沢の元へと駆け戻っていった。
関根はその背中を見送りながら、言葉にしがたい感情を胸の中に抱えたまま立ち尽くしていた。
 空はまだ赤く染まり、陽の光が地平線に沈みかけている。夕焼けの柔らかな光が、彼らの輪郭をぼんやりと照らしていた。その温かな色彩の中で、関根は小さく息を吐き出し、自分の胸に残る感情を噛み締めていた。

 その話を信夫が聞いたのは、ファミレスでの出来事からちょうど一ヶ月後、宮登と関根が和解した翌日のことだった。
信夫はこの一ヶ月間、自分自身を責め続けていた。大人として、宮登を守ろう、関根を打ち倒そうと豪語したものの、結局うまく行動に移せていなかった。自分の無力さを思い知り、強く反省していたのだ。

 宮登の虐めはまだ続いているのではないか、と心配していた信夫だったが、若者たちは彼の知らない間に事態を収束させていた。信夫がしたことといえば、ただ話を聞き、情報収集をし、谷口を見つけ出しただけだ。それが解決の「きっかけ」になったと言われれば、多少の安堵は覚えるものの、実際には何もしていないに等しい。若者たちの行動力に圧倒され、同時に大人としての自分の無力さに情けなさを感じていた。

 信夫の部屋の中では、宮登を含む学生たちが新作のお菓子を頬張りながら、近況報告を行っていた。徐々に虐めが減っているという話もあったが、和解が成立したのはつい昨日のことだ。その報告を耳にしながら、信夫はコーヒーを口に運びつつ、宮登の顔をちらりと見た。彼は口いっぱいにお菓子を詰め込んでおり、どこか無邪気に見える一方で、信夫にはその無邪気さの裏に隠された何かを感じずにはいられなかった。

「とりあえず、よかったのか?安心していいのか?」

 信夫が問いかけると、学生たちは一様に首をかしげた。

「さあ、どうだろう。誰にもわからないよ」

 返ってきた答えは曖昧で、彼ら自身も確信を持てていないようだった。
当の宮登が抱える心の傷は、まだ癒えていない。安心など、到底できるわけがないのだ。自分の軽率な言葉に気づいた信夫は、またしても自己嫌悪に陥った。
その時、宮登がぽつりと呟いた。

「信夫、大丈夫だよ」

 その言葉は、信夫を気遣ってのものだったのだろう。だが、その穏やかな声とどこか達観したような表情に、信夫はかえって胸の奥がチクリと痛むのを感じた。まるで、宮登が自分よりも大人びているかのように思えたからだ。
信夫は心の中で息を吐き、目の前に座る彼らを見つめ直した。若者たちの成長と自分自身の葛藤を噛み締めながら、静かにコーヒーを飲み干した。
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