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王国崩壊編
142.『仕事』と召喚状
しおりを挟む私は、また誰かを忘れたらしい。
その相手はエリーアス・シュリンゲンジーフ様という、英雄だったそうだ。
先輩方は私の顔を見ては変な顔をし、ベッカーおじさまは私に抱き着いて離れなかった。ユストゥスは、よくわからない。いつもと同じように見えた。
壊された寮の代わりにと用意された建物は、とても綺麗だったが知らない匂いがした。ダイニングはあるが、好き勝手にくつろいでいたり身体を開いていた円形ベッドのあったリビングに変わるものはなく、専属奴隷以外と性行為を交わすための個室もなかった。
騎士の自室はあるが、奴隷たちの個室はない。トイレは付いているが浴室がないと知ったユストゥスは少し不満げだった。
代わりにあるのは複数人が入れる脱衣所に大浴場だ。個室がない分、そこで乱交が始まりがちになる。大浴場の割に複数の仕切りが付け足されていて、音は響くが姿は見えない構造になっている部分も多かった。
おちんぽがもらえるなら私も入りに行きたいのだが、どうにも熱い湯というのが苦手で、私はあまり近づけなかった。
近くに訓練場がないのもいただけない。訓練をするためには本部まで赴かねばならず、その移動に少しばかり辟易してしまった。
「マイン……カインザートくんと、……エリーアスくんに討伐命令が下った」
新隊長となったアンドレ先輩の招集によりダイニングに集まった私たちは、険しい表情でそう告げるバルタザールの声を聞くことになった。
一気に部屋に緊張感が満ち、誰もが言葉を失くしてしまう。私はマインラートのことは覚えているが、そのシュリンゲンジーフ殿という方は覚えていない。だからその沈黙が少し不思議な気がした。
先輩方はお強いのだ。討伐はもちろん、捕まえることも出来そうな気がするのに。
「討伐って……嘘だろ」
そうぽつりと言葉を零したのはライマー先輩だった。よくよく見れば、先輩方の顔色は皆悪かった。
「ヴェルジア・スカルッティ伯爵。ジリエラ・マッシリモ司教枢機卿。チャールストン・ボリエッラ侯爵。……他にも国内の有力な権力者がここ二週間で殺害されてる。その犯人がカインザートだということだ」
アンドレ先輩が告げた言葉に数人が息を呑む。他の貴族様方の名前はよく知らないが、位は高そうだ。アンドレ先輩は重々しくため息を付きながら、パサリと書類の束を私たちが座る長方形のテーブル上に投げ出した。
「本部が掴んでる、要警護者リストだ。王都に居ては命が危ないと治める領土に戻られている方々もいる。私たちの仕事は、彼らを守り2人を討伐することだ。他の群青騎士はもう動いていて、何人かが既にカインザートに接触している。が、警護対象を守り切れず逃がしている」
「……エリーアスが、カインザートに加担していると?」
クリス先輩の言葉に、アンドレ先輩は軽く首を横に振る。目の下の隈がひどい。
「エリーアスはカインザートを諫めようとしている姿が目撃されている。が……このリストで狙われている以上エリーアスも、同罪扱い、らしい……」
「はあっ?!なんでだよ!止めようとしてるんならエリーアス悪くねえじゃんか!」
ライマー先輩が声を荒げた瞬間、ぱんっと手が打ち鳴らされた。声を出さずに注目を集めるのは奴隷たちの手法だ。座った私の隣からにょきっと手が伸びて、アンドレ先輩が放り出したリストをユストゥスが手にする。ぱらっと捲ったユストゥスは、そのリストをテーブルに戻すと手を動かした。
<名前の脇に印が付いてるやつが、すでに死んだ相手か?>
「そうだ。……ユストゥスはそのリストの意味がわかるか?」
アンドレ先輩が悔しそうに食いしばるような表情で、拳を握りながら問いかけた。それに対してユストゥスはこともなげに頷く。
<エリーアスのパトロン、顧客名簿だろこれ。どれも知った名だ>
「エリーアスのパトロンって、どういうこと?」
「顧客名簿ってなんだよ!」
ほぼ同時に声を出したのはディー先輩とライマー先輩だった。他の先輩方は事情を知っているのか沈痛な面持ちで視線を下に落としている。ユストゥスは軽く鼻を鳴らした。
<群青騎士がこれだけ優遇された装備や施設、そして権力があるのは、なにも単に実力だけじゃねえってことだ。ちなみに団長を始め、他の寮じゃ複数人、魔肛に魔力を乗った精液を飲ませないように出来るやつは、同じようにその身体を食わせてる。魔肛持ちの身体は、具合がいいからな。それにプラスして、エリーアスは自分の願いを叶えるためにいろいろしてたぜ。ま、全部無駄に終わっちまったけどな>
「もしかして、カインザートが、マインラートとしてこの寮にいたのは」
アンドレ先輩が驚愕の面持ちで弾かれたように顔を上げた。ユストゥスはにやりと頬を歪める。
<ここまで言えば察しが付くか。エリーアスは自分の身体で、カインザートの延命と今後の生活の保障を勝ち取ってきた。ってとこだろ。俺は具体的な話は一切聞いてねえ。ただ、エリーアスが、なにをどうすれば願いを叶えられるか聞いてきたから協力してた。けどカインザートはそれを良しとしなかったんだろうな……。それよりアンドレ。エリーアスの抜けた穴、お前だけで埋められんのか?>
それって……?
意味深な手話に先輩方だけでなく、私も口を開こうとした。だが、だんっと強い音でテーブルが叩かれる音に思わずそちらに視線を向ける。すると、先ほどまで興味なさそうな表情で部屋の端で本を読んでいた、アンドレ先輩の専属奴隷であるハイラムがいつの間にかアンドレ先輩のそばに立っていた。
彼の視線はまっすぐにアンドレ先輩に向かっている。間近で見つめられたアンドレ先輩の顔がみるみるうちに青くなっていき、その視線に耐えられないとでも言うように逸らされた。
途端にハイラムが、普段の王族然とした態度らしからぬ舌打ちをして手を動かした。
<バルタザール、少しアンドレを借りるぞ>
「えっあの、その……いまぁ?」
<今だ。躾は悪いことをしたときにせねば、効果がない>
「まっ、おい待て!はいら……んぐっ」
声を荒げたアンドレ先輩にハイラムが強引に唇を重ねた。覆いかぶさるような体位の上、ハイラムは体格も良い。無論アンドレ先輩も負けていないが、みるみるうちに口づけに溶けていくのがわかる。
「んっふ……ぁっ」
腰砕けになったアンドレ先輩を担ぐと、ハイラムはこちらを見ることもせず連れ出してしまった。落ち着かないバルタザールは眼鏡をはずして磨き出し、その場を奇妙な空気が包む。
「な……なんだったのだ一体……?」
「エリーアスの後釜がアンドレなのも、どうかと思ってたんだけどね~俺、けどあの分だとアンドレもう『仕事』してきたんじゃない?しっかし、あの飄々としたハイラムが怒るとは思わなかったなあ」
「えっ?」
意味深に笑うジギー先輩は、軽く身体を捩って自分の背後にいる専属奴隷のハイルヴィヒを見やる。
「俺にもさー、『仕事』来てるって言ったらルビィならどうする?怒る?それとも黙って送り出す?」
軽い口調の割には声が少しだけ震えていた。ハイルヴィヒはジギー先輩の髪をひと房手に取り、軽く口づけを落とす。艶やかな髪が指の合間から零れ落ちるのを眺めたハイルヴィヒは、ゆっくりと手を動かした。
<……馬鹿野郎。それならどうして早く言わない。そんなことさせるぐらいなら、俺が相手の貴族を殺してやる>
今目の前にその相手がいたら殺しかねないような眼差しを見せるハイルヴィヒに、ジギー先輩は瞳を潤ませながら「じょーだんだって!」と空笑いしていた。
「ほんとマジないから。今は、そんな場合じゃないし、ね」
<……状況が収束したらありうるってことかよ>
「いや、ははは……」
問い詰めるハイルヴィヒに、ジギー先輩は緩く曖昧に首を振るだけだった。
視線の端にはクリス先輩の専属奴隷のエイデンが、クリス先輩に抱き着き苦しがらせている。
「もう……エイデン。私はそこまで魔法の扱いが上手くないんですよ。だから、ないですから」
それぞれの会話から、何やら良くない仕事を一手にシュリンゲンジーフ殿が引き受けていたようだというのが伺えた。ライマー先輩やディー先輩は言葉を失っている。ユストゥスは手話のために一度投げ出したリストを再び手にすると、バルタザールに近づいていた。
<早々に死んでるやつらの共通点がある。他にも数人いるが、どうする?多分狙われる確率は高いはずだ>
「えっそうなの?!それを早く言ってよユストゥスくん!それで、どういう共通点?」
ユストゥスからリストを受け取ったバルタザールはそれを広げなら食い気味に尋ねた。
<エリーアスに変態プレイしてたド変態野郎どもがメインだ。こいつとこいつ……それからこいつも危ないだろうな。ああそれからこいつも。こいつもだ。エリーアスはなまじ魔力も高いし、治癒魔法も使えるから結構酷いことされてたぜ>
その手話に、バルタザールも苦しそうな表情に変わる。リストを握りしめる手に力が篭った。
「……そりゃ僕も、本部から回される『仕事』がろくでもないってことだけは、知ってたけど……ユストゥス、君全部知ってたんだ?」
<俺はあいつの元専属奴隷だぜ?俺は同行もしたし、枯渇した魔力を戻してやんのに状況知らねえわけがねえ。……ただ、エリーアスはマインラートには詳細を教えなかったな。ま、知りたがるから俺が全部話したけど……まさかここに来た頃からあいつ、ずっと今回のこと考えてたのかもな>
「っき、君ね!原因の一端だって自覚ある?!」
下から見上げるようにバルタザールに責められ、興味なさそうにがりがりと頭を掻いた。
<ねーな。エリーアスもそいつらも納得ずくでやってたんだから、自業自得だ>
親指を下に突き出しながらべろりと長い舌を出して見せたユストゥスに、バルタザールは何か言おうとして脱力した。不毛な言い争いだと気付いたのかもしれない。
「バルタザール。その仕事というのは、私にも出来るだろうか」
立ち上がってそう申し出るとバルタザールはあんぐりと口を開けた。
「クンツくん?!もう何言ってるの!魔法の扱いに長けてないと、魔肛が魔力付きの精液を受け入れちゃうから、クンツくんは無理だよ」
「ふむ。では魔法のコントロールを覚える。あとそれ以外の方法で私に出来ることはないだろうか。先輩方が無理をするのは気分が良くない」
「何を言っているのですかクンツくん!」
「クンツがするなら僕だって……っ!」
「後輩のクンツがあそこまで言ってんだったら俺だってやってやんよ!」
声を上げる騎士に、それぞれの専属奴隷が宥めにかかる。ディー先輩の震える細い肩をイェオリが抱きしめ、キャンキャン吠えているライマー先輩をジルケが遠い目をしながらとりあえず手で塞いでいた。
<あのなあ嬢ちゃん。嬢ちゃんがひどい目に合うんだって、みんな気分が良くねえんだぞ>
壁際でずっとやり取りを黙って見ていたおじさまがのっそりと近づいてきた。窘めるようなその手話に、私は首を横に振る。
「私は王国民の盾なのだから、私でやれることなら矢面に立つのは私の役目だ」
胸を張って告げると、眉尻を下げたおじさまがちらりとユストゥスを見た。<お前もなんとか言え>とけしかける様に手を動かしている。それにユストゥスは肩を竦めただけだった。それにおじさまが唸り、若干険悪な空気になりかけるのを阻止したのは、バルタザールだった。
「あー!忘れてた!クンツくん、実家からお手紙来てるよ。全部話終わった後に渡そうと思ってたんだけど……中断しちゃったから」
わざとらしいぐらいに声を張り上げたバルタザールが、わざわざユストゥスとおじさまの間を通り抜けて2人を押しのけながら、私の前に来る。
差し出された手紙の封筒には、確かにリンデンベルガー家の紋章が捺印がされていた。
中を取り出して早速目を走らせる。翌日には馬車を送るから一度戻ってくるようにという内容と、末筆に……家長として、私の長兄であるアドゥール・リンデンベルガーの名が刻まれていた。
無意識のうちにその手紙を強く握りしめる。
何度手紙を見返してもアドゥール……様の名前だけで、父であるツェーザル様の名前はなかった。彼が家長を名乗っているというのであれば、すでに代替わりは行われたのだろう。末端の兄弟の1人である私に、その知らせが届くことはない。
リンデンベルガーの代替わりで隠居などという言葉はない。いなくなったことが、ただ示されるだけだ。
ぽたりと頬に落ちてきた雫の冷たさを思い出す。それから頭を撫でてくれたその手の優しさを。そしてあたたかさを。
触れ合ったことなど、あの一度きりだ。今まで一方的な演説を傾聴することはあっても、会話すらない。
なのに……なのにどうしてこんなに、心が揺さぶられるのだろうか。ずきりと頭痛を感じて、私はこめかみに手を当てながら眉間に皺を寄せた。
「く、クンツくん?どうしたの?」
バルタザールが私を心配してくれている。それはわかるのに反応することができない。するとすぐさまユストゥスが険しい表情で私の腕を掴み、顔を覗き込んでくる。それから素早く手紙に視線を落とした。
<頭痛いのか?……手紙に何が書いてあった?>
「ちがっ……大丈夫、だ。だいじょうぶ。わたしはもんだいない。だいじょうぶ……」
知らず知らずのうちに呼吸が浅くなる。ますます鋭い目つきになるユストゥスに、口元を緩めるのが精一杯だった。
「私の父であった、ツェーザル様のお名前がそこになかった。……それだけだ」
握りしめて歪んだ手紙をユストゥスが私の指を解くように開かせ、ざっと中身を読んだのだろうユストゥスは、私をそっと抱き上げるとそのままリビングを後にしてしまった。
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