希うは夜明けの道~幕末妖怪奇譚~

ぬく

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第1章 土佐の以蔵

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「はぁ、はぁ」


 以蔵はひたすらに走り続け、町はずれまでやってきた。遠くに家々が見え、周りは田畑に囲まれている。朝の陽ざしに照らされて、きらきらと輝いていた。


「もう、見にはいけん……」


 目の前の青い稲の苗を見つめて、以蔵は深いため息をつく。
 ああ、せっかくの楽しみだったのに。

 子供だからと言って警戒されない理由もないだろう。明るみにはならないが、子供だって盗みを働いたり人を襲ったりすることもあるものだ。いくら人情の深い武市とはいえ、自分を観察していたであろう者と分かればきっと御用聞きのもとへ連れていかれるに違いない。この自分の髪色なら尚更だ。

 以蔵は空を見上げた。

 スズメだろうか。小さな鳥が数匹、戯れながら飛んで行く。ゆっくりと動く大きな白い雲。風がふわりと以蔵の髪を静かに揺らす。


「戻ろ……」


 ふいと来た道を振り返り、以蔵はとぼとぼ家に向かって歩き始めた。作物を世話する農民たちの目線を背中に感じたが、それも気にならないほど気落ちしている。細いあぜ道を通る以蔵の前を、深い緑色をしたバッタが一匹ぴょこんと横切った。

 せめてあれくらい色が濃かったら、と以蔵は自分の髪をつまんで思う。

 妖怪混じりの中で、薄い髪色は妖力の象徴。薄ければ薄いほど強くなる。以蔵の髪色は薄緑といっても森の木々や萌え出る新芽のそれではない。もっと、薄く、蒼い。ガラス玉に落とした塗料のような。水面に映った川底のような。薄く、透き通るような、碧色。それは以蔵の知る誰よりも、薄い髪色だった。

 妖力。それは妖怪たちにだけ、古より用いることを許された特殊な力。ある妖怪は雨を降らせ、ある妖怪は草花を生やす。自らの力を妖力で高める者もいれば、妖力をもって命を与える者、逆に命を奪うものもいる。

 妖力は妖怪たちの誇り。妖怪たちの存在そのもの。だから、妖怪と、彼らと人間の混じりあった存在である妖怪混じりたちは、自らの妖力を否定せず、けれど驕りもしなかった。そして遠い昔、彼らは妖力を持たない代わりに多くの知恵を持つ人間たちを、妖怪と同じく尊重していた。

 けれども今は違う。妖怪。妖怪混じり。それは今の日ノ本において畏れの対象と共に卑下の対象である。両親や弟のようにほとんど人間と変わらない髪色ならともかく、以蔵のように髪色が薄い者は一目で妖怪混じりと見抜かれてしまう。以蔵が町を歩くだけでその髪に視線が集まった。哀れみ、恐怖、驚愕。今はもう慣れたが、里江に買い出しを頼まれ始めて独りで町に出た時は、あまりに自分を見る視線が多くて吐き気がしたしたことを覚えている。

 妖力は力のある妖怪混じりであれば誰でも使えた。普通は成長するごとに身体から抜け出ていくものらしいが、それでも人間とは全く異なる力を使えるようだ。例えば息をするように。身体に流れる力は当たり前のように形となり、元服前の小さな子供でも大人を惑わし、時にはあやめることもできると聞く。ゆえにこの時代、城下町や都、関所などの重要な場所には、僧や陰陽師の子孫など妖怪や妖怪混じりに詳しい者が目付の中に含まれていた。

自分たちと違うことが怖いのか。理解できない力を持つことが恐ろしいのか。地位を下げ、権力を奪い、何かあれば虐げる。歴史の上流のような、手を取り合って生きている世界など、今の世の中からは想像もできなかった。
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