憲法改正と自殺薬

会川 明

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対等なる個人-2

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「社会のことを考えず、自己利益のみを求めてしまう人々は別に公務員だけではありません。



 特に金持ちなど税金を多く納めている人々からは不公平だという声があがるでしょう。我々はこんなに税金を収めているのだから、優遇しろというわけです。納税額は自分の働きを数値化したものですし、相対化も容易ですから、強い説得力をもって不公平感を持つことはわかります。



 特に一代で成功したような抜群の才覚を持つ人は強い不満を持つものかも知れません」



 いわゆる『凄い』人達のことだろう。



「しかし、そういう人にはぜひ一度考えてみて欲しいのです。例えば多くのアイデアを出し実行力もあり、人を使い、多くの人に物を買ってもらうことに成功した人。



 例えば、芸事を磨き、多くの人を笑わせ、テレビに出て人気者になり、時代を変えたスター。



 確かに彼らがいなければ、世の中は不便でつまらないものかもしれません。しかし、どんなに偉大な才覚を持とうとも、他者がいなければ成立しないのです。『凄い』もまた一人では成立しません。一人きりの世界で一体誰が物を買ってくれるでしょう、笑ってくれるでしょう。



 人は、個人は一人きりでは弱いものです。だから、共同体や社会というものを作ります。彼らは共同体の一員であるから成功という果実を得られたのです。我々は共同体という土壌を共有しているのです。これもまた『公共』なのです。



 かといって、個人が共同体に完全に飲み込まれてはいけません。あくまでも個人でいなければ、個人の幸福を忘れ、ひいては真の社会正義を忘れてしまいます。そして、偽の社会正義である秩序だけが残り、箱の中身に恣意的な正義が容れられてしまいます。



 一部の金持ちの人たちが意見を言うのは『個人の幸福』という最も基本的な要素から言えば当然の権利ではあります。しかし、そこにひるむことなく一般の人々は意見を交わし、議論しなければいけないのです。そのためには金持ちだから『凄い』、『凄い』から『偉い』。だから発言権があるのだという思い込みから脱することです。それは金という大きな物差しに取り込まれ、階級社会化しているから起こるのだということを自覚しなければなりません。



 日本社会は『凄い』が『偉い』にすぐ転化されてしまう社会なのでしょう。階級化に慣れすぎた弊害です。よく目を凝らしてください。本人は全く凄くないのに、『偉い』を受け継いだだけの人はそこら中にいますし、そもそも、本来的に人はすべからくただの人です。どんなに金持ちだろうが、美人だろうが、面白かろうが、ただそれだけのことです。取り込まれる必要はありません。それはつまるところ大事な、唯一つの自らの『個人』を放棄することです。



 『個人』は共同体の中で唯一人の『個人』でなければいけません。これは階級の中で埋没した人として生きてきた私達にとっては、非常に困難で寂しいことと感じるかもしれません。しかし、まっすぐに向き合った他者との交流の中で、私達は相対的な上か下かだけではないもっと豊かなことに気付けるはずです。それは平面的なものではなく、もっと深みや奥行きをもった独自の拠り所、器となるでしょう」



 みんな、とは『個人』の集合体でなければならない。あくまでも群れとしてではなく、社会理念により繋がっていることに自覚的な集団だ。



 そうでなければ『みんなの幸せを願う心』はすぐに『支配層の幸せを願う心』へと変えられ、数々の権力の濫用を許してしまう。



 また、自分も含めてだが『凄い』人信仰がこの国では強すぎるのではないか、とも思った。今でも『凄い』を根拠に従ってしまうのはフィクションに取り込まれていると言わざるを得ない。多くのことに無自覚なのだ。



 そもそも凄いって何だ?スポーツの世界のように純化した指標のあるところならば理解りやすいが、社会全体に関わってくる政治の世界での凄い人は多義的だろう。さらに言えば、どんなに凄いとされる人でも、みんなの幸福に資するかは理解らない。物凄い学歴や経歴を持っていても、人間としてどうかと問われると疑問符が付く人は多いだろう。また、そういった人々にすべてを任せてしまうというのは、結局の所主体性を失っているのである。



 『個人』であるということは『自分』があるということだと寛は思った。



「『個人』とは何でしょう?そこの所をもう少し詳しくお願いします」



「そうですね。実はこの『個人』という言葉が今までしてきたお話の中で最も重要なものだと思います。



 なぜ七十年もの猶予があったのに、このような社会へと後退してしまったのか。その問題点は階級社会と貧相な公共意識にありましたが、それを唯一解決に導けるのは『個人』という概念を常識として共有することだったろうと思います。



 人が生きる動機は基本的に幸福になることだと言えるでしょう。では、幸福とは何でしょう。



 それは肉体的、精神的欲求を満たすことでしょう。肉体的欲求とは、つまり、食、睡眠、性など人が生物であるがゆえに持つものです。これらは非常に重要なものです。生きる土台です。しかし、その分わかりやすくもあります。



 人間を複雑にしているのは精神的欲求でしょう。人間の精神は人それぞれ、千差万別です。何を欲しているのかは、その人にしかわかりません。



 また、実際の所、人間の欲求は肉体と精神の要素が複雑に絡み合っています。だから、二つを満たすことが幸福に繋がるのだと思います」



「片一方ではダメなんですね」



 確かにそうだろう。大好物を食べようとも、不安なことが心にあれば、精神的欲求は満たされておらず、幸福とは言えないだろう。逆に過度の寝不足の中で喜ばしいことがあっても、その喜びは半減してしまうだろう。もしかしたら、喜びだと感じることすら出来ないかもしれない。



 だから、昔は生活保護というものがあったのだろう、と寛は思った。いざという時、生活の土台を保障する。性以外の生きるために必要な衣食住を保障する、というのは国民が国家に期待する当然の機能のはずだ。しかし、これもまた支配層の恣意的な正義と大衆の貧相な公共意識により破壊されてしまったのだということは容易に想像がついた。



 国家の最重要事項とは何だろうか?社会的弱者を守ることと戦争をしないよう外交努力を重ねることの二つではないか。生活を便利にするのは二の次だし、ましてや防衛費を増やして近隣諸国との緊張を煽ったり、支配層の中で国民の税金を山分けするような仕組みを作ったりすることなど害悪以外の何物でもないだろう。



「はい、両方が満たされなければ幸福は感じられないでしょう。



 では、『自分の幸福』とは何でしょう?それを知るためには人は各々、まずは『自分』を知らなければなりません。



 精神には鏡がありませんから、人は自分以外と関わることで『自分』の輪郭を掴んでいきます。それは自分の幸福の形を知ることでもあります。



 そしてその中で自分以外の『他者』もまた『自分』と同じ幸福を求めるものであり、悲しみや痛みを感じる一個の人間であるということを知ります。



 他者は自分と同様に尊重されるべき存在であるという認識を得るのです。自分が他者によって傷つけられたりすることが不当であるということは、自分もまた他者を傷つけることは不当であるということです。



 そして、お互いが尊重されるべき一個の人であるという認識が生まれます。これは『個人』の芽吹きと言えるでしょう。公共的な社会を営む上で人々に必要な大前提、共通認識がこれです」



 つまり、お互いが人間の原則的なところで対等であるという意識を持つことが必要だということだ。もしもそうでなければ、オッサン化の議論のところで検討したように、不公平な社会となってしまうだろう。



「旧憲法第十三条にはこうありました。



『すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする』。



 ここには個人の最低限の定義も含まれています。個人とは幸福追求の権利を有するが、なおかつ公共の福祉に反してはならない。つまり、他者の権利を侵害してはならない、ということでした。それはとりもなおさず、いくつもの尊重されるべき個人が共存している世界観だということです。



 旧憲法ではすべての国民は個人として尊重されるとしました。これは公権力による人権侵害を防ぐ意味合いでも重要な枠組みだったと思います。



 しかし、個人とはただ人が生きていれば、個人たれるものではありません。自分も他者も尊重される存在である、対等であるという意識、自覚がどうしても必要です。そういった意味で、これもまた多くの人々に定着しきれませんでした。



 その結果、現憲法では『個人』は『人』に、『公共の福祉』は『公益及び公の秩序』に変えられてしまいました。



 これは個人として千差万別の幸福を求める権利はなく、生物一般の幸福、つまり肉体的欲求のみを求める権利が認められているということです。



 また個人の権利が最大限に認められる余地のあったはずが、公益及び公の秩序に差し替えられることで国側の都合が優先されることとなってしまいました」



 緊急事態条項により実質やりたい放題ではあるが、これにより正当性を得ているということだろう。国家、つまり支配層が人々の上位存在だと明確に示しているのだ。



「『個人』という言葉には、なんとも言えない豊かさが込められていたのですね」



 寛が惜しいものを無くした気分で言った。



「そのとおりです。『自分』と『他者』は対等であるという見地は非常に重要な気付きです。そして、大前提でもあります。そこから拡がる地平は広大で、豊かなものでした」



 人は対等であるという見地からしか、平等や本当の意味での自由や愛、平和は生まれ得ないだろう。ひとたび均衡を崩せば、平等は不平等に、自由は制限され、愛は自己利益を得るだけの欲に過ぎず、戦争は差別により正当化されるだろう。



 人が『個人』たることは社会全体の『公共の福祉』へと繋がっている。それは字義通りの『公に共有する幸福』だ。



 そしてそれを維持することはとてつもない努力が必要だろう。誰もが幼い頃に「自分がやられて嫌なことは他人にもするな」と言われたことがあるだろう。これは自分と他者は対等な存在であるという気付きを与える言葉だ。



 多くの人がこの言葉に真理めいたものを感じつつも、社会の中でそれを貫き通すことが出来ていない。
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