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第一章:辺境の町 編
11:亀裂
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ユリウスとの甘美な数日間が過ぎ、酒場に戻ったノアの日常はもはや以前と同じではなかった。
『お前はなぜ、あの男のことを嫌わないんだ?』
無理矢理に約束を取り付け、数日間に及ぶ性行為を強要したユリウスに心奪われている息子の姿を、父であるジェントは到底受け入れることが出来なかった。
『父さん、俺はこっちのテーブルを拭くから』
以前にはなかった艶めかしさが、時折ノアの仕草の端々に現れる。
扉の取っ手に触れる指先にさえ、得体の知れない余韻が滲むことがある。
それら全てが、伯爵との淫らな行為の名残を纏っていた。
『……ごちそうさま』
かつては何気ないやり取りで成り立っていた父子の会話は、今ではほとんど交わされなくなり、代わりに冷えた沈黙だけが酒場の食卓の空気を支配する。
『もう、部屋に戻るから』
見えない不協和音は、積み重なるようにして父子の間に刻まれていった。
それは十日を経ても消えることなく、むしろ深く、静かに二人の間に根を張っていく。
『お前は、あの男に都合よく利用され、一時の戯れの相手となったんだぞ。そんなことも分からないのか?』
ある夜、ジェントが静かに投げかけたその言葉は刃物のようにノアの胸を貫いた。
『お前は、まだあの男にその身体を捧げたいのか』
『……うん』
『……っ…何故、そうなるんだ』
そうして、家は安らぎの場所ではなくなった。
『酒場の手伝いは、もうしなくて良い』
日々の暮らしの中でのほんの些細な言葉のやり取りや、視線の交差ひとつですら傷に塩を塗るように感じてしまう。
『……うん、分かった』
皮肉なことに、ユリウスとの数日間の甘美な記憶だけがノアの心の拠り所となっていた。
「ユリウス、様……んっ、あっ……」
兄がいない部屋の中で、ノアはひとり身をよじらせていた。
「……ふっ……あっ」
孔に指を挿れて、ユリウスのあの指の感触を必死に思い出そうとする。
湿り気を帯びた熱がじわりと全身に広がり、吐息は喘ぎとなって唇から零れ落ちた。
「……んっ」
乳首は以前よりもふっくらと膨らみ、微かな刺激にも反応するようになっている。
「……ふっ……っ」
何もかもが、既に手遅れだった。
どらりとした白濁の液がつく指先を呆然と見つめたあと、ノアはベッドの上でうずくまる。
身体の奥底から込み上げる熱は、ユリウスへの止めどない恋慕を物語っていた。
──陽光が柔らかく川面を照らす、ある昼下がりのこと。
「久しぶりだな、ノア」
幼い頃から親しくしている魔石加工職人の息子サリスと共に、ノアは川辺の草の上に腰を下ろしていた。
「久しぶり、と言っても一ヶ月ぶりだけどな」
「いつもよりかは、会ってない期間が長いだろ」
いくつかの他愛もない雑談を交わした後に、サリスは少し声を落とす。
「ノア、お前、最近親父さんと上手くいってないのか」
草の茎をちぎりながら、さりげなくそう言った。
「……まぁな」
「お前も、色々大変だよな。姉貴なんか、美貌の伯爵様と甘い時間を過ごせたとか羨ましぃ!なんて、バカみたいに言ってたぞ」
サリスの茶化すような声に、ノアは思わず苦笑する。
「サリス、今日は親父さんの手伝いは良いのか?」
「七日連続で働いたからな。二日休めって言われてる。で、お前は?」
「俺は、酒場出禁に近い」
その声は、自嘲気味だった。
この町での十三歳と言えば、家業の手伝いを本格的に始める年齢である。
今のノアには、その居場所がなかった。
朝早くから夜遅くまで、なるべく家にいない生活を送っていた。
「喧嘩、長引いてるんだな」
「もう、修復不可能だと思う」
水面に映る自分の姿が、波に揺れてぼやけていくのを見つめ続ける。
「なんで、そこまで拗れたんだ?」
「色々、あるんだよ」
「そっか」
少しの沈黙の後、サリスは草花を指先でくるくると回しながら問いを重ねた。
「伯爵様との数日間は、どうだったんだ?」
「良かったよ」
「親父さんと上手くいかないの、それが理由だろ」
サリスは小石を水面に投げ入れる。
小さな波紋が広がり、やがて消えていく。
「うん」
その一言に、あらゆる感情が込められていた。
「そりゃ、上手くいかなくなるわ」
二人は言葉少なに並んで川を見つめる。
水の流れる音と風のそよぎだけが、耳に残った。
「まぁ、お前が何を考えてるのか分かんなくても、腐れ縁ではいてやるよ」
サリスの言葉に、ノアはようやく少しだけ笑う。
「そろそろ、戻るよ。ありがとう、サリス」
「おう、ちゃんと顔上げて歩けよ」
背中を押す友の言葉を胸に、ノアは再び歩き始めた。
──ユリウスとの別れから、二十三日が過ぎた頃。
兄の尽力により、ノアは半月後から第十三騎士団寮で食堂補助や寮内雑務を担うことが決まった。
「いつまでも何もしないわけにはいかないだろう。副団長のガレッドさんによると、ちょうど人手不足で困っていたらしい。お前なら大歓迎だそうだ」
その知らせに、ノアは胸をなでおろす。
逃げ場所が見つかったような安堵感があった。
「今回の件は、親父の気持ちも知らないで、あんな男に夢中になってるお前が悪い。あんなのは、お前に調子の良いことを言って気を持たせるだけの最低な野郎だ」
アランは古びた魔術書を手にしながら、普段よりも淡々とした声でそう告げる。
「ありがとう、兄さん」
ぽつりと礼を告げると、アランは振り返りもせずに読書に戻る。
──それから十日後のこと。
ノアの元には、ユリウスからの手紙が届いた。
純白の花が添えられ、丁寧に包まれた小さなチョコレートの箱も一緒である。
酒場の入口でそれを受け取ったノアの手は、微かに震えていた。
封を開くと、上質な紙に美しい筆跡で言葉が綴られている。
『君との数日間は、かけがえのない時間だった』
その一文に、ノアは何度も指で触れた。
手紙の中には、騎士団寮に入ると聞いたことへの驚きと謝罪、そして気遣いの言葉が綴られている。
この手紙が、家族の誰にも歓迎されないものであることは分かっていた。
けれど、それでも、ノアにとっては何物にも代え難い大切なものである。
その夜、寝静まった部屋の中で、ノアは何度も何度もその手紙を読み返した。
一年後のユリウスとの再会を思い描きながら、静かにその瞼を閉じる。
胸の奥に残る甘い余韻を、ノアは手紙と共にそっと抱きしめた。
『お前はなぜ、あの男のことを嫌わないんだ?』
無理矢理に約束を取り付け、数日間に及ぶ性行為を強要したユリウスに心奪われている息子の姿を、父であるジェントは到底受け入れることが出来なかった。
『父さん、俺はこっちのテーブルを拭くから』
以前にはなかった艶めかしさが、時折ノアの仕草の端々に現れる。
扉の取っ手に触れる指先にさえ、得体の知れない余韻が滲むことがある。
それら全てが、伯爵との淫らな行為の名残を纏っていた。
『……ごちそうさま』
かつては何気ないやり取りで成り立っていた父子の会話は、今ではほとんど交わされなくなり、代わりに冷えた沈黙だけが酒場の食卓の空気を支配する。
『もう、部屋に戻るから』
見えない不協和音は、積み重なるようにして父子の間に刻まれていった。
それは十日を経ても消えることなく、むしろ深く、静かに二人の間に根を張っていく。
『お前は、あの男に都合よく利用され、一時の戯れの相手となったんだぞ。そんなことも分からないのか?』
ある夜、ジェントが静かに投げかけたその言葉は刃物のようにノアの胸を貫いた。
『お前は、まだあの男にその身体を捧げたいのか』
『……うん』
『……っ…何故、そうなるんだ』
そうして、家は安らぎの場所ではなくなった。
『酒場の手伝いは、もうしなくて良い』
日々の暮らしの中でのほんの些細な言葉のやり取りや、視線の交差ひとつですら傷に塩を塗るように感じてしまう。
『……うん、分かった』
皮肉なことに、ユリウスとの数日間の甘美な記憶だけがノアの心の拠り所となっていた。
「ユリウス、様……んっ、あっ……」
兄がいない部屋の中で、ノアはひとり身をよじらせていた。
「……ふっ……あっ」
孔に指を挿れて、ユリウスのあの指の感触を必死に思い出そうとする。
湿り気を帯びた熱がじわりと全身に広がり、吐息は喘ぎとなって唇から零れ落ちた。
「……んっ」
乳首は以前よりもふっくらと膨らみ、微かな刺激にも反応するようになっている。
「……ふっ……っ」
何もかもが、既に手遅れだった。
どらりとした白濁の液がつく指先を呆然と見つめたあと、ノアはベッドの上でうずくまる。
身体の奥底から込み上げる熱は、ユリウスへの止めどない恋慕を物語っていた。
──陽光が柔らかく川面を照らす、ある昼下がりのこと。
「久しぶりだな、ノア」
幼い頃から親しくしている魔石加工職人の息子サリスと共に、ノアは川辺の草の上に腰を下ろしていた。
「久しぶり、と言っても一ヶ月ぶりだけどな」
「いつもよりかは、会ってない期間が長いだろ」
いくつかの他愛もない雑談を交わした後に、サリスは少し声を落とす。
「ノア、お前、最近親父さんと上手くいってないのか」
草の茎をちぎりながら、さりげなくそう言った。
「……まぁな」
「お前も、色々大変だよな。姉貴なんか、美貌の伯爵様と甘い時間を過ごせたとか羨ましぃ!なんて、バカみたいに言ってたぞ」
サリスの茶化すような声に、ノアは思わず苦笑する。
「サリス、今日は親父さんの手伝いは良いのか?」
「七日連続で働いたからな。二日休めって言われてる。で、お前は?」
「俺は、酒場出禁に近い」
その声は、自嘲気味だった。
この町での十三歳と言えば、家業の手伝いを本格的に始める年齢である。
今のノアには、その居場所がなかった。
朝早くから夜遅くまで、なるべく家にいない生活を送っていた。
「喧嘩、長引いてるんだな」
「もう、修復不可能だと思う」
水面に映る自分の姿が、波に揺れてぼやけていくのを見つめ続ける。
「なんで、そこまで拗れたんだ?」
「色々、あるんだよ」
「そっか」
少しの沈黙の後、サリスは草花を指先でくるくると回しながら問いを重ねた。
「伯爵様との数日間は、どうだったんだ?」
「良かったよ」
「親父さんと上手くいかないの、それが理由だろ」
サリスは小石を水面に投げ入れる。
小さな波紋が広がり、やがて消えていく。
「うん」
その一言に、あらゆる感情が込められていた。
「そりゃ、上手くいかなくなるわ」
二人は言葉少なに並んで川を見つめる。
水の流れる音と風のそよぎだけが、耳に残った。
「まぁ、お前が何を考えてるのか分かんなくても、腐れ縁ではいてやるよ」
サリスの言葉に、ノアはようやく少しだけ笑う。
「そろそろ、戻るよ。ありがとう、サリス」
「おう、ちゃんと顔上げて歩けよ」
背中を押す友の言葉を胸に、ノアは再び歩き始めた。
──ユリウスとの別れから、二十三日が過ぎた頃。
兄の尽力により、ノアは半月後から第十三騎士団寮で食堂補助や寮内雑務を担うことが決まった。
「いつまでも何もしないわけにはいかないだろう。副団長のガレッドさんによると、ちょうど人手不足で困っていたらしい。お前なら大歓迎だそうだ」
その知らせに、ノアは胸をなでおろす。
逃げ場所が見つかったような安堵感があった。
「今回の件は、親父の気持ちも知らないで、あんな男に夢中になってるお前が悪い。あんなのは、お前に調子の良いことを言って気を持たせるだけの最低な野郎だ」
アランは古びた魔術書を手にしながら、普段よりも淡々とした声でそう告げる。
「ありがとう、兄さん」
ぽつりと礼を告げると、アランは振り返りもせずに読書に戻る。
──それから十日後のこと。
ノアの元には、ユリウスからの手紙が届いた。
純白の花が添えられ、丁寧に包まれた小さなチョコレートの箱も一緒である。
酒場の入口でそれを受け取ったノアの手は、微かに震えていた。
封を開くと、上質な紙に美しい筆跡で言葉が綴られている。
『君との数日間は、かけがえのない時間だった』
その一文に、ノアは何度も指で触れた。
手紙の中には、騎士団寮に入ると聞いたことへの驚きと謝罪、そして気遣いの言葉が綴られている。
この手紙が、家族の誰にも歓迎されないものであることは分かっていた。
けれど、それでも、ノアにとっては何物にも代え難い大切なものである。
その夜、寝静まった部屋の中で、ノアは何度も何度もその手紙を読み返した。
一年後のユリウスとの再会を思い描きながら、静かにその瞼を閉じる。
胸の奥に残る甘い余韻を、ノアは手紙と共にそっと抱きしめた。
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