野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第一章

二十二

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「命が惜しくないようだな!! ゴミ溜めのドブネズミ風情がッ!!」

 空気を震わせるほどの怒声に、シーラは反射的に体を強張らせる。
 恐るおそる視線を上げれば、立ち上がり、身を乗り出して、憤怒の炎を瞳に滾らせるジルヴィウスが視界に入った。もし視線で人を殺せるのなら、ギーはとっくに死んでいただろう。
 恐怖で身が竦み、指先が震えるシーラとは違い、殺気を向けられている当の本人は飄々とした様子で息を吐いた。

「そのドブネズミを好きこのんで拾ってきたのはご主人様でしょう。ネズミなんて疫病をもたらす害獣でしかないのに」
「……そうか。なら、拾ってきた者の責任として今すぐ駆除してやる」

 空気が振動し、窓がガタガタと音を立てる。
 ジルヴィウスが上げた手のひらの上に火の玉ができていくのを見て、シーラは考えるよりも先にジルヴィウスに抱き着いていた。

「だめ……! だめだよ、ジル……!」

 ギーの言葉の意味も、ジルヴィウスが何に怒っているのかも、シーラにはわからない。
 けれど、彼らのやりとりの軸が自分にあることだけは察せられた。

「お願いだからやめて……」

 震える体になんとか力を入れ、抱き締める腕に力を込める。もう一度、お願い、と彼の体に顔をすり寄せれば、部屋を満たしていた熱気がふっと消えた。
 優しく頭を撫でられ、シーラはゆっくりと顔を上げる。
 ジルヴィウスは、濡れたシーラの目尻にそっと口付けると、低い声でギーの名前を呼んだ。

「お前の首の皮を繋いでいるのはシーラだということを、ゆめゆめ忘れるな」
「もちろんでございます」
「もういい。失せろ」

 少しして、扉が閉まる音が聞こえた。

「……ジル」

 小さく名を呼べば、唇に柔らかな彼のそれが重なる。何度が触れるだけの口付けを繰り返すと、ジルヴィウスはシーラを抱き上げ、そのまま椅子に座った。

「何故止めた」

 真っ直ぐシーラを見つめる彼の瞳に、先ほどの怒りはもう見えない。声色も柔らかで、シーラはほっと息を吐きながら、ジルヴィウスの頬を撫でる。

「ジルが……どうしてあんなに怒ったのかわからないけど……怒っている理由が、わたしのためだと思ったから」

 ジルヴィウスは、ぴくりと眉を動かした。そんな彼の眉毛を親指の腹で撫でながら、シーラは先ほどの出来事を冷静に思い出す。

(聞き間違いでなければ、ギーはわたしを“利用する”って言ってた)

 ジルヴィウスの怒りの沸点はそこだろう、とシーラは考えていた。
 彼の反応を見るに、自惚れではないだろう。

(でも……)

 シーラは一度深呼吸をすると、姿勢を正し、ジルヴィウスを見つめた。

「ギーが言ってた“わたしを利用する”ってどういう意味? その言葉にあれだけ怒ったってことは……ジルは、その意味を理解してるってことだよね?」
「それは……」

 言いかけて、彼は口を閉じる。
 何かを逡巡するように視線を逸らすジルヴィウスに、シーラは意を決し、口を開く。

「――前に、どうしてだろうって思ったことがあるの。どうして北部公爵家は……北部公爵様は、わたしにこだわるんだろうって」

 ジルヴィウスが勢いよくこちらを向く。
 怒り。戸惑い。憎しみ。彼の瞳には様々な感情が入り乱れているように見えた。けれど、固く口を閉じているのを見る限り、シーラが話し終わるまで口を挟むつもりはないのだろう。
 シーラはただ真っ直ぐジルヴィウスを見返しながら、静かに続ける。

「そのときは誰に訊いても答えてもらえなくて……そのうち忙しくなって、その疑問も忘れちゃったんだけど、それでも一応、自分なりに結論を出したの。わたしが、辺境伯家の娘だからじゃないのかなって」

 兄から結婚の許しが下り、北部公爵家が大々的に結婚の日取りを公表したとき。外堀を埋めるように北部公爵家の行動に、そうまでして自分が欲しいのか、とシーラは思った。
 けれど、それに答えてくれる者はおらず、当時、結婚の準備等々で忙しかったこともあり、抱いた疑問はすぐに頭の隅へと追いやられた。ただ、そのときに、一応自分なりに、自分が辺境伯家の娘だからだろう、という結論を出していた。
 国家防衛のため、ある程度自由な自治権と軍事力を保有することが許された辺境伯家。
 ノルティーン辺境伯領は王国の南東、地域としては東部に分類される場所に位置するが、北部公爵家は北部以外の地域への影響力と、ノルティーン辺境伯家が持つ軍事力が目当てなのだろう、とシーラは考えた。

(でも、よくよく考えなくても、それってだいぶ、東部公爵家……ジルに喧嘩を売ることになるよね。そもそも辺境伯家自体はわたしの家以外にもあるし。東部公爵家と対立したい理由があったのなら話は別だけど……)

「……今は違う考えなのか?」

 静かに問うジルヴィウスに、意識を彼へと戻したシーラはうーんと首を捻る。

「違う考え、というか……さっきのギーの言葉とジルの反応で、わたしの考えは間違ってたのかもって、思い始めてる……ところ?」
「……なるほどな」

 ジルヴィウスは深く息を吐き出すと、盛大に舌打ちした。

「本当にあいつは……余計なことを言いやがって……」
「あっ、ギーのことは怒らないで! 罰とかもだめ! 何の話かはわからないけど、ギーはジルのことを想って言ってくれたんでしょ?」
「どんな理由、事情があっても、お前を軽んじるような発言を許容するつもりはない。相手が王族であってもだ」
「ないとは思うけど、王族相手にあんなことしちゃだめだからね!?」

 ジルヴィウスはそれに頷くことなく、ふん、と視線を逸らす。

(いやいや、ジルだってさすがにそんな無謀なことは……しないって言いきれないのが怖いところなんだよねぇ)

 今後人前に出るときは周りに気を配らなければ、と思いつつも、彼にとって自分がそれほど大切な存在なのかと嬉しくなる。それと同時に、先ほどのギーの言葉が脳裏を掠め、彼が自分を大切にしてくれるのは何か理由があるからではないか、という疑念が芽生えた。

(……ううん。そんなこと、一人で考えて悩んでもしょうがない。今はまず、わたしが知らないことを知らなくちゃ)

 シーラは抱いた疑念を心の奥底へとしまい込むと、金の瞳を覗き込むように視線を合わせ「ジル」と声を掛けた。

「ジルが言いにくい、言いたくないっていうなら、ギーに教えてもらう」

 ジルヴィウスはその発言に不快そうに顔を顰めたものの、反対する言葉はあげなかった。
 そのジルヴィウスの行動が、自分には自分の知らない何かがある、というのを確信させた。

「……ギーに教わること、許してくれる?」

 しばらく無言で見つめ合ったあと、ジルヴィウスは了承するように短く息を吐き出した。

「……明日、本館にある図書館に場所を設ける。開始時間は昼食後。一号と二号も同席させろ。二人きりにはなるな」
「! うんっ、わかった……! ありがとう、ジル」

 ぱっと顔を輝かせ、皺のよる眉間に口付けたシーラは、「あっ」と眉尻を下げる。

「もうお話ししてくれる? お触り禁止も撤回するから……」

 おずおずと窺えば、ジルヴィウスはわずかに目を瞠ったあと、目元を和らげた。

「もういいのか?」
「うん……ごめんね、子どもっぽいことして」

 結局謝ってしまったな、と思いつつ、ジルヴィウスに寄りかかれば、彼はシーラを抱き締め、頭に口付けた。

「俺もお前の気持ちを蔑ろにした。他人がいる前でお前が望まないことはしない」
「うん……」

 しまい込んだはずの疑念が顔を覗かせたことに気付かないふりをしながら、シーラは久しぶりに感じるジルヴィウスの体温に身を委ねた。
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