野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第一章

二十三

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「それじゃあ、よろしくお願いします!」

 テーブルを挟んだ向かい側にいるギーに、シーラは勢いよく頭を下げる。

「……あの旦那様に純粋な好意を抱くなどずいぶん奇特な方だと思っていましたが、思っていた以上ですね」
「そう……?」

 姿勢を戻し、ギーに促されながら椅子に座ると、シーラは首を傾げる。

「でも、ギーもジルのことが好きなんでしょ?」
「……恐れながら、私と奥様が見ている世界は少々違う可能性がございますね」

 ギーは心底嫌そうに顔を歪め、息を吐いた。
 シーラの前では常に笑みを浮かべようとしていたのに、もう取り繕うのはやめたのだろうか、と思いつつ、シーラは不思議そうな顔をギーに向けた。

「昨日、『旦那様に忠誠を誓っております』って言ってたでしょ? それに、ジルのことが好きじゃなかったら忠言なんてしないよなぁって」
「……忠誠を誓うことが好感を持つことに繋がるわけではございません。それから……」

 ギーは一度口を閉じると、笑みを浮かべることなく、真っ直ぐシーラを見つめた。

「一つお伺いしてもよろしいでしょうか」
「もちろん。一つと言わずいくらでも」

 なに? と小首を傾げて言葉を待てば、ギーは目を伏せ、口を開いた。

「奥様は……ご不快に思われなかったのですか?」
「不快? なにを?」

(不快になるようなことって何かあったっけ?)

 これまでのギーとのやりとりを思い出してみても、思い当たることはない。
 シーラへと視線を戻したギーは、シーラが本当にわかっていないと判断したのか、少しだけ表情を緩めた。

「私は昨日、奥様に対して不敬な発言をしました。貴族でもない、平民とも呼べない、卑しい生まれの私が、主君の奥方である奥様を“利用”などと、本来であれば処刑されてもおかしくない物言いをしました。そんな私に教えを乞うなど……正気とは思えません」

(不敬だというなら、今の発言も相当だけど……)

 シーラはふふっと笑みを漏らすと、ギーに満面の笑みを向けた。

「気にしてないわ。言葉の意味がわからないから気にしようもない、というのが正直なところだけど、たとえ意味がわかったとしても、ジルのことを考えてした発言に不快だなんて思わないよ。何と言っても奇特な人間だから」

 先ほどのギーの言葉を拝借しながらそう言えば、ギーは虚をつかれたように目を瞬かせた。しかしすぐに小さな笑みを漏らすと、恭しく腰を折る。

「では、私は奥様の奇特さに感謝を申し上げねばなりませんね」
「そうね。謝罪の言葉よりは感謝の言葉をたくさん聞きたいわ」
「ご期待に沿えるよう努力いたします」

 頭を上げたギーは、いつも通りにこやかな笑みを口元に浮かべると、「では」と傍らに用意されていた本をシーラの前に置いた。

「こちらの赤い表紙のものは、これからご説明することとほぼ同等の、基本的な内容が記された書物になります。青い表紙に金字の書物には、旦那様と同じ症状の者たちの話が、そして青い表紙に黒字の書物には、奥様と同じ体質の者たちの話が記されています。最後に、表題も装飾も何もないこの黒革の書物ですが……こちらには、奥様と同じ体質の者たちについて、お話しがまとめられています」
「! それって……」

(一般に知られてはいけないような何かがあるってこと……? ――ううん、そんなことより……)

 シーラは並べられた本から視線を上げると、不安そうに眉尻を下げながらギーを窺った。

「ジル、やっぱりどこか悪いの? どんな病気? わたしが何かできるんだよね? 何すればいいの?」

 矢継ぎ早に問いかけるシーラに、ギーは少々面食らったように目を見開く。しかしすぐに表情を緩めると、首を横に振った。

「それほど深刻になる必要はございません。旦那様のような症状を発症する方は一定数いらっしゃいます。全体的な総数で言うと無魔力者ノーンより少ないかもしれませんが……対処法も複数ありますし、それさえしっかりしていれば命にかかわるようなものではありませんから」
「そうなんだ……」

 ほっと息をついたシーラだったが、昨日の具合の悪そうなジルを思い出し、再び眉尻を下げた。

「じゃあ、ジルはその複数の対処法をどれも取れてなかったってこと? 昨日すごく具合悪そうだったもん……」
「ああ……いえ、昨日の旦那様は……」

 ギーは顔を顰め、呆れたような溜息を漏らしたものの、すぐににこりと笑顔を張り付けた。

「私が奥様と談笑していたのがお気に召さず、奥様の気を引きたくて、自ら対処法をお絶ちになられただけですので」
「あ、そうなんだ。ならよかっ……じゃあ、昨日のギーの発言はジルへの当てつけってこと……? 心配したとかじゃなくて……?」

 思わず半目を向ければ、ギーは朗らかに笑んだ。

「まさか、そんな。滅相もございません」

 疑いの目を向けるシーラに、ギーは胡散臭い笑みを返す。しばし睨み合いを続けたあと、ギーは、ふっと目を伏せると、繕ったわけではない自然な微笑を浮かべた。

「奥様が最も有効な対処法であることは嘘ではございません。旦那様のような方にとって、奥様は喉から手が出るほど欲しい宝玉ですから」

 その表情は、忠誠を誓った主人が苦しまなくて済むことを純粋に喜んでいるように見えた。

(……やっぱり、なんだかんだジルのことが好きなんじゃない)

 二人の出会いはわからないが、昨日ギーはジルヴィウスが好きこのんで拾ってきたと言っていた。それまでの経緯や、その後の関係がどうであれ、彼は彼なりにジルヴィウスを慕っているのだろう。
 それが感じられて胸が温かくなる一方で、昨日芽生えた“ジルヴィウスが大切にしてくれるのには理由がある”という疑念が事実なような気がして、シーラの気分は徐々に下降していった。
 机の下で拳を握り込みながら、シーラは努めて明るく、けれど真剣な声色でギーに声を掛ける。

「ねえ、ギー。わたしの“体質”っていったい何? わたしは……無魔力者ノーンじゃないの?」

 笑みを消し、視線を上げたギーは、真っ直ぐシーラを見つめた。

「奥様は、“イジェスト”という存在をご存じですか?」
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