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第二章
八
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翌日、シーラはまず東部公爵城の敷地の地図を確認した。
自分で見に行く前に、どこにどれほどの規模の庭園があるのか確認するほうがいいと思ったのだ。
(でも……)
シーラは後ろを向くと、声を潜めてジルヴィウスに話しかける。
「……ねぇ、やっぱり膝の上に乗ってる必要は――」
「ある」
視線は手元の書類に落としたまま、ジルヴィウスはシーラの言葉を遮って端的に言い切った。書類を持っていないほうの手はシーラの腹に回り、がっちりと掴んで離さない。
(まぁ、ジルが邪魔じゃないならいいか)
こういうところは本当に子どものようで可愛いな、と思いながら、振り返ったついでに頬に軽く口付けると、シーラは視線を執務机の上に戻した。
今日は外に出ずに下調べをする、と伝えたところ、それを聞いたジルヴィウスがただでさえ何もなかった執務机の上を片付け、シーラに必要なものだけを並べておいてくれたのだ。
シーラは改めて地図へ視線を落としながら、メモを取っていく。
(えーと……庭園は全部で四つ、かな? 正門からお城の入り口までにある庭園に、城の中心にある中庭、北館側にある北の庭園に、本館側にある東の庭園……。あと、北の庭園と東の庭園には温室があって……これ全部わたしが管理するの!?)
当然と言えば当然だが、どの庭園も規模が広そうだ。まずはひと区画ずつ順番に手を付けるのがいいだろう。
(うーん……まずはやっぱり公爵城の顔となる入り口の庭園から手を付けるべき? でもお客様が来ることがあるのかはわからないけど北館には客室があるし、ジルの執務室もこっちだから、まずは北の庭園と温室のほうがいいかな? 東の庭園は……あれ? 本館からしか行けないようになってる? 囲うように塀が建ってるような……)
「ねぇ、ジル――」
「なんだ?」
「!」
思っていた以上に近くで聞こえた声に、シーラは肩を跳ねさせると勢いよく横を向く。
(わっ、近い……!)
鼻先が触れそうなほど近くにあるジルヴィウスの顔に、シーラは思わず目を瞬かせる。突然のこの距離感は不意打ちで、シーラの鼓動は大きく跳ね上がった。
この二ヶ月くらいずっとべったりだったのに、たったこれだけのことでまだ自分はときめくのかと悶えていると、ジルヴィウスがわずかに片眉を上げた。
「用があるから呼んだんじゃないのか?」
「えっ? あっ、うん! ある! えっと……」
シーラは顔が熱くなっていくのを感じながら、地図に視線を戻すと東の庭園を指差した。
「この庭園、本館からしか行けないみたいなんだけど……」
「ああ。“公爵夫人の庭園”だからな」
「“公爵夫人の庭園”?」
初めて聞くな、とちらりとジルヴィウスを窺えば、彼は地図に視線を落としながら小さく頷いた。
「わかりやすく言うとプライベート庭園だな。季節や招待客のことなど何も考えず、ただ自分の好きな花だけを植えた公爵夫人専用の庭園だ。公爵夫人の許可がなければ誰も入ることができない」
「……わたし、魔法使えないけど……」
「庭園への出入りを管理しているのはこの城にかけられた魔法だ。お前が特別何かする必要はない」
「じゃあ、わたしでも入れる?」
「今代の公爵夫人はお前だ。お前が入れなくて誰が入れると言うんだ?」
ジルヴィウスは少々不機嫌そうに眉根を寄せ、シーラを睨んだ。一方で、ジルヴィウスの鋭い視線を受けながらも、シーラの口元は締まりなく緩んでいた。自分がジルヴィウスの妻なのだと改めて実感できたのが嬉しかったのだ。
にこにこと微笑むシーラに、ジルヴィウスは小さく息を吐くと言葉を続けた。
「公爵夫人の庭園には魔法がかけられているから、好きな花を一年中咲かせておくことができる。公爵夫人の庭園には管理用の魔法自動人形がいるから、植えたいものが決まったら、種でも株でも必要な数だけ渡しておけ」
そうなんだ、とジルヴィウスの説明を聞いていたシーラは、少しして「えっ」と声を上げた。
「管理用の魔法自動人形がいるの? その子って今は……」
「庭園の入り口で次の主を待ってる。魔力石に魔力を補充する必要があるだろうから、最初に行くときは俺も連れて行け」
なんてことないように言い切ったジルヴィウスとは対照的に、シーラの表情は悲しげに曇る。誰も来ない庭園でぽつんと待ち続ける魔法自動人形の姿を想像したら、胸がわずかに痛んだ。
魔法自動人形に感情はないと理解していても、することもなく独りぼっちで待ち続けるのは寂しいのではないかと考えてしまう。
「……ねぇ、ジル」
悲しみを浮かべたままジルのシャツを引けば、彼は持っていた書類から手を放し、シーラの頭を撫でた。
「早速行くか?」
「……忙しくない? お仕事の邪魔してない?」
「お前が思ってるより俺は遥かに暇なんだ。その暇を解消する手伝いをするのも妻の仕事じゃないか?」
琥珀のような金の瞳がわずかに揺らめく。
どこか冗談めかしたようなその発言に、甘く胸が疼いた。
今の彼の言動が、昔の彼を思い起こさせたのだ。
(初恋は忘れられないって言うけど……本当ね)
彼への愛を芽生えさせ、自覚させたのは今のジルヴィウスだ。昔の自分と今の自分、いったいどちらが好きなのかと問われれば、迷いなく今のジルヴィウスだと答える自信がある。
けれど、それはそれ、これはこれだ。昔の面影を見てときめいてしまうのは、もうどうしようもなかった。
(同じ人に二回も恋をするなんて……わたしが単純なのか、ジルが魅力的すぎるのか……)
恋はなんと愚かで偉大なのだろう、と思いながら、シーラは彼の申し出に甘えるように小さく首肯した。
自分で見に行く前に、どこにどれほどの規模の庭園があるのか確認するほうがいいと思ったのだ。
(でも……)
シーラは後ろを向くと、声を潜めてジルヴィウスに話しかける。
「……ねぇ、やっぱり膝の上に乗ってる必要は――」
「ある」
視線は手元の書類に落としたまま、ジルヴィウスはシーラの言葉を遮って端的に言い切った。書類を持っていないほうの手はシーラの腹に回り、がっちりと掴んで離さない。
(まぁ、ジルが邪魔じゃないならいいか)
こういうところは本当に子どものようで可愛いな、と思いながら、振り返ったついでに頬に軽く口付けると、シーラは視線を執務机の上に戻した。
今日は外に出ずに下調べをする、と伝えたところ、それを聞いたジルヴィウスがただでさえ何もなかった執務机の上を片付け、シーラに必要なものだけを並べておいてくれたのだ。
シーラは改めて地図へ視線を落としながら、メモを取っていく。
(えーと……庭園は全部で四つ、かな? 正門からお城の入り口までにある庭園に、城の中心にある中庭、北館側にある北の庭園に、本館側にある東の庭園……。あと、北の庭園と東の庭園には温室があって……これ全部わたしが管理するの!?)
当然と言えば当然だが、どの庭園も規模が広そうだ。まずはひと区画ずつ順番に手を付けるのがいいだろう。
(うーん……まずはやっぱり公爵城の顔となる入り口の庭園から手を付けるべき? でもお客様が来ることがあるのかはわからないけど北館には客室があるし、ジルの執務室もこっちだから、まずは北の庭園と温室のほうがいいかな? 東の庭園は……あれ? 本館からしか行けないようになってる? 囲うように塀が建ってるような……)
「ねぇ、ジル――」
「なんだ?」
「!」
思っていた以上に近くで聞こえた声に、シーラは肩を跳ねさせると勢いよく横を向く。
(わっ、近い……!)
鼻先が触れそうなほど近くにあるジルヴィウスの顔に、シーラは思わず目を瞬かせる。突然のこの距離感は不意打ちで、シーラの鼓動は大きく跳ね上がった。
この二ヶ月くらいずっとべったりだったのに、たったこれだけのことでまだ自分はときめくのかと悶えていると、ジルヴィウスがわずかに片眉を上げた。
「用があるから呼んだんじゃないのか?」
「えっ? あっ、うん! ある! えっと……」
シーラは顔が熱くなっていくのを感じながら、地図に視線を戻すと東の庭園を指差した。
「この庭園、本館からしか行けないみたいなんだけど……」
「ああ。“公爵夫人の庭園”だからな」
「“公爵夫人の庭園”?」
初めて聞くな、とちらりとジルヴィウスを窺えば、彼は地図に視線を落としながら小さく頷いた。
「わかりやすく言うとプライベート庭園だな。季節や招待客のことなど何も考えず、ただ自分の好きな花だけを植えた公爵夫人専用の庭園だ。公爵夫人の許可がなければ誰も入ることができない」
「……わたし、魔法使えないけど……」
「庭園への出入りを管理しているのはこの城にかけられた魔法だ。お前が特別何かする必要はない」
「じゃあ、わたしでも入れる?」
「今代の公爵夫人はお前だ。お前が入れなくて誰が入れると言うんだ?」
ジルヴィウスは少々不機嫌そうに眉根を寄せ、シーラを睨んだ。一方で、ジルヴィウスの鋭い視線を受けながらも、シーラの口元は締まりなく緩んでいた。自分がジルヴィウスの妻なのだと改めて実感できたのが嬉しかったのだ。
にこにこと微笑むシーラに、ジルヴィウスは小さく息を吐くと言葉を続けた。
「公爵夫人の庭園には魔法がかけられているから、好きな花を一年中咲かせておくことができる。公爵夫人の庭園には管理用の魔法自動人形がいるから、植えたいものが決まったら、種でも株でも必要な数だけ渡しておけ」
そうなんだ、とジルヴィウスの説明を聞いていたシーラは、少しして「えっ」と声を上げた。
「管理用の魔法自動人形がいるの? その子って今は……」
「庭園の入り口で次の主を待ってる。魔力石に魔力を補充する必要があるだろうから、最初に行くときは俺も連れて行け」
なんてことないように言い切ったジルヴィウスとは対照的に、シーラの表情は悲しげに曇る。誰も来ない庭園でぽつんと待ち続ける魔法自動人形の姿を想像したら、胸がわずかに痛んだ。
魔法自動人形に感情はないと理解していても、することもなく独りぼっちで待ち続けるのは寂しいのではないかと考えてしまう。
「……ねぇ、ジル」
悲しみを浮かべたままジルのシャツを引けば、彼は持っていた書類から手を放し、シーラの頭を撫でた。
「早速行くか?」
「……忙しくない? お仕事の邪魔してない?」
「お前が思ってるより俺は遥かに暇なんだ。その暇を解消する手伝いをするのも妻の仕事じゃないか?」
琥珀のような金の瞳がわずかに揺らめく。
どこか冗談めかしたようなその発言に、甘く胸が疼いた。
今の彼の言動が、昔の彼を思い起こさせたのだ。
(初恋は忘れられないって言うけど……本当ね)
彼への愛を芽生えさせ、自覚させたのは今のジルヴィウスだ。昔の自分と今の自分、いったいどちらが好きなのかと問われれば、迷いなく今のジルヴィウスだと答える自信がある。
けれど、それはそれ、これはこれだ。昔の面影を見てときめいてしまうのは、もうどうしようもなかった。
(同じ人に二回も恋をするなんて……わたしが単純なのか、ジルが魅力的すぎるのか……)
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