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第二章
九
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執務室の椅子の上から一瞬で場所を移動すると、ジルヴィウスはシーラを下ろした。
「ここは……」
シーラたちが降り立ったのは、サンルームのような場所だった。天井と前面、側面がガラス張りで、後ろは普通の壁になっている。後ろにある木製の扉が、おそらく本館へと続いているのだろう。
室内には観葉植物と小さな本棚、白い木製のテーブルと椅子が置かれている。観葉植物は青々としていて綺麗なのに対し、その他の調度品は埃をかぶっていた。
「とっくに魔力切れを起こしてると思ったが、管理用の魔法自動人形はまだ稼働してるようだな」
観葉植物へと目を向けながらそう小さく呟いたジルヴィウスを、シーラはそっと見上げる。
(“公爵夫人の庭園”ってことは……前はここをジルのお母様が使ってたんだよね?)
八年ほど前、馬車の事故によって突如この世を去った前公爵夫妻。当時の事故については情報規制がされているようで、“がけ崩れに巻き込まれて亡くなった”ということ以外、シーラは何も知らなかった。
今も昔も彼が両親について話している姿を見たことがなく、特に触れる機会もなかったので、シーラが彼に両親について尋ねたこともなかった。
(結婚のご報告も兼ねてお墓参りしたいなとは思ってるけど、そのお願いをするのはまだ早いよね……?)
どこか遠くを見つめるようにガラスの向こう側へ目を向けるジルヴィウスに、シーラは少しの逡巡ののち、彼の手を握って小首を傾げた。
「こんなに素敵な専用庭園があるなんて、歴代の公爵夫人はみんなお花が好きだったのかな?」
シーラを一瞥したジルヴィウスは、手を握り返すとガラス扉のほうへ歩みを進めた。
「……どうだろうな。もともとこの庭園と温室は、五代目の当主が花好きの妻のために造ったものだと言われている。だが時代が流れ、いつしかこの場所を譲り受けることが公爵夫人として認められる一つの条件のようになっていったんだ。だから、興味はなくても皆ある程度は大事にせざるを得なかっただろうな」
外へ目を向けたまま、扉の前で立ち止まったジルヴィウスに倣い、シーラも改めて外へと目を向ける。
透明な扉の向こう側には花をつけない低木がところどころあるだけで、少々味気ない空間が広がっていた。
「……ここの前の所有者はジルのお母様だよね? ジルのお母様はどうだった?」
繋いだ指先が、ぴくりと揺れる。視線は前へと向けたまま、ジルヴィウスはわずかに目を細めた。
「……あの人は……花が好きだったと思う。ここには頻繁に訪れていたようだったから」
“あの人”、というどこか他人行儀な呼び方に、胸がわずかに痛んだ。
なんとなくそうなのではないかと思っていたが、彼と両親の関係はとても希薄なものだったのではないだろうか。
(わたしの家は特に仲のいいほうだったから……家族と縁が薄いってどういう感じなんだろう)
幼いジルヴィウスは、寂しい思いをしなかっただろうか。
魔力過多症は心身に不調をきたす病だ。まだ親の庇護が必要な子ども時代に、その苦しみを吐き出せる場所は、相手は、いたのだろうか。
(……もっと早く産まれたかったな。そうすれば小さなジルと一緒にいることができたかもしれないのに)
ジルヴィウスに寄り添うように腕に寄りかかれば、繋いでいないほうの手がシーラの頭を撫でた。
「言っておくがお前の家が珍しいんだからな。互いに純粋な愛情を持っている家族は貴族社会では稀有だ」
「……じゃあ、わたしとジルも稀有な家族だね」
頭を撫でていた手がぴたりと止まる。ガラス越しに、何とも言えない表情で自分を見下ろす彼の横顔が見えた。
「……シーラ」
導くように頬を撫でられ、シーラは顔を上げる。
真正面から見た彼の瞳は、わずかに揺れていた。
親指の腹が唇をなぞり、彼の顔が徐々に近付いてくる。
そっと目を閉じれば、唇に柔らかなものが触れた。その口付けは本当にとても優しいもので、シーラが大事で仕方ないのだと訴えているようにも感じた。
唇が離れるのに合わせゆっくり瞼を持ち上げれば、淡く揺らめく金の瞳と視線が絡んだ。
ジルヴィウスは長い睫毛を伏せながら、額を合わせる。
「……お前さえよければ、向日葵を植えてくれ。端のほうに、少しだけでいいから」
「――!」
囁くように呟かれた言葉に、シーラは息を呑む。
“向日葵”は、ジルヴィウスがシーラを表すのによく使っていた表現だ。
シーラに似ているからと、会いに来るたび向日葵と季節の花をプレゼントしてくれた。ジルヴィウスが向日葵みたいだと褒めてくれたから、シーラは自らの髪色を好きになったのだ。
あの日々を忘れたことは一度としてない。
彼も同じように忘れていなかったのだと思ったら、鼻の奥がツンとして、視界が滲んだ。
「……うん。植えるね、向日葵。いっぱい植えるよ。黄色と……黒の花も一緒に」
「……黒い花は見栄えが悪いだろう」
「わたしが好きなものを植えていいんでしょ? 黒はわたしの大好きな色だよ」
ジルヴィウスは黒い睫毛を小さく震わせると、濡れたシーラの目元に口付けた。
「……ああ。好きにしろ」
ジルヴィウスは一度きつくシーラを抱き締め、名残惜しそうに解放する。
「……管理用の魔法自動人形は庭園の守護者という意味でガーディアンと呼ばれている。ここに立っていないということは中を動き回ってるんだろう。名を呼んで探してくるといい」
「……魔力ないけど、大丈夫かな?」
「現在の東部公爵は俺で、俺の妻はお前だ。何も問題はない」
ジルヴィウスに背中を押され、シーラは一歩進み出る。ガラス越しにジルヴィウスを見れば、彼は小さく頷いた。
彼の信頼が嬉しくて、シーラは、ふっと顔を綻ばせる。
「――じゃあ、行ってくるね」
振り返り満面の笑みを向けたシーラは、気合いを入れながら取っ手に手を掛けた。
「ここは……」
シーラたちが降り立ったのは、サンルームのような場所だった。天井と前面、側面がガラス張りで、後ろは普通の壁になっている。後ろにある木製の扉が、おそらく本館へと続いているのだろう。
室内には観葉植物と小さな本棚、白い木製のテーブルと椅子が置かれている。観葉植物は青々としていて綺麗なのに対し、その他の調度品は埃をかぶっていた。
「とっくに魔力切れを起こしてると思ったが、管理用の魔法自動人形はまだ稼働してるようだな」
観葉植物へと目を向けながらそう小さく呟いたジルヴィウスを、シーラはそっと見上げる。
(“公爵夫人の庭園”ってことは……前はここをジルのお母様が使ってたんだよね?)
八年ほど前、馬車の事故によって突如この世を去った前公爵夫妻。当時の事故については情報規制がされているようで、“がけ崩れに巻き込まれて亡くなった”ということ以外、シーラは何も知らなかった。
今も昔も彼が両親について話している姿を見たことがなく、特に触れる機会もなかったので、シーラが彼に両親について尋ねたこともなかった。
(結婚のご報告も兼ねてお墓参りしたいなとは思ってるけど、そのお願いをするのはまだ早いよね……?)
どこか遠くを見つめるようにガラスの向こう側へ目を向けるジルヴィウスに、シーラは少しの逡巡ののち、彼の手を握って小首を傾げた。
「こんなに素敵な専用庭園があるなんて、歴代の公爵夫人はみんなお花が好きだったのかな?」
シーラを一瞥したジルヴィウスは、手を握り返すとガラス扉のほうへ歩みを進めた。
「……どうだろうな。もともとこの庭園と温室は、五代目の当主が花好きの妻のために造ったものだと言われている。だが時代が流れ、いつしかこの場所を譲り受けることが公爵夫人として認められる一つの条件のようになっていったんだ。だから、興味はなくても皆ある程度は大事にせざるを得なかっただろうな」
外へ目を向けたまま、扉の前で立ち止まったジルヴィウスに倣い、シーラも改めて外へと目を向ける。
透明な扉の向こう側には花をつけない低木がところどころあるだけで、少々味気ない空間が広がっていた。
「……ここの前の所有者はジルのお母様だよね? ジルのお母様はどうだった?」
繋いだ指先が、ぴくりと揺れる。視線は前へと向けたまま、ジルヴィウスはわずかに目を細めた。
「……あの人は……花が好きだったと思う。ここには頻繁に訪れていたようだったから」
“あの人”、というどこか他人行儀な呼び方に、胸がわずかに痛んだ。
なんとなくそうなのではないかと思っていたが、彼と両親の関係はとても希薄なものだったのではないだろうか。
(わたしの家は特に仲のいいほうだったから……家族と縁が薄いってどういう感じなんだろう)
幼いジルヴィウスは、寂しい思いをしなかっただろうか。
魔力過多症は心身に不調をきたす病だ。まだ親の庇護が必要な子ども時代に、その苦しみを吐き出せる場所は、相手は、いたのだろうか。
(……もっと早く産まれたかったな。そうすれば小さなジルと一緒にいることができたかもしれないのに)
ジルヴィウスに寄り添うように腕に寄りかかれば、繋いでいないほうの手がシーラの頭を撫でた。
「言っておくがお前の家が珍しいんだからな。互いに純粋な愛情を持っている家族は貴族社会では稀有だ」
「……じゃあ、わたしとジルも稀有な家族だね」
頭を撫でていた手がぴたりと止まる。ガラス越しに、何とも言えない表情で自分を見下ろす彼の横顔が見えた。
「……シーラ」
導くように頬を撫でられ、シーラは顔を上げる。
真正面から見た彼の瞳は、わずかに揺れていた。
親指の腹が唇をなぞり、彼の顔が徐々に近付いてくる。
そっと目を閉じれば、唇に柔らかなものが触れた。その口付けは本当にとても優しいもので、シーラが大事で仕方ないのだと訴えているようにも感じた。
唇が離れるのに合わせゆっくり瞼を持ち上げれば、淡く揺らめく金の瞳と視線が絡んだ。
ジルヴィウスは長い睫毛を伏せながら、額を合わせる。
「……お前さえよければ、向日葵を植えてくれ。端のほうに、少しだけでいいから」
「――!」
囁くように呟かれた言葉に、シーラは息を呑む。
“向日葵”は、ジルヴィウスがシーラを表すのによく使っていた表現だ。
シーラに似ているからと、会いに来るたび向日葵と季節の花をプレゼントしてくれた。ジルヴィウスが向日葵みたいだと褒めてくれたから、シーラは自らの髪色を好きになったのだ。
あの日々を忘れたことは一度としてない。
彼も同じように忘れていなかったのだと思ったら、鼻の奥がツンとして、視界が滲んだ。
「……うん。植えるね、向日葵。いっぱい植えるよ。黄色と……黒の花も一緒に」
「……黒い花は見栄えが悪いだろう」
「わたしが好きなものを植えていいんでしょ? 黒はわたしの大好きな色だよ」
ジルヴィウスは黒い睫毛を小さく震わせると、濡れたシーラの目元に口付けた。
「……ああ。好きにしろ」
ジルヴィウスは一度きつくシーラを抱き締め、名残惜しそうに解放する。
「……管理用の魔法自動人形は庭園の守護者という意味でガーディアンと呼ばれている。ここに立っていないということは中を動き回ってるんだろう。名を呼んで探してくるといい」
「……魔力ないけど、大丈夫かな?」
「現在の東部公爵は俺で、俺の妻はお前だ。何も問題はない」
ジルヴィウスに背中を押され、シーラは一歩進み出る。ガラス越しにジルヴィウスを見れば、彼は小さく頷いた。
彼の信頼が嬉しくて、シーラは、ふっと顔を綻ばせる。
「――じゃあ、行ってくるね」
振り返り満面の笑みを向けたシーラは、気合いを入れながら取っ手に手を掛けた。
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