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第二章
十七
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食事を終えたあとは、花の形の飴細工を食べたり、庭に植える花の苗や種を買いに花屋へ行ったり、粉砂糖がまぶされた揚げ菓子を食べたりながら、花祭りを見て回った。
道中、ジルヴィウスに熱い眼差しを向ける女性たちもいたが、声を掛けてくる人は誰もいなかった。自分がきちんとジルヴィウスのパートナーに見えてるのかと思うと嬉しくて、シーラの表情は自然と緩む。
「何かいいものでも見つけたか?」
「あ、ううん。ただ、ジルとのお出かけ楽しいなぁって」
ジルヴィウスを見上げながら満面の笑みを浮かべれば、彼はわずかに目尻を下げ、「そうか」と呟いた。その声色はとても優しくて、シーラの胸は甘く締め付けられる。
(わたしが外に出るの、あんなに嫌そうだったのに……)
シーラが喜んでいるならいい、と言わんばかりの彼の態度に、ときめきを覚えずにはいられなかった。なんだかんだシーラに甘く、冷たい雰囲気を醸し出しても結局優しくなってしまうジルヴィウスが愛おしくて、シーラはぴったりと彼の腕に寄り添った。
歩きにくいだろうに、ジルヴィウスはシーラを払うことなく、逆に繋ぐ手に力を込める。
(最近ちょっと思うんだけど、ジルってわたしが思っている以上にわたしのこと好きなんじゃないかな? 勘違いだったらすごい自惚れで恥ずかしいんだけど……)
そうだったら嬉しいな、とこの幸せな時間を噛み締めていると、どこからか軽やかな音楽が聞こえてきた。
どこかオルゴールにも似たその音色に視線を走らせれば、広場に子どもたちが集まっているのが見える。子どもたちの前には、紙芝居の準備をしている紙芝居屋がいた。
(紙芝居……)
シーラの足が、思わず止まる。
紙芝居を上演する者は、そのほとんどが無魔力者だった。魔法を使えない無魔力者が就ける職業は限られており、紙芝居は数少ない就業先の一つだった。
幼いころ、自分を無魔力者だと思っていたシーラは、いつか自分も紙芝居を上演するのだ、と兄と出かけるたびに紙芝居を観に行っていた。
最初は勉強目的で観に行っていたのだが、いつしか純粋に紙芝居が好きになっていた。両親に頼んで家に呼んでもらったこともある。
家族四人で笑い合いながら紙芝居を観たのは、一生忘れられない大切な思い出だ。
『劇が好きなの? それなら今度王都の劇場に行こうか』
耳の奥で、さざ波のような優しい声がこだました。
懐かしい過去の記憶が、脳裏に蘇る。
あれは、元婚約者・エルネストとの定期交流を終え、帰路につこうとしていたときだった。エルネストと共に馬車乗り場まで向かっている途中で、シーラは紙芝居屋を見つけた。
両親の死後、そういった娯楽から遠ざかっていたシーラは、懐かしさと寂しさで、思わず紙芝居に見入ってしまった。
それに気付いたエルネストが、シーラは劇が好きなのだと思い、観劇に誘ってくれたのだ。
エルネストは、王都の劇場で上演される劇がどれほど美しく魅力的なのかを語った。彼の語りはうまく、確かに面白そうだと思った。魔法を劇の演出として使うなど、どれほど華やかなのだろう、と興味を惹かれた。
けれど、シーラは特別“劇”が好きというわけではなかった。子どものころから観続けてきた、家族との思い出がある“紙芝居”がただ好きなだけだった。
あのときも紙芝居を少し観られればそれでよかったのだ。
ただ、エルネストはそれを快く思わなかったのだろう。シーラの反応が芳しくないことに気付いたエルネストは、紙芝居屋を一瞥すると困ったように眉を下げた。
『……次期公爵夫妻が紙芝居を観ていた、と噂になるのは少し外聞が悪いかもしれない。比べるようなものでもないけれど、劇場演劇は本当に素晴らしいんだ。観たら君も紙芝居より好きになるはずだよ。これからもっといいものを観たり聴いたりしよう。ね?』
悪気なく、むしろ自分を気遣うように言われたその言葉に、シーラはただ笑みを返して頷くことしかできなかった。
彼の言い分も理解できると思う一方で、紙芝居をどこか下に見たその発言に、過去の温かな思い出まで否定されたような気分になった。あの日以降、シーラにとって紙芝居は苦い思い出の存在となってしまっていた。
(……あんまり思い出したくないこと思い出しちゃったな)
素直に彼の申し出を喜べなかった自分にも非がると思いながらも、あのときのことは小さな棘としてずっと心の中に残っていた。当時のことを思い出し、思わず心が沈みそうになったシーラだったが、それを振り切るように軽く首を横に振る。
(……やめやめ! 大事なのは今!)
そもそも夫とのデート中にかつての婚約者との出来事を思い出すのはいただけない、とシーラは思考を切り替えるように深く息を吸い込んだ。
吸い込んだ息をゆっくり吐きだしたところで、繋ぐ手を軽く引かれる。
「観ていくか?」
「えっ?」
驚き顔を上げれば、ジルヴィウスは不思議そうに片眉を上げた。
「観たいから立ち止まったんじゃないのか?」
「えっ、と……」
シーラはちらりと紙芝居屋へ目を向ける。
エルネストとの一件から遠ざかってはいたが、今でも紙芝居は好きだった。
語り手の情感豊かな口調と、想像を掻き立てる一枚絵。描かれていない部分を脳内で補完し、自分なりに想像を働かせて物語の世界を創り出すのが好きだった。
立ち止まった理由は懐かしさからだったが、当時の気持ちを思い出し、だんだん観たいという欲が強くなっていく。
しばしの葛藤のすえ、シーラは躊躇いながらジルヴィウスへと視線を戻した。
「その……観てもいいの? 本当に大丈夫?」
「? 何がだ?」
意味がわからない、と言いたげなジルヴィウスの反応に、シーラは「えっとね」と言葉を続ける。
「ほら、紙芝居は子ども向けだし……そもそも貴族はあんまり観ないでしょ? 変装してるけどジルに気付く人もいるかもしれないし……わたしが紙芝居好きって知られたら、あんまりよくないかなって。その……公爵夫人らしくないっていうか……相応しくないっていうか……」
言いながら、言葉は尻すぼみになっていく。
大切で大好きで、自分に多くの楽しさと感動を与えてくれた紙芝居を自分は今貶している。それが悲しくて申し訳なくて、自然と顔が下を向いた。
周りの喧騒とは裏腹に、二人の間には静寂だけが漂う。
少しして、頭上から息を吐く音が聞こえたかと思うと、ジルヴィウスは足の向きを変え歩き出した。手を繋いでいるため、自然とシーラの足も動き出す。
「え、あ……」
ジルヴィウスの行先は紙芝居屋の方向だった。
「ジル――」
「お前の立場や肩書きは、お前の趣味や嗜好、行動を制限するためにあるわけじゃない。無責任な周りを気にして無意味な遠慮をするほうが愚かだ」
迷いなく進んで行くジルヴィウスに、沈みかけていた心がふわりと浮き上がる。
「……ジルは、わたしが紙芝居好きでもいいの?」
「むしろ何故だめだと思う。だめな理由があるなら教えてほしいものだな」
どこか呆れたように息を吐きながら、ジルヴィウスは椅子が並べられた場所まで行くとシーラへと目を向けた。
「前のほうにも空きがあるがどこに座る?」
その眼差しに否定的な感情は微塵も見えなくて、シーラはすべてを許されたような気分になった。
好きなものを好きなまま、好きだと言っていいのだと、彼の金の瞳は伝えてくれているようだった。
「……一番後ろで大丈夫。ジルと一緒に観たいから」
「俺は一番前でも構わない」
胸を張ってそう言い切るジルヴィウスに、シーラは思わず噴き出した。
子どもたちに混ざって一番前で紙芝居を観るジルヴィウスを想像したら、自然と笑みがこぼれたのだ。
「ふふ、それだと後ろの人が見えないでしょ? だから後ろに座ろ?」
小さく肩を震わせながらジルヴィウスの手を引き後ろの席へと腰掛ければ、特に抵抗することなく彼も隣に座った。
準備中の紙芝居屋を真っ直ぐ見つめるジルヴィウスを窺いながら、シーラは笑みを深め、ジルヴィウスに寄りかかった。
(エルネスト様は何も悪くないわ。エルネスト様はきっと紙芝居がお好きではなかったの。それでもわたしを傷付けないように気を遣ってくれていた。それはきちんとわかってる。けど……)
「……わたし、ジルのことが大好き」
「……ああ。知ってる」
握る手に力を込め、そう静かに返してくれたジルヴィウスに、シーラはかつての温かな記憶を思い出していた。
両親と兄と、家族四人で観た紙芝居。涙が出るほど笑い合った、かけがえのない時間。もう二度と経験することができない、とても幸せで大切な思い出。
エルネストとの一件があってからは、その大事な記憶もあまり思い出したくないものとなってしまっていた。
それを今、ただ楽しかった記憶として思い出すことができる。
そのことがとても嬉しかった。
(……ジルを好きでよかった。本当に)
開演が近いことを知らせるベルの音を聞きながら、長い間心に刺さっていた小さな棘が消えてなくなったことをシーラは実感していた。
道中、ジルヴィウスに熱い眼差しを向ける女性たちもいたが、声を掛けてくる人は誰もいなかった。自分がきちんとジルヴィウスのパートナーに見えてるのかと思うと嬉しくて、シーラの表情は自然と緩む。
「何かいいものでも見つけたか?」
「あ、ううん。ただ、ジルとのお出かけ楽しいなぁって」
ジルヴィウスを見上げながら満面の笑みを浮かべれば、彼はわずかに目尻を下げ、「そうか」と呟いた。その声色はとても優しくて、シーラの胸は甘く締め付けられる。
(わたしが外に出るの、あんなに嫌そうだったのに……)
シーラが喜んでいるならいい、と言わんばかりの彼の態度に、ときめきを覚えずにはいられなかった。なんだかんだシーラに甘く、冷たい雰囲気を醸し出しても結局優しくなってしまうジルヴィウスが愛おしくて、シーラはぴったりと彼の腕に寄り添った。
歩きにくいだろうに、ジルヴィウスはシーラを払うことなく、逆に繋ぐ手に力を込める。
(最近ちょっと思うんだけど、ジルってわたしが思っている以上にわたしのこと好きなんじゃないかな? 勘違いだったらすごい自惚れで恥ずかしいんだけど……)
そうだったら嬉しいな、とこの幸せな時間を噛み締めていると、どこからか軽やかな音楽が聞こえてきた。
どこかオルゴールにも似たその音色に視線を走らせれば、広場に子どもたちが集まっているのが見える。子どもたちの前には、紙芝居の準備をしている紙芝居屋がいた。
(紙芝居……)
シーラの足が、思わず止まる。
紙芝居を上演する者は、そのほとんどが無魔力者だった。魔法を使えない無魔力者が就ける職業は限られており、紙芝居は数少ない就業先の一つだった。
幼いころ、自分を無魔力者だと思っていたシーラは、いつか自分も紙芝居を上演するのだ、と兄と出かけるたびに紙芝居を観に行っていた。
最初は勉強目的で観に行っていたのだが、いつしか純粋に紙芝居が好きになっていた。両親に頼んで家に呼んでもらったこともある。
家族四人で笑い合いながら紙芝居を観たのは、一生忘れられない大切な思い出だ。
『劇が好きなの? それなら今度王都の劇場に行こうか』
耳の奥で、さざ波のような優しい声がこだました。
懐かしい過去の記憶が、脳裏に蘇る。
あれは、元婚約者・エルネストとの定期交流を終え、帰路につこうとしていたときだった。エルネストと共に馬車乗り場まで向かっている途中で、シーラは紙芝居屋を見つけた。
両親の死後、そういった娯楽から遠ざかっていたシーラは、懐かしさと寂しさで、思わず紙芝居に見入ってしまった。
それに気付いたエルネストが、シーラは劇が好きなのだと思い、観劇に誘ってくれたのだ。
エルネストは、王都の劇場で上演される劇がどれほど美しく魅力的なのかを語った。彼の語りはうまく、確かに面白そうだと思った。魔法を劇の演出として使うなど、どれほど華やかなのだろう、と興味を惹かれた。
けれど、シーラは特別“劇”が好きというわけではなかった。子どものころから観続けてきた、家族との思い出がある“紙芝居”がただ好きなだけだった。
あのときも紙芝居を少し観られればそれでよかったのだ。
ただ、エルネストはそれを快く思わなかったのだろう。シーラの反応が芳しくないことに気付いたエルネストは、紙芝居屋を一瞥すると困ったように眉を下げた。
『……次期公爵夫妻が紙芝居を観ていた、と噂になるのは少し外聞が悪いかもしれない。比べるようなものでもないけれど、劇場演劇は本当に素晴らしいんだ。観たら君も紙芝居より好きになるはずだよ。これからもっといいものを観たり聴いたりしよう。ね?』
悪気なく、むしろ自分を気遣うように言われたその言葉に、シーラはただ笑みを返して頷くことしかできなかった。
彼の言い分も理解できると思う一方で、紙芝居をどこか下に見たその発言に、過去の温かな思い出まで否定されたような気分になった。あの日以降、シーラにとって紙芝居は苦い思い出の存在となってしまっていた。
(……あんまり思い出したくないこと思い出しちゃったな)
素直に彼の申し出を喜べなかった自分にも非がると思いながらも、あのときのことは小さな棘としてずっと心の中に残っていた。当時のことを思い出し、思わず心が沈みそうになったシーラだったが、それを振り切るように軽く首を横に振る。
(……やめやめ! 大事なのは今!)
そもそも夫とのデート中にかつての婚約者との出来事を思い出すのはいただけない、とシーラは思考を切り替えるように深く息を吸い込んだ。
吸い込んだ息をゆっくり吐きだしたところで、繋ぐ手を軽く引かれる。
「観ていくか?」
「えっ?」
驚き顔を上げれば、ジルヴィウスは不思議そうに片眉を上げた。
「観たいから立ち止まったんじゃないのか?」
「えっ、と……」
シーラはちらりと紙芝居屋へ目を向ける。
エルネストとの一件から遠ざかってはいたが、今でも紙芝居は好きだった。
語り手の情感豊かな口調と、想像を掻き立てる一枚絵。描かれていない部分を脳内で補完し、自分なりに想像を働かせて物語の世界を創り出すのが好きだった。
立ち止まった理由は懐かしさからだったが、当時の気持ちを思い出し、だんだん観たいという欲が強くなっていく。
しばしの葛藤のすえ、シーラは躊躇いながらジルヴィウスへと視線を戻した。
「その……観てもいいの? 本当に大丈夫?」
「? 何がだ?」
意味がわからない、と言いたげなジルヴィウスの反応に、シーラは「えっとね」と言葉を続ける。
「ほら、紙芝居は子ども向けだし……そもそも貴族はあんまり観ないでしょ? 変装してるけどジルに気付く人もいるかもしれないし……わたしが紙芝居好きって知られたら、あんまりよくないかなって。その……公爵夫人らしくないっていうか……相応しくないっていうか……」
言いながら、言葉は尻すぼみになっていく。
大切で大好きで、自分に多くの楽しさと感動を与えてくれた紙芝居を自分は今貶している。それが悲しくて申し訳なくて、自然と顔が下を向いた。
周りの喧騒とは裏腹に、二人の間には静寂だけが漂う。
少しして、頭上から息を吐く音が聞こえたかと思うと、ジルヴィウスは足の向きを変え歩き出した。手を繋いでいるため、自然とシーラの足も動き出す。
「え、あ……」
ジルヴィウスの行先は紙芝居屋の方向だった。
「ジル――」
「お前の立場や肩書きは、お前の趣味や嗜好、行動を制限するためにあるわけじゃない。無責任な周りを気にして無意味な遠慮をするほうが愚かだ」
迷いなく進んで行くジルヴィウスに、沈みかけていた心がふわりと浮き上がる。
「……ジルは、わたしが紙芝居好きでもいいの?」
「むしろ何故だめだと思う。だめな理由があるなら教えてほしいものだな」
どこか呆れたように息を吐きながら、ジルヴィウスは椅子が並べられた場所まで行くとシーラへと目を向けた。
「前のほうにも空きがあるがどこに座る?」
その眼差しに否定的な感情は微塵も見えなくて、シーラはすべてを許されたような気分になった。
好きなものを好きなまま、好きだと言っていいのだと、彼の金の瞳は伝えてくれているようだった。
「……一番後ろで大丈夫。ジルと一緒に観たいから」
「俺は一番前でも構わない」
胸を張ってそう言い切るジルヴィウスに、シーラは思わず噴き出した。
子どもたちに混ざって一番前で紙芝居を観るジルヴィウスを想像したら、自然と笑みがこぼれたのだ。
「ふふ、それだと後ろの人が見えないでしょ? だから後ろに座ろ?」
小さく肩を震わせながらジルヴィウスの手を引き後ろの席へと腰掛ければ、特に抵抗することなく彼も隣に座った。
準備中の紙芝居屋を真っ直ぐ見つめるジルヴィウスを窺いながら、シーラは笑みを深め、ジルヴィウスに寄りかかった。
(エルネスト様は何も悪くないわ。エルネスト様はきっと紙芝居がお好きではなかったの。それでもわたしを傷付けないように気を遣ってくれていた。それはきちんとわかってる。けど……)
「……わたし、ジルのことが大好き」
「……ああ。知ってる」
握る手に力を込め、そう静かに返してくれたジルヴィウスに、シーラはかつての温かな記憶を思い出していた。
両親と兄と、家族四人で観た紙芝居。涙が出るほど笑い合った、かけがえのない時間。もう二度と経験することができない、とても幸せで大切な思い出。
エルネストとの一件があってからは、その大事な記憶もあまり思い出したくないものとなってしまっていた。
それを今、ただ楽しかった記憶として思い出すことができる。
そのことがとても嬉しかった。
(……ジルを好きでよかった。本当に)
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