野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第三章

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「……身ぐるみ剥いで国外追放」
「……、……?」

(え、今なんて……?)

 聞き間違いかと顔を上げると、自分を真っ直ぐ見下ろす金の瞳と視線が絡んだ。ジルヴィウスはわずかに目を細めると、シーラの手からカップを取り軽く唇に吸い付く。

「殺したほうがよかったか?」
「えっ、ううん……! そんなことないけど……」

(ただ意外で……いや、でも、意外って思うのはジルに失礼だよね……!?)

 愛する夫を殺人鬼のように思うのはどう考えてもよろしくない。
 ただ、自分を害した人間をジルヴィウスは決して許さないだろうとも思っていた。きっと問答無用で殺されるのだろうと。けれど、それは杞憂だったのだ。

(公爵家はあらゆる行動に対してそれなりの自由が認められてるから、人ひとり消すくらい簡単だと思ってたけど……そうよね。結局わたしは無事だったし、さすがのジルもそこまでは……)

 本当に、しないだろうか。
 公爵城に来てから、ずっとジルヴィウスと向き合ってきた。
 ジルヴィウスはシーラには甘く優しいが、他の人には決してそうではない。
 婚約していただけのエルネストをあれほど憎み、縁談を進めたという理由だけで、長年の友であった兄のことも許しがたく思っていた人だ。
 シーラを傷付けようとした人間を、追い出すだけで許すだろうか。

「……ジル」
「なんだ?」

 そっと頬をひと撫ですれば、ジルヴィウスは気持ちよさそうに頬をすり寄せた。
 シーラの前では凶悪な牙を隠す、従順で恐ろしい人。

(……わたしは、ジルが一緒なら行き着く先が地獄だっていい。悪いことは……してほしくないけど。わたしのせいで悪いことをしたなら、その業は一緒に背負っていきたい)

 シーラは肺いっぱい息を吸い込むと、そっと吐き出し微笑んだ。

「わたしは、ジルが何をしてもジルのこと嫌いになったりしないよ?」
「……それは喜ばしいことだな」

 ジルヴィウスはどこか皮肉げに口元を歪めると、頬に添えられたシーラの手を取り、背もたれに寄りかかった。
 ティーカップに残っていたハーブティーを飲みながら、ジルヴィウスは深く息を吐き出す。

「殺すのは簡単だ。だが、殺したらそいつの人生はそこで終わる。辛いことも苦しいこともなく、一瞬の痛みで永遠の安寧を手に入れることになるんだ。……お前を言葉で、刃で傷付けようとした人間を、そんな簡単に楽にさせるわけにはいかないだろう?」

 カップに向けられていた金の瞳が、横目でシーラを捉える。
 その眼差しには一切の曇りがなかった。

(殺してはないけど、ってことかな)

 死ぬより辛い目に遭うこと。それがジルヴィウスが彼女に下した罰か、とシーラは小さく頷く。
 イレーヌの処罰について、ジルヴィウスに任せると言ったのはシーラだ。もしイレーヌが酷い目に遭っているのなら、それは自分の責任と言えるだろう。
 彼女の罰が犯した罪に相応しい程度のものなのかはわからないが、これ以上深く尋ねる気はなかった。何を聞いたところで、もうどうしようもないからだ。

(今度こそ本当にわたしを恨んで嫌っていいわ、イレーヌ。あなたの苦痛はわたしのせいだから。それに……あなたがどんな目に遭っていようと、わたしはもう気にしない)

 シーラ以外は、とっくに前に進んでいる。
 イレーヌのことは過ぎた出来事として、すでに風化し始めている。
 だからシーラも、彼女の犯行の動機や、彼女への処罰について聞いたら、もうこれ以上イレーヌのことを気にするのはやめようと決めていた。

(……さようなら、イレーヌ)

 長い人生のなかで、たまに思い出すこともあるだろう。けれど、それはきっとほんのわずかな時間だけだ。

(――うん。大丈夫)

 シーラは気持ちを入れ替えるように深呼吸をすると、ふっと表情を緩めた。
 窺うように自分を見つめるジルヴィウスに笑みを返すと、彼からカップを奪い、自らハーブティーを注ぐ。

「教えてくれてありがとう、ジル」
「……他には何も訊かなくていいのか?」
「訊いてほしいの?」

 ハーブティーを飲みながら振り返れば、ジルヴィウスは「いや」と小さく漏らした。それから何とも言えない表情を浮かべたかと思うと、彼はシーラの額を軽く小突いた。

「あまり俺を信じすぎるなよ」
「んー、それは無理! 信じないとジルが悲しくなっちゃうから」
「……はあ? 悲しむ? 俺が?」

 片眉を吊り上げ、不可解そうに眉根を寄せるジルヴィウスに、シーラはこくりと頷く。

「ジルは寂しん坊の甘えん坊だから」

 ティーカップを置き、黄色いクッキーを手に取ると、半分に割る。半分は自分で食べ、もう半分はジルヴィウスに差し出した。

「本当に信じなかったら嫌な気持ちになるでしょ? それに、何を言ってもわたしはジルを信じるって信じてるからそういうこと言うんだろうし……試し行動みたいな?」

 クッキーでちょんちょんと口元をつつけば、ジルヴィウスはおずおずと口を開け、クッキーを食べた。咀嚼しながら、彼の眉間の皺はどんどん深くなる。
 表情と行動がまったく合っていないな、と思いながら彼が食べ終わるのを待つ。差し出した分をすべて食べ終えたのを見て、シーラはもう一つクッキーを取ろうとしたものの、ジルヴィウスに手を掴まれそれは叶わなかった。

「……もしかして、何か怒ってるのか?」

 表情は不服そうなのに、声色はどこか不安そうだった。
 叱られる前の子どものようなジルヴィウスの姿に、思わず笑いそうになってしまう。けれど、シーラはそれをぐっと堪え、そっぽを向いた。

「ジルの服からお義姉様の……女性物の香水の匂いがしたの、やっぱりすごくやだったなって思って」
「……お前の兄が妻の香水をつけていたせいだと言っただろう」
「理由は何であれとってももやもやしました」
「……」

 ジルヴィウスは掴む手に力込めると、ぐぅ、と喉を鳴らした。
 あのときはっきりとは言わなかったが、ジルヴィウスから女性物の香水の匂いがしたのが、本当にとても嫌だった。
 危機を察して駆けつけてくれた、という状況でなければ、嫌だと暴れていたことだろう。

(お風呂に入るよう言っちゃったから、わたしが香水の匂い嫌だったってジルもとっくに気付いてたと思うけど……)

 ちらりと横目で窺えば、ジルヴィウスは不機嫌そうに口元を歪めていた。けれど、眉尻は若干下がり、困惑しているのが伝わってくる。

「……シーラ。どうしたらいいか言ってくれ」

 弱々しくそう呟いたジルヴィウスは、シーラの手に顔を寄せた。頬をすり寄せ、許しを請うように見つめてくるジルヴィウスに、胸が甘く締め付けられる。

(うーん、なんでジルってこんなに可愛いんだろ)

 シーラは、ふう、と一つ息を吐くと、ジルヴィウスに向き直り、ぎゅうっと首に抱き着いた。
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