野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第三章

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「わたしの香水つけてほしいな?」
「……シーラの?」

 シーラを抱き締め返し、首元に鼻を擦り付けたジルヴィウスは、すん、と匂いを嗅いだ。しかし、たいした匂いがしなかったのか、わずかに首を傾げると、そのまま首筋を辿り、耳裏に鼻をつける。

「……つけてるか?」
「ううん。普段はつけてなくて、パーティーに参加するときとか、人に会うときだけつけてたの」

 顔を上げたジルヴィウスの眉間に深い皺が刻まれている。“パーティー”という言葉に、婚約時代のことを思い出したのだろう。
 シーラは宥めるように彼の髪を梳きながら、肩に頭を乗せてジルヴィウスを見上げた。

「これから人に会うときはわたしの香水つけてほしい。ジルがわたしのってわかるように」

 指先で輪郭をなぞり、軽く顎を押し上げる。少々挑発的な行動だったが、彼の金の瞳は喜色に煌めいた。

(嬉しそう)

 再会したころに比べるとずいぶんわかりやすくなったな、と思っていると、ジルヴィウスの大きな手が頬を撫でた。促されるまま顔を上げれば、柔らかな口付けが降ってくる。

「普段からつけたっていい。香水はどこにあるんだ?」

 これまで聞いたことがないほどの柔らかな声に、シーラは思わず目を瞬かせた。

(そんなに嬉しいの?)

 ジルヴィウスを喜ばせたい、幸せにしたい、という気持ちは常にある。けれど、何をすれば彼が喜ぶのかということは、いまだ把握しきれずにいた。

(やっぱり、嫉妬と独占欲が嬉しいのかな? 前もそうだったし……)

 彼自身、独占欲や執着心が強いからだろうか。同じように嫉妬し、執着してほしいのかもしれない。
 嫉妬心を前面に表し、相手に執着を見せるというのは、正直あまりいいことだとは思えない。けれど、長年恋い慕ったジルヴィウスに向けられるものだからか、この数ヵ月で慣らされてしまったからか、もしくは、彼の執着や独占欲が彼なりの愛だからか、シーラは彼からそれらの感情を向けられるのが嫌ではなかった。
 だから、彼が望むなら、できる範囲でそういう態度を示すのもいいのかもしれない、という気がしてくる。

「シーラ? どうした?」

 黙ったままのシーラに、ジルヴィウスはわずかに目を細める。自分以外へ意識を向けるのは許さない、とでもいうような鋭い眼差しに、シーラは思わず笑みを漏らした。

「お前は一人で楽しそうだな? シーラ」
「ジルがいるから楽しいんだよ」

 頬に添えられたジルヴィウスの手に、自らのそれを重ねたシーラは、ちゅっと彼の唇に吸い付き、小首を傾げた。

「……ここに来るとき、荷物は最低限しか持って来なかったの。一応、そのなかに香水も入ってたんだけど、小さいのしかなくて。……大きいのは、実家にあるの」

 ジルヴィウスの眉が、ぴくりと揺れた。
 きっと、これから言うことが本題なのだと察したのだろう。
 シーラは一度深く息を吸い込むと、彼の手を掴む手に力を込めた。

「お兄様に会いたい」

 目を逸らすことなく、素直に思いを伝える。
 今のジルヴィウスなら、機嫌を損なうことなく聞いてくれるのではないかと思った。
 案の定、ジルヴィウスは不機嫌そうな表情を浮かべることなく、静かに息を吐いて視線を逸らした。

「……そういえば、何故俺がお前の兄に会いに行っていたのか、教えてなかったな」
「わたしがそれどころじゃなかったから……気を遣ってくれたんだよね? 待っててくれてありがとう、ジル」

 ここ数日、ジルヴィウスは余計なことは何も言わず、ただシーラに寄り添ってくれた。傍にいてほしいと言ったシーラが、本当に大丈夫なのかと疑問に思ってしまうほど、ずっと傍にいてシーラの心を癒した。
 彼は、シーラが前を向くまで待ってくれていたのだ。
 かつてはいつもそうして見守ってくれていたな、ということを思い出しながら、シーラが笑みを深めると、ジルヴィウスは眉間の皺を深めた。

「……お前の兄に会いに行っていた理由だが……」

(あ、流した)

 照れているのだなぁ、とほくそ笑みながら、改めてジルヴィウスに寄りかかるように座り直す。
 あの事件以降、ジルヴィウスの態度は目に見えて軟化した。結果よければすべてよし、というわけではないが、以前は憚られた言動ができることが嬉しい。
 離れている間にできてしまった溝が、少しずつ埋まっていっている気がする。

「それで? どうしてお兄様に会いに行ったの?」

 ジルヴィウスの手を両手で弄り、甘えるようにぐりぐりと後頭部を擦り付けながら問えば、ジルヴィウスは深く息を吐き出し、言葉を続けた。

「……お前とヨエルを会わせるためだ」

(……! ジルがお兄様の名前呼んでるの、再会してからは初めて聞いたかも)

 今気にするのはそれではない、ということはわかっていたが、ジルヴィウスのことを第一に考えるシーラにとっては大事なことだった。
 ジルヴィウスにとって、兄は数少ない――いや、唯一の友と言える存在だろう。ジルヴィウスが自分を一番に想ってくれているのは嬉しいが、自分のせいで他の人との縁が切れてしまうようなことは望んでいない。
 シーラは手元に視線を落としたまま、安堵したように微笑む。

「わたしといつ会えるか、スケジュール確認してくれたの?」
「いや……俺が怒りに任せあいつに危害を加えることがないよう、慣らす目的で会いに行った」
「そっか……それは会いに行ってくれてよかったかな……」

 無理をしてまで兄に会おうとは思っていなかったが、気長に待ってよかったなと胸を撫で下ろす。愛する人と大切な兄が争う姿は見たくない。

「あいつへの怒りが完全に消えたわけではない。だが……いや、詳しいことは本人から直接聞いたほうがいいだろう」
「! じゃあ……!」

 ぱっと顔を輝かせ、ジルヴィウスを見れば、彼は目を伏せたまま、小さく頷いた。

「ああ。近々ノルティーン辺境伯領に行く」
「っありがとう、ジル!」

 ぎゅうっと力いっぱい抱き締めれば、ジルヴィウスは宥めるように背中を撫で、優しく抱き締め返してくれた。

「……ノルティーン辺境伯領に行ったあとは西部に行く予定だ。他にも行きたいところがあったら早めに言え。北部と南部以外だったらどこでも連れて行ってやる」

(! この間まで、お城から出るのも嫌々だったのに……! 領内のお祭りに行くのもあんなに葛藤しながら誘ってたのに……!)

 少しずつ、ジルヴィウスも変わってきている。いや、シーラの愛が届いたと言ったほうが合っているかもしれない。
 どちらにしろ、ジルヴィウスはシーラを信じてくれている。外へ出ても、決してジルヴィウスから離れることはないと、そう思ってくれるようになったのだ。
 自分の愛がきちんと伝わっていることも、彼から信頼されていることも、どちらもとても嬉しい。
 シーラは、ジルヴィウスの足を跨ぐように座り直すと、真正面からジルヴィウスを向き合った。にこにこと笑みを浮かべながら、彼の顔を撫でまわす。

「ジルとのお出かけ、すっごく楽しみで嬉しい! ジルと行けるなら、わたしはどこだって嬉しいよ!」
「……行きたいところが他にないなら、西部を見て回ってもいい」
「? 西部にはお仕事で行くんじゃないの?」

 ゆっくり観光する時間などあるのだろうか、と首を傾げれば、ジルヴィウスは視線を逸らしたまま、口角を下げた。

「……避暑を兼ねた新婚旅行のつもりだ。嫌なら――」
「新婚旅行!?」

 思いがけない言葉に、つい大きな声が出てしまう。ジルヴィウスが何か言いかけていたようだが、そんなことを気にしる余裕はシーラにはなかった。

(新婚旅行なんて……新婚旅行なんて……! そんな普通の新婚さんみたいなこと……!)

「ほんとっ? 本当にいいのっ? 新婚旅行なんて……!」

 わあ、わあ、と子どものようにはしゃぐシーラに、照れ隠しに不機嫌そうにしていたジルヴィウスの表情もほのかに和らいだ。

「ああ。半月ほど滞在する予定だから、何がしたいかよく考えておけ」
「半月もいいの!? すごい……! 大好き、ジル!」

 とびきりの感謝を伝えるように、ちゅうう、と長い口付けを贈れば、ジルヴィウスがわずかに目尻を下げた。「大好き」「ありがとう」と繰り返し伝えながら、シーラは期待に胸を弾ませた。
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