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第三章
五
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(や、約束の時間には間に合ったよね……?)
実家への訪問とはいえ、最低限の礼儀は弁えている。長い寄り道はしたが、時間に遅れるほどではないはずだ。
反射的にジルヴィウスの後ろに隠れながら、じっと様子を窺う。
兄のヨエルは突き刺すような視線を向けてくるが、ヨエルの少し後ろにいる義姉のマリエルや、エントランスポーチから邸内のエントランスまでずらりと並ぶ使用人たちの表情は穏やかだ。
(事情があるとはいえ、嫁いでから一度もちゃんと連絡できなかったから……それで怒ってるのかも)
久しぶりに会う兄にお説教でもされるのだろうか、と思い始めたところで、ジルヴィウスが足を止めた。ついに兄の前へと辿り着いたのだ。
背中に隠れたシーラを促すわけでもなく、ジルヴィウスとヨエルは対峙する。
少しの沈黙のすえ、ヨエルは小さく息を吐くと、胸に手を当て深く腰を折った。
「東部の主である東部公爵閣下と公爵夫人に、ノルティーン家の当主ヨエルがご挨拶申し上げます。ようこそお越しくださいました」
兄の言葉に合わせ、義姉と使用人たちも一斉に頭を下げる。
(あ……)
シーラにとっては久しぶりの実家だが、結婚し公爵夫人となった以上、もう以前のような関係性ではいられないのだろう。それを実感し、寂しい気持ちになった。
思わず繋ぐ手に力を込めると、ジルヴィウスからも強く握り返される。
「歓待感謝する、ノルティーン辺境伯。妻共々、数日世話になる」
戸惑うシーラとは対照的に、ジルヴィウスは淡々と挨拶を交わす。それは“公爵”らしい姿で、場違いとは思いつつ胸がときめいた。
(公爵様らしいジル初めて見た……かっこいい……)
思わず熱い視線を向けていると、小さく笑う声が聞こえた。はっと我に返り声のほうを向けば、兄が少々困ったような笑っていた。
「失礼。夫人は変わらず閣下のことを慕っていらっしゃるのだな、と思ったらつい。大変失礼しました」
「あ、いえ……」
他人行儀な兄の話し方に、少しだけ胸が痛んだ。しかし、これも仕方のないことだと、“公爵夫人”として対応しようとしたところで、ジルヴィウスが「ノルティーン辺境伯」と声を掛けた。
「彼女は俺の妻ではあるが、貴殿の妹でもある。これからどのような場で会っても、そのように接する必要はない。……お前も、そのほうが嬉しいだろう?」
「! う、うん……!」
視線を下げ問いかけてくれたジルヴィウスに、シーラはこくこくと頷く。それから窺うように、ちらり、と兄へ目を向けた。
兄は驚いたように一瞬目を見開いたものの、すぐに柔らかく笑んで両手を広げる。
それと同時に、ジルヴィウスは繋いだ手を解放し、行ってこい、とでもいうように軽く背中を押した。
押されるまま、シーラの足は、一歩、二歩、と前に進み、気が付けば駆け出していた。
「お兄様……!」
懐に飛び込み、ぎゅうっと抱き着けば、彼はそれ以上の力で抱き締め返してくれる。
「心配した。全然連絡もないし、手紙の返事も一向に来ないし」
「あ、それは……」
「聞いた。全部そこの朴念仁のせいなんだろ?」
(ぼ、朴念仁……)
はい、とも、いいえ、とも言えず、黙っていると、ヨエルは体を離し、両手でシーラの頬を包み込んだ。観察するように見られている、とじっとしていると、シーラと同じ若草色の瞳が、どこか安堵したように細められる。
「よかった。顔色もいいし、思ったより元気そうだ」
心底安心したような、優しい声。嫁いで以降、約半年の間連絡の取れなかった自分の身をとても案じてくれていたのだということが伝わり、思わず視界が滲む。
(お兄様はたくさん心配してくれてたのに……! それなのに、わたしは……わたしは……!)
「ごめんなさい、お兄様……! わたしっ、わたし……! ジルと一緒に居られるのが嬉しくて、すごく幸せな時間を過ごしてた……! お兄様のこと考えなかったわけじゃないけどっ、でもっ、でもっ」
「あー、泣くな、泣くな。元気で幸せに過ごせてたならいいんだ」
シーラの涙を拭いながら、あやすように背中を撫でたヨエルは、ふっと目尻を下げ、シーラの後ろへと目を向けた。
「お前がシーラに何かするとは思ってなかったが、大事にしてくれてるようでよかった」
「……それは俺が判断することじゃない。それといつまで抱き締めてるつもりだ」
険の籠った声に、ヨエルが呆れたような笑みを漏らした。
どこか懐かしい二人のやりとりと聞きながら、必死に涙を拭っていると、柔らかなハンカチが頬に当てられた。
「そんなに擦ると赤くなっちゃうわよ、シーラちゃん」
優しい笑みとともに、桃のような瑞々しい甘い香りがふわりと香る。義姉と共に過ごした時間は少なかったが、彼女はいつだって温かな優しさでシーラを包み込んでくれた。
「お義姉様……っ、お、遅くなっちゃってっ……おめっ、おめでとうございますぅ……!」
「あら。ふふ、ありがとう。シーラちゃんからお祝いの言葉が聞けて嬉しいわ。この子が産まれたら、一緒に遊んであげてね」
シーラの手を取り、わずかに膨らむ腹に触れさせてくれるマリエルに、シーラは何度も頷く。
義姉の懐妊については、旅行の準備をしているときにジルヴィウスに教えてもらった。
すでに四ヵ月だそうだ。
このときばかりは、何故早く教えてくれなかったのかと怒ったが、正式な公表はまだされてないと言われ、納得するしかなかった。
「お義姉様。お義姉様にお土産買ってきたの。先に送った荷物の中――ううん、それより体は大丈夫? 外に出て疲れない? ずっと立ちっぱなしだし……」
「ああ、そうだな。早く中に入ろう。マリエルも、辛ければ無理せず言っていいからな」
「まあ。わたくしは大丈夫ですわ、ヨエル様。――ふふ。心配そうなお顔がお二人ともそっくり」
おかしそうにくすくす笑うマリエルに、シーラとヨエルはきょとんと顔を見合わせる。
それに、マリエルだけでなく使用人たちの間にも笑みが広まっていく。
人の温もりを感じられる柔らかな雰囲気。
温かな眼差しを向けてくれる、懐かしい人々。
家を出る前とまったく変わらない邸の雰囲気に、シーラは自然と満面の笑みを浮かべていた。
実家への訪問とはいえ、最低限の礼儀は弁えている。長い寄り道はしたが、時間に遅れるほどではないはずだ。
反射的にジルヴィウスの後ろに隠れながら、じっと様子を窺う。
兄のヨエルは突き刺すような視線を向けてくるが、ヨエルの少し後ろにいる義姉のマリエルや、エントランスポーチから邸内のエントランスまでずらりと並ぶ使用人たちの表情は穏やかだ。
(事情があるとはいえ、嫁いでから一度もちゃんと連絡できなかったから……それで怒ってるのかも)
久しぶりに会う兄にお説教でもされるのだろうか、と思い始めたところで、ジルヴィウスが足を止めた。ついに兄の前へと辿り着いたのだ。
背中に隠れたシーラを促すわけでもなく、ジルヴィウスとヨエルは対峙する。
少しの沈黙のすえ、ヨエルは小さく息を吐くと、胸に手を当て深く腰を折った。
「東部の主である東部公爵閣下と公爵夫人に、ノルティーン家の当主ヨエルがご挨拶申し上げます。ようこそお越しくださいました」
兄の言葉に合わせ、義姉と使用人たちも一斉に頭を下げる。
(あ……)
シーラにとっては久しぶりの実家だが、結婚し公爵夫人となった以上、もう以前のような関係性ではいられないのだろう。それを実感し、寂しい気持ちになった。
思わず繋ぐ手に力を込めると、ジルヴィウスからも強く握り返される。
「歓待感謝する、ノルティーン辺境伯。妻共々、数日世話になる」
戸惑うシーラとは対照的に、ジルヴィウスは淡々と挨拶を交わす。それは“公爵”らしい姿で、場違いとは思いつつ胸がときめいた。
(公爵様らしいジル初めて見た……かっこいい……)
思わず熱い視線を向けていると、小さく笑う声が聞こえた。はっと我に返り声のほうを向けば、兄が少々困ったような笑っていた。
「失礼。夫人は変わらず閣下のことを慕っていらっしゃるのだな、と思ったらつい。大変失礼しました」
「あ、いえ……」
他人行儀な兄の話し方に、少しだけ胸が痛んだ。しかし、これも仕方のないことだと、“公爵夫人”として対応しようとしたところで、ジルヴィウスが「ノルティーン辺境伯」と声を掛けた。
「彼女は俺の妻ではあるが、貴殿の妹でもある。これからどのような場で会っても、そのように接する必要はない。……お前も、そのほうが嬉しいだろう?」
「! う、うん……!」
視線を下げ問いかけてくれたジルヴィウスに、シーラはこくこくと頷く。それから窺うように、ちらり、と兄へ目を向けた。
兄は驚いたように一瞬目を見開いたものの、すぐに柔らかく笑んで両手を広げる。
それと同時に、ジルヴィウスは繋いだ手を解放し、行ってこい、とでもいうように軽く背中を押した。
押されるまま、シーラの足は、一歩、二歩、と前に進み、気が付けば駆け出していた。
「お兄様……!」
懐に飛び込み、ぎゅうっと抱き着けば、彼はそれ以上の力で抱き締め返してくれる。
「心配した。全然連絡もないし、手紙の返事も一向に来ないし」
「あ、それは……」
「聞いた。全部そこの朴念仁のせいなんだろ?」
(ぼ、朴念仁……)
はい、とも、いいえ、とも言えず、黙っていると、ヨエルは体を離し、両手でシーラの頬を包み込んだ。観察するように見られている、とじっとしていると、シーラと同じ若草色の瞳が、どこか安堵したように細められる。
「よかった。顔色もいいし、思ったより元気そうだ」
心底安心したような、優しい声。嫁いで以降、約半年の間連絡の取れなかった自分の身をとても案じてくれていたのだということが伝わり、思わず視界が滲む。
(お兄様はたくさん心配してくれてたのに……! それなのに、わたしは……わたしは……!)
「ごめんなさい、お兄様……! わたしっ、わたし……! ジルと一緒に居られるのが嬉しくて、すごく幸せな時間を過ごしてた……! お兄様のこと考えなかったわけじゃないけどっ、でもっ、でもっ」
「あー、泣くな、泣くな。元気で幸せに過ごせてたならいいんだ」
シーラの涙を拭いながら、あやすように背中を撫でたヨエルは、ふっと目尻を下げ、シーラの後ろへと目を向けた。
「お前がシーラに何かするとは思ってなかったが、大事にしてくれてるようでよかった」
「……それは俺が判断することじゃない。それといつまで抱き締めてるつもりだ」
険の籠った声に、ヨエルが呆れたような笑みを漏らした。
どこか懐かしい二人のやりとりと聞きながら、必死に涙を拭っていると、柔らかなハンカチが頬に当てられた。
「そんなに擦ると赤くなっちゃうわよ、シーラちゃん」
優しい笑みとともに、桃のような瑞々しい甘い香りがふわりと香る。義姉と共に過ごした時間は少なかったが、彼女はいつだって温かな優しさでシーラを包み込んでくれた。
「お義姉様……っ、お、遅くなっちゃってっ……おめっ、おめでとうございますぅ……!」
「あら。ふふ、ありがとう。シーラちゃんからお祝いの言葉が聞けて嬉しいわ。この子が産まれたら、一緒に遊んであげてね」
シーラの手を取り、わずかに膨らむ腹に触れさせてくれるマリエルに、シーラは何度も頷く。
義姉の懐妊については、旅行の準備をしているときにジルヴィウスに教えてもらった。
すでに四ヵ月だそうだ。
このときばかりは、何故早く教えてくれなかったのかと怒ったが、正式な公表はまだされてないと言われ、納得するしかなかった。
「お義姉様。お義姉様にお土産買ってきたの。先に送った荷物の中――ううん、それより体は大丈夫? 外に出て疲れない? ずっと立ちっぱなしだし……」
「ああ、そうだな。早く中に入ろう。マリエルも、辛ければ無理せず言っていいからな」
「まあ。わたくしは大丈夫ですわ、ヨエル様。――ふふ。心配そうなお顔がお二人ともそっくり」
おかしそうにくすくす笑うマリエルに、シーラとヨエルはきょとんと顔を見合わせる。
それに、マリエルだけでなく使用人たちの間にも笑みが広まっていく。
人の温もりを感じられる柔らかな雰囲気。
温かな眼差しを向けてくれる、懐かしい人々。
家を出る前とまったく変わらない邸の雰囲気に、シーラは自然と満面の笑みを浮かべていた。
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