野獣公爵の執愛

ゆき真白

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第三章

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「……ジルヴィウス、さすがにそれはどうなんだ?」
「さっきお前たちが気安く触れるのを我慢していただろう」
「気安くって……」

 向かいの席に座ったヨエルは、呆れたように息を吐き出した。
 兄がこのような反応をするのも仕方ないな、とシーラは小さく苦笑する。
 エントランスポーチで再会を喜んだあと、ゆっくり話そうと談話室へと移動したのだが、部屋に入ってからジルヴィウスがシーラを離さず、後ろから抱き締める形で今も膝の上に座らされているのだ。
 腹に回された腕は離す気がないという気概が伝わってくるほど強固だ。

「……シーラはいいのか? それで」
「うーん、お兄様の前だし……ジルが嬉しいならわたしも嬉しいから」

 それに、イレーヌの事件以降一日のほとんどの時間を彼の膝の上で過ごしていたため、すっかりこの状態に慣れてしまったのだ。
 そういう思いを込めて笑みを返せば、兄は諦めたように頷いた。それと同時にノックの音が聞こえ、扉が開かれる。
 姿を現したのは、執事のノーマンと義姉のマリエルだった。
 祖父の代から仕えてくれているノーマンは、シーラを見ると目尻の皺をさらに深くして微笑んだ。

「そうしていらっしゃるのを見ると、昔のことを思い出しますね」
「ああ……確かに。そう考えると何もおかしくないか……」

 ノーマンの言葉に納得したように頷く兄に、シーラも、確かに、と頷く。二人でうんうん頷いていると、ノーマンと共にお茶を用意していたマリエルが、「また同じお顔」と楽しそうに笑った。
 シーラとジルヴィウスの状態について、特に驚きもせず受け入れているマリエルは、さすがと言わざるを得ない。

(とってもおおからで肝が据わってる。ジルの前でも委縮してないし、本当にお義姉様になってくれたのが嬉しい……あれ?)

「お義姉様は一緒にお話しないの?」

 並べられたティーカップが三人分しかないことに気付き、マリエルへと目を向ける。彼女は「ええ」と頷くと、ティーポットからお茶を注いだ。

「このあと定期健診の予定があるの。せっかく来てくれたのに申し訳ないけれど……また夕食のときにゆっくり話しましょう」
「あ、そうだよね。大事な時期だもん。むしろこんなときに来ちゃってごめんね。わたしたちのことは気にしないでいいから、ゆっくり休んでね」

 慌てて言い募ると、マリエルは「まあ」と眉尻を下げた。

「久しぶりにシーラちゃんに会うのをすごく楽しみにしてて、シーラちゃんに時間があるなら是非お茶をしようと思っていたのだけれど……シーラちゃんは迷惑――」
「迷惑じゃないっ! 迷惑じゃないよ! お義姉様とお茶したい!」
「まあ、よかった。それじゃあ、明日改めて招待させてね。公爵閣下も、よろしければ是非」
「ああ」

 愛想のないジルヴィウスの返答にも、マリエルは相好を崩すことなく、「ごゆっくり」と部屋を出て行く。お茶菓子を並べていたノーマンも義姉と共に出て行き、部屋には三人だけが残された。

(ノーマンたちともゆっくりお話ししたいなぁ……)

 二人に向け振っていた手を下ろし、その時間は取れるだろうか、と扉を見つめていると、「いい選択だな」とジルヴィウスが話し出す。

「サンテール家は古くから続く軍人一家だ。先代と違い剣を握らないお前の妻にするにはいい人選と言えるだろう」

(お義姉様がどこのご出身かやっぱり知ってるのね。まぁ、お義姉様の生家も東部貴族だから当たり前か)

 東部の貴族のことでジルヴィウスが知らないことはないか、と納得しつつ、お茶に口を付ける。マリエルが淹れてくれたお茶は、オレンジの香りがふわりと香るフレーバーティーだった。

「ああ。急いで婚約者選びをしたわりには驚くくらいいい縁だったと思う。正直、俺には過ぎるくらいだ」
「そうだろうな」
「……そこは俺の友人として否定してほしかったんだけどな。まぁ、事実だから仕方ないか」

 兄はどこか諦めたように笑うと、頭をかいた。その仕草は、ジルヴィウスとの会話の中で兄がよくやるものだった。
 ぽつぽつと続く二人の会話を聞きながら、シーラは先ほどから目を引かれていたフィナンシェへと手を伸ばす。
 二人の雰囲気は、思っていたより悪くない。

(お兄様に対してあんなに怒ってたのに……事前にお兄様に会いに行ってたっていうのがよかったのかな。……そういえば、どうしてあのタイミングでお兄様に会いに行ったのかは聞いてなかったな。わたしを閉じ込めたのは突発的な行動だと思ってたんだけど……)

 夜にでも聞いてみればいいか、とシーラはもう一つフィナンシェをつまむ。
 あまりの美味しさに、最初の一個は味わう間もなく食べ終えてしまったため、今度はゆっくり噛み締めるように咀嚼した。
 甘すぎず、バターの味が濃厚な、シーラの大好きなフィナンシェの味が口いっぱいに広がる。外は少し硬めにサクッとしていて、中はしっとりと柔らかいのもシーラの好みだ。
 これは自分のために用意してくれたものだというのがわかり、自然と頬が緩む。

「……美味しいか? シーラ」

 優しい声に顔を上げれば、兄が温かな眼差しでシーラを見つめていた。
 ジルヴィウスとの話はもういいのだろうか、と思いつつ、シーラは満面の笑みで頷く。

「うん。焼き加減も味もわたしの好みぴったりで本当に美味しいよ。あとで厨房のみんなにお礼言いに行かなくちゃ」

 せっかくだからもう一つ食べよう、と手を伸ばしたシーラだったが、食べる直前でぴたりと動きを止める。
 兄のヨエルが、目元を覆い、肩を震わせていたからだ。覆われた手の下からは涙がこぼれ出ているのが見える。

「え、えっ? どうして――あっ、も、もう一個食べようとしたから……?」

(お兄様もこのフィナンシェ大好きだったっけ……?)

 何故兄が泣き出したのかわからなかったシーラは、好物を取られたくなかったのではないかと結論付け、ヨエルたちの食べる分はきちんと残っている皿へとフィナンシェを戻そうとする。
 それを見て、ヨエルはおかしそうに笑いだした。

「ばかだな、シーラ。それは全部のお前のだよ。お前が来るから、お前のために作って……」

 上がっていた兄の口角が、徐々に下がり始める。兄はそのまま上体を倒し、両手で顔を覆いながら、嗚咽を漏らした。

「なぁ、気付いてるか、シーラ? お前……エルネストとの婚約が決まってから、そんな風に笑ったこと、一度だって……っ、一度だって、なかった……っ。好きなものをプレゼントされても、好きなものを食べてもっ……ぜんぜんっ……全然、笑わなくて……!」
「そんなことっ……」

 ない、とは言い切れなかった。最初はそんなこともなかっただろうが、デビュタント以降――ジルヴィウスを待つことを諦めてからは、心から笑えたことはなかったように思う。

(でもっ、それはお兄様の責任じゃない……!)

 そんなこと気にする必要はないのだと訴えたくて息を吸い込んだシーラだったが、シーラが言葉を発するより前に、ヨエルは「すまない」と繰り返した。

「本当にっ……本当にすまなかった、シーラ……! 俺がっ……あのとき、俺が選択を誤ったんだ……! お前がどれだけジルヴィウスを慕ってるか知ってたのに……! ジルヴィウスがどれだけお前を大事にしていたか、知ってたはずなのに……!」

 しゃくりあげながら「すまない」と口にするヨエルに、シーラは何も言葉を返せず、手を握り込んだ。
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