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第三章
十八
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ほのかな灯りが揺らめく静かな廊下を歩きながら、ジルヴィウスは過去を思い返す。
その思い出のほとんどに笑顔のシーラがいる。
怒ったと思ったら次の瞬間には笑い、泣いたと思ったら次の瞬間には笑っている。
泣いたあと、真っ赤な頬を濡らしたまま、大きな口を開けて笑うシーラを見て、愛おしいという感情を知った。
涙や鼻水で濡れた手が触れても、汚れた顔を押し付けられても、不快とは思わなかった。
(不思議だな。他の奴だったら蹴り飛ばしてやるのに)
抱き締めたときの温かさと柔らかな香りを今でも鮮明に思い出すことができる。
あれは、間違いなく愛だった。
その愛があまりにも眩しく尊くて、その愛のなかに恋慕へと変わる種が紛れていることに気付くのが遅れてしまった。
それは間違いなく自分の失態だったと歯噛みする。
怒ったシーラを宥めるのも、泣いたシーラを慰めるのも、シーラを笑顔にするのも自分でありたいと思っていたはずのに。
(あのときの俺は本当に愚かだった)
後悔したところで仕方がないとはわかっていても、悔やまずにはいられない。
己の過去に腹を立てているうちに執務室の前へと着く。部屋の前には執事のノーマンが立っていた。ジルヴィウスに気付くと、ノーマンは恭しく頭を下げる。
「ヨエルは?」
「中でお休みでございます」
「俺かヨエルが出てくるまで誰も近付けるな」
「かしこまりました」
ジルヴィウスはノーマンを一瞥すると、ノックをすることなく扉を開ける。
中は暗く、窓から差し込むわずかな灯りが質素な室内を照らしていた。
ソファの上でもぞりと動くものを見て、肘掛けに腰掛け寝顔を見下ろす。
その顔はどことなくシーラに似ていた。
(先に出会ったのはこいつで、こいつが兄なんだから、シーラが似ている、というのが合っているんだろうが……)
髪の色はシーラのほうが鮮やかで綺麗だな、と思いつつ健やかな寝息を立てているヨエルの頭を叩く。
「起きろ。警戒心がなさすぎだぞ」
「うう……もう少し優しく起こしてくれよ……」
「俺にそんなくだらないものを求めてたのか?」
「……お前、シーラのこともこんな風に――」
「お前はシーラに手を上げるのか? 人間のくずだな」
「しねぇよ!」
ヨエルは勢いよく上体を起こすと、大きく体を伸ばした。
「もう明け方か?」
「いや、日付を越えて一時間ほどだ」
「……喧嘩でもしたのか?」
(本気で聞いてるのか?)
心配そうに窺ってくるヨエルに、ジルヴィウスは盛大な溜息を漏らすと、向かいのソファへと移動する。そのついでに、防音魔法を部屋全体、そして二人の周囲に張り巡らせ、ヨエルと向き合った。
「それで? 何の用なんだ?」
正面に座るヨエルは、先ほどまでの雰囲気を打ち消し、鋭い目でジルヴィウスを見る。
こういう切り替えが早いところは、昔から変わらない。
灯りのない薄暗い室内でも、ヨエルの若草色の瞳はきらりと光っている。
「お前、南部公爵に助力を得たな」
「……紙芝居の話か?」
ノルティーン辺境伯領は南部に近いため、南部で語られているという話を聞いたのだろうか、と思ったが、ヨエルは「ふざけるな」と息を吐いた。
「南部に忍ばせていた密偵から報告を受けたんだ」
「ほう? 辺境騎士団にそんな優秀な諜報員がいたとはな」
「俺がどの家門と縁戚になったのかもう忘れたのか?」
「……なるほどな」
ヨエルの妻・マリエルの生家であるサンテール家。東部を代表する軍人一家で、騎士はもちろん密偵や暗殺者など、あらゆる武人を育てている。
両親の死後、使用人全員を解雇するまでは、東部公爵家にもサンテール家で鍛え上げられた騎士がいた。現在は、個人的に数人密偵を雇い入れている。
「それで? どこまで知ったんだ?」
「……地下室」
ヨエルの呟きに、ジルヴィウスはぴくりと眉を動かす。背もたれに寄りかかり、尊大な態度でヨエルを見れば、彼は双眸を細めた。
「お前、人造人間に手を出したな」
「さすがサンテール。優秀だな」
「茶化すな」
ヨエルは深く息を吐き出すと、「あのな」と語気を強める。
「人造人間は禁忌中の禁忌だ。昔、人造人間が誕生したとき何が起こったのか、公爵家のお前が知らないわけないだろ」
ジルヴィウスは長い足を組むと、その足先をわずかに揺らした。
遥か昔、“魔力”というものが認識される前、人々は魔法を“物質を変化させる能力”だと思っていた。そのため、彼らは自身の能力を“変換術”と呼び、そのうち鉛から金を生み出す者が現れると、能力の名を“錬金術”と呼称するようになった。
けれど、のちに人々は自分たちの能力がもっと自由なものであることに気付き、“理の外にある能力”という意味で、その能力を改めて“魔法”と名付けた。
“魔法”は人々を夢中にさせ、物質を変化させる“錬金術”は旧時代的なものとしてどんどん廃れていった。しかし、時が流れ、“魔力”や“魔法”が定番なものになってくると、再び“錬金術”が脚光を浴びるようになった。
錬金術の「質量保存の法則」や「自然摂理の法則」を魔法と融合させれば、自分たちの能力は限界を超え、魔法にさらなる進化が訪れるのではないかと考えたのだ。
そしていつしか、不老不死や、世界の根源的な要素に干渉できるようになるのではないかと考える者たちも現れ始め、様々な研究が行われるようになった。
“人造人間”は、その研究の産物だった。
人々は当初、人造人間という成果を歓迎したが、人造人間が大量に生成されるようになると命を軽く見る者が現れるようになり、各地で人造人間を兵士投入した戦争が起こるように。人に似た人でない者たちの死体が積み上がり始めたところで、人々はやっと、人造人間という存在の危険性、その非道徳性を実感するようになった。
また、隣にいるのが本当の人間なのか、人造人間なのか疑心暗鬼になる者たちも現れ始め、そういった者たちが無実の人間を襲うという二次被害も発生し、結果として、人造人間と錬金術は禁忌のものとして封印されるようになったのだ。
(魔法自動人形が人に似すぎないよう作られているのも、当時の事件が理由だ。“人間が出産以外で人間を生みだすのは倫理に反する”という社会規範ができたのもこの時期だな)
王家と四公爵家は、それぞれ国を守護する立場にあるとして、当時の出来事について細かく記された資料を保管している。それゆえ、人造人間が社会にもたらす混乱についても、誰よりも理解していた。
そんな公爵家の一員が、最大の禁忌である人造人間に手を出したというのだから、ヨエルとしては思うところがあるのだろう。
ジルヴィウスは短く息を吐き出すと、ヨエルを真っ直ぐ見つめた。
「お前の懸念はなんだ。バレたとき、シーラに累が及ぶのを恐れているのか?」
「……それだけじゃないって……本当にわからないのか?」
ひどく気遣わしげな眼差しで自分を見つめるヨエルに、ジルヴィウスはわずかに口を引き結んだ。
その思い出のほとんどに笑顔のシーラがいる。
怒ったと思ったら次の瞬間には笑い、泣いたと思ったら次の瞬間には笑っている。
泣いたあと、真っ赤な頬を濡らしたまま、大きな口を開けて笑うシーラを見て、愛おしいという感情を知った。
涙や鼻水で濡れた手が触れても、汚れた顔を押し付けられても、不快とは思わなかった。
(不思議だな。他の奴だったら蹴り飛ばしてやるのに)
抱き締めたときの温かさと柔らかな香りを今でも鮮明に思い出すことができる。
あれは、間違いなく愛だった。
その愛があまりにも眩しく尊くて、その愛のなかに恋慕へと変わる種が紛れていることに気付くのが遅れてしまった。
それは間違いなく自分の失態だったと歯噛みする。
怒ったシーラを宥めるのも、泣いたシーラを慰めるのも、シーラを笑顔にするのも自分でありたいと思っていたはずのに。
(あのときの俺は本当に愚かだった)
後悔したところで仕方がないとはわかっていても、悔やまずにはいられない。
己の過去に腹を立てているうちに執務室の前へと着く。部屋の前には執事のノーマンが立っていた。ジルヴィウスに気付くと、ノーマンは恭しく頭を下げる。
「ヨエルは?」
「中でお休みでございます」
「俺かヨエルが出てくるまで誰も近付けるな」
「かしこまりました」
ジルヴィウスはノーマンを一瞥すると、ノックをすることなく扉を開ける。
中は暗く、窓から差し込むわずかな灯りが質素な室内を照らしていた。
ソファの上でもぞりと動くものを見て、肘掛けに腰掛け寝顔を見下ろす。
その顔はどことなくシーラに似ていた。
(先に出会ったのはこいつで、こいつが兄なんだから、シーラが似ている、というのが合っているんだろうが……)
髪の色はシーラのほうが鮮やかで綺麗だな、と思いつつ健やかな寝息を立てているヨエルの頭を叩く。
「起きろ。警戒心がなさすぎだぞ」
「うう……もう少し優しく起こしてくれよ……」
「俺にそんなくだらないものを求めてたのか?」
「……お前、シーラのこともこんな風に――」
「お前はシーラに手を上げるのか? 人間のくずだな」
「しねぇよ!」
ヨエルは勢いよく上体を起こすと、大きく体を伸ばした。
「もう明け方か?」
「いや、日付を越えて一時間ほどだ」
「……喧嘩でもしたのか?」
(本気で聞いてるのか?)
心配そうに窺ってくるヨエルに、ジルヴィウスは盛大な溜息を漏らすと、向かいのソファへと移動する。そのついでに、防音魔法を部屋全体、そして二人の周囲に張り巡らせ、ヨエルと向き合った。
「それで? 何の用なんだ?」
正面に座るヨエルは、先ほどまでの雰囲気を打ち消し、鋭い目でジルヴィウスを見る。
こういう切り替えが早いところは、昔から変わらない。
灯りのない薄暗い室内でも、ヨエルの若草色の瞳はきらりと光っている。
「お前、南部公爵に助力を得たな」
「……紙芝居の話か?」
ノルティーン辺境伯領は南部に近いため、南部で語られているという話を聞いたのだろうか、と思ったが、ヨエルは「ふざけるな」と息を吐いた。
「南部に忍ばせていた密偵から報告を受けたんだ」
「ほう? 辺境騎士団にそんな優秀な諜報員がいたとはな」
「俺がどの家門と縁戚になったのかもう忘れたのか?」
「……なるほどな」
ヨエルの妻・マリエルの生家であるサンテール家。東部を代表する軍人一家で、騎士はもちろん密偵や暗殺者など、あらゆる武人を育てている。
両親の死後、使用人全員を解雇するまでは、東部公爵家にもサンテール家で鍛え上げられた騎士がいた。現在は、個人的に数人密偵を雇い入れている。
「それで? どこまで知ったんだ?」
「……地下室」
ヨエルの呟きに、ジルヴィウスはぴくりと眉を動かす。背もたれに寄りかかり、尊大な態度でヨエルを見れば、彼は双眸を細めた。
「お前、人造人間に手を出したな」
「さすがサンテール。優秀だな」
「茶化すな」
ヨエルは深く息を吐き出すと、「あのな」と語気を強める。
「人造人間は禁忌中の禁忌だ。昔、人造人間が誕生したとき何が起こったのか、公爵家のお前が知らないわけないだろ」
ジルヴィウスは長い足を組むと、その足先をわずかに揺らした。
遥か昔、“魔力”というものが認識される前、人々は魔法を“物質を変化させる能力”だと思っていた。そのため、彼らは自身の能力を“変換術”と呼び、そのうち鉛から金を生み出す者が現れると、能力の名を“錬金術”と呼称するようになった。
けれど、のちに人々は自分たちの能力がもっと自由なものであることに気付き、“理の外にある能力”という意味で、その能力を改めて“魔法”と名付けた。
“魔法”は人々を夢中にさせ、物質を変化させる“錬金術”は旧時代的なものとしてどんどん廃れていった。しかし、時が流れ、“魔力”や“魔法”が定番なものになってくると、再び“錬金術”が脚光を浴びるようになった。
錬金術の「質量保存の法則」や「自然摂理の法則」を魔法と融合させれば、自分たちの能力は限界を超え、魔法にさらなる進化が訪れるのではないかと考えたのだ。
そしていつしか、不老不死や、世界の根源的な要素に干渉できるようになるのではないかと考える者たちも現れ始め、様々な研究が行われるようになった。
“人造人間”は、その研究の産物だった。
人々は当初、人造人間という成果を歓迎したが、人造人間が大量に生成されるようになると命を軽く見る者が現れるようになり、各地で人造人間を兵士投入した戦争が起こるように。人に似た人でない者たちの死体が積み上がり始めたところで、人々はやっと、人造人間という存在の危険性、その非道徳性を実感するようになった。
また、隣にいるのが本当の人間なのか、人造人間なのか疑心暗鬼になる者たちも現れ始め、そういった者たちが無実の人間を襲うという二次被害も発生し、結果として、人造人間と錬金術は禁忌のものとして封印されるようになったのだ。
(魔法自動人形が人に似すぎないよう作られているのも、当時の事件が理由だ。“人間が出産以外で人間を生みだすのは倫理に反する”という社会規範ができたのもこの時期だな)
王家と四公爵家は、それぞれ国を守護する立場にあるとして、当時の出来事について細かく記された資料を保管している。それゆえ、人造人間が社会にもたらす混乱についても、誰よりも理解していた。
そんな公爵家の一員が、最大の禁忌である人造人間に手を出したというのだから、ヨエルとしては思うところがあるのだろう。
ジルヴィウスは短く息を吐き出すと、ヨエルを真っ直ぐ見つめた。
「お前の懸念はなんだ。バレたとき、シーラに累が及ぶのを恐れているのか?」
「……それだけじゃないって……本当にわからないのか?」
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