ルシアナのマイペースな結婚生活

ゆき真白

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第九章

初めての訪問(三)

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 顎を掴んでいた手が頬を滑り、髪を梳く。
 指先が軽く首筋を撫で、唇が震えた。
 レオンハルトはそのまま首裏に手を添えると顔を近付ける。しかし、唇が触れる、と思った直前で彼は動きを止め、顔を離した。
 視線もテーブルへと移り、ルシアナは咄嗟にレオンハルトのガウンを掴む。

「どうして……」

 再びルシアナを見たレオンハルトは、首の後ろに回していた指先で顎のラインをなぞり、そのまま頬に手を添えると親指の腹で濡れた唇に触れた。

「口を塞いだら話せないだろう?」

 ふにふにと感触を楽しむように触れながら至極真っ当なことを言ったレオンハルトに、ルシアナの頬が一瞬にして赤くなる。

(わ、わたくしは目先の欲にとらわれる浅はかな人間だわ……!)

 羞恥で視界が滲み、慌てて顔を伏せる。

「ルシアナ」

 優しく頭を撫でたレオンハルトが、そのまま抱き締めてくれる。
 ふわりと香る石鹸の匂いと、彼自身の匂いを取り込みながら、ルシアナは夜会ではできなかったことを叶えるように、その胸元に顔を埋めた。

「ルシアナ。貴女が望んでくれるなら、俺はいくらでもそれに応える。……どうしてほしい?」

 優しく、甘い囁き。
 何も気にせず身を任せてしまいたくなるほど凶悪な誘惑に、理性が揺れる。
 ルシアナは、レオンハルトのガウンを掴んだまま、小さく息を吸った。

「……て、ください……」
「ん?」
「……お膝の上に、乗せてください……!」

 絶対に顔を上げるものかと彼の厚い胸に顔を埋めながらお願いする。
 言われた内容が予想外だったのか、彼は一瞬動きを止めたものの、すぐにルシアナの体を抱き上げ、自身の腿の上に横向きに座らせた。
 場所が変わり、胸元に顔を埋められなくなったため、今度は首元に顔を擦り付ける。

「顔を見せてくれないのか?」
「キスをしたくなってしまうので……お話が終わるまでこのままでお願いいたします……」

 ぼそぼそと呟くように答えると、かすかに空気が揺れた。彼が笑ったのだと理解するのに、それほど時間はかからなかった。

(好き……)

 きゅう、と胸が甘く締め付けられるの感じながら、力を抜いて体を預けると、彼は片腕をルシアナの腰に回ししっかり抱き締めた。
 レオンハルトの上体が傾き、ととと、と何かが流れる音が聞こえる。少しして上体を戻したレオンハルトの喉が上下したのを見て、先ほどの音は酒を注いだものか、と理解する。

(……わたくし、酔ってしまったのかしら)

 彼が酒を飲み込むたびに動く喉仏を見ていると、どうにもそれに触れたくて、朝彼がそうしたように噛み付いてみたくなる。

(今は……だめ。先にお話をするの。そうしたら……)

 ルシアナは伸ばしそうになった手を引っ込め、再びガウンを掴むと深呼吸をしてから口を開く。

「あの……まず、勝手に寝室に入ってしまって、申し訳ありませんでした」
「いや、貴女が訪ねると聞いていたのに、書類を片付けていて入浴が遅くなった俺が悪い。貴女が室内で待ってくれていてよかった。俺の私室は、これからも入室も利用も自由にしてくれていい」

 レオンハルトの優しさに心が温かくなるものの、最初の一言にガウンを掴む手に力が入る。

「……お忙しいのに、無理を申しましたか?」
「まさか。早く休暇に入って少しでも長く貴女といたいから、いろいろと詰め込んでいるだけだ。忙しいわけではないし、無理もしてない。むしろ……」

 言いかけて、レオンハルトは「なんでもない」と言葉を濁す。何と言おうとしたのか気にはなったが、彼の喉が上下したのを見て口を閉じる。
 言いたくないのならいいと思ったし、正直レオンハルトに触れたくて仕方がなくてそれどころではなかった。

(……どうしてこんな気分になっているのかしら)

 自分の中でどんどん熱が高まっていき、そのせいで思考が溶けているのが自分でもわかった。
 ルシアナは自分の中のもどかしさを慰めるように、レオンハルトの首に鼻先を擦り付け、熱い息を吐き出す。
 レオンハルトの肌に触れると、少しだけ落ち着くような気がする。
 ルシアナは、レオンハルトの首筋にすりすりと頬ずりしながら、言おうと思っていたことを脳内に並べていく。

「……わたくしが、エブルという土地をトゥルエノに差し出したことはご存じですよね?」
「……ああ。そのおかげで、トゥルエノ王国はすんなり引き下がったと聞いた」

 どこか上擦ったような声を出しながら、シュネーヴェ王国側とトゥルエノ王国側で締結された条約についてレオンハルトが教えてくれる。
 まず、エブルはポータルが完成するまでの間、シュネーヴェ・トゥルエノ間の仮の外交拠点として使用することになったこと。
 また、仮の拠点として使用する間、エブルにあるコリダリスをトゥルエノ王国の研究者に提供することになったこと。
 そして、研究者がコリダリスを使用して生まれた成果物は、五割をトゥルエノ王国に、三割をシュネーヴェ王国に、二割を土地の所有者であるルシアナに、無償で供与することになったこと。
 実際に人がやって来て仮の拠点となるのは、シュネーヴェ王国の冬期休暇が終わるの月以降となることなどを、丁寧に説明してくれた。

(エブルの使用許可をシュネーヴェ側が認めてくれてよかったわ。研究者の同行も。今はの月だから……五ヵ月ほど先かしら)

 エーリクを待たせてしまうことにはなるが、冬期休暇は領地で過ごすことになったため、ちょうどよかったかもしれないな、とルシアナはほっと息を吐き出す。

「せっかくご用意いただいたものを、許可もなく交渉の材料にしてしまい申し訳ございません。実は、どうしてもシュネーヴェに呼びたい方がいて、それにはコリダリスを持ち出すのが一番有用だったのです」
「……呼びたい者?」

 腰に回された腕に、わずかに力が入る。
 少し低くなった声に、空気がひりつくのを肌で感じた。
 思わずレオンハルトを窺うと、細められたシアンの瞳と目が合う。

(あ、だめ……)

 そう思ったものの、気付いたときには自ら彼と唇を重ねていた。
 ちゅ、ちゅ、と触れるだけのキスを繰り返していると、レオンハルトがやんわりとそれを遮る。

「その呼びたい者とは誰だ」

 鋭い声に、もしかしてこれが悋気だろうか、と胸が高鳴る。
 口元に当てられたレオンハルトの手を両手で掴み、その指先に口付けながら、じっとレオンハルトの双眸を見つめる。

「ゼヴィアという家庭教師ガヴァネスですわ。ブルーエルフ族の彼女なら、エーリクの呪いを解けるのでは、っん」

 口付けていた人差し指が、口内に侵入してくる。

「……今は、他の男の名は聞きたくない」
「ぁ、ふ」

 ルシアナは侵入した指を拒むことなく受け入れ、指先が舌の表面をなぞる感覚にただ小さく体を震わせた。
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