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紫苑
第39話 紫苑
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シリルは伊緒と付き合い始めて心を得てからというもの、どういうわけか急に動植物、特に野生生物に強い興味を示すようになった。それからのシリルは昼休みに校庭周辺で生き物を観察する事が大のお気に入りとなった。樹木や雑草、そこに生育する昆虫や小動物、木々にとまり空を駆け巡り囀る野鳥。伊緒の家の近所の半野良猫やヒキガエルすらもシリルの興味の対象だった。
二人が初めて会ったその日から一周年が過ぎ、二人は高三になっていた。幸運なことに三年生になっても二人は同じクラスで、二人はそれだけで幸福な気持ちになれた。
初夏のある日、いつものようにお昼を一緒に過ごそうと、伊緒とシリルは連れ立って、いつもの第二美術室へやってきた。
シリルは相変わらずソーダアイス以外の食事をほとんど摂らないばかりか、食事に嫌悪感を抱いていた。一度だけ伊緒の焼いた卵焼きを食べた事があるくらいだ。なのでお弁当はいつも伊緒一人で食べている。その間シリルは伊緒と話したり、お弁当の中身を観察したり、校庭の生き物を観察するなどしていた。
クラスメイト達、いや全校生徒が、二人がお昼休みを一緒に過ごすことを当たり前のように見ており、お昼休みに第二美術室前に行くことは鴎翼高校生にとってのタブーとなっているほどだった。もっとも、希美代だけは時折我が物顔でそこへ顔を出すことがあったが。伊緒は彼女を歓迎したが、シリルは未だ完全には気を許していなかった。それに、二人だけの貴重な時間を奪われるかと思うと、希美代に冷たい目を向けることもあった。
第二美術室前の緩やかなモルタルの階段は春の日差しを浴びた輻射熱でぽかぽかしていた。伊緒はその上に腰かけお弁当を広げようとしていたが、そこでシリルは見慣れないものを見つける。美術室の外壁にいくつかのプランターが置かれていて、三、四十センチ近い背丈の草が密集してさわさわと風に揺られている。シリルはしゃがんでそのプランターをまじまじと見つめる。
「どうしたの?」
伊緒が問うとしゃがんだまま振り向いて伊緒に答えるシリル。
「昨日までにはなかったわよね、これ」
すぐにまたプランターに向き直ってそこに植えられている草をしげしげと観察する。
「園芸部か畜農産部が置いていったのかな」
「美術部のモデル用かも知れないわね」
伊緒はさして興味がなさそうだ。
「ふうん、何が植えられているの」
シリルは鉢植えに挿してある札を見て少し嬉しそうな声をあげる。
「うーんと、葉はキク科だと思うけど…… ああ、これ」
「なに?」
「紫苑(※1)ね」
「紫苑。聞いた事ないや。知ってるの?」
「私この紫苑の花が大好きなの。母は初め私にこの名前を付けたかったみたい。でも結局今の名前(※2)になったんだけれどね。実は今の名前、今一つ好きになれないのよ。紫苑は私のなりたかった名前のうちの一つ」
「へえ。じゃあ他にはどんな名前だったらよかったの?」
「うん、predestination(※3)」
満面の笑みで答えるシリル。なぜか誇らしげでもある。
「プリデスティネイション」
「矢木澤 紫苑もしくはアスター プリデスティネイション」
伊緒の顔から表情が消える。
「うんそれだめだね」
「え? どうして?」
意外そうな顔のシリル。シリルの予想ではここで自分は称賛を受けるはずだった。
「なんででもだめ。全然だめ。シリルセンスないよ。」
「まっ、いくら私が生まれたての心を持つアンドロイドで、まだセンスが未熟だとしても、私絶対伊緒よりはセンスいいと思うけど」
「それどういう事?」
「さあ? 聞いた通りの事ですよ?」
実際のところどっちもどっちである。
次第に険悪な雰囲気になる二人。仲が良くなるに従い喧嘩も増えるようになってきていた。
「シリルって色々センスがないくせに、謙虚さも足りないからいけないんだよ」
「何? 謙虚さが一番足りてない人は一体全体どこのどなたでしょうか?」
「むかーっ」
シリルは伊緒との言い合いに飽きたので、また紫苑のプランターに目をやる。
「ねえ、この花が咲いたところが見てみたいなあ」
「いつ咲くの?」
「ええと、私のデータでは九月か十月くらい。薄紫色の小さな菊のような花で、とっても素朴で飾り気のない可愛らしい花なの。伊緒もきっと気に入ると思う」
「じゃあそれまで楽しみに待ってよ。ねえ、これお鍋に入れる野菜に似てるよね?」
「春菊のこと? 全然似てないと思うけど…… 食べないでよね」
「そうかな。葉っぱが似てるし。まあ、食べないでおくよ。あれあんまり好きじゃないしさ。あ、でも、そのプランター動かされたら困るなあ」
「うーん、紫苑は背も高くなるしすぐにわかると思う。校庭のどこかに植え替えられていたとしても、私の視覚センサーですぐに見つけ出しちゃうから任せて」
「さすが」
シリルは肩をすくめおどけて伊緒の方を見る。
「ふふ、これくらいしか取り柄がないもの」
「そんな事ないって。じゃあ九月を楽しみにしてようね」
「ええ、伊緒と一緒にこの花を眺めてみたい」
二人はまだただの草にしか見えない紫苑に目を向け、小さな薄紫の花を二人で共に眺める秋を思い浮かべていた。
▼用語
※1紫苑:
キク科シオン属。夏の終わりから秋にかけて薄紫色の直径2~3cmの花を咲かせ観賞用として好まれている。学名の属名や英名のAster(アスター)はギリシャ語で星を意味する。
花言葉は「追憶」「君を忘れない」「遠方にある人を思う」「patience(忍耐)」「daintiness(優美、、上品、繊細)」「symbol of love(愛の象徴)」
※2今の名前:
シリルの名前は英仏語圏の男性名"Cyril”から来ている。ギリシャ語由来で「威厳のある」を意味する。
※3predestination:
英語で宿命、前世の約束、予定説、約束の意。一般的には名前に使う言葉ではなく、いわゆる「キラキラネーム」とされる。
二人が初めて会ったその日から一周年が過ぎ、二人は高三になっていた。幸運なことに三年生になっても二人は同じクラスで、二人はそれだけで幸福な気持ちになれた。
初夏のある日、いつものようにお昼を一緒に過ごそうと、伊緒とシリルは連れ立って、いつもの第二美術室へやってきた。
シリルは相変わらずソーダアイス以外の食事をほとんど摂らないばかりか、食事に嫌悪感を抱いていた。一度だけ伊緒の焼いた卵焼きを食べた事があるくらいだ。なのでお弁当はいつも伊緒一人で食べている。その間シリルは伊緒と話したり、お弁当の中身を観察したり、校庭の生き物を観察するなどしていた。
クラスメイト達、いや全校生徒が、二人がお昼休みを一緒に過ごすことを当たり前のように見ており、お昼休みに第二美術室前に行くことは鴎翼高校生にとってのタブーとなっているほどだった。もっとも、希美代だけは時折我が物顔でそこへ顔を出すことがあったが。伊緒は彼女を歓迎したが、シリルは未だ完全には気を許していなかった。それに、二人だけの貴重な時間を奪われるかと思うと、希美代に冷たい目を向けることもあった。
第二美術室前の緩やかなモルタルの階段は春の日差しを浴びた輻射熱でぽかぽかしていた。伊緒はその上に腰かけお弁当を広げようとしていたが、そこでシリルは見慣れないものを見つける。美術室の外壁にいくつかのプランターが置かれていて、三、四十センチ近い背丈の草が密集してさわさわと風に揺られている。シリルはしゃがんでそのプランターをまじまじと見つめる。
「どうしたの?」
伊緒が問うとしゃがんだまま振り向いて伊緒に答えるシリル。
「昨日までにはなかったわよね、これ」
すぐにまたプランターに向き直ってそこに植えられている草をしげしげと観察する。
「園芸部か畜農産部が置いていったのかな」
「美術部のモデル用かも知れないわね」
伊緒はさして興味がなさそうだ。
「ふうん、何が植えられているの」
シリルは鉢植えに挿してある札を見て少し嬉しそうな声をあげる。
「うーんと、葉はキク科だと思うけど…… ああ、これ」
「なに?」
「紫苑(※1)ね」
「紫苑。聞いた事ないや。知ってるの?」
「私この紫苑の花が大好きなの。母は初め私にこの名前を付けたかったみたい。でも結局今の名前(※2)になったんだけれどね。実は今の名前、今一つ好きになれないのよ。紫苑は私のなりたかった名前のうちの一つ」
「へえ。じゃあ他にはどんな名前だったらよかったの?」
「うん、predestination(※3)」
満面の笑みで答えるシリル。なぜか誇らしげでもある。
「プリデスティネイション」
「矢木澤 紫苑もしくはアスター プリデスティネイション」
伊緒の顔から表情が消える。
「うんそれだめだね」
「え? どうして?」
意外そうな顔のシリル。シリルの予想ではここで自分は称賛を受けるはずだった。
「なんででもだめ。全然だめ。シリルセンスないよ。」
「まっ、いくら私が生まれたての心を持つアンドロイドで、まだセンスが未熟だとしても、私絶対伊緒よりはセンスいいと思うけど」
「それどういう事?」
「さあ? 聞いた通りの事ですよ?」
実際のところどっちもどっちである。
次第に険悪な雰囲気になる二人。仲が良くなるに従い喧嘩も増えるようになってきていた。
「シリルって色々センスがないくせに、謙虚さも足りないからいけないんだよ」
「何? 謙虚さが一番足りてない人は一体全体どこのどなたでしょうか?」
「むかーっ」
シリルは伊緒との言い合いに飽きたので、また紫苑のプランターに目をやる。
「ねえ、この花が咲いたところが見てみたいなあ」
「いつ咲くの?」
「ええと、私のデータでは九月か十月くらい。薄紫色の小さな菊のような花で、とっても素朴で飾り気のない可愛らしい花なの。伊緒もきっと気に入ると思う」
「じゃあそれまで楽しみに待ってよ。ねえ、これお鍋に入れる野菜に似てるよね?」
「春菊のこと? 全然似てないと思うけど…… 食べないでよね」
「そうかな。葉っぱが似てるし。まあ、食べないでおくよ。あれあんまり好きじゃないしさ。あ、でも、そのプランター動かされたら困るなあ」
「うーん、紫苑は背も高くなるしすぐにわかると思う。校庭のどこかに植え替えられていたとしても、私の視覚センサーですぐに見つけ出しちゃうから任せて」
「さすが」
シリルは肩をすくめおどけて伊緒の方を見る。
「ふふ、これくらいしか取り柄がないもの」
「そんな事ないって。じゃあ九月を楽しみにしてようね」
「ええ、伊緒と一緒にこの花を眺めてみたい」
二人はまだただの草にしか見えない紫苑に目を向け、小さな薄紫の花を二人で共に眺める秋を思い浮かべていた。
▼用語
※1紫苑:
キク科シオン属。夏の終わりから秋にかけて薄紫色の直径2~3cmの花を咲かせ観賞用として好まれている。学名の属名や英名のAster(アスター)はギリシャ語で星を意味する。
花言葉は「追憶」「君を忘れない」「遠方にある人を思う」「patience(忍耐)」「daintiness(優美、、上品、繊細)」「symbol of love(愛の象徴)」
※2今の名前:
シリルの名前は英仏語圏の男性名"Cyril”から来ている。ギリシャ語由来で「威厳のある」を意味する。
※3predestination:
英語で宿命、前世の約束、予定説、約束の意。一般的には名前に使う言葉ではなく、いわゆる「キラキラネーム」とされる。
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