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第19話 姉弟温泉旅行

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 「ねえ優斗、このあと行ってみたいところがあるんだけど、いい?」

 姉は肩越しに僕を見上げて微笑む。だが悪い微笑みだ。僕は身構えた。

「え、ど、どこ?」

「陵星館」

「は?」

 なんだって? 旅館だぞ?

「日帰り温泉?」

「ううん、泊まり」

  泊まりたいのか。二人で泊まりたいっていうのか。僕はどう反応していいか判らなかった。

「お金は出すからさっ、ねっ」

「ねっ、じゃなくてさ……」

「いいでしょ、せっかくのラストデートだよ。これくらいのことしなくちゃ」

 僕の頭の中でいろいろな思いが駆け巡った。姉と一泊旅行。普通に仲のいい姉弟ならあってもおかしくないものなのかも知れない。だけど僕たちはそういった類の「仲が良い」姉弟ではない。姉が言うように「特別な」姉弟だ。これで最後と言うなら僕は是非とも泊まりたい。どちらかのうちの狭いシングルベッドに身を寄せあうのとは違うことがしたい。姉が死ぬ前に僕との思い出を残してあげるのは決して悪い事ではないと思った。僕はそうやって自分で自分を誤魔化した。本当は僕自身が泊まりたかったのに。そして腹を決めた。

「判った…… ただし宿が空いているかどうか」

「やった。電話してみるねっ」

 姉は無邪気にスマホを操作し電話する。一方の僕は自分の判断が正しかったのだろうか、一時の感情に流された決断ではなかったか、そう思うと胃の腑が重くなる。

「うーん、取れるには取れたけど……」

 電話を切って不満そうな姉。

「何かあった?」

「ダブルベッドはないんだって」

「それでいいの!」

 盛岡インターチェンジから二十分弱で旅館に辿り着く。立派な旅館だとは聞いていたが相当なものだ。僕は少し臆した。姉さんだってネット詐欺で二百二十万もの被害を受けているっていうのに、こんなところに泊まる余裕はあるんだろうか。
 部屋に通されると僕は目を剥いた。十畳の部屋に広い広縁。大きな窓からはさんさんと陽光が差し込み眼下に広大な森林と湖が広がっている。

「なあ姉さん、ここ高かったんじゃないの?」

 動揺する僕を尻目に澄ました顔でお茶を淹れる姉。

「ふっふーん、それがそうでもなかったんだよー。さあさあ、細かいことは気にしないで、お金のことは公務員の姉ちゃんにドーンと任せてさあ。はいお茶どうぞ」

「あ、ああ、ど、どうも」

 姉はお茶を持って広縁の椅子に座り僕を手招きする。

「おいでおいで、ここ景色いいよ」

 広縁からの眺めも確かに絶景だった。湖、森、空、これらが混然一体となった風景はなかなかのものだった。僕たちはしばし言葉も忘れて外の景色に目を奪われていた。

「でもよかった……」

 姉が静かな声で言う。

「姉ちゃんの願い、また一つ叶ったよ」

「願いって、旅行? 二人きりの旅行なら東京僕が中二の時行ってたじゃん」

「違う。あれって結局ただの検査入院じゃん。だから優斗と二人きりのもっとちゃんとした旅行」

「ああ…… 他にはどんな願いがあるんだ?」

「ふふっ、それは秘密だ」

 姉は微笑みおどけた調子で言った。

 すっかりお茶も冷めた頃、姉はすっくと立ちあがる。

「よしっ、お風呂入ろっ。優斗も一緒に入ろっ」

「いやいやいやいやいや」

「なんだよ、ついこないだまで一緒に入ってたじゃんかあ」

 姉は不思議そうな顔しながらノースリーブのトップスを脱ぎ始めた。

「この間? 僕が十三の頃か? 九年も前のこと言うなよっ」

「まあまあ細かいことは気にしない気にしないっ、ねっ」

 姉はもう脱衣所で素っ裸になっていた。そうだな。これもまた姉の「願い」だというのならたった一度っきり叶えてやってもいいか。そう腹を括った僕も脱衣所へ向かい服を脱ぐ。
 個室露天風呂の眺望もなかなかで僕たちはこれを堪能した。湯船の中の姉は白いタオルを頭の上に置いて、脚を大の字に広げ、湯船の縁(へり)に両肘を置く完全なおっさんスタイルで妙な鼻歌を歌いながら大いにくつろいでいた。
 僕は姉を視界に入れないよう真横で湯船に浸かっていた。
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