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第20話 お風呂で背中の流しっこ
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「はあー、極楽極楽」
姉が気持ちよさそうに定番の言葉を吐く。
「おっさんかよ」
僕は呆れる。
「そうだ、これも願いのひとつ? 一緒に露天風呂」
「ん、まあそうだね」
「姉さんの願いを叶えられて僕も嬉しいよ」
「……ありがと」
意味深な表情で姉は顔を湯船に沈め潜水をする。
僕の目の前でザバーっと水飛沫を上げて姉が立ち上がったので僕は急いで眼を逸らした。姉はザバザバと湯船からあがりカランの前に座る。
「背中流して優斗っ」
「ええっ」
「まず髪洗って」
「へいへい」
僕は渋々椅子に座った姉の長い髪を洗う。折れてしまいそうに細い首が目に入ると僕はどきりとした。湯煙で曇った鏡に映る姉の顔は実に嬉しそうな子供を思わせる満面の笑みだった。
「ねえ、前から優斗のシャンプー好きだったんだ。優しくて丁寧で痛くなくて。仕上がりも絶対母さんのよりよくてツヤツヤだったもん。だから母さんがシャンプー当番だとがっかり」
「わがままだなあ。おふくろだって忙しい中やってくれたんだぞ」
「わかってる。でも優斗のシャンプーの方が良かったのはほんとだよ」
「うん、まあ一応ほめてくれてありがとうと言っておこうか」
シャワーでシャンプーを洗い流し背中を流す。なんて小さな背中なんだ。この小さな背中で病を一身に背負い、何度も倒れそうになりながら辛うじて四半世紀生きてきてくれた。僕は黙って姉にただただ深く感謝する。今日の今日まで生きててくれてありがとう。そして願わくば。
「優斗は背中洗うのも優しくて好きぃ」
「そりゃどうも。これも願いのひとつ?」
「もちろん。もう一生できないもんね」
そう。僕たち姉弟はもう背中を流し合うことなんて一生なく、そしていつか姉は突然の増悪で若くして死――
僕は姉の死の瞬間を予知し、細くて薄い身体に後ろから抱きついた。
「ゆー、と?」
「死ぬなっ、死ぬな姉さん。僕が死なせないっ、絶対死なせないっ」
「うん……」
僕の腕に手を添え俯いた姉の声は、浴室内に諦観の音を響かせていた。
「ありがと……」
「い、いや……」
すると突然姉は軽い声をあげる。
「ほらーちゃんときれいに洗って! 手え抜いちゃだめだよお、ほらここっ、ここっ、腋の下もっ」
「あっ、ああ……」
「優斗さあ」
「ん?」
「今まで本当にありがとうね」
「そんなっ、へっ、変な事言うなよっ」
姉はきれいな脚を自分で洗いながら何食わぬ顔で言った。
「普通に考えたらさ、あたしの方が先に逝っちゃうんだからちゃんとその時の気構えを忘れないでおいてね」
「そ、そんな事言うなよ! い、逝くなんて言うな……」
「でもこれってほんとのことだからさ」
姉は平然とした顔を崩さず、シャワーで全身を洗い流すとタオルを固く絞ってまた湯船に入る。
「ゆーくんもおいで」
姉に誘われるまま僕も湯船に浸かる。姉はタオルを自分の頭の上にのっけた。僕もそれを真似た。
「ふぃー、やっぱ温泉最高ですなあ。思いついた姉ちゃん天才か」
「……」
突然話題が変わる。
「優斗がさあ、姉ちゃんを救おうって医学部入ったのってすっごく嬉しい。でも頑張りすぎないで」
「いや、僕は必死になって頑張る。絶対に姉さんを治す」
「それで無理がたたって優斗が倒れたら元も子もないじゃん。優斗に姉ちゃんの病気を治すことができたとしても、その前に過労で死んじゃったら姉ちゃん治るものも治んなくなっちゃうし。だから、ほどほどに、ね」
「……判った。無理はし過ぎない」
姉は無造作に湯船を出る。
「はいおしまいっと」
と、またカランに座る。
「今度は優斗ね。こっち座んな」
「ええっ、僕の背中も流すの?」
「もちろん。あ、それとスペシャルマッサージのオプションがございますがいかがなさいますかあ?」
「い、いえ結構ですっ」
「あははははっ。じゃ、スタンダードコースで」
「そういうの止めて。めっちゃ不安になる」
「ふふっ、どういう不安なんでしょう」
「いえなんでもないです」
姉の背中流しは特に際どい事もなく無事に終了した。
姉が気持ちよさそうに定番の言葉を吐く。
「おっさんかよ」
僕は呆れる。
「そうだ、これも願いのひとつ? 一緒に露天風呂」
「ん、まあそうだね」
「姉さんの願いを叶えられて僕も嬉しいよ」
「……ありがと」
意味深な表情で姉は顔を湯船に沈め潜水をする。
僕の目の前でザバーっと水飛沫を上げて姉が立ち上がったので僕は急いで眼を逸らした。姉はザバザバと湯船からあがりカランの前に座る。
「背中流して優斗っ」
「ええっ」
「まず髪洗って」
「へいへい」
僕は渋々椅子に座った姉の長い髪を洗う。折れてしまいそうに細い首が目に入ると僕はどきりとした。湯煙で曇った鏡に映る姉の顔は実に嬉しそうな子供を思わせる満面の笑みだった。
「ねえ、前から優斗のシャンプー好きだったんだ。優しくて丁寧で痛くなくて。仕上がりも絶対母さんのよりよくてツヤツヤだったもん。だから母さんがシャンプー当番だとがっかり」
「わがままだなあ。おふくろだって忙しい中やってくれたんだぞ」
「わかってる。でも優斗のシャンプーの方が良かったのはほんとだよ」
「うん、まあ一応ほめてくれてありがとうと言っておこうか」
シャワーでシャンプーを洗い流し背中を流す。なんて小さな背中なんだ。この小さな背中で病を一身に背負い、何度も倒れそうになりながら辛うじて四半世紀生きてきてくれた。僕は黙って姉にただただ深く感謝する。今日の今日まで生きててくれてありがとう。そして願わくば。
「優斗は背中洗うのも優しくて好きぃ」
「そりゃどうも。これも願いのひとつ?」
「もちろん。もう一生できないもんね」
そう。僕たち姉弟はもう背中を流し合うことなんて一生なく、そしていつか姉は突然の増悪で若くして死――
僕は姉の死の瞬間を予知し、細くて薄い身体に後ろから抱きついた。
「ゆー、と?」
「死ぬなっ、死ぬな姉さん。僕が死なせないっ、絶対死なせないっ」
「うん……」
僕の腕に手を添え俯いた姉の声は、浴室内に諦観の音を響かせていた。
「ありがと……」
「い、いや……」
すると突然姉は軽い声をあげる。
「ほらーちゃんときれいに洗って! 手え抜いちゃだめだよお、ほらここっ、ここっ、腋の下もっ」
「あっ、ああ……」
「優斗さあ」
「ん?」
「今まで本当にありがとうね」
「そんなっ、へっ、変な事言うなよっ」
姉はきれいな脚を自分で洗いながら何食わぬ顔で言った。
「普通に考えたらさ、あたしの方が先に逝っちゃうんだからちゃんとその時の気構えを忘れないでおいてね」
「そ、そんな事言うなよ! い、逝くなんて言うな……」
「でもこれってほんとのことだからさ」
姉は平然とした顔を崩さず、シャワーで全身を洗い流すとタオルを固く絞ってまた湯船に入る。
「ゆーくんもおいで」
姉に誘われるまま僕も湯船に浸かる。姉はタオルを自分の頭の上にのっけた。僕もそれを真似た。
「ふぃー、やっぱ温泉最高ですなあ。思いついた姉ちゃん天才か」
「……」
突然話題が変わる。
「優斗がさあ、姉ちゃんを救おうって医学部入ったのってすっごく嬉しい。でも頑張りすぎないで」
「いや、僕は必死になって頑張る。絶対に姉さんを治す」
「それで無理がたたって優斗が倒れたら元も子もないじゃん。優斗に姉ちゃんの病気を治すことができたとしても、その前に過労で死んじゃったら姉ちゃん治るものも治んなくなっちゃうし。だから、ほどほどに、ね」
「……判った。無理はし過ぎない」
姉は無造作に湯船を出る。
「はいおしまいっと」
と、またカランに座る。
「今度は優斗ね。こっち座んな」
「ええっ、僕の背中も流すの?」
「もちろん。あ、それとスペシャルマッサージのオプションがございますがいかがなさいますかあ?」
「い、いえ結構ですっ」
「あははははっ。じゃ、スタンダードコースで」
「そういうの止めて。めっちゃ不安になる」
「ふふっ、どういう不安なんでしょう」
「いえなんでもないです」
姉の背中流しは特に際どい事もなく無事に終了した。
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