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第22話 姉弟、甘美な毒
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僕は茫然とした。姉さんの深い苦しみを知った。姉さんは僕なんかとは比べ物にならないくらい遥か深い淵に沈み込んでもがいていたというのか。やっとわかった。
だけどその想いは甘美な毒だ。その毒を口にすれば全身にその毒が回り、焼け爛れて死ぬ。そんな毒を姉さんに飲ませるわけにはいかない。僕自身はどうなってもいい、ただ姉さんでさえが穢れなければいいんだ。
僕は姉からかつてない激情をぶつけられたにも拘らず、逆に心が醒めて落ち着いてくるような気がしてきた。僕たち二人がバランスを取るかのように、姉が熱くなった分、僕は冷めていく。そして、僕が姉に返せる回答もひとつしかないことは明白だった。
「愛未」
僕を睨みつける姉は押し黙ったままだ。
「愛未。愛未がなんと言おうと、愛未は僕の姉さんだ」
両手でかきむしる様に顔を覆う姉さん。泣いているのか。
「もうやめて、やめてよ…… あたしはそんなものになんかなりたくなかったっ」
「『姉弟でなかったら結婚してくれた?』って話?」
顔を覆ったまま小さく頷く姉。
「だけど現実はそうじゃない。僕たちは姉弟なんだ」
僕は優しく言った。
「判ってくれるよね」
「やだ。判んない」
僕はため息を吐いた。まるで駄々っ子だ。だけどそれだけ想いも深いのだろう。そう思うと僕もつらくて強いやるせなさに襲われた。
「姉さんがいくら言っても現実はひっくり返らないんだ。今の姉さんには二つの選択肢しかない」
「選択肢?」
姉は両手を顔から離し、涙目で僕を見つめる。
「ひとつは僕はもう姉さんの部屋には行かない。そして僕のアパートも引き払って姉さんの知らないところで暮らす。そして死ぬまで離れ離れで生きていくんだ」
姉は慌てふためいて身を乗り出す。がたがたとお銚子が倒れ酒が溢れ出す。
「やだっ! そんなのやだっ! あたしあなたのいない人生なんて無理だよっ! そんなの絶対生きてられないっ」
「もうひとつはこのまま少し仲が良過ぎる姉弟のまま居続けること」
「それってこれまで通りってこと?」
「そう、これまで通り。でも僕はこっちのほうが姉さんにはつらいんじゃないかと思う。よく考えて僕たちの在り方を決めよう。ね」
「ううん……」
姉は力なく頭を振った。
「あたしどう考えても優斗のいない人生なんてありえない」
「そか……」
僕は内心ほっと溜息を吐いた。僕も姉と離れ離れで暮らすのは絶対に嫌だった。
「でも……」
姉が俯いてぽつりとつぶやく。
「でもさ……」
「なに?」
姉は両膝を抱えて椅子に座ったままで上目遣いに僕を見つめる。
「あなたはどうなの?」
僕の心臓が大きく鳴って息が止まる。血流が頭や顔に上がって熱くなる。
「そっ、それはもちろん、僕だって今まで通りの姉弟でいたい、さっ……」
息も切れ切れに声を絞り出す。
「ふうん」
怪訝そうな表情の姉。巧く隠し通せていないのだろうか。きっと僕の表情や声で丸判りだろう。僕が嘘を吐いていることは。
そうだ、僕の言ったことは嘘だ。姉さんを連れて誰も知らないはるか遠いどこかで二人密かに静かに暮らせるのなら、僕は医師になんかなれなくったっていいし彩寧と別れたって全然構わないんだ!
だけどその本音を知られるわけにはいかない。当の本人の姉にでさえも。
だから僕は嘘を吐いた。物心ついてから今までで一番ひどい嘘を姉に吐いた。でも、もし本当のことを口にしたら僕も姉も間違いなくお終いだ。これ以上姉を苦しめたくはない。だから、ごめん姉さん。
姉は僕をじっと長いこと見つめていたが、また俯いて小さな声で言う。
「そか、ありがと……」
僕は温くなったビールを一気にあおる。姉さんが新しいビールを注いでくれた。そして自分はまたはしたない格好で座椅子に座り熱燗をコップに注ぐ。
「なんかごめん……」
姉がしおらしく上目遣いで僕を見る。
「せっかくのお泊りデートだったのにさ……」
「ああ、いやいいよ。全然気にしてない。これもいい思い出です。姉さんと色々話せたのは良かった。嬉しかった」
「あたしも、嬉しかった…… でも取り乱したのは恥ずかしいや」
「まあ、そういうこともあるさ。何かあったらいつでも言って」
「おー、何そのよゆー」
「余裕なんかないって、いつもいっぱいいっぱいだって」
「ね」
「ん?」
「あーちゃんと幸せにおなりよ」
「ああなる。ありがとう」
姉はコップに注いだ酒を一気飲みするとため息を吐いてうめく。
「あーあ、なんだかでっかい魚を逃がした感じ」
「僕は魚か」
「そっ、でっかいでっかい魚」
「何言ってんだか」
「はあっ、明日になったらもう終わりなのか……」
「何が?」
「優斗とのお泊りデート。もう一生できないんだよ。そんなのおかしいよ…… 絶対おかしいって……」
姉は立てた両膝に顔を埋めてさめざめと泣き出す。
「泣くなよ……」
「あんたも一緒に泣いて」
「うっさい。少しだけ泣いてる」
「ありがと…… 嬉し……」
姉は涙を流す目を擦りながら呟く。
「あたしたち姉弟でなければよかったのに……」
だけどその想いは甘美な毒だ。その毒を口にすれば全身にその毒が回り、焼け爛れて死ぬ。そんな毒を姉さんに飲ませるわけにはいかない。僕自身はどうなってもいい、ただ姉さんでさえが穢れなければいいんだ。
僕は姉からかつてない激情をぶつけられたにも拘らず、逆に心が醒めて落ち着いてくるような気がしてきた。僕たち二人がバランスを取るかのように、姉が熱くなった分、僕は冷めていく。そして、僕が姉に返せる回答もひとつしかないことは明白だった。
「愛未」
僕を睨みつける姉は押し黙ったままだ。
「愛未。愛未がなんと言おうと、愛未は僕の姉さんだ」
両手でかきむしる様に顔を覆う姉さん。泣いているのか。
「もうやめて、やめてよ…… あたしはそんなものになんかなりたくなかったっ」
「『姉弟でなかったら結婚してくれた?』って話?」
顔を覆ったまま小さく頷く姉。
「だけど現実はそうじゃない。僕たちは姉弟なんだ」
僕は優しく言った。
「判ってくれるよね」
「やだ。判んない」
僕はため息を吐いた。まるで駄々っ子だ。だけどそれだけ想いも深いのだろう。そう思うと僕もつらくて強いやるせなさに襲われた。
「姉さんがいくら言っても現実はひっくり返らないんだ。今の姉さんには二つの選択肢しかない」
「選択肢?」
姉は両手を顔から離し、涙目で僕を見つめる。
「ひとつは僕はもう姉さんの部屋には行かない。そして僕のアパートも引き払って姉さんの知らないところで暮らす。そして死ぬまで離れ離れで生きていくんだ」
姉は慌てふためいて身を乗り出す。がたがたとお銚子が倒れ酒が溢れ出す。
「やだっ! そんなのやだっ! あたしあなたのいない人生なんて無理だよっ! そんなの絶対生きてられないっ」
「もうひとつはこのまま少し仲が良過ぎる姉弟のまま居続けること」
「それってこれまで通りってこと?」
「そう、これまで通り。でも僕はこっちのほうが姉さんにはつらいんじゃないかと思う。よく考えて僕たちの在り方を決めよう。ね」
「ううん……」
姉は力なく頭を振った。
「あたしどう考えても優斗のいない人生なんてありえない」
「そか……」
僕は内心ほっと溜息を吐いた。僕も姉と離れ離れで暮らすのは絶対に嫌だった。
「でも……」
姉が俯いてぽつりとつぶやく。
「でもさ……」
「なに?」
姉は両膝を抱えて椅子に座ったままで上目遣いに僕を見つめる。
「あなたはどうなの?」
僕の心臓が大きく鳴って息が止まる。血流が頭や顔に上がって熱くなる。
「そっ、それはもちろん、僕だって今まで通りの姉弟でいたい、さっ……」
息も切れ切れに声を絞り出す。
「ふうん」
怪訝そうな表情の姉。巧く隠し通せていないのだろうか。きっと僕の表情や声で丸判りだろう。僕が嘘を吐いていることは。
そうだ、僕の言ったことは嘘だ。姉さんを連れて誰も知らないはるか遠いどこかで二人密かに静かに暮らせるのなら、僕は医師になんかなれなくったっていいし彩寧と別れたって全然構わないんだ!
だけどその本音を知られるわけにはいかない。当の本人の姉にでさえも。
だから僕は嘘を吐いた。物心ついてから今までで一番ひどい嘘を姉に吐いた。でも、もし本当のことを口にしたら僕も姉も間違いなくお終いだ。これ以上姉を苦しめたくはない。だから、ごめん姉さん。
姉は僕をじっと長いこと見つめていたが、また俯いて小さな声で言う。
「そか、ありがと……」
僕は温くなったビールを一気にあおる。姉さんが新しいビールを注いでくれた。そして自分はまたはしたない格好で座椅子に座り熱燗をコップに注ぐ。
「なんかごめん……」
姉がしおらしく上目遣いで僕を見る。
「せっかくのお泊りデートだったのにさ……」
「ああ、いやいいよ。全然気にしてない。これもいい思い出です。姉さんと色々話せたのは良かった。嬉しかった」
「あたしも、嬉しかった…… でも取り乱したのは恥ずかしいや」
「まあ、そういうこともあるさ。何かあったらいつでも言って」
「おー、何そのよゆー」
「余裕なんかないって、いつもいっぱいいっぱいだって」
「ね」
「ん?」
「あーちゃんと幸せにおなりよ」
「ああなる。ありがとう」
姉はコップに注いだ酒を一気飲みするとため息を吐いてうめく。
「あーあ、なんだかでっかい魚を逃がした感じ」
「僕は魚か」
「そっ、でっかいでっかい魚」
「何言ってんだか」
「はあっ、明日になったらもう終わりなのか……」
「何が?」
「優斗とのお泊りデート。もう一生できないんだよ。そんなのおかしいよ…… 絶対おかしいって……」
姉は立てた両膝に顔を埋めてさめざめと泣き出す。
「泣くなよ……」
「あんたも一緒に泣いて」
「うっさい。少しだけ泣いてる」
「ありがと…… 嬉し……」
姉は涙を流す目を擦りながら呟く。
「あたしたち姉弟でなければよかったのに……」
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