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29.初詣
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大晦日の今日も、冨久屋は営業をしていた。とは言え早々に店じまいをして、妙子さんの姿も見えない。帯広の実家に里帰りをしているからだ。僕は竹田さんや田中さん、そして長さんらに「よいお年を」とあいさつをすると、寒さに震え雪に降られながら自分の部屋に戻る。妙子さんからは「一緒に年越しをできなくて残念です。身体を冷やさないようにしてくださいね。良いお年を」とメールが届いていたので僕も笑みを浮かべながら返信をした。
帰宅すると後は寝るだけ、と大晦日の歌謡番組をつけっぱなしにして歯を磨いていると、扉を軽くノックする音がした。ちょっとびっくりした。まさか妙子さんが帰ってきたわけでもあるまいし、と少し不審に思ったまま固まっていると更に強い調子でノックをしてくる。こわごわとドアスコープから外を覗いてみると、そこには大きなハシバミ色の瞳が映っていた。
「うわあ!」
僕は思わず声を上げる。
すると今度はドア越しに声が聞こえる。聞き慣れた声だった。
「くっくっくっ、うわあっ! だって、くっくっくっ」
僕はドアの向こうに向かって怒鳴る。
「おいっ! ふざけるのもいい加減にしろ! 入れてやらないぞ!」
「へえー、いいのかなあ、これ見てもそんなこと言えるのかなあ」
おっかなびっくりドアスコープから覗いてみると、何やら紙袋と日本酒らしきものがある。藍がかざした日本酒を見るとなかなかの銘酒だ。僕は黙ってドアを開けた。雪をかぶって入ってきた藍はいつもと同じ薄いよれたハイネックセーターとデニムに安っぽくて薄いロングコート、ニットキャップと手袋に僕がプレゼントしたオフホワイトのマフラーといったいでたちだった。
「ちょろいちょろい」
得意気にふざけたことを言う藍に釘をさしておく。
「お前を入れたんじゃない。その酒と肴を入れたんだ。お前はその付属物、ただの運び手に過ぎない」
「はいはい、その運び手がいないとそのお酒も肴もここには届かなかったんですがねえ。お猪口はないの?」
「ぐい飲みが一つしかないから僕はコップでいいよ」
「やだあたしよりいっぱい飲むつもり? それじゃあたしもコップにするっ」
ストーブを焚いてもなお冷え冷えと静まり返っていた僕の部屋は、藍の明るい声で一気に暖かく賑やかになる。物静かな方が気楽だった僕は、なぜか彼女のこの賑やかさが好きになっていた。
「しかし最近羽振りがいいなあ」
「まあ、最近つったってクリスマスはただの残り物だったんだけどね。今日は奮発したよ。やっぱり金になるバイトはいいわ。お財布も心も潤うー」
「あれか、『サンシーロ』か」
「正解。あたし、思ったより指名客ついたんだ。あたしってお客さんの好き嫌いが極端に別れるみたい。それにバーのピアノ演奏のお給料も上げてもらったしね。奏輔は?」
「相変わらず飲食店をいくつか細々とね。それとこの間珍しいバイトをやってさ」
「なになに」
「中学の吹奏楽の指揮」
「なにそれ、儲かるの?」
「うーん、ちょっと物足りなかったな」
「あはは」
テレビをつけっぱなしにして乾きものを肴にコップで冷の日本酒をやる。
「ピアノ練習室はいつからだっけ」
「四日から。もう予約取ってあるよ」
「じゃ、四日から本格始動だな。予選は問題ないだろうけど予備本選に向けて練習しないと」
「先生がいいから楽勝だよ」
「そう言って足元をすくわれた奴を僕は何人も見ている。常に緊張感を忘れないことだ」
「はいはい、全く口うるさいねえ。うざい教師みたい」
「なんだって」
「なんでもありませーん」
意味もなくTVを眺めながら無駄話に興ずる僕たち。僕の斜め前にちょこんと座った藍。時にTVを見てがはは、と笑う。僕もすっかりリラックスしている。妙子さんとだと藍と違ってピアノの話もあまりできない。藍のように無防備にがははと笑うこともないだろう。妙子さんのことを思うと胸には甘いものを、右手には痺れるような痛みを感じる。そう考えるといつの間にか僕の目の前で横になってTVを見て笑っている藍が愛くるしく思えるような気がしてきた。藍が振り向いてこっちに話しかける。ハシバミ色の瞳が僕の胸を射抜く。綺麗な眼にドキッとする。
「ね? チャンネル替える? あたしどっちでもいいけど」
「クラシックやってるとこがあるなら聴きたいな。そんな局あるとは思えないけど」
「ん」
藍がリモコンをいじる。するとある地方局で年越しコンサートをやっていて驚いた。
「おお、こんなコンサートの中継あるんだ」
「ピアノ協奏曲第一番だね、チャイコフスキーの」
そしてピアノ奏者が映し出されると僕らは二度驚いた。
「ジュラフスキー!」
僕らはただただ黙ってこの華麗な曲に聴き入っていた。
演奏が終わると僕たちはただ溜息を吐くしかなかった。
「やっぱり先生は違うわ……」
「なんだろうなこの迫力。さすが世界屈指の指だ」
「私もあれくらいになれるかな」
「きちんと研鑽を積めば多分なれる。いや、越えられるかもしれない」
「ほんと?」
「ほんとだ」
「ふふふー」
ずるずると畳の上を這いつくばってこっちまで来た藍はすっかり酔っぱらっていた。デレデレと甘えて僕の膝の上に頭を乗せてくる。なんだか猫のようだ。むちゃくちゃ可愛い。僕はあえて彼女を払いのけなかった。僕の中にある愛おしさと嫉妬の濁流を持て余しながらも、いつかきっと鎮めることができるに違いない、と甘い予測を立てて自分を慰める。僕は渦巻く不安を抱えながらそう思うしかなかった。この時もまた妙子さんは僕の頭の中から姿を消していた。
わいわいと無駄話をしているうちに時刻はもう十二時を回ろうとしていた。遅ればせながらそばを茹でて、二人してずるずるとかけそばをすする。二人並んで食器を洗って片付けた後は、またさっきと同じような体勢で僕が藍に膝枕している状態になる。そのままTVのあまり面白くもないバラエティを二人でぼんやり眺めていた。藍の頭を撫でるとつやつやの髪の感触が気持ちいい。
僕は膝の上に乗った藍の頭と髪をサラサラと撫でつつ、ふとあることを思いついた。
「初詣行くか」
「賛成っ」
藍はぴょこんと飛び起きるとすぐにロングコートを羽織りニットキャップを被って手袋をはめる。ざっくりと編んだオフホワイトのマフラーを巻く藍は嬉しそうに笑顔を見せた。
「さ行こっ」
「トイレ行かなくていいのか」
「大丈夫。あたしそう言うの平気なの」
「ほんとかなあ」
いつもは終電の早い市電も、この日ばかりは深夜まで営業している。無料の初詣市電に乗って終点で降り八幡神社へ向かった。雪の積もる石段に僕たちは少し苦戦する。
「きゃ」
足を滑らす藍の手を僕はとっさに掴む。そのまま藍は僕の身体にしがみ付いてきて本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ありがと」
僕はなんだか恥ずかしくなって藍から視線を離したが、その手はしっかり握ったままだった。藍の方からもしっかり握り返してくる。
いざ参拝の段になって僕は迷った。僕は何を願えばいい?
僕の手が治ること? 不可能だろう。作曲の勉強が進むこと? これは本当に切実な願いだ。妙子さんとの仲が進展する事? それはもう充分すぎるほど進展しているように思える。藍のコンクール金賞受賞? それとも藍と。藍と――。突然僕はここ最近藍にひどく魅了される時があることに気付いて少し動揺した。
どうしたいいのかさっぱり分からなくなった僕は、作曲の勉強が上手くいってコンテストで賞を獲れるようになること、それ以外については神様が一番いいと思ったようにして下さいとだけ祈った。でもこれでは投げやりだろうか? 身勝手だろうか? 無責任だろうか? 妙子さんを想いながら時に藍に大きく揺らぐ自分が怖かった。
「ねね、ずいぶん長くお願いしてたみたいだけど、何をお祈りしてたの」
僕は笑って答えた。
「そりゃもちろん秘密だ」
「あーっ、そんなこと言うなら、あたしだって言ってやんない」
「別に訊きたくもないし」
「なにおう」
「うわー、やめろやめろ危ない転ぶ」
藍ににじり寄られて石段から転げ落ちそうになる。恋人同士というかまるでバカップルみたいなことをしてはしゃぐ僕たち。
次いでおみくじを引く。所願成就おみくじを買い、僕は末吉、藍は中吉。僕の場合「学問:よろし」となったのはいいけど「恋愛:さわがず、凶向吉」となっているのは何を意味しているのか。なんだか怖く感じて不安になった。まあ、占いだから、占い。真に受けるものじゃない、と自分に言い聞かせる。占いに一喜一憂する辺り、今の僕は少し気持ちが弱っているのだろうか。
沢山並んでる夜店の中からあげ芋と焼きそばとたこ焼きとチキンステーキと焼き鳥を買った。藍が買ったクレープをその場で二人で分けて食べた。藍がしきりとあーんしてくるのには閉口したが、全部受け止めて食べた。
突然すがちゃんからリンゴをあーんされた時のことを思い出す。あの時のリンゴは口にも胸にもずっとずっと甘かった。今の僕は胸が苦しくなる。
藍はその後一人で甘酒を飲んで、それから市電で帰ることにした。
僕の部屋に帰ると早速トイレに駆け込む藍。ほら言わんこっちゃない。その後は冷めた夜店の食べ物を肴にまた飲み始める。最終的に話題はいつもの通りクラシックの話。あの指揮者がいいとかこのピアニストがいいとかどの曲がいいとか。また今回もちゃぶ台みたいに小さなテーブルで「エアピアノ」をして笑ったりもした。酔った勢いでぴたっとくっついて隣り合って連弾もした。「鍵盤」が足りなくて手が床にはみ出したりして二人で畳の上に折り重なり大笑いをする。そんな時にふと、すがちゃんにもピアノを教えればこういう話題もできるようになるのか、と自分勝手なことを思ったりもした。
結局夜を徹して飲み明かす。曇天模様の空もほのかに明るくなり、朝の市電が走り出すころに藍が帰る。帰りがけにおどけた藍が玄関で目を閉じ、僕に向かって顔を突き出してきた。多分キスをせがんでいたんだと思う。僕はその姿に胸を切なくさせながら藍の尖った鼻を軽く指ではじく。藍は鼻を手で押さえて大いに不満そうだったが、キスをするなら僕の方からしたい、そう思った。こんなふざけて誘われるようなのではなく。一瞬だけすがちゃんの顔がおぼろげながら浮かんで、また右手の傷が疼いた。
◆次回
30.贖罪
2022年4月30日 21:00 公開予定
帰宅すると後は寝るだけ、と大晦日の歌謡番組をつけっぱなしにして歯を磨いていると、扉を軽くノックする音がした。ちょっとびっくりした。まさか妙子さんが帰ってきたわけでもあるまいし、と少し不審に思ったまま固まっていると更に強い調子でノックをしてくる。こわごわとドアスコープから外を覗いてみると、そこには大きなハシバミ色の瞳が映っていた。
「うわあ!」
僕は思わず声を上げる。
すると今度はドア越しに声が聞こえる。聞き慣れた声だった。
「くっくっくっ、うわあっ! だって、くっくっくっ」
僕はドアの向こうに向かって怒鳴る。
「おいっ! ふざけるのもいい加減にしろ! 入れてやらないぞ!」
「へえー、いいのかなあ、これ見てもそんなこと言えるのかなあ」
おっかなびっくりドアスコープから覗いてみると、何やら紙袋と日本酒らしきものがある。藍がかざした日本酒を見るとなかなかの銘酒だ。僕は黙ってドアを開けた。雪をかぶって入ってきた藍はいつもと同じ薄いよれたハイネックセーターとデニムに安っぽくて薄いロングコート、ニットキャップと手袋に僕がプレゼントしたオフホワイトのマフラーといったいでたちだった。
「ちょろいちょろい」
得意気にふざけたことを言う藍に釘をさしておく。
「お前を入れたんじゃない。その酒と肴を入れたんだ。お前はその付属物、ただの運び手に過ぎない」
「はいはい、その運び手がいないとそのお酒も肴もここには届かなかったんですがねえ。お猪口はないの?」
「ぐい飲みが一つしかないから僕はコップでいいよ」
「やだあたしよりいっぱい飲むつもり? それじゃあたしもコップにするっ」
ストーブを焚いてもなお冷え冷えと静まり返っていた僕の部屋は、藍の明るい声で一気に暖かく賑やかになる。物静かな方が気楽だった僕は、なぜか彼女のこの賑やかさが好きになっていた。
「しかし最近羽振りがいいなあ」
「まあ、最近つったってクリスマスはただの残り物だったんだけどね。今日は奮発したよ。やっぱり金になるバイトはいいわ。お財布も心も潤うー」
「あれか、『サンシーロ』か」
「正解。あたし、思ったより指名客ついたんだ。あたしってお客さんの好き嫌いが極端に別れるみたい。それにバーのピアノ演奏のお給料も上げてもらったしね。奏輔は?」
「相変わらず飲食店をいくつか細々とね。それとこの間珍しいバイトをやってさ」
「なになに」
「中学の吹奏楽の指揮」
「なにそれ、儲かるの?」
「うーん、ちょっと物足りなかったな」
「あはは」
テレビをつけっぱなしにして乾きものを肴にコップで冷の日本酒をやる。
「ピアノ練習室はいつからだっけ」
「四日から。もう予約取ってあるよ」
「じゃ、四日から本格始動だな。予選は問題ないだろうけど予備本選に向けて練習しないと」
「先生がいいから楽勝だよ」
「そう言って足元をすくわれた奴を僕は何人も見ている。常に緊張感を忘れないことだ」
「はいはい、全く口うるさいねえ。うざい教師みたい」
「なんだって」
「なんでもありませーん」
意味もなくTVを眺めながら無駄話に興ずる僕たち。僕の斜め前にちょこんと座った藍。時にTVを見てがはは、と笑う。僕もすっかりリラックスしている。妙子さんとだと藍と違ってピアノの話もあまりできない。藍のように無防備にがははと笑うこともないだろう。妙子さんのことを思うと胸には甘いものを、右手には痺れるような痛みを感じる。そう考えるといつの間にか僕の目の前で横になってTVを見て笑っている藍が愛くるしく思えるような気がしてきた。藍が振り向いてこっちに話しかける。ハシバミ色の瞳が僕の胸を射抜く。綺麗な眼にドキッとする。
「ね? チャンネル替える? あたしどっちでもいいけど」
「クラシックやってるとこがあるなら聴きたいな。そんな局あるとは思えないけど」
「ん」
藍がリモコンをいじる。するとある地方局で年越しコンサートをやっていて驚いた。
「おお、こんなコンサートの中継あるんだ」
「ピアノ協奏曲第一番だね、チャイコフスキーの」
そしてピアノ奏者が映し出されると僕らは二度驚いた。
「ジュラフスキー!」
僕らはただただ黙ってこの華麗な曲に聴き入っていた。
演奏が終わると僕たちはただ溜息を吐くしかなかった。
「やっぱり先生は違うわ……」
「なんだろうなこの迫力。さすが世界屈指の指だ」
「私もあれくらいになれるかな」
「きちんと研鑽を積めば多分なれる。いや、越えられるかもしれない」
「ほんと?」
「ほんとだ」
「ふふふー」
ずるずると畳の上を這いつくばってこっちまで来た藍はすっかり酔っぱらっていた。デレデレと甘えて僕の膝の上に頭を乗せてくる。なんだか猫のようだ。むちゃくちゃ可愛い。僕はあえて彼女を払いのけなかった。僕の中にある愛おしさと嫉妬の濁流を持て余しながらも、いつかきっと鎮めることができるに違いない、と甘い予測を立てて自分を慰める。僕は渦巻く不安を抱えながらそう思うしかなかった。この時もまた妙子さんは僕の頭の中から姿を消していた。
わいわいと無駄話をしているうちに時刻はもう十二時を回ろうとしていた。遅ればせながらそばを茹でて、二人してずるずるとかけそばをすする。二人並んで食器を洗って片付けた後は、またさっきと同じような体勢で僕が藍に膝枕している状態になる。そのままTVのあまり面白くもないバラエティを二人でぼんやり眺めていた。藍の頭を撫でるとつやつやの髪の感触が気持ちいい。
僕は膝の上に乗った藍の頭と髪をサラサラと撫でつつ、ふとあることを思いついた。
「初詣行くか」
「賛成っ」
藍はぴょこんと飛び起きるとすぐにロングコートを羽織りニットキャップを被って手袋をはめる。ざっくりと編んだオフホワイトのマフラーを巻く藍は嬉しそうに笑顔を見せた。
「さ行こっ」
「トイレ行かなくていいのか」
「大丈夫。あたしそう言うの平気なの」
「ほんとかなあ」
いつもは終電の早い市電も、この日ばかりは深夜まで営業している。無料の初詣市電に乗って終点で降り八幡神社へ向かった。雪の積もる石段に僕たちは少し苦戦する。
「きゃ」
足を滑らす藍の手を僕はとっさに掴む。そのまま藍は僕の身体にしがみ付いてきて本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「ありがと」
僕はなんだか恥ずかしくなって藍から視線を離したが、その手はしっかり握ったままだった。藍の方からもしっかり握り返してくる。
いざ参拝の段になって僕は迷った。僕は何を願えばいい?
僕の手が治ること? 不可能だろう。作曲の勉強が進むこと? これは本当に切実な願いだ。妙子さんとの仲が進展する事? それはもう充分すぎるほど進展しているように思える。藍のコンクール金賞受賞? それとも藍と。藍と――。突然僕はここ最近藍にひどく魅了される時があることに気付いて少し動揺した。
どうしたいいのかさっぱり分からなくなった僕は、作曲の勉強が上手くいってコンテストで賞を獲れるようになること、それ以外については神様が一番いいと思ったようにして下さいとだけ祈った。でもこれでは投げやりだろうか? 身勝手だろうか? 無責任だろうか? 妙子さんを想いながら時に藍に大きく揺らぐ自分が怖かった。
「ねね、ずいぶん長くお願いしてたみたいだけど、何をお祈りしてたの」
僕は笑って答えた。
「そりゃもちろん秘密だ」
「あーっ、そんなこと言うなら、あたしだって言ってやんない」
「別に訊きたくもないし」
「なにおう」
「うわー、やめろやめろ危ない転ぶ」
藍ににじり寄られて石段から転げ落ちそうになる。恋人同士というかまるでバカップルみたいなことをしてはしゃぐ僕たち。
次いでおみくじを引く。所願成就おみくじを買い、僕は末吉、藍は中吉。僕の場合「学問:よろし」となったのはいいけど「恋愛:さわがず、凶向吉」となっているのは何を意味しているのか。なんだか怖く感じて不安になった。まあ、占いだから、占い。真に受けるものじゃない、と自分に言い聞かせる。占いに一喜一憂する辺り、今の僕は少し気持ちが弱っているのだろうか。
沢山並んでる夜店の中からあげ芋と焼きそばとたこ焼きとチキンステーキと焼き鳥を買った。藍が買ったクレープをその場で二人で分けて食べた。藍がしきりとあーんしてくるのには閉口したが、全部受け止めて食べた。
突然すがちゃんからリンゴをあーんされた時のことを思い出す。あの時のリンゴは口にも胸にもずっとずっと甘かった。今の僕は胸が苦しくなる。
藍はその後一人で甘酒を飲んで、それから市電で帰ることにした。
僕の部屋に帰ると早速トイレに駆け込む藍。ほら言わんこっちゃない。その後は冷めた夜店の食べ物を肴にまた飲み始める。最終的に話題はいつもの通りクラシックの話。あの指揮者がいいとかこのピアニストがいいとかどの曲がいいとか。また今回もちゃぶ台みたいに小さなテーブルで「エアピアノ」をして笑ったりもした。酔った勢いでぴたっとくっついて隣り合って連弾もした。「鍵盤」が足りなくて手が床にはみ出したりして二人で畳の上に折り重なり大笑いをする。そんな時にふと、すがちゃんにもピアノを教えればこういう話題もできるようになるのか、と自分勝手なことを思ったりもした。
結局夜を徹して飲み明かす。曇天模様の空もほのかに明るくなり、朝の市電が走り出すころに藍が帰る。帰りがけにおどけた藍が玄関で目を閉じ、僕に向かって顔を突き出してきた。多分キスをせがんでいたんだと思う。僕はその姿に胸を切なくさせながら藍の尖った鼻を軽く指ではじく。藍は鼻を手で押さえて大いに不満そうだったが、キスをするなら僕の方からしたい、そう思った。こんなふざけて誘われるようなのではなく。一瞬だけすがちゃんの顔がおぼろげながら浮かんで、また右手の傷が疼いた。
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